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映画「裁きは終わりぬ」を観た

2024年07月09日 | 映画

映画「裁きは終わりぬ」を観た、アマゾンプライムビデオ、1950年、仏、106分、監督アンドレ・カイヤット、原題JUSTICE EST FAITE(正義は終わった)、モノクロ。

ヴェネチア国際映画祭1950年11回金獅子賞(最優秀作品賞)、ベルリン国際映画祭1951年1回金熊賞

薬学研究所に勤めるエルザは、愛人となっていた所長のレモンがガンで助かる見込みがなく、安楽死を頼まれ、殺してしまう。そのために裁判にかけられるが、7人の陪審員は有罪4人で多数となり、エルザは5年の刑を受けることになる、このことの意味を問う作品

予習なしで1回観ただけでは内容をきちんと理解するのは無理だろう、私は今回2回観てある程度理解したが、まだ不十分であると感じる、幸いプライムビデオなので必要な個所を何回も観なおせるので何とかなった。

ストーリーの補足を少しすれば(ネタバレ注意、ただネタバレで観ても十分面白い)

  • 判決は多数決だ、これが結構精神的にはきついのではないか、全員一致ならまだ気が楽だ
  • 7名の陪審員はそれぞれ家庭や日常生活で問題を抱えている、宗教も異なる、陪審員の審議の過程でそれぞれの陪審員の抱えている問題や思想や思考方法などが描かれ、彼らの最後に出す有罪、無罪の評決の間接的な説明にもなっているうまいストーリーの運びだ
  • 陪審員の審議で問題となった論点は
    ①殺された被害者が医者から助からないと言われたため、安楽死を希望し、文書も残してエルザと約束した点
    ②被告は被害者が病気で苦しんでいる間に別の愛人ができて、その逢瀬が目撃された翌日、偶然被害者が苦しみだしたので致死量のモルヒネが投与された点
    ③被害者には3500万フラン?の遺産があり、死ねばエルザに相続権がある点、などである
  • 裁判ではエルザの愛人が証言に立ち、エルザはまじめであり、安楽死させてくれという被害者の希望を忠実に実行すると犯罪になり自分と会えなくなってしまう、そんな約束は破って自分と二人で逃走すればどんなに楽だったか、二人が結ばれれば金など要らない、自分たちには十分な稼ぎがあった、約束をまじめに守った結果、有罪になるのはあまりにひどい、と訴えた
  • 陪審員の一人は女遊びが好きで、裁判中、捨てた女から付け回され、もう自殺すると言われていたのを無視していたら、本当にピストル自殺してしまったという連絡が入ったが裁判中の陪審員には知らせることができなかった、この陪審員は有罪の主張をしたが、この事実を知っていれば無罪を主張し、判決が逆転したかもしれないと悔やむ
  • その他、最後の陪審員の結論表明の際には、いろんな考えが表明され考えさせられる

そして、最後の場面で、次のようなナレーションが流れる

  • 4対3で有罪となり、懲役5年となったが、この5年は、金目当ての殺人としては軽すぎるが、自由を犠牲にして約束を果たしたとしたら重過ぎる
  • いずれにしろ司法の問題であり、陪審員の責任である、誰が被告の行動のすべてを説明できるか、家族や友人の行動を説明できるものなどいない、数時間で他人を理解し、動機を判断して刑を定めるなんて
  • 5年、1825日、愛人と離れて暮らすなんて、別れに耐えられぬという男の言葉の真偽は?、有罪か無罪かなど誰にも分らない、しかし裁きは終わった

アメリカでも「十二人の怒れる男」(1957年)という陪審員の審議を扱った映画があった、しかし、それとこの映画とを比べるとかなり内容が違うような気がする。アメリカ映画は極めてアメリカらしいし結末だし、この映画はフランスらしい結末で、それぞれよく国柄の差が出ていると思った。

いろいろ考えさせられた、安楽死や裁判制度について。映画の中で陪審員の一人が、有罪とするか無罪とするかの判断は、もし自分が被告だったらどうしたか、であると述べたが、そうかもしれない。では私だったらどうするか・・・

非常に優れた映画だと思った、1950年に既にこんなに素晴らしい映画があったとは驚きである



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