半藤一利「昭和史1926-1945」(平凡社)をKindleで読んだ。半藤氏(2021年、90才没)のこの本は書店で一時期多く平積みされており、目立っていたし、Amazonを見ても多くのレビューコメントがついており、いつか読むべきだと思っていた。
半藤氏は文藝春秋の編集長を務められるなど知識産業の要職にあったが同時にプライベートでも歴史研究を地道にされていたのだろう。本書以外にも多くの近現代史に関する本を出筆されており、既にお亡くなりになっているが現代における代表的知識人の1人と言えよう。奥さんは夏目漱石のお孫さんである。
この時代を説明した書籍には、近現代史専攻の大学教授のものも当然あるが、一般に広く読まれているのは半藤一利氏や渡部昇一氏など本職が歴史研究の専門家(大学教授)ではない人の書いたものが圧倒的に多いのは皮肉であろう、しかしその道の専門家顔負けの読書量などを背景に実によく勉強して書いていると思われる。
さて、それでは本書を読んだ感想を書いてみよう。先ず最初に全般的読後感だが、大変勉強になった。読んでみればわかるが半藤氏はよく勉強されており、また、元軍人などにもインタビューされており、他の書物では触れられていないような参考になる内容も多かった。本書が広く読まれているのもさもありなんと思った。
それでは本書の具体的な記載内容について勉強になった点、評価できる点、逆に同意できなかった点などについて書いていこう。
- 日本は明治維新後40年をかけて近代国家になったが、その後、大正、昭和になると自分たちは強国などだといい気になり、自惚れ、のぼせ、世界中を相手にするような戦争をはじめ、明治の父祖が一所懸命作った国を滅ぼしてしまう結果になる
(コメント)
半藤氏のこのような歴史観は戦勝国から押し付けられた彼らに都合の良い歴史解釈と同じではないか。日本に大きな影響を与えた世界情勢、周辺環境、列強の悪意についてもっと語ってほしかった。例えば、半藤氏はコミンテルンの活動や、世界恐慌後の列強のブロック経済についても触れていない。日本の第2の敗戦は、戦後にこういった歴史観を信じ込まされたことではないか。 - 張作霖爆破事件(1928年、昭和3年)前の満洲の状況の説明において、日本が人口増への対応として満洲への移民を行い、現地で日本人による昔から満洲にいた満州人、或は蒙古人、朝鮮人といった人たちが開拓して住んでいた土地を強制的に奪う、またはものすごく安い金で買い取ったりして、恨みを買うことになった、と記載
(コメント)
当時満洲を支配していた張作霖はもと馬賊で、日露戦争後に関東軍と手を結び、軍閥を組織し、徴収した金をすべて自分のものにしていた、そのような現地住民を搾取する軍閥に住民は苦しめられていた点についても触れてほしかった、日本が満州権益を獲得後、多額の投資をし、地域を豊かにし、それゆえ中国から多くの移民が増加し人口も著しく増加したことも書いてほしかった - 1914年(大正3年)ヨーロッパで第1次世界大戦が起きてしまいます、アジアの国々はあまり関係ありませんでしたが、日本はこれをチャンスと考えました、1915年、まだ弱体な中華民国政府に対して強引な要求をつきつけます、これを「対華21か条の要求」といいます
(コメント)
21か条要求(大隈内閣、加藤高明外務大臣)についてはいろんな研究がある、日本が半藤氏の言う強引な要求をつきつけたとは必ずしも言えないのでは、とも感じる、例えば
・日本が一方的に押し付けたのではなく4か月に及ぶ交渉を経て決着した
・交渉では中国の要求を受け入れた部分も多く、中国の意思を束縛してない
・最後通牒が強引さを印象付けたが、袁世凱からそうしてくれと言われた
・もう最期通牒を出せと新聞が煽った、吉野作造も最後通牒しかないと断じた
・要求内容は中国には厳しいものだが、当時の国際情勢では普通の要求
・日華条約として合意したが、袁世凱から要求の形にしてくれと要請された
・条約の一部は公表しないと合意したのにそれを破り日本の横暴と宣伝された
そう単純なことでもない、袁世凱にしてやられた日本外交の失敗であろう、陸奥宗光「蹇蹇録」の中で伊藤博文が「清国は常に孤立と猜疑とを以てその政策となす。故に外交上の関係において善隣の道に必要とするところの公明真実を欠くなり」と述べていたが、大正時代のリーダーたちは先人のこの観察眼を欠いていたのでしょう
(続く)
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