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「魯山人陶説」を読む

2023年09月18日 | 読書

北大路魯山人著、平野雅章編「魯山人陶説」を読んだ。これは、少し前、西新橋の喫茶「草枕」を訪問した際(こちらを参照)、カウンター席に並べてあった文庫本の中から魯山人の本を斜め読みしておもしろかったので、その魯山人が書いた本をしっかり読みたいと思っていたからだ。

陶磁器については、美術館などで見てきたが、知識がないので、良い陶磁器についての自分自身の判断基準がなかった。そこで、魯山人の書いた本書で少し勉強しようと思った。

北大路魯山人(1883~1959、76才没)は、生まれるとすぐ母のの手許を離れ、捨て子同然にして里子に出され、その後養家を転々とした。養家の木版業を手伝い、書の研究をし、やがて美術展覧会に隷書を出品したりし、一時期朝鮮にも渡り、篆刻(てんこく)を習い、古美術など見学して歩く。その後、扁額を彫ったりし、古美術鑑定、美食倶楽部や星丘茶寮を経営し、40代後半から独学で陶器の制作をはじめ、当代並ぶ者なき域に達した人である。

本書には、この魯山人のやきものに関する論考や講演、談話などを収録したもの。これを読んでいると魯山人が陶磁器について、どうして陶磁器に制作を始めたのか、陶磁器の制作で何か大事なのか、古伊万里などの日本や朝鮮、中国の陶磁器の見方・評価、有名な作家に対する評価、などがわかる。その一端を書けば以下の通り。

  • 食道楽から、料理に美を求めるようになると、食器にも無関心ではいられなくなった、食器は料理の着物のようなものだ。何でも良いと言うわけにはいかない、これが陶磁器制作の動機だ
  • 陶磁器の制作を勉強するのに書物を読んで勉強したのではなく、良い作品を蒐集して、それを見て勉強した。芸術は知恵ではなく真心、熱情の問題だ、古の人ほど真心が多い、そしてその名器を見て学ぶ態度を修行の第一としなくてはならない、18世紀以降、徳川幕府の封建的支配が衰え始めると日本的美の伝統も漸く衰え始めた、商業主義的大量生産になったらダメだ
  • 陶芸作家たるべきもの、先ずは美的教養を高めなければならない、土をいじる前に絵画をもって陶器を作るようにならなければいけない
  • 本来、作者という立場は、その仕事に向かっては徹頭徹尾、あくまで自由であらねばならぬ。世俗の見方、世俗の了見、この世俗を断って作心は孤立せねばならない
  • 陶器を美術的、芸術的に見られるようになる近道は、まず第一に製作年代の中心を慶長におくことを忘れてはならない
  • 美術面において、現存者から師を仰ぐことはなかなか難しい、何れかに偏し、かつその道の1つに囚われているからである、これらの一人二人を師と仰ぎ教えを乞うとすれば、後日後悔するだろう
  • 日常生活に雅とか美とかを弁え、それを取り入れて楽しめるものは、たとえ貧乏暮らしでも金持ち性と言えよう、その心の底にはゆとりがある

作陶家などにも具体的な評価が大胆に書かれている。

  • 楽家の楽茶碗においても長次郎、のんこうのが特に出色である、光悦、野々村仁清も良い、乾山は陶画家というべきで陶工とは言えない、自分で土をいじっていないからだ、青木木米も良い、鍋島・柿右衛門には工芸美術的な良さはあるが、精神力には欠ける、古九谷には道楽気があって芸術味がある
  • 伊万里、有田、古九谷とかは製陶の手法こそ相類似しているが、実体が有する美的要素においては、前者と後者は黒白のごとく全然別にしていると断言したい、古九谷は根本的にものが違うと言ってよい、伊万里・有田なるものはいかに動いてもその結果の立派さが職工的にのみ成就し、遺憾なことに、深みのない、味のない、余韻のない、干からびたものにしか過ぎない
  • 古唐津というものの良さは、日本陶器として著しく他に優れた良さと日本趣味に富む野趣を存する
  • 陶器は絵の描かれたものが大部分であるが、何ら絵をほどこさず、しかも、釉薬もかけない陶器に備前焼がある、無釉薬の中でも群を抜いて美しいのが、この備前焼である
  • 織部という陶器は古田織部という茶人の意匠、発明に始まるものではない、織部以前に織部という陶器は生まれていた、利休時代に有名になった織部がそれをやかましく好んだから遂に織部という名をなしたのであろう、しかし、徳川末期に織部を模倣する人がずいぶんくだらない織部を生んだ
  • 中国は明代の絵などを見ても、本当に頭の下がるものはない、宋、元に上がっても同じである。中国はそれが国民性というのか、柄や形式や風采に走って、実に内容の空疎を意としないところがある、中国が今日のごとく、何かにつけても救いがたいところまで堕落したのも、そのためであろう、それに比べ日本では、作者の見識がある、自信がある、窯切れのあるものでもそうした欠陥が作品の内容を左右しないことを我々の祖先は知っている
  • 美術学校の板谷波山は梅華皮(カイラギ、陶器制作時につく傷のこと)の妙味を理解していない、河井寛次郎の作陶は土の仕事がまずい、浜田庄司(浜田参考館訪問時のブログ)、富本憲吉の両君でも土の仕事は随分とご油断と粗忽があると思う。
  • 瀬戸の藤四郎、久谷の才次郎等の時代においては芸術としてその取り扱うに足る作品を生じて余りあるものであるが、以後においては屈指の名匠を除く以外、見るべきものは少ない、現代陶磁器に至っては嘆息すべき状態にあって芸術的生命のあるものの絶無であることを叫ばざるを得ない

などなど、書いていけばきりがない。ネットで調べると北大路魯山人という人は毀誉褒貶の激しい人で、支持者もいたが敵も多かった人らしいことが窺える。本書を読んでも作陶家などに対する名指しの批判も多いので、そうなるのであろう。

本書を読んだ結果、陶磁器に対する見方が少し変るか、と言われれば、まだそんなことはない、この程度の勉強では陶磁器の良否の判定などできないのも当然だ、が、今後とも折に触れて勉強していきたい。

さて、魯山人と同時代を生きた陶芸家に川喜田半泥子(かわきた はんでいし、1878-1963、84才没)がいる。百五銀行の頭取でありながら茶の湯や書画、俳句、写真などに親しみ、こと焼き物に関しては玄人以上の素人であった。「東の魯山人、西の半泥子」と称された。半泥子をちょっと調べると実に人間味のある人物のようであるが、魯山人の本書には一行も彼のことは書いていなかった。今後、半泥子についても勉強してみたい。

 



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