何がきっかけだったか忘れたが猪瀬直樹著の「ペルソナ」を読んだ。この本は巻末の解説を書いた鹿島茂によれば、
「三島由紀夫 の 評伝 で ある 本書 は、割腹 自殺 を 大団円 に 置い た『 近代 日本 と 官僚制』 という 題 の 大河小説 と 見 て よい。 主人公 は 大蔵 事務官 平 岡 公 威( 三島由紀夫 の 本名) および 父 の 農林 水産 局長 平 岡 梓 と 祖父 の 樺太 庁 長官 平 岡 定 太郎。 三代 にわたる 高級官僚 の 家系 で ある。 だ が 祖父 は 疑獄、 父 は 無能、 息子 は 文学 によって 結局、 官僚 機構 の 落伍 者 と なる」つまり、 本書 は、 いかに 三島由紀夫 の 内面 の 秘密 に 光 が 当て られ て いよ う と、 全体 として の ベクトル は、 平 岡 家 三代 を 巻き込ん で 展開 し て ゆく「 近代 日本 と 官僚制」 という 外部 に 向かっ て いる。 平 岡 家 三代 を ミクロ で 捉える こと によって、「 近代 日本 と 官僚制」 という マクロ を 浮かび上がら せる こと を ねらっ た 大河小説 なので ある。(注)
実際に読んでみれば本書は三島の生い立ち、考え方の変遷、そして市ヶ谷の自衛隊駐屯地で割腹自殺を果たすまでの変遷を祖父の代にまで遡って追ったものと思われる。
私は三島について今まで特に興味を持ってフォローしていたわではない。若いときに「金閣寺」を読み、数年前に「サド侯爵夫人」を読み、最近になって「仮面の告白」を読んだ程度ある。また、最近「サド侯爵夫人」の舞台を見た。従って彼の思想の変遷などはあまり知らない。この本を読んでみてなんとなく三島の人物像がぼんやりと見えるようになった。しかし、今後、三島の著作をどんどん読んで見ようとまでの興味はわかなかったと言うのが正直なところである。
有名な1970年11月25日の割腹自殺の時の三島が自衛隊のバルコニーからばらまいた檄文は
「戦後 の 日本 が、 経済的 繁栄 に うつつ を 抜かし、 国 の 大本 を 忘れ、 国民精神 を 失い、 本 を 正さ ず し て 末 に 走り、 その 場 しのぎ と 偽善 に 陥り、 自ら 魂 の 空白 状態 へ 落ち込ん で ゆく のを 見 た。 政治 は 矛盾 の 糊塗、 自己 の 保身、 権力 欲、 偽善 に のみ 捧げ られ、 国家 百年 の 大計 は 外国 に 委ね、 敗戦 の 汚辱 は 払拭 さ れ ず に ただ ごまかさ れ、 日本人 自ら 日本 の 歴史 と 伝統 を 瀆 し て ゆく のを、 歯 嚙 み を し ながら 見 て い なけれ ば なら なかっ た」となっている。(注)
著者の猪瀬はこの文章について、それほど唸らせるものではなく三島の自決の理由でもないと書いている。私はこの文書だけ見れば今の日本にも充分当てはまるような内容だと思うのだが如何であろうか。三島がバルコニーで演説しているとき、そこに集合していた自衛隊のメンバーからは「引っこめ」とか「ばかやろう」とか言う野次が多く飛んだという。本書に収録されている猪瀬と吉本隆明との対談で吉本はこの野次について「なんて やろ う だ! と 思っ て まし た。 死ぬ 気 で いる 人間 の 言葉 を、 自衛隊 に 入隊 し て 一緒 に 訓練 し た 人間 の 言う こと を、 黙っ て 聞い て やる こと ぐらい し たら いい じゃ ない か。 これ じゃ、 三島 さん が 気の毒 だ……、 という のが ホンネ でし た ね。」(注)と述べているのは興味深い。
ペルソナとは多分「仮面」という意味で本書では使っているのであろう。若い頃「仮面の告白」を書いて華々しく文壇に登場し、その後、彼はいつ仮面を脱いだのか、かぶり続けたのか私にはわからない。この本は折に触れて読み返したいとは思う。
(注)は本書からの引用
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