映画「テイキング・サイド/ヒトラーに翻弄された指揮者」を観た、アマゾンプライムで追加料金なし、2001年、イギリス・フランス・ドイツ・オーストリア・ハンガリー、110分、監督サボー・イシュトヴァーン、原題Taking Sides(どちらか一方を選ぶ、Google直訳)
第二次大戦後、ニュルンベルグ裁判が始まってまもない頃、米軍少佐(ハーヴェイ・カイテル)はベルリンフィルの指揮者フルトヴェングラー(ステラン・スカルスガルド)を糾弾すべく、彼とナチスとの関係を調査する。多くの音楽家がナチス政権に抗議しドイツを離れるなか、国内にとどまり指揮活動を続けた男は、果たしてナチスの凶悪行為を憎む米軍の少佐の激しい追及に耐えうることができるのか・・・
フルトヴェングラーがナチの戦争協力者として糾弾されたことは知っていた、中川右介著「カラヤンとフルトヴェングラー」(幻冬舎新書)を読むとこの間の経緯に詳しい。以前読んだが、詳しいことは忘れたので、映画を観る前に関連するところだけを読もうと思ったが、ほとんど全編この時代のことを書いた本なので、本当にざっと目を通してから映画を観た
映画を観た感想を述べてみよう
- 米軍によるフルトヴェングラーに対する調査において米軍少佐は「あなたはナチスがユダヤ人虐殺をしていたのを知っていたのになぜナチに協力したのだ」と詰め寄る。しかし、そもそもニュルンベルク裁判や東京裁判は裁判の名に値しないし、裁判だとしても米軍に裁判員の資格はないだろう、彼らも重大な戦争犯罪(非戦闘員に対する原爆投下、空襲)をしているからだ
- この映画を観ると、結局フルトヴェングラーはナチに協力したとした者として非難されている。それはそういう面はあるだろうが、もし自分がフルトヴェングラーだったらどうしただろうかと考えると、なかなか難しいなと思った。
- 中川氏の本を読むと、「フルトヴェングラーは戦時下にあって母国の芸術家の庇護者になろうとしたのは疑いもないが、結果的にはナチ体制をも庇護したとみられてもやむを得ない」と述べている。ただ、これには映画でも出てくるがいろんな要因があったことは考慮すべきだろう
- ナチはフルトヴェングラーの利用価値を認めてある程度の自由を与えた、それをフルトヴェングラーは自分がナチのいろんな要求を拒否したことの成果だと勘違いし、亡命しようと考えなかった、なぜ亡命しなかったのかはこの映画の中でも中佐から追及されているが一つの大事なポイントではあろう
- 中川氏は、フルトヴェングラーはナチの宣伝塔としての役割を十分すぎるほど果たしたが意図的ではない、彼がユダヤ系音楽家たちの擁護をしていたのは事実だし、ヒンデミット事件で国家と党に反旗を翻したこともあった、と書いているが、結局この映画の副題の通りヒトラーに翻弄された、利用されたのでしょう
- 更に中川氏は、フルトヴェングラーの性格における致命的な欠陥の一つは優柔不断なことだった、と述べている。例えば、内務大臣の主治医の奥さんから、彼の命が狙われていることを知らされても直ぐに亡命しようしかなった、そして、この映画の中でも、占領軍にもリベラルな人もいて彼を擁護する人もいることが冒頭述べられるし、軍需相が彼のコンサートのあと自宅を訪れ、亡命を勧めている。それでも決断できなかった点は確かに優柔不断だったのだろう
- 中川氏によれば、アメリカでは亡命しないフルトヴェングラーやカラヤンへの風当たりが強かったが、ドイツやオーストリアでは亡命した者への風当たりが強かった、亡命しなかった者はナチのもとで苦労をし、戦後はナチに協力したとの汚名を着せられた、それに比べれば亡命した人のほうがどれだけ楽だったか、亡命したエーリヒ・クライバーは戦後ウィーンに帰還したが冷ややかに迎えられ、フルトヴェングラーの復帰は歓迎された
- この映画の最後に、少佐がいくつかの顛末を述べる、曰く、フルトヴェングラーは最終的には無罪になった、しかし、以後アメリカでは指揮できなくなった、自分は彼の名声を十分傷つけた、私は正しいことをやった、と。なんという傲慢さだ、結局有罪でも無罪でもどっちでもいいのだ、名誉を貶めれば。どこかの国の左派新聞と同じだ、いい加減な根拠で騒ぎ、批判対象を貶める
- 少佐曰く、フルトヴェングラー亡き後、ベルリンフィルの常任指揮者になったのはK(カラヤン)だ。これが意味するとことは何か? 中川氏によれば、カラヤンも亡命しなかったし(両者とも終戦直前には亡命した)、彼はナチ党員であったがフルトヴェングラーはナチ党員ではなかった、そして、両者ともナチに結果的に協力したことを反省していない
- フルトヴェングラーはいまだに避難されるがカラヤンは非難されることも少ない、ただ、亡命という点ではフルトヴェングラーは亡命先もチャンスも十分あったがカラヤンはなかった(それだけまだ大物とはなっていなかった)、という差はあるだろう。
- 映画の中で、フルトヴェングラーが指揮した演奏終了後、ヒトラーが観客席から歩み寄り、フルトヴェングラーと握手する映像が写される、その後、フルトヴェングラーが左手に持っていたハンカチを右手に持ちかえるところも写される。これは何を意味しているのか?・・・ヒトラーと握手した右手を拭い、せめてもの抵抗の姿勢を示したのか?
- この映像ほどナチの宣伝に利用され、フルトヴェングラーの名誉を傷つけたものはないだろう。中川氏の本によれば、この時ヒトラーが来るとは知らされておらず、突然現れたため指揮を投げ出すわけにもいかず、さすがに握手を断る勇気もかった。映像で見たのは初めてだが、フルトヴェングラーがいかにも「困ったな」という表情をしているように見えた。ヒトラーのほうが上手だったと中川氏は述べているが、その通りだろう
いろいろ考えさせられる映画だったが一筋縄ではいかない難しい話である。なお、最終的な非ナチ化審理ではフルトヴェングラーもカラヤンも無罪となった
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