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「N響第1985回公演、ベートーベン田園ほか」を観る

2023年07月19日 | クラシック音楽

テレビで放送された「N響第1985回公演」を観た。2023年5月24日(水)サントリーホールで行われたもの。

今日の演目は、

  • ハイドン/交響曲第82番「くま」
  • モーツァルト/ホルン協奏曲第3番 (ベートーベン)
  • 交響曲第6番「田園」(ベートーベン)

指揮:ファビオ・ルイージ
ホルン:福川伸陽 

ドイツの古典もので好きな作曲家ばかりだが、とりわけベートーベンの「田園」は楽しみだ。「田園」には個人的にいろんな思いがある。

  • 「田園」を初めて聴いたのは、40才の頃、宮城谷昌光氏の「クラシック千夜一曲」を読んで、氏の推薦する十夜(十曲)の第二夜に「田園」があったからだ。氏の推薦盤はワルター盤、ベーム盤、ボールト盤となってたので前二者を買って聴きだした。
  • 最初はワルター盤がよいと思ってしばらく聴いていたが、段々とベーム盤がよくなってきた。ワルター盤は私の感覚では「薄味料理」のような上品な演奏で、ベーム盤は「濃い味料理」のような重厚な感じた、濃い味と薄味を比べるとどうしても濃い味が勝ってしまうのか、ベーム盤を繰り返し聞くようになって、今ではベーム盤が私の中で「田園」の基準となる演奏になっている。
  • 「田園」は各楽章にタイトルが付いている、田園に着き、小川のせせらぎを聞き、田園の人と会話し、嵐が来て、それが去った喜びと感謝の思い、というストーリーだ、長年聞き続けるうちに、まさに自分の人生そのもののように思えてきた。
  • 人生の順調なときも、辛いときも、この曲を聴き続けてきた、辛かったときは第4楽章が鳴り響き、それを何とか乗り切ったときは第5楽章が心にしみこんでくる、人生とはその繰り返しだったと言える、「田園」と一緒に歩んできたとも言える

子供とのつながりという面もある。

  • 子供の情操教育としてクラシック音楽を聴かせるのは良いことだが、ステレオの前で聞かせたりするのは子供にとって苦痛だろう。私は、子供が小さい頃、車に乗せてあちこち遊びに連れて行く時、車内でさりげなく「田園」、「英雄」、「魔笛」など親しみやすいクラシック音楽を流して聞かせた。やがて子供も自然にメロディーの一部を口ずさむようになった。
  • 大人になってからはクラシック音楽には見向きもしなくなったが、それで良いと思う。将来、クラシック音楽でも勉強しようかとなれば「田園」などは必ず聞くだろう、その時、「あっ、この曲は・・・」となれば、クラシック音楽に対する興味は一気に膨らむだろう。「親はこんな良いものを聞かせてくれてたのか、オレも子供に聞かせよう」となればなおうれしい。

さて、今日のルイージ指揮のN響の演奏だが、特に第5楽章に注目した。ワルターとベームの違いが一番出る楽章だからだ。今日の演奏はどちらかというと上品でワルター盤に近いものと感じた。その点、残念だが、最近の傾向はどの楽団でも「田園」に関して言えばワルター盤のような上品な演奏が多いような気もしている。ベーム盤やトスカニーニ盤などの重めの、濃い味の演奏ははやりではないのかもしれない。

今日の「田園」の演奏を観ていると、ホルン・オーボエ・トランペット・クラリネット・ティンパニなどあらゆる楽器を効果的に使い各楽器の聞かせどころがつくってある、テレビもその聞かせどころをフォーカスして映してくれる、ベートーベンの偉大さを改めて確認した、また、テレビの画面でそのような各楽器の聞かせどころをしっかりと映すというのは余程、演目に対する深い理解がないとできない技であろう。毎回、その点に感心している、すごいものだ。



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