ゆっくり行きましょう

気ままに生活してるシニアの残日録

コンラッド「闇の奥(Heart of Darkness)」(黒原敏行訳)を読む

2023年07月23日 | 読書

イギリスの作家、ジョゼフ・コンラッドの代表作「闇の奥(黒原敏行訳)」(1902年出版)を読んでみた。私の見ているYouTube番組でこの本のことが話題に出て、興味を持ったからだ。Amazonで探して、Kindleで購入して読んでみた。

作者のコンラッドは、ウクライナで生まれ、両親はポーランド貴族。父は国家独立運動の志士だったがロシアの官憲の手に落ち、一家全員シベリア流刑の末、両親は病没し、孤児となりポーランドに住む叔父に引き取られる。16才で商港マルセイユに行き、以後20年、英仏船の船員として世界の海に出る。やがて船長になり、イギリス国籍も取得し、コンゴ行きを思い立ち出発する、コンゴで受けた衝撃は大きく、その後作家となる。

本書は、この著者自らのコンゴ行きの体験をベースにした小説である。それが描くものはその政治性、倫理性、芸術性のいずれにおいても、発刊後100年以上たっても賛否両論、評価が分かれるという。この「闇の奥」が描いたものは、ベルギー王国によるコンゴの植民地支配、象牙収奪のための搾取と大虐殺であるが、さらに、出版当時のイギリスにおける黒人や奥地を商品として消費する態度でもある。その両方の罪を問うていると、本書の解説では述べている。

主人公の船員マーロウ(著者コンラッドの投影)は仲間たちに昔の自分のコンゴ行きの経験談を話し出すところから物語は始まる。ベルギーの貿易会社に縁故があり船長として入社し、船でコンゴに行く。奥地にある会社の出張所を目指してコンゴ河を徐々に遡上する。そして、出張所に到着すると、鎖につながれた瀕死の黒人、柵の杭のてっぺんに突き刺された黒人の頭などを目撃する。そしてそこにいた1人のロシア人青年に、ここからさらに奥地に代理人のクルツという人物がいることを知らされる。彼が現地人から崇拝されていること、会社に象牙販売により莫大な利益をもたらしており、また、本部の指示に反し、自分でも象牙を販売して財産を得ていると聞かされる。マーロウはクルツに会ってみようとするが彼は病気になっていた、話をして彼が何者か確かめるが、最後に「怖ろしい、怖ろしい(The horror、The horror)」という言葉を残して死んでしまう。

この小説は映画化された、フランシス・コッポラ監督、マーロン・ブランド主演の「地獄の黙示録」(2001年、米)だ。映画では舞台がコンゴではなく、ベトナム戦争当時のカンボジア奥地となっている。ただ、映画の方は本とは違った脈絡で描かれているように思う、すなわち、ベトナム戦争の馬鹿らしさ、戦争の狂気といったもの、だから映画は本を参考にしているが本とは別物と考えた方が良いと思うがどうだろうか。

コンラッドを読むのは初めてのため、彼の評価はよく知らない。ただ、この小説は、読んでいて次をどんどん読み進めたくなるような小説ではない。単調で面白みがないし、退屈だと感じた。ネットでこの本の解説や読み方などの記事を見ると、登場人物の一人一人が持つ特徴などがクルツの特徴をそれぞれ表しているとか、ストーリーはワーグナーの「ニーベルングの指輪」を別の形で表してたものだとか書いてある。そのような深読みは1回読んだくらいではわからないし、そもそも私は「ニーベルングの指輪」を詳しく知らないので、単調で面白みの無い小説としか評価できない。今後、地獄の黙示録やニーベルングの指輪などの理解も深めた上で、再読してみたいと思う。

さて、ヨーロッパの国々であるが、アフリカや中東、アジア、南米など世界中で長い間ひどいことをしてきたものだ。本書はその一つの例であろう。一人の人間として許せない思いだ。こういうことこそ、侵略の歴史として学校教育でしっかり教えるべきだし、そういった国家と日本がどう付き合って行くべきなのか考えていきたい。


高円寺「名曲喫茶 ネルケン」で憩う

2023年07月23日 | カフェ・喫茶店

暑い日が続き、つい外出が億劫になり、家で映画やクラシック音楽番組の録画などを観て過ごしがちになるので、今日は都心に出かけることにした。

かといって、外歩きはなるべく少なくしたいので、場所は美術館や映画館などが涼しくて一番良いが、今日は久しぶりに高円寺のネルケンに行ってみようと思った。

駅南口を出て歩いて10分もかからないところにある。駅からのアーケード街をしばらく歩き、途中でちょっと右に外れた人通りが少ないところにある、というのがまた良い。外観は木が絡まる緑がきれいな屋敷で、それだけでも風情がある。

入ってみると、先客は1人だけ。4人がけのテーブル席に腰かけ、マダムが持ってきくれたメニューから、アイスコーヒーとビスケットを注文した。910円。

店内は4人がけのテーブル席がメインで、狭そうだが結構テーブルがある。各テーブルには花が飾ってある。また、壁には絵画がいっぱいかけてある。そして、入口近くには立った女性の裸体像がある。この店のシンボル的なもので、喫茶店紹介の雑誌や本に出るときは必ずこの裸体像が紹介されている。

この店は、渋谷のライオンや吉祥寺のバロックのような、座席がほぼ全部スピーカーの方を向いているという配置にはなっていない。また、会話は禁止とか小声で、とかの張り紙も無い(と思う)。普通の喫茶店だが、静かに音楽を聴きながらくつろぐ店だ。客の方もその点はわきまえているようだ。

スピーカーは正面奥のカウンターの上に配置されているようだ。ステレオやレコードなどがどこにあるのかは座席からは見えないのでわからない。音量は少し大きめに設定されているが、うるさいというほどではない。

今日は、私が入店した後、何人かの客が入ってきた。それなりに知られているのだろう。クラシック音楽ファンとしては定期的に訪れたいと思っている。

ご馳走様でした。


パリ・シャンゼリゼ劇場 喜歌劇「ペリコール」を観る

2023年07月22日 | オペラ・バレエ

BS放送でシャンゼリゼ劇場、オフェンバック作曲、喜歌劇「ペリコール」を観た。初めて観るオペレッタだ。

「ペリコール」はウィキによれば、全3幕のオペレッタで1868年にパリのヴァリエテ座で2幕版にて初演され、1874年に改訂版が3幕版として同劇場で上演された。オッフェンバックの最も人気のあるオペレッタのなかのひとつ。以前観た「天国と地獄」(こちらを参照)は1858年の作品。

オッフェンバック 作曲
演出・衣装:ロラン・ペリー(仏、61)

<出演>

ペリコール(流しの歌うたい):マリナ・ヴィオティ
ピキーヨ(流しの歌うたい):スタニスラス・ド・バルベラク
ドン・アンドレス・ド・リベイラ(ペルー副王):ロラン・ナウリ
ミゲル・ド・パナテッラス伯爵:ロドルフ・ブリアン
ドン・ペドロ・デ・イノヨサ(リマ総督):リオネル・ロト

合唱:ボルドー国立歌劇場合唱団
管弦楽:レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル
指揮:マルク・ミンコフスキ(60、仏)
収録:2022年11月23・24日 シャンゼリゼ劇場(パリ)

舞台は18世紀後半のペルーの首都リマ。流しの歌芸人のカップル、ペリコールとピキーヨ、実入りが少ない二人は空腹に苦しむ。そこにお忍びでやって来た総督が美貌のペリコールに目をつけ女官にしようと画策。空腹に悩むペリコールは贅沢な暮らしに目が眩み、やむなくピキーヨに別れの手紙を書くと総督についていってしまう、ペリコールから手紙を受け取ったピキーヨは絶望のあまり首を吊ろうとするが・・・

この作品では権威や社会全体に対して、痛烈なユーモアが描かれている、オッフェンバックの作品に共通する当時の為政者の不品行や、世相風俗を痛烈に諷刺するこのオペレッタは、諷刺される側のナポレオン三世も大いに楽しんだと伝えられているそうだ。

テレビでは、この作品は躍動的な音楽とポップな演出でオッフェンバックの数々のオペレッタをリバイバルしてきた名コンビ、マルク・ミンコフスキとロラン・ペリーの最新作との解説があったが、演出はカラフルで、内容的にも退屈しなかった。ミンコフスキは2018年から日本のオーケストラ・アンサンブル金沢の芸術監督に就任し、現在は桂冠指揮者になっているようだ。

 

 


「鹿島の杜カントリー倶楽部」でゴルフをする

2023年07月21日 | ゴルフ

茨城県鹿嶋市の「鹿島の杜ゴルフ倶楽部(PGM)」でゴルフをしてきた。何度か来たことがあるコースである。今日も猛暑で関東の内陸部では35度以上の最高気温になるようだが、ここは最高気温は33度であった。海に近いところは内陸より3度以上気温が低いのでまだ楽だ。値段は2人で16,500円だが、この中にはカートのフェアウェイ乗り入れ代2人分2,200円が入っている

最近、7、8年ぶりにドライバーをドライバーを買い換えた。今日はその筆降ろしである。買ったのはキャロウェイのPARADYM。定価は88千円くらいだが、価格比較サイトで58千円が最安値で、それで買った。実は、先日、大洗シャーウッドゴルフに行ったときに、キャロウェイのドライバーの貸し出しをやっていたので、その時、このPARADYMを借りて打ってみたらよかったので買ったのだ。

さて、このコースだが、距離が長く、レギュラーで6,500ヤード、コースレート71.4のタフコースだ。プロの試合もやったことがある。グリーン回りのバンカーが深く、大きく、硬く、難しい。池も何カ所か絡むホールがある。ラフも結構伸びていた。アップダウンはそれほど無い。

できた当初は高級コースだったのだろう、クラブハウスなどは立派であり、よくメンテナンスもされていた。ロッカー室も広く、風呂場も広い。レストランも高級感があるし食事もうまかった。マスター室前に製氷機もあり有難い。ただ、あまり日陰がないのは真夏のゴルフにはつらい。グリーンは9.0ftで早く感じた。コースの手入れもよかった。

今日も炎天下のゴルフで熱中症にもならずに完遂できたのはよかったが、タフなコースの方に完全に打ちのめされ、フラフラになった。

お疲れ様でした。


上野「国立西洋美術館 常設展」を観に行く

2023年07月20日 | 美術

上野の「国立西洋美術館常設展」を観に行った。最近改装していたがリニューアルオープンしたので行ってみようと思った。企画展も考えたが、特に興味がなかったので常設展を観ることにした。好きな美術館である。

事前にネットでチケット500円を購入して、入口でそれを見せて中に入った。最初のうちは15世紀くらいまでの宗教画が多く展示されている。私はどうも宗教画に興味が持てないので、そのあたりはさっと飛ばして、17世紀以降くらいの展示を中心に見て回った。ただ、最初に展示室に入って直ぐのところにあるブリューゲル(子)の「鳥罠のある冬景色」はよかった。

その後、17世紀くらいの展示に入っていくと、クールベ、マネ、モネ、シスレー、コロー、セザンヌ、ゴーギャン、ピカソ、ミロなどおなじみの作品が続々と出てくる。これだけの数のコレクションを保有しているのも日本では数えるほどの美術館だけであろう。それがいつでも500円で見られるのだから有難い。モネの作品も相当な数、展示されている。これらをゆっくり観て歩くだけで直ぐに1時間は過ぎてしまった。毎度おなじみの絵が多いが、初展示作品もいくつかあった。

(ピカソ、初展示作品、小さな丸帽子を被って座る夫人、1942年)

さて、久しぶりに観て、運営面での若干のコメントをしよう。

  • 昨日観に行った松岡美術館と比べると、作品解説の銘板の文字が小さく、照明も薄暗く、近視と老眼の私には大変見にくいものだった。文字が小さくなる理由の1つは日本語、英語、中国語、韓国語で表示されていることだ(上の何枚かの写真を参照)。スペースには限りがあるので、日本語と英語だけで十分ではないか。
  • 常設展は写真撮影OKになったのは評価できる。また、一部の作品は撮影禁止になっていたがその表示に気づかずに撮影してしまってた人に注意を与えているのも毅然とした対応で評価できる。ただ、偶然見かけた撮影禁止を注意をする場面では、係員が写真を撮っている人のところに行って写真の前を手で塞いで、撮影禁止です、と言っていたが、これはやり過ぎではないか。
  • 展示室内に何の匂いかわからないが少し気になる匂いが広範囲でした。展示室設定の際に使う塗料とか接着剤の匂いかもしれないが気になる匂いだった。

一回で全部ゆっくり見るのは時間的にいっても、体力的にいっても無理だ、入場料も安いので、年に何回かは来て繰り返し見るようにしたいと思っている。

お疲れ様でした。


「N響第1985回公演、ベートーベン田園ほか」を観る

2023年07月19日 | クラシック音楽

テレビで放送された「N響第1985回公演」を観た。2023年5月24日(水)サントリーホールで行われたもの。

今日の演目は、

  • ハイドン/交響曲第82番「くま」
  • モーツァルト/ホルン協奏曲第3番 (ベートーベン)
  • 交響曲第6番「田園」(ベートーベン)

指揮:ファビオ・ルイージ
ホルン:福川伸陽 

ドイツの古典もので好きな作曲家ばかりだが、とりわけベートーベンの「田園」は楽しみだ。「田園」には個人的にいろんな思いがある。

  • 「田園」を初めて聴いたのは、40才の頃、宮城谷昌光氏の「クラシック千夜一曲」を読んで、氏の推薦する十夜(十曲)の第二夜に「田園」があったからだ。氏の推薦盤はワルター盤、ベーム盤、ボールト盤となってたので前二者を買って聴きだした。
  • 最初はワルター盤がよいと思ってしばらく聴いていたが、段々とベーム盤がよくなってきた。ワルター盤は私の感覚では「薄味料理」のような上品な演奏で、ベーム盤は「濃い味料理」のような重厚な感じた、濃い味と薄味を比べるとどうしても濃い味が勝ってしまうのか、ベーム盤を繰り返し聞くようになって、今ではベーム盤が私の中で「田園」の基準となる演奏になっている。
  • 「田園」は各楽章にタイトルが付いている、田園に着き、小川のせせらぎを聞き、田園の人と会話し、嵐が来て、それが去った喜びと感謝の思い、というストーリーだ、長年聞き続けるうちに、まさに自分の人生そのもののように思えてきた。
  • 人生の順調なときも、辛いときも、この曲を聴き続けてきた、辛かったときは第4楽章が鳴り響き、それを何とか乗り切ったときは第5楽章が心にしみこんでくる、人生とはその繰り返しだったと言える、「田園」と一緒に歩んできたとも言える

子供とのつながりという面もある。

  • 子供の情操教育としてクラシック音楽を聴かせるのは良いことだが、ステレオの前で聞かせたりするのは子供にとって苦痛だろう。私は、子供が小さい頃、車に乗せてあちこち遊びに連れて行く時、車内でさりげなく「田園」、「英雄」、「魔笛」など親しみやすいクラシック音楽を流して聞かせた。やがて子供も自然にメロディーの一部を口ずさむようになった。
  • 大人になってからはクラシック音楽には見向きもしなくなったが、それで良いと思う。将来、クラシック音楽でも勉強しようかとなれば「田園」などは必ず聞くだろう、その時、「あっ、この曲は・・・」となれば、クラシック音楽に対する興味は一気に膨らむだろう。「親はこんな良いものを聞かせてくれてたのか、オレも子供に聞かせよう」となればなおうれしい。

さて、今日のルイージ指揮のN響の演奏だが、特に第5楽章に注目した。ワルターとベームの違いが一番出る楽章だからだ。今日の演奏はどちらかというと上品でワルター盤に近いものと感じた。その点、残念だが、最近の傾向はどの楽団でも「田園」に関して言えばワルター盤のような上品な演奏が多いような気もしている。ベーム盤やトスカニーニ盤などの重めの、濃い味の演奏ははやりではないのかもしれない。

今日の「田園」の演奏を観ていると、ホルン・オーボエ・トランペット・クラリネット・ティンパニなどあらゆる楽器を効果的に使い各楽器の聞かせどころがつくってある、テレビもその聞かせどころをフォーカスして映してくれる、ベートーベンの偉大さを改めて確認した、また、テレビの画面でそのような各楽器の聞かせどころをしっかりと映すというのは余程、演目に対する深い理解がないとできない技であろう。毎回、その点に感心している、すごいものだ。


映画「ナバロンの要塞」を再び観る

2023年07月18日 | 映画

テレビでまた「ナバロンの要塞(The Guns of Navarone)」(1961、米・英、監督J・リー・トンプソン)を観た。この映画を観るのは4回目か5回目だ。先日観た「ベニスに死す」と同様、テレビで何度も再放送するということは根強い人気がある作品なのだろう。私もたまに無性に観たくなる作品の一つだ。

ストーリーとしては、舞台が第2次世界大戦、ギリシアのケロス島にイギリス兵2千名が孤立した、これを救出すべく連合国軍は戦艦を派遣するが、ケロス島の横にあるナバロン島に独軍の難攻不落の要塞があり、その要塞から大砲2つが睨みをきかせていた。この要塞を破壊するために特殊部隊がつくられ、要塞内部に潜り込み内部から大砲を爆発させることにした。

この特殊部隊のメンバーは天才的な登山家のマロリー大佐(グレゴリー・ペッグ)、爆薬の専門家ミラー伍長(テービット・ニーヴン)、ギリシア軍の将校でレジスタンス闘士スタブロス大佐(アンソニー・クイン)など一癖も二癖もある面々。この精鋭部隊が嵐の中ナバロン要塞に接岸し、絶壁を登り、要塞都市に紛れ込み、要塞内部に入り込むべく工作をしていくが・・・・

映画は3時間近い大作だが、最初から最後までハラハラ・ドキドキで全く飽きることがない、特殊作戦や戦闘場面などだけでなく、ナバロンのレジスタンスの美人女性闘士マリア・パパディモス(ギリシャの美人女優イレーネ・パパス)などのお色気もちゃんと入っている。マロリー大佐の冷静かつ冷徹なリーダーぶりが光る、「80日間世界一周」や「戦場にかける橋」のデービット・ニーヴンも爆薬の専門家として活躍する。冒頭にナバロンの要塞のある岸壁に特殊部隊の乗った船が嵐の中接岸する場面など迫力満点だ。

何回観ても面白い、良い映画だ。ただ、第2次大戦中の映画ではドイツがいつも悪役として描かれるのは気の毒だ。日本も朝ドラなどでは戦時中の場面になると必ず軍隊や警察が悪役として登場するが、必要以上に悪く描かれているのではないか。立派な軍人や警官もいたが、それは描かれるケースはほどんど無い。自国のメディアが本当に適切な時代考証に基づきドラマなどを制作しているのか、私はいつも気になっている。

 


白金台の「松岡美術館」に行く

2023年07月17日 | 美術

当ブログを見ていただいている方の中に、昨日の秋田、青森の大雨による水害にあわれた方がいらっしゃったら、心よりお見舞い申し上げます。これ以上の被害が出ないこと、早急に復旧がなされることを願っています。

港区白金台の松岡美術館に行ってきた。ここは2、3年前に一回来たことがある。

現在は、

  • 「江戸の陶磁器 古伊万里展」
  • 「モネ、ルノワール 印象派の光展」

などが開催されている。入場料は1,200円、シニア割引はなし。白金台の駅から歩いて10分。大通りからちょっと脇に入ったところにある。美術館に入ってみると来ている人は圧倒的に若いカップルが多かった。白金台という洒落た場所なので若い人たちのデートコースになっているのだろう。シニアは少数派だった。

この美術館は実業家の松岡清次郎氏が1975年に港区新橋にオープンし、その後現在地の松岡氏私邸跡地に新美術館の建設を開始し、1996年に新美術館としてオープンしたもの。松岡氏は若いころから書画骨董を愛し、約半世紀をかけて一大コレクションを築き、80歳を迎えるころ、「優れた美術品は一般に公開し、一人でも多くの美術を愛する人に楽しんでいただこう」という考えでこの美術館を作ったそうだ。

所蔵品はほとんどオークションでの落札によるもので、開館以来、所蔵品のみで展示を行っている。これは蒐集家の審美眼を蒐集作品を通じて観てもらおうとの考えだ。この考えには大いに賛同できる。やはり美術館は創設者らが自腹を切って集めた作品を常設展示するのが基本だと思う。

まず、古伊万里の作品を観た。江戸時代に有田でつくられた磁器を古伊万里という、そして、説明を読むと、江戸時代に約100年にわたって古伊万里は海外にさかんに輸出されたとのこと。それはオランダの東インド会社が中国陶器に代わる商品として大量に注文したためだ。

乳白色の磁肌に清澄な色彩で花鳥や唐人物が絵付けされた「柿右衛門様式」、濃紺の染付に赤と金による桜花や菊など和風な文様が煌びやかな「金襴手様式」は、ヨーロッパの王侯貴族たちを魅了して膨大なコレクションが築かれたそうだ。実際に展示作品を見てみると実に上品で美しい、日本人や花鳥などを書いたものはえも言われぬ美しさがあり好きだ。

柿右衛門様式 や 金襴手様式 に先立ち、有田で焼かれた「初期色絵」は「古九谷様式」ともよばれる、これは古伊万里よりは少し地味であり、大名などに好かれた。さらに、佐賀鍋島藩直轄の窯で焼かれた磁器で、徳川将軍家への献上、諸大名や公家への贈答、そして藩主の自家用の品として、採算を度外視して生産されたのが鍋島焼だ。私は以前、戸栗美術館で開催された鍋島焼の展覧会に行ったことがあるが、鍋島焼の上品な磁器に魅せられた。おくゆかしい気品がある。

次に、印象派の光展だが、モネ、ルノアール、ピサロ、ギヨマン、シニャック、マルタン、リュス、ヴァルタなどの作品が展示されている。印象派の作品は好きだがモネの睡蓮、ルーアン大聖堂の連作は必ずしも好きではない、が、モネの作品には素晴らしいものが多いことは確かだ。また、ピサロなどの風景画も大好きだ。

今日展示されていた作品で良いな、と思ったのは次のものだ。

  • 10番:羊飼いの女(ピサロ)
  • 12番:カルーゼル橋の午後(ピサロ)
  • 34番:水浴の女たち(ヴァルダ)

美術館の中にはこの2つの展覧会の他にあと古代オリエント展もあり、ざっと見たが、入館してから1時間半くらい経つともう疲れて見ていられなくなる。どうして美術館はこう疲れるものなのか不思議だ。じっくり勉強するには半日くらい潰すつもりで、少し観ては少し椅子に座って休み、また観る、というようにすべきなのだろうが、シニアになって時間に余裕ができてもそういう見方ができないのは長年あたふたと働いてきた習性が簡単には変えられない、ということか。

さて、最後にこの美術館の運営面についてコメントしたい

  • 松岡美術館は原則として写真撮影OKだ、但し、音の出ない写真アプリを使うことが要求される。これはうれしい。印象派の絵は全部撮影可能となっていた。
  • 美術品の展示には作品名、制作年月、制作者などの情報を記載した銘板が添えてある、さらに詳しい情報が書かれている作品もあるが、それらが比較的大きな文字で書かれており、かつ、照明も明るめになっているので非常に見やすかった。特に陶磁器などは照明の制約がないので大変読みやすかった。
  • この展示作品説明の銘板だが、さらに素晴らしいと思ったのは、各作品の制作日とともに、その時作者が何歳だったか表示されていることだ。これは大変役に立つ情報である。この美術館のスタッフの方々がきっと自分たちが客として観る場合、何か知りたいかとことん検討している証拠であろう。高く評価したい。

観に行く価値は十分あると感じた。

 


映画「ペトラ・フォン・カントの苦い涙」を観る

2023年07月16日 | 映画

柏のキネマ旬報シネマで「ペトラ・フォン・カントの苦い涙(THE BITTER TEARS OF PETRA VON KANT)」(1972、独、監督ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー)を観た。

1971年にフランクフルトで上演されたライナー・ヴェルナー・ファスビンダーの同名戯曲を、翌年の1972年にファスビンダー自身が映画化したもの。 二度目の離婚をしたばかりのファッションデザイナーのペトラ(マルギット・カールステンセン)は、秘書のマレーネ(イルム・ヘルマン)と2匹の猫と一緒にブレーメンの高級アパートに住んでいる。親友の男爵夫人(カトリン・シャーケ)の紹介で、若いモデルのカリン(ハンナ・シグラ)と出会ったペトラは彼女に恋して一緒に住むようになるが、夫がある上に移り気なカリンはペトラの愛情が鬱陶しくなって出て行ってしまう。素気無くされたことでペトラのカリンへの想いは一層強まっていき・・・

特に事前の予習もせず、いきなり観たところ、映画の場面はペトラの家の中が大部分の会話劇、30分くらいしたところで眠くなった。ガムを持ってくるべきだったと後悔した。きっと戯曲をそのまま映画化したようなイメージでつくったのだろう、戯曲であれば場面転換は1度か2度だが映画の場合にそれをやられるとどうしても退屈になる。最後の方では見せ場があり何とか最後まで観られたが、見続けるのが結構苦痛だった。AmazonPrimeで観ていたら確実に途中で観るのを止めていただろう。

1972年の映画なので女優のファッションも今ではとてもこんなもの着ている人はいないだろうなと思いながら観ていた。また、ペトラとカントは同性愛という今はやりのLGBTを題材にしていると言うのも面白かった、さらに、ペトラと助手のマレーネの関係もそれらしい関係だ。このマレーネはほとんど話さないというか話した場面を思い出せない。

この監督や女優たちが好きな人でないときっと観ても退屈すると思われる。


映画「METオペラ魔笛」を観る

2023年07月15日 | オペラ・バレエ

近くの映画館でMETオペラ・ライブビューイング本年度最終回の「魔笛」を観てきた。3,700円。今日は平日、初日で、40人くらいは来ていたか。多い方だろう。女性陣が多かった。

指揮:ナタリー・シュトゥッツマン
演出:サイモン・マクバーニー

出演:
エリン・モーリー(パミーナ、ソプラノ)
ローレンス・ブラウンリー(タミーノ、テノール)
トーマス・オーリマンス(パパゲーノ、バリトン)
キャスリン・ルイック(夜の女王、ソプラノ)
スティーヴン・ミリング(ザラストロ、バス)

上映時間:3時間28分(休憩1回)
MET上演日:2023年6月3日

鑑賞した感想を述べれば、とにかく素晴らしかったの一言だ。元々、「魔笛」は素晴らしいオペラだが、今回は演出、色彩、歌手、指揮者・オーケストラなどすべてよかった。その上で、具体的に感じたことを書いてみたい。

  • 演出のサイモン・マクバーニー(65、英)は「既成概念を覆すような驚きを舞台で表現する演劇界の鬼才」とあるが、今までに見たこともないような斬新な演出だった。
  • 例えば、オーケストラピットの両脇の観客が見えるところに、一方では、ヴィジュアル・アーティストのB・ヘイグマンが舞台のスクリーンに映し出す影絵、黒板と文字、その他の映像の制作をやり、もう片方には効果音アーティストのR・サリヴァンがいろんな音(水の音、酒瓶がぶつかる音、鳥が飛ぶ音など)を出す。
  • パパゲーノが出てきたときに、しばしば黒い服を着た人たち(多分合唱団のメンバー)が鳥を模してA4サイズくらいの白い紙を二つ折りにして片手で持ってパタパタさせる演出はまるで歌舞伎で役者の周りを蝶が飛ぶときの演出と似ていたし、観客席には2つの通路が歌舞伎の花道のように使われ歌手たちが何回かその通路を使って舞台に上がったり降りたりしていた、また、オーケストラピットの観客側にピットを囲むように通路ができていてそこを歌手が歌いながら通る場面があったが、いずれも他では観たことがない演出である。もし、歌舞伎からヒントを得ていたとしたらうれしいが。
  • サイモン・マクバーニーはインタビューで、このオペラが初演されていた頃の演出をイメージしたと言っていた。その一つはオーケストラピットが通常よりも上げ底になっており舞台との一体感が強い設定になっていることだ。指揮者のナタリー・シュトゥッツマンもこれは非常に緊張を強いられると言っていた。
  • 魔笛ほどフルート等の独奏者が活躍するオペラも少ないだろう、フルート奏者のS・モリスは歌手に導かれて舞台に上がり独奏していたし、グロッケンシュピール奏者のB・ワゴーンも舞台上で演奏しており非常によかった。
  • パミーナ役のエリン・モーリーは先日見た「ばらの騎士」(こちら参照)でゾフィーを演じていたあの彼女だ。今回は主役級の役であり、その歌唱力、美貌、スタイルの良さを十分に発揮していた。こんな三拍子そろったパミーナ役は初めて観た。薄幸の主人公、例えば椿姫のヴィオレッタやラ・ボエームのミミなどは彼女がピッタリの役ではなかろうか。
  • パパゲーノ役のトーマス・オーリマンスはインタビューで、ピアノも弾けることを話していたが、第2幕の最後に近いところで通常はB・ワゴーンがグロッケン・シュピールを弾くところオーリマンスが自ら弾いていた、これは本当に彼が弾いていたのだろう、うまいもんだ。ワゴーンも感心しているように見えたのでこれはアドリブか?
  • 夜の女王のキャスリン・ルイックはカーテン・コールで盛大な拍手を受けていた。今まで見た女王の中ではかなり変った出で立ちであったが、歌唱力は素晴らしかった。
  • もう1人、これは良いと思ったのがザラストロ役のスティーヴン・ミリング(58、デンマーク)だ、体格もザラストロらしいし、何より低音のバスの音量が素晴らしかった。これだけのバス歌手はあまりいないのではないか。
  • 最初から幕は開いたまま、最後も閉じなかった、たまにこういうやり方もあるか。

さて、素晴らしいオペラであったが、若干の気づき事項を書いておこう

  • 私の中で理想の魔笛の演奏は、宇野功芳先生推薦のカール・ベーム指揮、ベルリン・フィルの1964年録音の「魔笛」(POCG-3846/7)だ、この演奏に比べると他の演奏はすべてテンポが速い、と言うよりベームの演奏が遅いと言った方が良いかもしれないが。大部分のパートは気になるほどの差ではないが、第1幕、第2幕のフィナーレの演奏が顕著な差である。なぜ、ここまで早く演奏しなければいけないのかわからない。歌手もオーケストラも大変だし、一番盛り上がるところはじっくりと演奏してもらいたい。
  • 3人の童子であるが、その出で立ちが、あばら骨が見え、毛が白髪のボサボサで、まるで飢餓寸前の児童といった感じのコスチュームで気味悪かったが、この狙いが読めなかった。

4時間近くの大作だが全く退屈しなかった。オペラファン、モーツアルトファンであれば見逃せない映画だろう。