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佐伯周子ピアノ・リサイタルを聴きに行く

2024年02月10日 | クラシック音楽

東京文化会館小ホールで開催された佐伯周子第32回(ピアノ)リサイタルに行ってきた。3,000円、席は自由席。19時開演、20時50分終演。サブタイトルに「べーレンライター新シューベルト全集に拠るピアノソナタ全曲演奏会Vol.3」とある。

この「べーレンライター新シューベルト全集」についてちょっと調べてみると、ドイツの出版社であるべーレンライター社が出版したシューベルトの全楽譜集で、シューベルトの全作品を包括的に収録しており、未完の作品も含まれているものだ。1997年頃全巻が揃った。

佐伯周子は、宮崎市出身、洗足学園音楽大学大学院修了。これまでに、宮村京子、阪本幹子、林美奈子、矢野裕子、小林仁に師事。2016年11月シューマンのピアノ協奏曲をアンサンブル金沢と共演。2004年より「シューベルトピアノソロ曲完全全曲演奏会」を行い2019年に全26回完結。チェコ音楽コンクール2010年第1位。伊福部昭氏との縁をもとに現代曲の演奏、また近年では室内楽にも力を入れている。

今日の公演は、「シューベルトピアノソナタ完全全曲演奏会 全8回連続演奏会」を2028年シューベルト没後200年に向けて遂行中のうちの第3回目だ。

曲目

シューベルト:

ピアノソナタ 10番、嬰へ短調 D571+D570
ピアノソナタ 8番、イ長調 D664
ピアノソナタ 16番、イ短調 D845

当日配布されたプログラムに書かれた曲の解説では、

D664は技術的には易しく、可愛らしいソナタの作曲を要請されて作ったもの、第2楽章主題再現部が小さく変奏されている。D845は変奏曲とロンドで人気のあったシューベルトがその両方を楽曲に盛り込んだ作品。第1グランドピアノソナタと呼ばれる。この曲以降のソナタ・弦楽四重奏曲・交響曲の「時間的な大きさ」を確立した曲。

彼女の演奏を聴くのは初めてだし、曲目も初めてで、ぶっつけ本番で聴きに行った。ただシューベルトのピアノが好きだと言う理由のみで選んだ公演だったが、実際に聴いてみて良い曲だったし、彼女の演奏も素晴らしいと思った。

さて、この日の彼女の演奏会だが、東京文化会館の小ホールに集まった客は100人もいなかったかもしれない。東京に雪が降った翌日の交通の混乱を心配し、チケットを買ったけど来なかった人も少なくないかもしれないが、見た感じがら空きだった。これではあまりに寂しい。

本人はもとより、主催者、後援者としてパンフレットに載っている組織の人たちがもっと動員をかける必要があったのではないか。そういう努力が十分でなかったのではないか。SNSやいろんな手段で少なくとも半分くらい埋まるようにすべきだろう。こういったところも改善してほしい。

ネットで調べるとYouTubeには彼女のアカウントがあるがアップされている動画はわずかで訪問者も2桁しかない。Facebookもあるが投稿が少ない。Xなどをもっと有効に使うべきではないか。うまく使っているピアニストや音楽家は多いので参考にしてはどうか。練習が大変でそんなことやっている時間はないし知識もないよ、ということかもしれないが、まわりの詳しい人にサポートしてもらうとか、もっと努力しないといけないのではないか。

今夜の公演のプログラムを読むと、曲の解説などが書いているが、非常にわかりにくかった。もっと素人にもわかりやすい書き方が必要ではないか。特にピアノソナタ10の説明は素人には何を言っているのか全くわからなかったし、シューベルティアーデ推移というのが書いてあるが、なぜ唐突にこれが最初に紙幅を取って書いてあるのかよくわからない、その後の曲の解説も難しい。

一方、この夜の公演では途中、休憩時間が1回あり、その際、ホワイエで飲み物はワインなどすべて無料とのアナウンスがあった。これは粋な配慮というものだろう、関係者がこのくらいの知恵が働くなら、もっと他にも知恵を出して彼女をサポートしてほしい。

また、この日の公演では、3曲演奏した後、拍手に答えてアンコールを1曲弾いてくれたが、その前に来場の御礼とアンコールの曲の紹介を彼女自らの声で話したが、これは良いことだ。これについても、もう少し話す時間があっても良いのではないか、シューベルトに対する思いとか、何でも良いのだ、来ている人は彼女がどういう人なのか、話を聞いてその人柄や音楽に対する考え方の一端でも知りたい。そうしたことをやって少しでもファンを増やして欲しい。

今夜の終演後、彼女はホワイエに出てきて聴きに来てくれた友達などと談笑していたが、これも良いことだ。一般の人にもどんどん声をかけて欲しい。見たところずけずけと人前に出ていって話すようなタイプの女性ではないようだが、積極性も時に必要だ。自分をどんどんさらけ出して欲しい。きっとファンが増えると思う。

最近売れっ子の藤田真央の小説「指先から旅をする」を読んだら、彼がヨーロッパでリサイタルをした当初は座席が1割か2割くらいしか埋まらなかったと書いてあった。それにもめげずに彼は頑張った。私は多くの日本人音楽家を応援したい。もっと多く集客できて、チケットの値段ももっと高くても売れるようになって欲しい。今後も、日本人の公演を聴きに行って支援したい。彼女の来年の第4回の公演も絶対に観に行くので、いろいろ改善の上、是非頑張ってもらいたい。


演劇「センの夢見る」を観る

2024年02月09日 | 演劇

東京芸術劇場シアターイーストで演劇『センの夢見る』を観た。「ほろびて」というカンパニーが上演。13時開演、15時過ぎ終演。4,500円。席は自由席だが、チケットを買ったときにそのチケットに整理番号が付されており、その番号順に入場が案内された。

シアターイーストは初めて。座席数は300くらいか、9割くらい埋まっていたように見えた。若い人が多かった。これは演劇公演の特徴だ。会場には「今日の公演は収録のため客席内にカメラがある」、「本公演終了後にトークサロンがある」と書いた紙が貼りだしてあった。

「ほろびて」だが、これは2010年に始動した細川洋平の演劇作品を上演するカンパニー。細川は1978年生まれ。早稲田大学演劇俱楽部を経て「ほろびて」を立ち上げ、2010年より始動させた。「ほろびて」は、一度なくなったものの中から、また立ち上げていく行為が創作の源流にあると捉え、その事後の事柄を想像し続けるために名付けたカンパニー名。2021年5月、『あるこくはく』で第11回せんがわ劇場演劇コンクールグランプリ、劇作家賞(細川)、俳優賞(吉増裕士・客演)の三冠を受賞。

今日の演目は、『センの夢見る』

作・演出
細川洋平

出演
浅井浩介、安藤真理、大石継太、生越千晴、佐藤真弓、藤代太一、油井文寧

物語の舞台は1945年のオーストリア・レヒニッツと2024年の日本

  • 1945年、オーストリアとハンガリーの国境付近の村レヒニッツに暮らす三姉妹のルイズ、アンナ、アビゲイル。彼女たちにとっての娯楽は、空想の旅に出ることだった。2月初旬、そんな三人に、近くのお城で開催されるという舞踏会への招待状が届く。夢のような招待にはしゃぐアンナとアビゲイルに対し、乗り気になれないルイズ。そこに隣人のヴィクターが訪ねてくる。
  • 2024年の日本、泉縫(いずみ・ぬい)と妹の伊緒(いお)の暮らす家。そこに、縫の生活を密着取材しているという自称YouTuberのサルタがやってくる。レンズを向けられ、縫もまんざらではない様子を見せる。サルタは、なぜ兄妹をカメラに収めるのだろうか

この2つの時代はそれぞれ別々にそれぞれの時代のリビングルームでスタートするが、劇の途中で2つリビングルームがつながってしまう。交わった互いの生活は、果たしてどのように変化していくのか・・・

作・演出の細川は、「夢や、夢見る人々を描こうと思います。夢には時間軸が存在します。達成される前と達成された/されなかった後。むろんそれを見ているのは外側の人間です。つまり、夢見る人々を、外側から見るという行為が今、とても興味深いと感じています。それはきっと、夢を見ていたのに、現実を見ざるをえなくなった人を見ることにもなるのではないでしょうか。つまり演劇で繰り返し行われてきたことを、演劇を通して、描こうと思います。とても小さくてシンプルな演劇になるんだと思います。」と述べている。

以上に書いたことは事前に芸術劇場や「ほろびて」のホームページに書かれているもので、事前に読んで鑑賞に望んだ。ところが、実際にこの劇を鑑賞してみると、細川の言いたいことがなんなのかよくわからなかった。途中でオーストリアが舞台の3人娘が招待されたパーディーは運営がナチの将校が行っていること、そこで何か異常なことが行われていることなどがセリフの中に出てきて、何か深刻な問題が起っていることは感じられたが、よくわからなかった。

また、1945年のオーストリアと2024年の日本のリビングルームが一つになると言うのもよく理解できなかったし、2024年という時代を持ち出した意味もよくわからなかった。

終演後にトークサロンがあるので参加してみた。舞台には作・演出の細川のほか、当日出演した俳優4名が上がり、細川から今日の演目の説明がなされた。そこで初めて1945年のレヒニッツと言う町の意味が理解できた。すなわち、この町は人口3,000人の小さな町で、1945年3月25日、ナチスの親衛隊や秘密警察の指導者、現地の対独協力者がレヒニッツ城でパーティーを行い、そこでパーティーの客は「娯楽」として約200人のユダヤ人の強制労働者を銃殺する事件が起った。

この虐殺されたユダヤ人の死体が葬られた墓の場所は今でも不明なまま、レヒニッツの住民も沈黙したまま。戦後、現在に至るまで、一部の証言者によってこの夜のことが語られることはあるが、詳細までは決して明らかにならない。

この未解決の問題が細川の問題意識にあり、城の近くで暮らす3姉妹がパーティーを夢見るが、現実を見て恐怖を感じ、2024年の日本に生きる2人の登場人物にその不条理を考えさせる、そんな狙いだったのかなと思った。しかし、これを終演後に説明されても初めて見る人にはつらいと思った。また、リビングルームが一緒になること、タイトルにある「セン」が何を意味するのか、2024年の日本のリビングルームに現れるYouTuberが何を意味しているのか、などまだわからないことだらけだ。

トークセッションを聞くと、俳優達も細川から台本だけ渡されて詳しい説明は受けてないようなことを言っていたので、これはどういうものかな、と感じた。

演劇をこんな小難しく考えて作る必要があるのだろうか、それがトークサロンまで聞いた後での本日の感想である。テーマが深刻だからこうなるのか、私にはわからない。普通の人は2、3回観ないと理解できない演目ではないだろうか。

演劇は今後も折に触れて見ていきたいし、この「ほろびて」の作品も見ていきたい。


サンヒルズCCに宿泊してゴルフ

2024年02月08日 | ゴルフ

栃木県宇都宮市のサンヒルズカントリークラブに1泊2プレーの宿泊ゴルフに行ってきた。被災地支援のため金沢に旅行に行こうと思ったが、レンタカーを借りて乗り回す旅が好きなので、真冬で雪も降る可能性がある時期の旅行は無理と判断し、ゴルフ旅行にした。

サンヒルズは何回かプレーしたことがあるコースなので我々夫婦にとってはおなじみのコースだが、宿泊したことはなかった。ここはグランドPGMと言ってPGMグループのゴルフ場の中でも上位ランクの特別な位置づけのゴルフ場だ。写真で見る限り、豪華な宿泊施設でありながらそれほど高い値段でないので一度宿泊したいと思っていた。費用は1泊2プレー、初日の昼食と夕食、翌日の朝食と昼食代を含め2人分合計53,000円弱だったので安い方でしょう。

温泉宿にでも宿泊してゴルフをしようとすると結構高つくが実はゴルフ場併設の宿泊施設に泊まってゴルフをすると非常に安い値段で済む。その場合でも宿泊施設が古かったり、安っぽい感じがするゴルフ場もあるが、結構レベルの高い施設を有しているゴルフ場もあり、ここもその一つだ。同じ栃木県の烏山城カントリーのホテルと温泉も素晴らしい。

自宅から車で2時間20分くらいかかるので初日は10時過ぎの遅いスタートを予約し、3時半過ぎにラウンド終了、その後、ホテルにチェックインして、車で30分くらいかけて宇都宮中心地まで行ったが、時間がないのでちょっと見ただけで直ぐホテルに帰り、その後、風呂に入り、6時から夕食。翌朝は7時から朝食を取り、8時過ぎの早い時間のスタートでスループレーでまわらせてもらい、ラウンド後昼食をとって2時まえには帰宅の途についた。2時間ちょっとで帰宅できた。

ホテルはクラブハウスと一体となっている。部屋はツインベッドの洋室で、充分の広さだった、ベッドもテレビも大きかったしソファーもあった。バルコニーがあり、イーストコースに面していたためスタートホールと上がりのホールが見えてムード満点だった。また、宇都宮市街の街並みも見えた。ホテルとクラブハウスは一体の建物になっているので便利だ。そしてコースの中に一番高い位置にあるので景色がよい。

風呂は温泉になっており、ゴルフ場の大浴場と兼用。従って、ゴルフに来た人もラウンド後は温泉に入れる。広さは十分で露天風呂もあった。

朝食と夕食の会場はゴルフ場のレストランと共用で、高級感がある。食事代金もそれほど高くなく、常識的な価格設定だ。宿泊の人はあまり多くないようだったので、夕食の時も他のお客さんとの座席の間隔も充分確保されており、ゆったりしで食事ができたのはよかった。夕食はコース料理にするかアラカルトで注文するかどちらでもOKだが、シニア夫婦は量は食べないのでアラカルトで注文した。アラカルトには和食と中華のメニューが多くあり、今回は中華中心にたのんだ。宇都宮の繁華街で夕食を食べたい人には夕食なしプランもある。

翌朝の朝食はバイキング形式で、宿泊客の他に当日朝来て朝食を食べる人も利用しているようであったが、それほど混んではいなかった。

ゴルフの方は、初日はWestCourseをまわり、翌日はEastCourseをまわった。36ホールあるので同じコースを2回まわることにはならず、これもよかった。プレーの進行はスムーズで、それほどストレスは感じなかった。ただ、コースは修復していないディボットがやたらに多く、また、バンカーは足跡だらけで、全体的にかなり荒れていた。来ている客のマナーは最低だろう。豪華な割にそれほど値段が高くないのでマナーを身につけてない若者が多く来ることが影響しているし、中高年の客も手本になるようなマナーでラウンドできない人たちが多く来るのであろう。コース側ももっと客にマナー教育をすべきである。こんな状態ではグランドPGMの名前が泣くというものだ。

天気は二日間とも雨に降られず、風も強くなく、寒さもそれほどではなかった。ゆっくりくつろげた小旅行でした。季節がよくなったらまた泊まりで来たい。

 


ドストエフスキー「白痴」を読む(その2・完)

2024年02月07日 | 読書

(承前)

さて、ドストエフスキーの小説では、登場人物にドストエフスキーの考えや教訓めいたことを語らせている部分が多くあるように思える。その中にはロシアの対する批判的なことも多く含まれている。これはシェークスピアなど他の作家でもよくあることだ。この本を読んで、これはドストエフスキーの主張なのだろうなと思えるところを拾ってみて、括弧書きで自分のコメントを書いた。

  • 真実を語るべき者はただ機知なき者のみなり、と言う言葉があります(皮肉であり、清濁併せ持つことが知恵だと言っているのでしょう)
  • 同情というものこそ全人類の生活に対するもっとも重大な、おそらくは唯一無二の規範であろう。曖昧模糊たるものはロシア精神ではなく自分の魂に外ならないのだ
  • 世の中のことはたいがい「力の権利」でかたがつく、アメリカ戦争の時でも、もっとも進歩的な多くのリベラリストが移民の権益保護のために、黒人は黒人で、白人より下に立つべきものだ、従って力の権利は白人のものだ、とこんな意味のことを宣言していた
  • ロシアでは実際的な人がいない、役人も多い。ただ、その実際的な人は臆病とか創意工夫がない、そしてそういう人が将軍になる(役人や役人的な仕事をする人、将軍になるような人を揶揄しているのでしょう)
  • ロモノーソフ、プーシキン、ゴーゴリを除いたらロシア文学は全くロシアのものではなくなる、この3人だけが本当に自分独特のものを語ることができたのである、こういう人は必ず国民的になる(同じ作家としてこの3人を評価しているでしょう)。
  • 我が国のリベラリストと言う輩は、誰かが何か独自の信念を持っていると、それを大目に見ることができず、さっそく、自分の論敵に悪罵をもって応酬し、あるいは何かもっと卑劣な手段で報いないでは済まない(リベラリストと自称する人の本質を見抜いている)
  • ロシアのリベラリストは地主階級出身者である、ロシアの秩序に対する攻撃だけでなく、社会の本質に対する攻撃であり、ロシアそのものに対する攻撃をする、ロシアそのものを否定する、失敗したことがあれば喜び、我が国の民族、歴史、何でもかんでも憎んでいる。彼らは自分のことを知らずにロシアに対する憎しみをもってもっとも有効なリベラリストだと思っている。この憎悪を祖国に対する真心からの愛だと勘違いして、その愛情の根本ともなるべきものを他人よりもよく知っていると自慢していたものだ。そして最近はこの祖国に対する愛と言う言葉までも有害なものとして排撃し、ついには除外した。自分の国を憎むなんていうリベラリズムはどこへ行ったって見当たらないでしょう(自称リベラリスト、実は左派の正体を見抜いていると思う、「地主階級出身者である」という部分は除き、ロシアを日本と代えても通用するのではないか)
  • 英国の議会は何を論じているのではなく、自由な国民の議会政治、それが我々如き者にとって実に魅力があるのです
  • 社会主義について、これはカトリック教とカトリックの思想の産物だ、これは兄弟分の無神論と同じように絶望から出発したもの、道徳的な意味でカトリック教に反対して、みずから失われた宗教の道徳的権力に代わって、飢えたる人類の精神的飢渇を癒やし、キリストの代わりに、やはり暴力によって人類を救おうとするものです、我々は我々が維持してきたキリストを西欧文明に対抗して輝かさなければならない、ロシア文明を彼らにもたらしながら彼らの前に立たなければなりません(ドストエフスキー存命中はソ連にはなっていなかったが、社会主義の本質を見抜いていた)
  • 我々ロシア人から期待されているのは、ただ剣のみ、剣と暴力のみだからです、彼らには、自分の方のことからしか推して考えるため、野蛮でないロシア人を想像することができないからです、これは今までもそうでした、時が経てば経つほど、この傾向はいよいよ盛んになるばかりです(今のロシアを見れば実に的を射た指摘である)
  • 我々が滑稽だからと言って、じたばたするもんではありません、我々は滑稽で、軽薄で、癖が悪くって、退屈して、ものをよく見る目がなくって、理解することもできないでいる、みんながみんなそんな人間じゃありませんか、みんな、あなた方も、私も、あの人たちも
  • ローマ法皇ってどんな人か知っている、1人の法皇がいて、ある皇帝に腹を立てたの、するとこちらはお許しが出るまで3日間、法皇の門前で飲まず食わずに跪いて待っていたのよ(カノッサの屈辱)、この皇帝が3日間の間何を考えていたのかわかる、この皇帝は3日間のうちにこの法皇に復讐せずにはおかぬと誓った詩を読んで聞かせた。

最後に、日本に関することと、小説家に関する考えとか観察を登場人物に語らせているところを引用しよう。

  • 日本では恥辱を受けた者は侮辱を加えた相手のところに行って、おまえはおれに恥辱を加えた、その報いとしておれはおまえの面前で腹を切る、って言うそうですよ。これによって実際に仇を討ったように強い満足を感ずるらしい、世には奇妙な性質があるものですね(プチーチンの語り)
  • それにしても我々の前に依然として疑問は残っている、すなわち、小説家は平凡な、あくまでも普通の人たちを、どんな風に取り扱ったらよいか、また、いかにして、このような人たちをいささかなりとも興味のあるように読者の前に示して見せるか?と言う問題である(著者自らの語り)

(完)

 


ドストエフスキー「白痴」を読む(その1) 

2024年02月06日 | 読書

ドストエフスキー(1821~1881)の「白痴」(上・下)(中山省三郎原訳、上妻純一郎編集改訳)をKindleで読んだ。この小説はドストエフスキーの五大長編と言われる作品の1つで、他には「罪と罰」、「悪霊」、「未成年」、「カラマーゾフの兄弟」がある。私は「罪と罰」、「悪霊」、「カラマーゾフの兄弟」は読んだことがあり、「カラマーゾフの兄弟」は複雑なストーリーなので2度読んだ。この3つの長編作品はいずれも面白かった。そこで未読の作品にも挑戦してみようと思い、映画にもなっている「白痴」を選んでみた。1日1時間、この作品の読書に充てたが、読めない日もあるので読了するのに2ヶ月かかった。

この本で白痴という言葉の意味について、ウィキで調べると「題名の『白痴』には2つの意味がある。主人公ムイシュキン公爵が文字通り知能が著しく劣っているというものと、「世間知らずのおばかさん」という意味である。しかし、作者はどちらの意味においても否定的に描いていない」と書いてある。読んだ限りでは前者の定義で白痴が使われているようには思えなかった。さらに本書を読むと白痴は癲癇という病気の意味でも書いている。癲癇とは「大脳の神経細胞が過剰に興奮することで発作症状を引き起こす慢性的な脳の疾患」とされており、この物語中でもムイシュキンン侯爵は癲癇の発作を起こすし、少年の頃、スイスで癲癇療養のために過ごしたことが書いてある。

侯爵の発作について上巻で彼自身の思索として次のような話をしている、「発作が始まろうとする際どい一瞬に到達する一刹那が訪れ、時を超越する人生最高の調和、美が訪れ、この一刹那のためなら一生涯を捨ててもかまわないと思った、結果的には白痴、愚昧、精神的暗黒が突き立つ。ただ、この過程には誤謬があり、結局これは病気ではないか、と思うが結局侯爵はそうとは考えずに、これこそ人生最高の総合と考えた」。そして、この発作が最後の場面で出て侯爵はまたスイスで療養することになる、その伏線を物語の前半でちゃんと書いているように思えた。

ドストエフスキーは、この作品の主人公、白痴のムイシュキンン侯爵を「無条件に美しい人間」として描こうとした、とその手紙の中で述べているとこの本の解説に書いてある。

若い公爵レフ・ニコラエヴィチ・ムイシュキンは、幼時から重度の癲癇症状により、スイスのサナトリウムで療養していたが、成人して治って故郷のロシアに戻る。帰国する列車でロゴージンと知り合い、彼が熱を上げているナスターシャ・フィリポヴナを知る。ロシアでは遠縁を頼ってエバンチン将軍家を訪ね庇護を求め、エバンチン家と付き合いのある落ちぶれた将軍イヴォルギンの経営するアパートに住む。物語はこの侯爵、ロゴージン、ナスタージャ、エバンチン家の人々、イヴォルギン家の人々を中心に侯爵とナスタージャ、侯爵とエバンチン家三女のアグラーヤの関係などを巡る人間模様を描くもの。

ドストエススキーの長編小説を読むとき、登場人物が多いので、最初に登場人物の関係図を作り、それを見ながら読み進めないと何が何だかわからなくなる。今回もエバンチン家、イヴォルギン家、その他と3枚の人物関係図をメモにして読んだ。また、ロシアの小説は人物の呼び方が1人1つでなく、何通りもの呼び方がある。それが小説の中で脈絡もなく出てくるので、その点もメモに書き加えて読まないとわからなくなる。例えば、イヴォルギン将軍の息子のガーニャはガブリーラ・アルダリとも呼ばれるし、ガーネチカとも呼ばれる。

2ヶ月もかけて読了した結果だが、内容的には最後の方でどんでん返しとも言える劇的な展開もありゾクゾクするところもあったが、全体的に冗長な感じを受け、読み進めながら「この小説の何がそんなに面白いのだろうか?」と言う感想を持った。登場人物が多いので、それぞれの人物がいろんなエピソードを話すのだけど、その話の内容が本筋に関連がないと思われるものが多く、何でそんなエピソードを語らせるのか理解できない部分も多かった。例えば、次のような話だ。

  • 侯爵のスイスでの療養時の体験、ギロチンの死刑を見た経験、マリイという少女の話
  • レーベジェフの家で彼の甥の青年の長々とした話
  • ロゴージンの家に侯爵が訪ねたときにロゴージンが話す長々とした話(神を信じるか否かの話)

私の印象では、この小説の長さは半分くらいでも充分ではないかと感じた、従って、読んでいる途中から退屈になってきた。無理に長編にしているのではないか、という気がした。

(その2・完)に続く


「猿若祭二月大歌舞伎」を観に行く

2024年02月05日 | 歌舞伎

歌舞伎座の「猿若祭二月大歌舞伎」初日の昼の部を観てきた。費用は2人で12,000円、座席はいつもの3階のA席。前から5列目。見える範囲でほぼ満席だった。客は圧倒的におばさま方が多かった。1時開演、3時50分終演。

この猿若祭とは初世猿若勘三郎が江戸で初めて歌舞伎を始めた伝説を記念する興行。昭和51年を最初に折節開かれ、今回が5度目。初世勘三郎は江戸で初めて幕府の許可を得て櫓をあげ猿若座(後の中村座)を作った。猿若勘三郎はその後中村勘三郎を襲名し中村勘三郎家の祖となる。江戸歌舞伎発祥のいわれを踊る「猿若江戸の初櫓」が上演演目にあるがこれは夜の部なので今回は観れなかった。そして今回の猿若祭は2012年に57才の若さで亡くなった十八世中村勘三郎十三回忌追善でもある。

初日の今日は開場前に劇場正面玄関前で公演の開幕を告げる「一番太鼓の儀」が行われ、中村勘九郎が挨拶することになっていたが、歌舞伎座到着が時間に間に合わず観れなかった。

一、新版歌祭文(しんぱんうたざいもん)野崎村(1時間15分)

久作娘お光:鶴松(28、中村屋)
丁稚久松:七之助
百姓久作:彌十郎
油屋娘お染:児太郎(30、成駒屋、中村福助息子)
後家お常:東蔵

この演目はいわゆる男女の心中もの。油屋の一人娘のお染と手代の久松(ひさまつ)との心中事件は実話で、当時かなり話題になり、これを題材にした作品がいくつも作られた。これはその代表作。ただ今日見取り上演される野崎村の中では心中場面はない。

タイトルの「新版歌祭文(しんぱん うたざいもん)」の「祭文」というのは、その名の通り「お祭りの文句」。神社での祈祷の際の祝詞(のりと)の一種。独特の節回しだったので、この節に合わせてセリフを付けていろいろ歌ってあるく芸能が発達し、これを「歌祭文」と言った。主に語られたのが、男女の情事や心中を語る内容だった。この「お染久松」の心中もこの「歌祭文」のネタになっていた、という下地をもとに、この作品は書かれた。今までの歌祭文の内容や、歌舞伎や浄瑠璃の先行作品を基にしながら、新しい設定や展開も盛り込み、より完成度を上げたため、「新版」とついている。

この演目に興味を持ったのは今日上演される野崎村という幕の名前のためだ。私の好きな宮尾登美子著「きのね」は第十一代市川團十郎をモデルにした小説で、その團十郎に嫁いだのは女中上がりの光乃だ。光乃が初めて女中として團十郎家に採用された際、まわりのものから光乃だから「お光」であり、お光とは歌舞伎の世界では野崎村にでてくる「お光」のこと、その過程を省いて「野崎村」と呼ばれたのだ。初めてこの小説を読んだとき、その野崎村の意味をわからずに読んでいたが、あとで歌舞伎演目の野崎村と知ったため、いつか観たいと思っていた。文楽の野崎村はテレビで観たことがあるが歌舞伎は今回が初めてである。

野崎村の百姓久作の家では娘お光と養子の久松との祝言を控え、うれしさを隠しきれないお光が婚礼の準備に勤しむ。そこへ訪ねてきたのは、久松が奉公する油屋の娘お染。実はかねてより久松とお染は恋仲で、一緒になれないのならば心中しようと誓い合っていた。そんな二人の覚悟を知ったお光は身を引く決意をするという悲恋。

せっかくお光が身を引いたにもかかわらず、お染と久松は結局最後に心中する(野崎村の幕ではお光が身を引くところで終るのでそこまでわからない)。いったいどうなっているの、と言う感想を持った。これではお光があまりにかわいそうではないかと思った。

お光は中村勘三郎が得意としていた演目だ。そのお光を今回演じた中村鶴松は一般家庭から歌舞伎界入りした異色の存在で、精進を重ねた結果、今では中村勘三郎家の三男と言われるまでになり、今回の猿若祭の野崎村では主役に抜擢された。すごいものだ、まだ28才だ。今日の演技も立派なものだった。てっきりお光は七之助が演じているものと思っていたが、鶴松だったので驚いた。また、七之助が立役を演じているのは初めて観た。

二、釣女(つりおんな)河竹黙阿弥 作(30分)

太郎冠者:獅童
大名某:萬太郎(34、萬屋、時蔵息子)
上臈:新悟
醜女:芝翫

三、籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)三世河竹新七 作(2時間)
(序幕吉原仲之町見染の場より大詰立花屋二階の場まで)

佐野次郎左衛門:勘九郎
兵庫屋八ツ橋:七之助
兵庫屋九重:児太郎
下男治六:橋之助
兵庫屋七越:芝のぶ
兵庫屋初菊:鶴松
遣手お辰:歌女之丞
女中お咲:梅花
若い者与助:吉之丞
絹商人丈助:桂三
絹商人丹兵衛:片岡亀蔵
釣鐘権八:松緑
立花屋女房おきつ:時蔵
立花屋長兵衛:歌六
繁山栄之丞:仁左衛門

「籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)」は勘三郎の当たり役の一つ、江戸時代中期、享保年間に吉原で実際に起きた衝撃的な事件を劇化した作品。十八世勘三郎が襲名披露狂言でも演じた。佐野次郎左衛門を初役で務めるのは勘九郎。下野国佐野の絹商人で、江戸で見かけた花魁、八ツ橋の美貌に魂を奪われる。次郎左衛門は、江戸に来るたびに八ツ橋のもとへと通い、遂には身請け話も出始めるが、八ツ橋には繁山栄之丞という情夫がいて、ある日、次郎左衛門は八ツ橋から突然、満座の前で愛想尽かしをされる。打ちひしがれて国許へ帰り、数カ月後、再び吉原に現れた次郎左衛門がやったことは・・・・

八ツ橋は初役で七之助が務める。

籠釣瓶とは刀の名前、この刀は籠で作った釣瓶のように「水も溜まらぬ切れ味」で一度抜くと血を見ないではおかない、という因縁のある妖刀村正。花街とは吉原のこと、そして酔醒とは酒の酔いを冷ますこと、酔いが冷めるようなことが起ったという意味か。

この演目は一度歌舞伎座で観たことがある。人気がある演目なので何回も上演されているのだろう。その時の佐野次郎左衛門は確か中村吉右衛門が演じていたと思う。吉右衛門の得意な演目だったが勘三郎も得意としていたようだ。

演技時間が2時間と長いが、その長さを感じさせない面白さがあった。ストーリー自体がわかりやすいし、途中、場面転換が4、5回あり、観ている人を飽きさせない工夫があり、また出演者も豪華メンバーだったからか。その中でも最初の場面は吉原の街の華やかさ、花魁道中の絢爛豪華さが充分でていて次郎左衛門でなくても充分刺激的な印象を受ける。イヤホンガイドで、廓(遊郭)というのはその街を取り囲んでいる壁を言い、花魁が逃げ出させないようにするために設置しているものだ、との解説があったのがリアルに感じた。

勘九郎の次郎左衛門は父勘三郎に匹敵するような必死な演技ぶりだった、七之助の八ツ橋や妖艶であった。兄弟でこの演目の主役を演じているのを観て勘三郎もさぞかし喜んでいることだろう。

さて、今日の幕間の食事は歌舞伎観劇時の食事の定番、銀座三越の地下の日本橋弁松総本店の弁当にした。並六赤飯弁当(1,500円だったか)。弁松と言う店は以前には歌舞伎座前に木挽町辨松という店もあった。のれん分けかどうかはわからないが、日本橋弁松と同じような弁当を売っていたがコロナが発生した後、閉店したようだ。いずれも味付けの濃いおかずでご飯が進むように料理されているのでおいしい。

その三越の地下の弁当売場にまた京都祇園新地の鯖寿司で有名な「いづう」が出店していたので、思わず鯖寿司1人前2,980円を買って夕食で食べた。臨時で出店しているようだが、結構人気があるので出店回数も増えているのか。お金持ちそうな奥様方が列をなして買い求めていた。

歌舞伎観劇に来るときはいつも同じような席をとり、同じように三越で弁当を買い、松屋の地下でスイーツを買い(いつもは「茂助だんご」、今日は省略)、「いづう」の鯖寿司があれば買って帰る。このワンパターンだが、それが良いのである。


映画「英国ロイヤルバレエ ドン・キホーテ」を観る

2024年02月04日 | オペラ・バレエ

近くのシネコンで「英国ロイヤル・オペラ・ハウス バレエ、ドン・キホーテ(全3幕)」を観た。上演日は2023年11月7日。値段は3,700円、上映時間は3時間19分。今日もプレミアム・シートの部屋だったので飛行機のビジネスクラスのようなシートでゆったりとしてよかった。人数があまり入らない部屋だが、女性中心に30名はきていただろうか、意外に人気があるのに驚いた。私はこの演目が大好きだ。初めてバレエ公演を観たのはドン・キホーテだった。

【振付】カルロス・アコスタ、マリウス・プティパ
【音楽】レオン・ミンクス
【指揮】ワレリー・オブシャニコフ、ロイヤル・オペラ・ハウス管弦楽団 

【出演】

ドン・キホーテ:ギャリー・エイヴィス
サンチョ・パンサ:リアム・ボズウェル
ロレンツォ(キトリの父):トーマス・ホワイトヘッド
キトリ:マヤラ・マグリ
バジル:マシュー・ボール
ガマーシュ(金持ちの貴族):ジェームズ・ヘイ
エスパーダ(闘牛士):カルヴィン・リチャードソン
メルセデス(街の踊り子):レティシア・ディアス
キトリの友人:ソフィー・アルナット、前田紗江
二人の闘牛士:デヴィッド・ドネリー、ジョセフ・シセンズ
ロマのカップル:ハンナ・グレンネル、レオ・ディクソン
森の女王:アネット・ブヴォリ
アムール(キューピッド):イザベラ・ガスパリーニ

この演目は英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマシーズン2023/24の開幕を飾るもので、この日は国王チャールズⅢ世とカミラ王妃がご臨席したのには驚いた。2回の一般席の一番前にお座りになった。それとハッキリ覚えてないが、英国の各地の学生やウクライナ支援の演奏を行う楽団メンバーなどが観ていることが紹介された。

休憩が2回あり、それぞれに関係者にインタビューがされるのはMETライブ・ビューイングと同じだ。今回は2013年に振付けを担当した元プリンシパルで世界的なスターのカルロス・アコスタにいろいろ質問していた。彼は、この演目はクラシックな演目だが、従来とは違う新しい振付けを加えた、例えば演奏の途中でバレエダンサーが声を上げるとか、ステージの場面転換を大胆に行ったとか、床をタイルにしたかったが試したら滑りやすくてダメだったとか、いろいろ参考になることを話してくれた(詳しいことは正確に覚えていないが)。

また、舞台上の物(大物、小物)を扱う方のインタビューもあり面白かった。大物はドン・キホーテが乗る馬があり、小物はコーヒーカップなどが多く使われていたが、これらを苦労してそれなりに見せる努力がされていることが理解できて参考になった。あとは主役のキトリとバジルの2人の練習風景も幕間に映された。

ヒロインのキトリ役は、2011年のローザンヌ国際バレエコンクールで優勝し、2021年にプリンシパルに昇格したブラジル出身のマヤラ・マグリ。シネマシーズンでは初主演だそうだ。彼女の踊りは素晴らしかった。特に一幕目の終わりだったか、バジルのリフティングで高い位置で手足を伸ばしてポーズとるところがバッチリ決まって素晴らしかった。

キトリの恋人のバジル役は、大人気の英国出身マシュー・ボール。男性ダンサーの魅力が詰まったこの役で、華麗な超絶技巧の数々を見せた。マヤラ・マグリとは私生活でパートナーだそうだ。確かに2人の演技は息がピッタリ合って最初から最後まで素晴らしいパフォーマンスであったと思う。特に三幕目の最後の方で、2人で交互にクルクル回転して踊るところ(バレエ用語で何というのか知らないが)などは「凄いな」と感心した。

また、1幕から3幕まで大活躍するキトリの二人の友人のうちの一人を、日本人の前田紗江がアサインされていたのは嬉しかった。結構出演する場面が多いのでよかった。私は彼女を知らなかったが、ROHのホームページの団員紹介を見ると次のように紹介されている。

「日本人ダンサー、前田紗江さんは英国ロイヤル・バレエ団のソリスト。彼女は2017/18シーズンの初めから英国ロイヤル・バレエ団のオード・ジェブセン・ヤング・ダンサー・プログラムに参加し、2018年にアーティスト、2022年にファースト・アーティスト、2023年にソリストに昇進した。前田さんは横浜で生まれ、7歳からダンスを始めた。彼女はマユミ・キノウチ・バレエ・スクールとローザンヌ国際コンクールの奨学金を受けてロイヤル・バレエ・スクールで訓練を受けました。」

ROHの日本人ダンサーには最高位のプリンシパルに高田茜、平野亮一、金子扶生がいるのは知っていたが、この3名以外にも何人か所属しているのを知り頼もしくなった。頑張ってほしい。

最後に、今回の演奏だが、作曲はミンクスとなっているが、今日の演奏を聴いてみると私がいつも聞いているドン・キホーテとはかなり違ったアレンジがされていたので面食らった。ウィキで確認するとこの演目の振付けのベースはプティバや彼の弟子のゴルスキーのものだが、その後にアレンジを加えていろんなバージョンがあるようだ。曲についても追加したり、一部変更しているものもあるようなので、今回もそうなのだろう。私としては普段聞いているものが良いと思っているのでいきなり違うバージョンを聞かされても「何だ、これは」としか感じないが、慣れの問題でもあろう。そう大幅に変えているわけではない、ただ、フラストレーションはたまった。

さて、昨日は節分、最近は恵方巻きを食べるのが1つのブームになっているようだ。私が子どもの時はそんな習慣はなかった。多分にコンビニやスーパーの販売戦略に乗せられているようで癪に障るのだが、昨夜はスーパーで買ってきた恵方巻きを食べた。

 


山本武利「検閲官、発見されたGHQ名簿」を読む(その3・完)、2024/2/4一部訂正

2024年02月04日 | 読書

※2024/2/4 一部記載を訂正しました、取消し線で示しています

参謀本部高級幕僚の暗躍

  • 終戦期に自軍の惨敗必死を知りつつ、自身の敗戦後の身の処し方を計算し、自軍の重要インテリジェンスを旧敵国に売り込む行為行った軍人がいた。
  • 有末精三中将(参謀本部第2部長)や服部卓四郎大佐らは売国奴以外の何物でもなかった。有末は河辺虎四郎(参謀次長)にも協力を求めた。彼らは最高機密を旧敵国に最高値で売り込み、占領の手助けをした。多くの高位にある軍人同様に、戦争犯罪で起訴される可能性があったが、彼らは占領軍を手助けしながら自身の戦犯化、家族の窮乏化を回避し、CCDのウォッチリストの作成や追求で、旧軍同僚を追い込んだ。
  • 河辺虎四郎は敗戦時に参謀次長として連合国とマニラで会談、辰巳栄一(陸軍中将)は、𠮷田茂の軍事顧問を務めながらCIAに協力していた。彼らに比べれば、検察官の検閲に協力していた人の罪は軽いし、それの罪や恥を自覚する人々は良心派であった。
  • 有末のように裏で占領軍に協力した旧幕僚が多かった。

(コメント)

立派な軍人もいたが、このような卑劣な軍人がいたのには驚いた。ところが、有末精三中将についてウィキを見ると次のように正反対のことを書いてある、どっちが正しいのだろうか。

「戦後は、ソ連や中国の動向を注視していた占領軍の諜報部参謀第2部(G2)との関係を急速に深め、有末の働きかけにより、大本営の参謀たちは諜報部に次々とスカウトされていった。彼らは諜報部の意向を受けてソ連や中国などへのスパイ活動に従事し、戦犯となることを回避した」。

更にウィキによれば、有末は戦後、勲章までもらっている(昭和8年8月勲四等瑞宝章、昭和15年2月勲三等瑞宝章、昭和20年1月勲二等瑞宝章)。著者の指摘が正しいとすれば、時の政府はいったい何を考えていたのだろう。

CCD資料の行方

  • CCDの工作で入手し作成されたウォッチリスト、傍受記録、コメントシート、新聞、雑誌、書籍などの資料は膨大であり、この活動を歴史的に残す方策が検討された。
  • マッカーサーやウィロビーなどは、この資料のコレクションのインテリジェンス的価値を見抜いていたためCCD工作中から整理、保存しようとした。日本人側はその存在を知らなかったし、知っても価値がわからなかった。CCDが残した資料群は、1978年にメリーランド大学ブランゲコレクションになった。
  • このコレクションは、敗戦国日本の言論、通信が幅広く検閲された時期の負の刻印である。そのコレクション作成のために、旧敵国に動員されたのは日本人検閲官であり、その数は著者の推定では2万人もいた。彼らは高学歴だが貧困に喘いでいて、捕虜、極端な場合は奴隷のような心情で汚名を忍んで米側の命令のまま、自国民の言動を検閲で盗み見たり、盗み聞いたり、密告したりしていた。
  • 米軍のやり方は、どさくさに紛れて敗戦国の資産を戦勝国が戦利品として無断で持ち去る行為である。これらの資料の返還請求は敗戦国民の正当な権利である。

(コメント)

こういうことをやるアメリカは好きになれない。

アメリカは戦時中に日本に対し明々白々の戦争犯罪を犯し、戦後の日本占領時には憲法違反の言論検閲を行った。その検閲がどのように行われたか理解が進み参考になった。

(完)


小伝馬町の喫茶「華月」でくつろぎ、帰りに「昇龍」でジャンボ餃子を買う

2024年02月03日 | カフェ・喫茶店

先日人形町に出かけた時、前から行ってみたいと思っていた喫茶店「華月」を訪問した。何かの雑誌にでていたのを見て知った店だ。この店は人形町から地下鉄で一駅行った小伝馬町の交差点近くにある。この日は人形町から歩いて行ったが15分くらいで到着した。

中に入ると、空いていたが、「この店は喫煙できる喫茶店ですが良いですか」と聞かれた。私は喫煙OKの店は敬遠しているが、ここまで来て「じゃあ利用しません」というのもどうかと思い、入ることにした。実は神保町の洒落た喫茶店の「古瀬戸コーヒー」も好きだが、あそこも喫煙OKの店なので最近、足が遠のいている。

先客は数名、なんだかみんなタバコを吸っているようで煙の臭いが強烈にする。私も若い頃喫煙していたので喫煙派の気持はよくわかる。喫煙派にとっては喫煙できる店は貴重なのでしょう。ここぞとばかり吸っているのででょう。

2人がけの席に腰かけ、ブレンドコーヒーを注文した。女性の店員が2名で回しているようだが、ペーバードリップで抽出してくれているようだ。店内はブラウンを基調とした色彩で落ち着いた感じがする。ステンドクラスを使った窓や仕切り、ランプなどが洒落た雰囲気を出している。カウンターの背後の壁にはコーヒーカップが並べてある。この店内の素晴らしいインテリアと雰囲気が外からこの店を見たときにイメージできない。外観が何か店名の看板がやたら目立つチェーン店のような感じがするのだ。そのギャップがもったいないと感じた。例えば、道路に面した側のガラスを全部ステンドグラスにするのはどうだろうか。

コーヒーをゆっくり頂き、30分くらい寛いだ。お会計をするときに私以外に客がいなかったので「店内を写真撮らせてくれますか」と聞いたらOKとのことなので、少し撮らせてもらった。

良い店でした、ご馳走様です。

さて、この日は、これから眼医者に行って、その帰りに御徒町で途中下車してアメ横の昇龍で生餃子550円を買って帰った。ここの餃子はジャンボ餃子。八重洲の泰興楼、銀座の天龍などもジャンボ餃子で有名で、泰興楼の餃子はたまに買って帰る。泰興楼のビルは建替え中のようで少し離れたところで営業している(そこを訪問した時のブログはこちら)、どこのジャンボ餃子もおいしいので好きだ。

この日はさっそく、自宅で料理してもらっておいしく頂きました(写真だとあまり大きく感じないが、実は大きい)。嫁さんの話だと自宅で餃子をパリッと焦げ目をつけて焼くのは難しいそうだが、今日は合格点でしょう。


GOLF5かさまフォレストでゴルフ、帰りに笠間稲荷に

2024年02月02日 | ゴルフ

茨城県笠間市のGOLF5かさまフォレストにゴルフに行ってきた。費用は2人で19,200円。2度目の訪問、前回来たのは数年前か。

このコースは今年元日に行ったJGM笠間ゴルフクラブの向かい側にある。18ホールで、2グリーン方式、リモコンカート。今日はAグリーン、フロントティーで6,111ヤードだが、適当にバックティーで打ったので実際のプレー距離はもう少し長い。

ティーマークはスコアカードの表示距離より前に位置しているホールが若干あった。2グリーンというのは残念だ、今日はAグリーンで良かったが、Bグリーンだと距離はAより300ヤード短いし、コースレートも1.5低い、これで同じ値段ではBグリーンの時、損した気になる。

以前来たときはあまり強く印象に残るホールはなかったが、今日ラウンドしてみると結構面白いコースレイアウトだと思った。だいたい平坦だが、ところどころアップダウンがあり、池や谷が行く手に見えるホールもあるし、バンカーも深くて大きなものが多くある。飽きの来ない良いレイアウトだと思った。ただ、フェアウェイを緑の芝の色に染めてないのでボールが見にくいこと、また、冬場なのにラフが結構伸びていたので、よく見てないとボールが直ぐに探せないことがたびたびあった。冬にこれだけラフを延ばしているコースは珍しいだろう。

グリーンスピードは8.5fと遅めだが、それほど遅くは感じなかった。フェアウェイのディボットは目土されているものが多かった。グリーンのボールマークは若干未修復のものが見られた。プレーの進行はよく、ハーブ2時間程度でラウンドできたのは良かった。

レストランの食事はおいしかった。クラブハウスは少し古くなっているがきれいにしていた。節電のためかフロントの明かりが午後は消してあった。

総じてまずまず良いゴルフ場だと思ったがワングリーンコースになればもっと素晴らしいコースになるでしょう。

また来ます。

さて、今日はゴルフの帰りにコースから車で15分くらいの笠間稲荷神社に初詣に行ってきた、元日に混んでいて行けなかったので今日にした。境内はさすがに空いていた。そして笠間の名物稲荷寿司を買った。今年は笠間稲荷神社から直ぐの「柏屋」で「そば稲荷」を買ってみた。

帰宅してから食べてみるとおいしかったが、通常のご飯の稲荷とは違った味で面白かった。ご飯の稲荷寿司は油揚げの味がご飯にしみ込んでおいしいが、そば稲荷の場合にはそばにはしみ込まないので、その辺は好き嫌いが出るであろう。

お疲れ様でした。