12月7日日帰りで三島へ行ってきた。途中新静岡駅で下車、詩誌「穂」の井上、岩崎、菅沼氏らと駅構内のカフェで懇談した。以前からの願いが叶って、個々の詩への思い、詩観など、楽しく語り合うことが出来た。短い一時間あまりの時間はあっという間だった。
今度はゆっくり時間をとって呑みながら話し合ってみたい。
美女(?)三人のお出迎え、お見送りを受けて、我れ「夕べに死すとも可なり」
三島の詩の研究会には13時半ギリギリ間に合った。86歳になられた久保田氏との固い握手、お元気のご様子に感無量。また古い仲間たち、新しいメンバーたちとの合評、二時間半は中身の詰った時間であった。
三島詩の研究会は久保田氏を代表として平成16年発足した。以来毎月一回欠かさず例会を重ねてきた。ぼくは4年前に奈良に来るまでの間この会のお手伝いをさせていただいた。
例会は新作詩の発表朗読、その後で前月提出の作品の朗読合評という内容だ。三島市の投稿雑誌「文芸三島」の選者もされていた久保田氏は細かい指示はされないで会員の自由な意見の出し合いに任せておられた。そのせいか、議論の伯仲する場面もあるが、ひとりひとりの会に対する情熱がその場面を和らげていたように思える。そういった好意的な暗黙の了解のようなものが今日までこの会を持続させているのではなかろうか。新しい仲間も増えるのだろう。そんなことを改めて感じさせてくれた平成最後の三島詩の会、出席できたことをぼくは誇りに思う。
会のみんなと別れて、勤め帰りの妹と沼津駅で落ち合った。沼津にいた頃はよく食事に誘ってくれた。新幹線の時間を気にしながらの食事だったが楽しかった。弾丸帰郷の帰りは妹からいただいたキャリーケースごとのたくさんのお土産。ゴロゴロ牽きながら故郷を後にした。
今度はゆっくり時間をとって呑みながら話し合ってみたい。
美女(?)三人のお出迎え、お見送りを受けて、我れ「夕べに死すとも可なり」
三島の詩の研究会には13時半ギリギリ間に合った。86歳になられた久保田氏との固い握手、お元気のご様子に感無量。また古い仲間たち、新しいメンバーたちとの合評、二時間半は中身の詰った時間であった。
三島詩の研究会は久保田氏を代表として平成16年発足した。以来毎月一回欠かさず例会を重ねてきた。ぼくは4年前に奈良に来るまでの間この会のお手伝いをさせていただいた。
例会は新作詩の発表朗読、その後で前月提出の作品の朗読合評という内容だ。三島市の投稿雑誌「文芸三島」の選者もされていた久保田氏は細かい指示はされないで会員の自由な意見の出し合いに任せておられた。そのせいか、議論の伯仲する場面もあるが、ひとりひとりの会に対する情熱がその場面を和らげていたように思える。そういった好意的な暗黙の了解のようなものが今日までこの会を持続させているのではなかろうか。新しい仲間も増えるのだろう。そんなことを改めて感じさせてくれた平成最後の三島詩の会、出席できたことをぼくは誇りに思う。
会のみんなと別れて、勤め帰りの妹と沼津駅で落ち合った。沼津にいた頃はよく食事に誘ってくれた。新幹線の時間を気にしながらの食事だったが楽しかった。弾丸帰郷の帰りは妹からいただいたキャリーケースごとのたくさんのお土産。ゴロゴロ牽きながら故郷を後にした。