遊び心の文化ー夭折の陶芸家中野和馬

2017-04-10 20:16:54 | 
遊びは文化だという。ホイジンガは人間をホモ・ルーデンス(遊ぶ人)と言った。遊びは文化よりも古い。遊びはルールを作る。釈迦の経典にもある。「衆生所遊楽」この世は遊ぶ所、人間はこの世に遊びに来た、という意味でもあるらしい。
2009年、陶芸家中野和馬は急逝した。享年43歳。あっという間にこの世を駆け抜けて逝った男が残したものは、おかしくもあり、重厚でもある。花器は活ける者のイメージをふくらませるだろう。

         

4年前の今頃だった。「夭折の陶芸家ー中野和馬という男」と題した展覧会の案内を戴いた。パンフレットを見ていてどんどん興味が湧いてきた。実際、作品に接してみると、自由奔放な形、図案、色合いどれもこれもが見る者の遊び心を誘うのである。その場に和みの空間を拵えるのである。花器にしろ皿にしろ壺にしろ品定めするような態度はこの会場では不似合いだった。思わず笑みがこぼれてしまう。会場を楽しく明るくする陶器ばかりであった。
好みの器を選んでお茶を戴いた。この展覧会に関わった人たちから話を聞いた。誰もが「和馬、かずま」と呼んで親しんでいた。そしてぼくもその人たちと同じように中野和馬という男の早すぎた死を惜しんだ。この展覧会では器は展示物ではなかった。どこからでも話しかけてくれる遊び友達のようだった。
その数ヶ月後、知人が中野和馬の実家に案内してくれた。大きな製茶業を営んでおられた。その家の広い庭には彼の作ったいろいろな陶器が無造作に置かれていて、壺などは半分土に埋まっているものもあった。その有様が彼とその作品には似つかわしいなとぼくには思われた。
掲載した写真は、後日中野家から賜った「中野和馬・青春の彷徨」著者鈴木善彦氏の本から使わせて頂きました。
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斑鳩の田の塔

2016-06-17 08:22:23 | 
遠来の客がそれぞれ次の日は別行動というので夕食を一緒にした後別れたが、逗子の友人は明日も奈良をゆっくりするというので、ご一緒させてもらうことにした。朝高田駅で待ち合わせて法隆寺へ向かった。私がまだ乗ったことがなかった田原本線で行くことにした。近鉄橿原線の田原本での乗り換えなのだが、田原本線は一旦駅を出て徒歩2分ぐらいの西田原本が始発駅だった。
新王寺駅までの短い路線だ。そこからJR王子駅までは歩いてすぐ、ちょっと面白い乗換路線だ。
法隆寺は修学旅行生がたくさん来ていた。中学の自分の修学旅行をだぶらせて、ガイドさんに引率されている姿を見ていた。俺にもあんな時代があった。はるか昔となった。中宮寺から友人が希望していた法輪寺へ向かって歩いた。もう昼時だったがどうも付近の様子から、食べるところはなさそうだったが、「喫茶とお食事」の看板を見つけた。一軒だけあった。まあよかったということで立ち寄ったが、先客に薦められて頼んだ「小路定食」が美味しかったこと。大判の筍のあっさりとした味付けと蕗の絶妙の味付け、一つの皿に盛られたこの味のバランスに友人と顔を見合わせた。帰りに店の名前を見たら「北小路」とあった。そこから暫く行くと竹林の後ろに法輪寺の塔が見えた。目立たないようで、斑鳩の道では存在感を示しているのである。近くにあった電話ボックスの上に小さな塔がのっているのも面白かった。法起寺へはそこから10分足らずである。私が40年近く前に来た時は、近鉄線の駅で降りて田んぼの中を歩いてきた。コスモスの咲く畦道から、裏門のような古い黒い門と崩れた土塀を眺めて、強く心を打たれた。私は友人をその田んぼの方に誘った。今は門も塀も修復されているが、田の中の佇まいは昔と変わっていない。彼もすっかりここからの眺めが気に入っていた。私は自分の詩「田の塔」で<田舎のおじいさんがあぐらをかいて座っている」と書いた。何もかもが変えられてしまう昨今私はこの「田の塔」の姿にほっとしたのである。
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うっとうしい雨の日はアンドレ・リュウだ

2016-06-16 18:10:18 | 
今日沖縄では梅雨が明けたという。こちらではこれからだ。さしずめ今日は本番の入りを思わせる雨だ。こんな日は部屋でPCを開いたり、ピアノを弾いたり、猫と遊んだりするしかないのだが、一番の楽しみはアンドレ・リュウとヨハン・シュトラウスオーケストラのコンサートをDVDで聞く(見る)ことです。最近「ロイヤル・アルバート・ホール」でのライブDVDを手に入れたので今日は80インチのスクリーンで楽しみました。このアルバムの中では「サロメ」が気に入っている。短く編曲した中で、妖気な部分とクライマックスの部分とをたっぷり味付けして、音楽と演奏を存分に楽しませてくれる。このオケ独特のテクニックがものをいう。またこのアルバムではアンコールで、ジャズを聞かせてくれる。ワルツ王アンドレ・リュウとこのオーケストラは世界中の人々を魅了している。そしてそれぞれの国の演奏会では、必ずその国で親しまれている曲をメドレーで演奏する。それがまた観客をひきつけるのである。ちなみに森山直太朗の「桜」はアンドレ・リュウのバイオリンで、とても美しく世界中の人々に届けられている。長崎の少年少女合唱団による「でんでらりゅう」もヨーロッパの人々を魅了した。このオーケストラのコンサートのアンコールは、どの場所でも盛りだくさんで多彩だ。いつ終わるのだろうと思うくらい・・・。今二枚目のDVDを手元に用意している。イタリアのコルトナでのライブ盤である。
「TUSCANY]このアルバムでのお気に入りは、「The Rose」とオッフェンバックの「Barcarole」です。「The Rose」はぼくの下手なピアノの十八番(?)だと思っています。
さらにイタリア・ンメドレーで演奏される「Va.pensiero」イタリア第二の国歌とも言われていて僕の好きな歌で、なんとか言語で歌いたいと思っているのですが、発音がわからなくて悔しい思いをしています。いやいやアンドレ・リュウを話しだしたらキリがないなあ。できたら、彼のホーム・グラウンドであるオランダのマーストリヒトへ行ってみたいと、飛行機嫌いのぼくが願っているぐらいです。
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感動の二十五菩薩來迎(当麻寺練供養会式)

2016-05-15 17:52:37 | 
待ちに待った五月十四日当麻寺の練供養会式、前もってyoutubeなどで見ていたが、実際に見てググッと感動してしまいました。これは歴史遺産ですよ。菩薩が浄土へお導きになる。それが形として見られた。精進すれば救われるという言葉を信じたい。たくさん写した写真を手違いで消してしまって泣きたくなった。4時に始まる1時間ぐらい前には、見物客の中におられた葛城市の市長さんの突然のサプライズ。市長さんがマイクを持って当麻寺のこと、中将姫伝説のことなどを、詳しく解りやすく話してくれて、見物客からは大きな拍手が湧き上がりました。


(5/15共同通信社)         唯一残った写真     前日の境内
橋の奥に見えるのが娑婆堂です。浄土世界にみたてた本堂から二十五菩薩が娑婆世界に見立てた娑婆堂へ中将姫を迎えに行って、本堂へ戻ってきます。終わったのが午後5時15分、悠久の時の終焉にはちょうど本堂の屋根瓦に夕日が隠れようとしていました。毎年3月十四日、午後四時開始の意味が理解できました。見事でした。

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春の窓

2016-04-12 20:21:05 | 
**オグリキャップよ君の勇姿を忘れまい(笠松競馬場に遊ぶ)

**咲くを愛で散るも愛でする我かいな(当麻で)

**一着と狙いし馬はどんじりで(阪神競馬場にて)

**てふてふよ我が道を行くだけ(当麻にて)
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