当麻寺の山門に一大行事の練供養会式の看板が立てられた。私が待ちに待っていた日がもうすぐそこに来ている。練供養会式とは、「その起源は、当麻曼荼羅と中将姫伝説に由来する。中将姫が聖衆(二十五菩薩)の来迎を受けて、極楽往生を遂げた様を再現するのが、この法会である。」(ウィキペディア引用)とある。1000年以上も続けられているそうです。山を越えてくる諸菩薩のお姿などを想像すると気持ちが高揚して来ます。待ち遠しい。
朝晩の勤行で、地震で亡くなられた方々のご冥福をお祈りしています。また被災されて苦しんでおられる人たちのご健康をお祈りしています。それしか出来ないのです。このような天災の度に思います。何が、誰が生と死を、運と不運との線引を、老若男女の区別なくするのかと。何が、誰が、この非情としかいえない選別を、抜き打ちみたいに降されるのか。今まで生きていることが当たり前の事のように思っていたが、その日その日或いは一瞬々々が奇跡なのであるかもしれない。生を信じるとは奇跡を信じることなのか。何をもって「一生」というのか分からなくなってくる。愛猫ルルを膝の上に乗せてお経本を読む。