いちばん厄介なのが「わかりやすい言葉で」なんじゃないかな
これは言葉への安易な過信とも受け取れる
茨木のり子さんの<それが詩になるためには>はたいへん示唆的だ
詩が文学であるためには と受け止めたらどうだろうか
「わかりやすい言葉で」
やみくもに読者を得ようとしなくてもいいだろう
わからないものも作品であるから
ジェームス・ジョイスの「ユリシーズ」もね
言葉の意味は理解できなくても、自分の辞書の意味から離れて言葉の質感とか量感とか
色彩感とかにある言葉をぶん投げてみると
思いもよらない言葉の意味を見つけることだってある
茨木さんの<香気を含んだことば>とはそのような意味を醸し出しているんじゃないかな
大岡信のいう「多様な価値の共存」には<多様な意味の共存>も含まれているだろう
<コワさ えげつなさ> ことばや一行がゴツゴツしていてもいい
<瞬間> を飾ろうとする言葉はいらない 言葉を選んでいるうちに
感動も瞬間も薄れていることに気づかずに書いているだろう
<わかりやすい意味>に固執しなくてもいい
<瞬間>の心の色 音 匂い を表現するだけでいい
<実存>を描くことができるだろうか
自分のデコレーションでますます食欲がなくなっている
繰り返すことが唯一の方法
「わかりやすい言葉で」とは親戚のようで他人
<世界はひとつ> ではない
<一つの世界> がいっぱいあるわけ
だから用心しなければならない
詩は新世界へのアプローチです
意味の新鮮さとは
新世界へロケットを飛ばすための
新燃料の発見に等しい