自称馬券師を名乗るPOET

2015-12-03 14:52:40 | 独り言
   自称馬券師を名乗るPOET
             

 ギャラリーの主から仏像の話を一緒に聞いていたことからこの男と話すことになった。
 窓越しに寺の黒門の階段を上っていく人が見える。男が自分の知人の「がれき後背仏」が当地の当麻寺に寄って福島向ったということを、さっき主に話していたのを聞いて「えっ」と思った。偶然にも「がれき後背仏」を製作した山本流門仏師とは私も少なからず縁があった。竜門仏と円空仏の違いなどを話しているうちに、男は詩を書いていると言った。  
 竜門仏師も仏像彫刻の修行中の頃詩を書いていた。ご自身の「集仏庵」を「詩有仏庵」と称されるぐらいだ。男はさらに「馬券師を名乗るPOET」だと言った。私は面白いと思った。当然話は詩から競馬に流れた。聞いていると馬券師のこだわりは「馬は血で走る」の一点だった。競走馬の生産は牡馬の戦績もあるが、要は牝馬にあるという。体格や馬力は牡馬によるところがあるが、性格は牝馬に依るところが多いらしい。私は「血で走る」という言葉にまさに血が騒いだ。人間にも当てはまりはしないかと。というのも常々私自身は母方の血が濃いと思っているからだ。事業家、教師、画家、釘師と私の牝系は賑やかだ。馬券で大穴を出す牝系には何世代か先にアウトブリード(非主流というらしい)の血を持っている馬だという。その説からいくとアウトブリードの血を持っているであろう私は大穴系なのかもしれんな・・?
 馬の牝系を一頭一頭たどりながら、狙い打ちするのが馬券師さまの遣り方らしい。
ところで、ということで話は詩のことに戻った。POETは「詩は書かない方がいい」と言った。詩を書こうとすると詩から離れていくという意か。木秋尾氏から送られた二行詩誌「双」で氏は「行間とは語らずにして語りつくせない言葉が詰まっているところ」と書いていた。書かないことも書くに値するのかもしれない。POETは「皆さん詩という型を高次元で捉えているね。低次元の産物でいいのよ詩は」とも言っていた。さらに「借り物言葉をいじくって、何とか自分のもののように見せようとしているにすぎない」だから「言葉をいじらないでじっと待っていれば自然と言葉は自分になじんでくる。僕自身が詩の形だもの」と言う。この意をのみ込めぬ私のレシートを持って馬券師は席を立った。

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