急がば回れ、じゃないけど寄り道は楽しいぜ

2021-06-03 10:02:51 | 日記・エッセイ・コラム
友人から数編の詩とエッセイが届いていた。
今日もそれらを広げながら
奴は寄り道を楽しんでいるなあ
と感じている。

  ソークラテースは人間だ
  人間はいずれ死ぬ
  ソークラテースはいずれ死ぬ
  三段論法を習ったとき
  納得がいくと同時に
  とてつもない不条理を感じた

  俺は出口を求めているのだ
  入口などいらない            
     (中略)
  泳がなければ死んでしまう鮫がいる
  泳がなくても死なない鮫もいる
     (中略)
  消滅点は……その先にある        詩「消滅点」より

言わずもがなの「この世は不条理」 世界の不条理と人間の不条理
生きようと思えばどちらにも目をつぶっていなければならない。
最後の一行はホモ・ルーデンスの究極の言葉じゃなかろうか。

  伝聞は、たいがいの場合尾鰭がつくようだが、自分の目や耳で受け止めたものであっても、さまざまな暈に彩られる。まるで、カントの「物自
  体」のように、その本体にはけっして手が届かない。ともすれば、不可知論者の主張に与したい誘惑に駆られてしまう。
  しかし、ここで少し考える方向を変えてみよう。「自分には、○○のように見える」と正直に語ればよいのだ。烏が白く見えるのならば、「カラ
  スは白い」とそのまま言えばよいのである。認識の迷路でまごつく必要はさらさらない。哲学などうっちゃって、感情の吐露に走ればよいの
  だ。                  エッセイ「詩人の詩」より 作者青池薔薇館

カントの「物自体」とは、言ってみりゃ「~のようであって~のようでない」ってことだろう。そこで彼が<烏が白く見えるのならば、「カラスは白い」とそのまま言えばよいのである。>というのもわかるなあ。
「不思議の国のアリス」だよなあ。
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2 コメント

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ソクラテス、カント??? (ズー)
2021-06-04 08:37:36
放送大学に入学して、こともあろうか導入科目で哲学を選んでしまいました・・・

悩まなくても生きていけるのに、なぜ人は迷路に入りたがるのだろう、不思議でなりません。
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迷路もまた楽し (tefutefu)
2021-06-04 21:44:24
哲学書で書かれている言葉を自分の言葉に置き換えて解釈していくと「な~んだ」ってところで落ち着くんですよ。だから悩むことも迷路もまた楽しです。

詩人たちの詩論も自分の言葉で解釈していくと、究極どなたも同じことを仰ってるってことがわかりますよ。

哲学、頑張ろう!
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