友人から数編の詩とエッセイが届いていた。
今日もそれらを広げながら
奴は寄り道を楽しんでいるなあ
と感じている。
ソークラテースは人間だ
人間はいずれ死ぬ
ソークラテースはいずれ死ぬ
三段論法を習ったとき
納得がいくと同時に
とてつもない不条理を感じた
俺は出口を求めているのだ
入口などいらない
(中略)
泳がなければ死んでしまう鮫がいる
泳がなくても死なない鮫もいる
(中略)
消滅点は……その先にある 詩「消滅点」より
言わずもがなの「この世は不条理」 世界の不条理と人間の不条理
生きようと思えばどちらにも目をつぶっていなければならない。
最後の一行はホモ・ルーデンスの究極の言葉じゃなかろうか。
伝聞は、たいがいの場合尾鰭がつくようだが、自分の目や耳で受け止めたものであっても、さまざまな暈に彩られる。まるで、カントの「物自
体」のように、その本体にはけっして手が届かない。ともすれば、不可知論者の主張に与したい誘惑に駆られてしまう。
しかし、ここで少し考える方向を変えてみよう。「自分には、○○のように見える」と正直に語ればよいのだ。烏が白く見えるのならば、「カラ
スは白い」とそのまま言えばよいのである。認識の迷路でまごつく必要はさらさらない。哲学などうっちゃって、感情の吐露に走ればよいの
だ。 エッセイ「詩人の詩」より 作者青池薔薇館
カントの「物自体」とは、言ってみりゃ「~のようであって~のようでない」ってことだろう。そこで彼が<烏が白く見えるのならば、「カラスは白い」とそのまま言えばよいのである。>というのもわかるなあ。
「不思議の国のアリス」だよなあ。
今日もそれらを広げながら
奴は寄り道を楽しんでいるなあ
と感じている。
ソークラテースは人間だ
人間はいずれ死ぬ
ソークラテースはいずれ死ぬ
三段論法を習ったとき
納得がいくと同時に
とてつもない不条理を感じた
俺は出口を求めているのだ
入口などいらない
(中略)
泳がなければ死んでしまう鮫がいる
泳がなくても死なない鮫もいる
(中略)
消滅点は……その先にある 詩「消滅点」より
言わずもがなの「この世は不条理」 世界の不条理と人間の不条理
生きようと思えばどちらにも目をつぶっていなければならない。
最後の一行はホモ・ルーデンスの究極の言葉じゃなかろうか。
伝聞は、たいがいの場合尾鰭がつくようだが、自分の目や耳で受け止めたものであっても、さまざまな暈に彩られる。まるで、カントの「物自
体」のように、その本体にはけっして手が届かない。ともすれば、不可知論者の主張に与したい誘惑に駆られてしまう。
しかし、ここで少し考える方向を変えてみよう。「自分には、○○のように見える」と正直に語ればよいのだ。烏が白く見えるのならば、「カラ
スは白い」とそのまま言えばよいのである。認識の迷路でまごつく必要はさらさらない。哲学などうっちゃって、感情の吐露に走ればよいの
だ。 エッセイ「詩人の詩」より 作者青池薔薇館
カントの「物自体」とは、言ってみりゃ「~のようであって~のようでない」ってことだろう。そこで彼が<烏が白く見えるのならば、「カラスは白い」とそのまま言えばよいのである。>というのもわかるなあ。
「不思議の国のアリス」だよなあ。
悩まなくても生きていけるのに、なぜ人は迷路に入りたがるのだろう、不思議でなりません。
詩人たちの詩論も自分の言葉で解釈していくと、究極どなたも同じことを仰ってるってことがわかりますよ。
哲学、頑張ろう!