No Room For Squares !

レンズ越しに見えるもの または 見えざるもの

ドジンサマの正体

2022-03-06 | 街:秋田


秋田県大館市にて撮影した。いわゆる「道祖神」人形であり、「ドジン様」と呼ばれる守り神である。ドジン様は地区によっては「ドンジン様」とも呼ばれる。道祖神(どうそしん)が訛ったものと言われるが、あきらかに「土人様」なのだと思う。土人という言葉が差別的な要素を含む(放送禁止用語ではないが、マスコミ等では自主規制される)ので、配慮されたのだと想像している。それにしても豪雪地帯の大館市の外れにある集落である。この違和感はどう表現して良いのか分からない。この明らかに異質といえる像は何故出来たのだろうか。

ここからは僕の仮説だが、元々の「土人様」は蝦夷を指すと見て間違いないと思う。村に降りかかる災難から逃れるために住民が頼ったのが、古の蝦夷統治時代だったのである。雪国の貧しい(あくまで当時は)農村。飢饉や疫病に対しても余りに無力であっただろう。そんな農民を力づける勇気の源は、朝廷に対しても隷属を潔しとしなかった蝦夷の時代の記憶なのである。その古の土人像が、いつの間にか昭和以前のステレオタイプである土人像に入れ替わった。このイメージは江戸期以前にはなかったことは明白だ。このタイプの像が作られるようになったのは、少なくとも明治以降、場合によっては昭和以降、戦後の可能性すらあるのではないか。でもそう言ってしまうと、何かと問題も出てくる。あくまでこれは僕の想像であると、もう一度言っておく。ちなみに小屋の前には膝丈くらいの雪がまだ残り、すぐ前まで行くことは出来なかった。近くに別の像もあったが、そちらは遠すぎて撮影を断念した。別の季節にもう一度見に行きたい。

(補足説明)
蝦夷について触れることが多くなっている。一部指摘メールも頂いたので、補足したい。蝦夷と書いて「えみし」と「えぞ」という二つの読み方がある。僕がいうのは「えみし」である。これは古代日本において、主に北東北で朝廷の支配(中央集権)に抵抗し、独立を守ろうとした部族を言う。特定の人種を指すことではない。北海道のことは知見がないので、僕は言及しない。東北コンプリートの一貫で、多くの町を訪ねる間に蝦夷について興味を持つようになった。「えみし」は元々は勇者という意味を持つ言葉であり、決して差別用語や蔑称ではない。


X-PRO3 / XF16-80mmF4 R OIS WR

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2 コメント

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ドジン様❕良いな~ (yamaguti2520)
2022-03-06 21:04:02
オジンこうゆうの好きです❕素朴とゆう感じが良いな~東北には一大勢力があったことが想像されます。この近くにも白河の関、時々取り上げますがカラス峠大和朝廷が攻める時の伝説があります!蝦夷東北にいた文明人を指す言葉ですね!
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yamaguti2520さん (6x6)
2022-03-07 06:03:59
業者に委託して、とかではなく手作りのところが良いですよね。
人形を作る過程も伝承されているのだと思います。
坂上田村麻呂と蝦夷の戦い、その伝説は古代ロマンに溢れていると思います。
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