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帯とけの枕草子〔一〕秋は
言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで、君が読まされ、読んでいたのは、文の「清げな姿」。文の「心にをかしきところ」を紐解きましょう。
枕草子〔一〕秋は
秋はゆふ暮、夕日のさして山のはいとちかうなりたるに、からすのね所へ行とて、三四、二みつなど、とびいそぐさへあはれなり。まいて雁などのつらねたるが、いとちいさくみゆるは、いとおかし。日入はてゝ、かぜの音むしの音など、いとあはれなり。
(秋は夕暮、夕日がさして、山の端、間近くなったと見えるときに、からすが寝どころへ行くとて、三つ、四つ、二つ、三つなど飛びいそぐのさえ風情がある。まして、雁などの連ねたのが小さく見えるのは、とっても風情がある。日入り果てて、風の音、虫の音など、しみじみとした思いがする……飽きは暮れ方、共寝も果て方にさしかかって、山ばの端し近くなったので、からすが峰どころへ逝くとて、再三、再四、ふたたび見るなどと、とびいそぐのさえあわれである。まして、かり連ねたものが、とっても小さく見えるのは、ほんとにおかしい。もえるもの果てて、飽き風の音、むしの声など、しんみりとしている)。
「秋…飽き…飽き満ち足り」「山…山ば」「からす…鳥…女」「雁…鳥…女…狩り…あさり…めとり…まぐあい」「見…覯…媾…まぐあい」「風の音…心に吹く風の気配」「風…飽き風など…擬人化されると男」「虫の音…むしの声」「鳴く虫…女」。
「かり」は、歌でどのように詠まれているか、みてみましょう。
古今和歌集 巻第四 秋歌上 よみ人しらず
いとはやもなきぬるかりか白露の いろどる木々ももみぢあへなくに
(とっても早く鳴いた初雁だなあ、白露が彩るという木々も、紅葉しきれないのに……とっても早く泣いたかりだなあ、白つゆの彩るという木気も、飽き色に成りきれないのに)
「かり…雁…鳥…女…狩り…あさり…むさぼり…めとり…まぐあい」「白露…白つゆ…おとこ白つゆ」「木…男…おとこ」「木ゝ…木き…木気」「もみぢ…紅葉…飽きの色…も見じ」。
これらを、鳥や木や白の「言の心」というのでしょう。言葉には、字義を大きくはみ出し、理性では捉えきれない多様な意味がある。それを踏まえて歌は詠まれてある。歌の言葉を一義に聞けば、清げな意味しか聞こえないでしょう。
古今和歌集仮名序の結びで、紀貫之は次のように記した。
歌の様を知り、言の心を得たらむ人は、大空の月を見るが如くに、古を仰ぎて今を恋ざらめかも。
枕草子は、古今集を恋しいと思う読者である女たちが楽しんで読むだろうと思って書いたもの。多様な意味におかしさが顕われる。一義な文に満足するような女たちではない。
伝授 清原のおうな
聞書 かき人しらず 〔2015・8月、改訂しました)