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帯とけの枕草子〔七〕正月一日
言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで、君が読まされ、読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」。「心におかしきところ」を紐解きましょう。
枕草子〔七〕正月一日
正月一日、三月三日は、いとうららかなる。五月五日は、くもりくらしたる。七月七日は、くもり暮らして、夕がたは晴れたる空に月いとあかく、星の数もみえたる。九月九日は、暁がたより雨すこしふりて、菊の露もこちたく、おほひたるわたなどもいたくぬれ、うつしのかももてはやされて、つとめてはやみたれど、猶くもりて、やゝもせばふりおちぬべく見えたるもおかし。
文の清げな姿
正月一日、三月三日は、とってもうららかである。
五月五日は曇り暮らしたことよ。
七月七日は曇り暮らして、夕方は晴れた空に月がたいそう明るく星の数も見えたことよ。
九月九日は暁のころより雨が少し降って、菊の露もたいそう多く、覆っている綿などもひどく濡れ、移り香もいっそうひき立って、あくる朝には雨はやんだけれどなおも曇って、ややもすれば、露などふり落ちてしまいそうに見えているのも風情がある。
文の心(翁丸事件のあとがき)
正月一日、三月三日は、翁丸は飾り付けられたりして宮の内は・とって明るくのどかだった。
五月五日は(さ月いつかは…さる月の何時だったか)、翁丸事件が起こり、心曇り暮らした。
七月七日は(ふみつきなぬかは…踏み突き何ぬかは)、翁丸は打たれていた、苦盛り暮らして、夕方は心晴れる・解決のめどが立った、空の月も明るく、星も多数見えた(翁丸の傍で徹夜した)。
九月九日は(ながつきここのかは…長突き此処のかは)、翁丸の手当をして、頑なになった心を癒してやる、明け方に雨少し降って、菊の露もこちたく(聞く方の涙の露もあふれ)、傷を被う綿もひどく濡れ、匂いもおどろくほどで、早朝、涙の雨も止んだけれど、なおも苦盛って、ややもすれば気落ちしそうに見える翁丸、かわいい。
翁丸に鏡を見せて呼びかければ、どのように反応するかはあらかじめ知っていた。
文がこのような意味だけで「おかし」と同感する女たちではない。「余りの情」がなければ、歌も文も充実しない文脈に居る。
文の心におかしきところ
睦突き、つい立ち、や好い身かは、とってもうららかなことよ。
さ尽き、出づかは(離れるのね)、心曇り暮らしたことよ。
文尽き七日は、苦盛り暮らして、夕方は晴れた空に月人壮士がとっても元気、欲しの数も見えることよ。
長突き、此処の香は、あか突き方よりお雨が少し降って草花(女)のつゆもとっても多く、被っている綿入れ夜具もひどく濡れ、移り香もいっそうひき立った。朝にはお雨はやんだけれどな、汝おも、心雲盛りて、ややもすれば、白つゆ・振り落ちそうに見えるのも、かわいい。
当時のおとなの女たちと「聞き耳」を同じくしましょう。
「一日…ついたち…つい立ち」「つい…ふと…すぐ」「なる…なりの連体形…断定を表す…後の体言は省略してある、体言止めは詠嘆の心情を表す…うららかだったなあ…うららかだったけどなあ」「月…つき…おとこ…突き・尽き」「いつかは…出づかは…出たのかは…離れるのか…帰って行くのね」「たる…断定のたりの連体形」「夕方…男の訪れる時」「晴れたる空に月いとあかく…晴れた空で月がとっても明るい…気色のいい女に月人おとことっても元気」「空…天…女」「月…壮士…男…おとこ」「赤…元気色」「ほし…星…欲し…欲望」「見る…思う…まぐあう」「おかし…風情がある…可笑しい…かわいらしい」。
翁丸事件の発端は、馬の命婦の言葉にあるけれども、その苛立ちは私事の所為かな、宮の内で日ごろ曇り暮らしていたからでしょう。より異常なのは、蔵人たちの翁丸の扱い方。翁丸と呼んでも反応しないように調教して、一野良犬として放生するのはいいけれど、死にましたと嘘の報告を上にしていること。そのことは、上に仕える右近の内侍の言葉から察しることができる。宮(中宮定子)が、心憂がらせ給ふ(不快がられた)のはそのことだった。
殿(道隆)存命中は、宮の内はうららかだったなあ。このようなことは起こらなかった。
伝授 清原のおうな
聞書 かき人しらず