帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

「小倉百人一首」 (八十三) 皇太后宮大夫俊成 平安時代の歌論と言語観で紐解く余情妖艶なる奥義

2016-03-26 19:26:27 | 古典

             



                      「小倉百人一首」余情妖艶なる奥義



 「百人一首」の和歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、定家の父藤原俊成の歌論と言語観に従って、歌の「表現様式」を知り、「言の心」を心得て、且つ歌言葉は「浮言綺語に似て」意味が戯れることも知って、和歌を聞けば、
「心におかしきところ」や「言の戯れに顕れる深い主旨・趣旨」が心に伝わる。ものに「包む」ように表現されて有り、それは、俊成の言う通り、まさに「煩悩」であった。


 

藤原定家撰「小倉百人一首」 (八十三) 皇太后宮大夫俊成


  (八十三)  
世の中よ道こそなけれ思ひ入る 山の奥にも鹿ぞ鳴くなり

(世の中よ、平穏な・道なんて無かったなあ、遁世しようと・思い入る山の奥にも、鹿さえ、鳴いているようだ……女と男の夜の仲よ、平坦な・道なんて無かったなあ、思い火に入る山ばの奥でも、肢下ぞ、泣くのである、求めて・尽きて)

 

言の戯れと言の心

「世の中…世間…俗世…男女の仲…おんなとおとこの夜の中」「道…人の生きて行くべき道…山ばへ上る路」「けれ…けり…過去・回想・気付き・詠嘆の意を表す」「思ひ…思い…憂い…願い…思い火…情熱の炎」「山…山寺…修行の地…山ば…有頂天…絶頂」「奥…深い…女…おんな」「鹿…生きとし生けるもの…肢下…おんな・おとこ」「鳴く…何かを乞う…泣く…何かを求める・願う…涙を流す…汝身唾をこぼす」「なり…推定…(聞こえるのでそう)らしい…断定…である」。

 

歌の清げな姿は、生きとし生けるもの、皆、歌謡を発す(古今集仮名と真名序)。生きる道のりは苦しく辛いのである。

心におかしきところは、肢下も、山ばに入るや有頂天への途上でなみだを流す、なお求めてまた尽きて泣くのである。

 

千載和歌集 雑歌中 詞書「述懐の百首の歌よみ侍りける時、しかの歌とてよめる」 皇太后宮大夫俊成。

 藤原俊成は、定家の父、千載和歌集撰者、歌論書『古来風躰抄』の著者。六十三歳にて出家。和歌を解くなら、この人の歌論に学ぶべきである。貫之と公任の歌論を深く理解した上で歌に付いて述べている。


 

定家は貫之の歌よりも、より妖艶な余情の有る業平の歌の方がお好きだったようである。業平の「世の中」を詠んだ歌を聞きましょう。伊勢物語(84)。長岡京に住む母より、急な便りを受け取る。歌あり「老いぬればさらぬ別れの有りと言えばいよいよ見まくほし君かな(母は老い、いよいよ別れのよう、我が子に逢いたくなりました……感極まれば、ますます、見まく欲しの君の貴身かな・心配していますよ)」とある。業平、泣きながらこの歌を詠んで逢いに行く。


  世の中にさらぬ別れのなくもがな 千代もといのる人の子のため

(世の中に、避けられない別れが無かったらいいのになあ、母の寿命・千代もと祈る人の子の為……女と男の夜の中に、避けられない、峰の別れが無くて欲しいな、千夜もと井のる人の子の貴身のために)

 

平安時代に一義な歌など一首も無い。和歌は、表と裏、字義と戯れの意味、清げな姿と人の生の性情、高音と低音の協和音である。


「小倉百人一首」 (八十二) 道因法師 平安時代の歌論と言語観で紐解く余情妖艶なる奥義

2016-03-25 19:37:13 | 古典

             



                      「小倉百人一首」余情妖艶なる奥義



 「百人一首」の和歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、定家の父藤原俊成の歌論と言語観に従って、歌の「表現様式」を知り、「言の心」を心得て、且つ歌言葉は「浮言綺語に似て」意味が戯れることも知って、和歌を聞けば、
「心におかしきところ」や「言の戯れに顕れる深い主旨・趣旨」が心に伝わる。それは、ものに「包む」ように表現されて有り、まさに「煩悩」であった。

百首のうち八割程の歌を紐解いてきて、撰者の藤原定家と同じ文脈に足を踏み入れて、同じ「聞き耳」をもって歌を聞いているという確信が高まる。


 

藤原定家撰「小倉百人一首」 (八十二) 道因法師


  (八十二)
 思ひわびさても命はあるものを うきにたへぬは涙なりけり

 

(叶わぬ恋に・思い悩み哀しく心細くなって、それでも、命は在るので、憂きことに絶えないのは涙だったなあ……思い火、乏しくなって、それでも、ものの命はあるので、浮きことに、我慢できないのは、汝身唾であったなあ)

 

言の戯れと言の心

「思ひ…憂い…悩み…恋慕う気持ち…思い火…情愛」「わび…わぶ…悩む…悲観する…心細く嘆く…乏しくなる」「さても…そうであっても…それでも」「ものを…ので(順接、感嘆・詠嘆の意を含む)」「うき…憂き…浮き」「たへぬ…たえぬ」「たえぬ…絶えない…常に…ひっきりなしに」「たへぬ…堪えない…耐えない…我慢できない」「なみだ…目の涙…もののなみだ…汝身唾…おとこの精根…おとこ白つゆ」「なりけり…であった…(いま気付いてみると)であったなあ」。

 

歌の清げな姿は、叶わぬ恋、憂きに絶え間なくこぼれるのは、男の涙であった。それでも・よくぞ、命は在ったことよ。

心におかしきところは、思い火乏しくても、浮きことに耐えられず、もらすのは、おとこの身のなみだであった。それでも、ものの命は在ったなあ・股は又繰り返す。

 

上の「歌言葉」は、「掛詞」とか「縁語」という概念では捉えられない。俊成の言う「浮言綺語の戯れに似た」戯れの意味が、それぞれに有るのである。

男とそのおとこの心根、そのありさまを、わずか三十一文字の言の葉として表わした秀逸の歌。古今集仮名序冒頭に言う「やまと歌は人の心を種として万の言の葉とぞなれりける、云々」の範疇に在る。

 

千載和歌集 恋三 題しらず。道因法師。

道因法師は、法性寺左大臣忠頼の時代、藤原顕輔らと、ほぼ同じ世代の人、晩年に出家したという。

 


「小倉百人一首」 (八十一) 後徳大寺左大臣 平安時代の歌論と言語観で紐解く余情妖艶なる奥義

2016-03-24 19:24:44 | 古典

             



                     「小倉百人一首」余情妖艶なる奥義



 「百人一首」の和歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、定家の父藤原俊成の歌論と言語観に従って、歌の「表現様式」を知り、「言の心」を心得て、且つ歌の言葉は「浮言綺語に似て」意味が戯れることも知って、和歌を聞けば、
「心におかしきところ」や「言の戯れに顕れる深い主旨・趣旨」が心に伝わる。それは、ものに「包む」ように表現されて有り、まさに「煩悩」であった。

百首の八割程の歌を紐解いてきて、撰者の藤原定家と同じ文脈に足を踏み入れて、同じ「聞き耳」をもって、歌を聞いているという確信がやってきた。


 

藤原定家撰「小倉百人一首」 (八十一) 後徳大寺左大臣


   (八十一)
 ほととぎす鳴きつる方をながむれば ただありあけの月ぞ残れる

(ほととぎす、鳴いた方を眺めれば、唯、有明の月が、残っていることよ……ほと伽す、泣いてしまったお方を長くみれば、ただ在るのは、つとめて・明けの尽き人おとこが、残っているよ)

 

言の戯れと言の心

「ほととぎす…鳥の名…名は戯れる。時鳥、郭公、カッコウ、且つ乞う、なおも求める、ほと伽す」「鳥…言の心は女」「ほと…お・門…おとことおんな」「鳴きつる…泣きつる…泣いた…泣いてしまった」「方…方向…ひと」「ながむ…眺める…長く見る…長める」「見…覯…媾…まぐあい」「ただあり…唯在り…ただ存在する」「ありあけの月…有り明けの月…明け方空に残る月」「あけ…(夜)明け…(期限)明け…つとめ果たし…尽くし果て」「月…月人壮士…尽きひとおとこ」「残れる(体言が略されてあるが、体言止め、余情がある)…残月よ…尽きの残がいよ」。

 

歌の清げな姿は、ほととぎすの声、空に残る月、夏の朝の風情。

心におかしきところは、且つ乞うと泣くまで、つとめて果てた、おぼろなる月人おとこよ、空しき残がいよ。

 

千載和歌集(藤原俊成撰・1188年頃成立)夏歌 「暁聞郭公といへるこころをよみ侍りける」、右のおほいまうちぎみ。

藤原定実が右大臣だった頃の歌。後徳大寺左大臣・藤原実定は、俊成の甥、定家の従兄弟である。

 

この歌には、序詞、掛詞、縁語はなさそうで、「歌の清げな姿」だけを見て、その情趣が、この歌のすべてと思うようになった。なぜだろうか、それだけでは「秀逸の歌」といえないと思えば、解釈者は憶見を加え、それらしき歌にしてこの歌の解釈とする。解釈者の数だけこの歌に意味があるのだろうか、それとも解釈者の解釈の優劣によってこの歌の解釈が決まるのだろうか、優劣を決めるのも同じ文脈の人たちである。このとき、もはや誰もが、平安時代の歌論や言語観を全く無視していることに気付かなくなるようである。

このような歌を好しとする文芸(短歌や俳句)の波があってもいい、世につれて、表現方法や内容が自由に変化するのは当然である。しかし、古典文芸の解釈が同じように、後の世の波に乗っては、奇妙な解釈というほかない。


「小倉百人一首」 (番外第二陣) 女たちの歌 平安時代の歌論と言語観で解く余情妖艶なる奥義

2016-03-23 19:24:43 | 古典

             



                     「小倉百人一首」余情妖艶なる奥義

 


 「小倉百一首」の女歌だけを連ねて、妖艶なる余情を鑑賞する。清げに飾られ包まれた本音を聞けば、今の人々にとっても「心におかしい」はずである。



  藤原定家撰「小倉百人一首」
(番外第二陣)女たちの歌

 

(五十七) 紫式部

めぐりあひて見しやそれともわかぬ間に 雲がくれにし夜半の月かな

(良き男に・巡り会って対面したの、それとも、よく分からない間に、雲隠れしてしまった、夜半の月人壮士だったのかな・貴女も……め眩むほど合って見たの、それとも、判別つかぬ間に、心雲隠れてしまった夜の半ばまでの、尽き人おとこだったの、どうなのよ)


 幼友だちと歳ごろの娘となって再会した時の本音トーク。

 


 (五十八)
大弐三位

 有馬山いなの笹原風吹けば いでそよ人を忘れやはする

(有馬山猪名の笹原風吹けば・どこかで誰かの心に秋風でも吹けば、いやまあ、そうなの、わたしを見捨てるの、見捨てないよね……在り間山ば、否の少々、君の・腹の内に飽き風吹けば、さあ、それよ、わたしは・君の貴身を、見捨てるかもね)


 離れがちであった男が、あなたが心配で心細い思いだなどと言ってきたので詠んだ。

 


 (五十九)
赤染衛門

 やすらはで寝なましものをさ夜ふけて かたぶくまでの月を見しかな

(ためらわずに、寝たらいいものを、さ夜更けて・君を待ち、西に・傾くむくまでの月を見ていたことよ……滞ることなく寝たいものを、さ夜更けて、暁まで程遠いのに・片吹く程度の尽き人おとこを見たことよ)


 姉の許に通って来る筈の男が来なかったので、姉に代わって詠んだうらみ歌。

 

(六十) 小式部内侍

 大江山生野の道の遠ければ まだふみも見ず天の橋立

(大江山、生野の道が・行く野の道が、遠いので まだ、踏んでもみず・文も見ず、天の橋立・母の住む丹後の地……大いなるおんなの山ば、逝く野の満ちの遠ければ、まだ、夫身も見ず・そんなめも見ず、あまの端立てて)

 
 うら若き乙女をからかって、立ち去ろうとした男の袖をむんずと掴んで、この歌を詠んだとか。


 

(六十一) 伊勢大輔

 いにしへの奈良の都の八重桜 けふここのへににほひぬるかな

(むかしの奈良の都の八重桜、今日、九重に・宮中に、色艶美しく咲いたことよ……過ぎ去った寧楽の感の極みの八重に咲いたおとこ花、京、ここのへに・八重にさらに一重ね、咲き匂ったことよ)


 うら若き乙女が、初めて大人の女の歌を詠んだ。


 

(六十二) 清少納言

 夜をこめて鳥のそらねははかるとも よに逢坂の関はゆるさじ

(夜の果てるまで、鶏の似せ声で関門を開けさせようと謀ろうとも、夜に・決して、逢坂の関は開門許さない――心賢い関守侍り……夜、お、込めて、女の、浮かれたそら声を図ろうとも、決して、合う坂山ばの身の門は緩めないわ――朝まで逃がしはしない)

 
 緩い緩い昼夜門開けて待つ女よ、などと男どもが悪口を言っている時、この歌が炸裂し内なる心が顕われた。


 

(六十五) 相模

 うらみわびほさぬ袖だにあるものを 恋に朽ちなむ名こそをしけれ

(不満を感じ、哀しみ嘆き、乾かない涙の袖があるものを、わたしは・恋に朽ちてしまうのでしょう、たち消える・浮名までもが惜しまれることよ……裏見、きみの・気力なく、尽くしていないわが身の端があるものを、乞いに朽ちてしまうのでしょう、汝こそ、惜しまれることよ)


 君の身の端に未練あり。

 

 

女性の心からの本音を、清く美しくラッピングして贈られ、開いたならば、おんなのエロスの魅力に抗しきれる男性は、古今東西、誰もいないだろう。張りきって勇み立つか、恐縮して逃げ出そうとしても緩めてはもらえまい。強い魅力に引き寄せられるだろう。

この時代には「ぬえ」のような捉え難い言語の正体を把握して、逆手にとって複数の意味を同時に表現した高度な、驚くべき文芸があったことは間違いないだろう。今は埋もれてはいるが、朽ち果てさせることはできない。

 

 


「小倉百人一首」 (八十) 待賢門院堀河 平安時代の歌論と言語観で紐解く余情妖艶なる奥義

2016-03-22 19:34:34 | 古典

             



                      「小倉百人一首」余情妖艶なる奥義



 『百人一首』の和歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、定家の父藤原俊成の歌論と言語観に従って、歌の表現様式を知り、「言の心」を心得て、且つ歌言葉は「浮言綺語に似て」意味が戯れることも知って、歌の「心におかしきところ」を享受してみれば、国文学の解釈とは大きく隔たり、近代以来の現代短歌の表現方法や表現内容とは全く異なる驚くべき文芸であった。
このように言いきれるのは、すでに数多くの和歌の「心におかしきところ」や「言の戯れに顕れる深い主旨・趣旨」が、心に伝わったからである。それは、ものに「包む」ように表現されて有り、まさに「煩悩」であったからである。今のところ、これ以上に、わが和歌解釈の正当性を論理的に説明し証明する方法はない。

今の人々は、上の歌論と言語観を無視した国文学的解釈に否応なく絡められ慣らされているため、歌言葉の戯れの意味に違和感を覚え、まして、歌の奥に顕れる深くも妖艶なエロスに心を背けるだろう。しかしやがて、和歌の真髄に気付いてもらえるだろう、人の心の本音だから。

 

藤原定家撰「小倉百人一首」(八十) 待賢門院堀河


   (八十)
 長からむ心も知らず黒髪の 乱れてけさはものをこそ思へ

(長く居ようとする、君の・心も知らず、黒髪の女、心も・乱れて、独りの・今朝は、もの思いしている……長く狩ろうとする、君の・心も知らず、黒髪のように・長い女が、みだれて今朝は、ものをこそ・ものを愛おしく、思っているの)

 

言の戯れと言の心

「長…(時間が)長い…長居…(健在であることが)長い」「からむ…あらむ…在らむ…そばに居よう…狩らむ…めとろう…まぐあおう」「む…推量を表す…意志を表す」「黒髪…背丈ほどの女の黒髪…長い…女」「の…主語を表す…比喩を表す」「みだれて…乱れて…(黒髪が寝)乱れて…(身も心も)淫らになって」「て…そして…それから」「けさ…今朝…(君が帰った)朝…(独りになった)朝」「ものをこそ…はっきり言えないことをよ…あのことをよ」「思へ…思ふ…(もの足りなく・惜しく・愛おしく・恋しく・乞いしく)思う」。

 

歌の清げな姿は、君の去った朝、黒髪も心もみだれたまま、もの恋しい女心。

心におかしきところは、長く在ろうとおつとめになったのねえ、みだれていまも、もの思う、小好い今宵もね。

 

千載和歌集(藤原俊成撰・1188年頃成立)恋歌三 「百首歌たてまつりける時、恋の心をよめる」 待賢門院堀川(崇徳院の母の待賢門院に仕えた人)。

 現実に、後朝の歌の返歌として、このような歌を受け取ったならば、男はどう思うだろうか。たぶんそれも計算された歌だろう。今宵も訪れる確率は限りなく高まるだろう。
 古今集仮名序に、歌は「力をも入れずして目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせる」という。ならば、男心など軽いものだろう。