はなな

二度目の冬眠から覚めました。投稿も復活します。
日本画、水墨画、本、散歩、旅行など自分用の乱文備忘録です。

○東博「博物館に初もうで 子・鼠・ねずみ」

2020-01-14 | Art

新年恒例の干支特集。ねずみをモチーフとした書画や工芸品が展示されていました。

ここ数年を思い返すと、干支の美術表現には、人間の動物を見るまなざしや関わりが反映されていることに気が付く。

猿だったら、猿群れや家族といったコミュニティ感だったり、意外と精神的な内面表現だったり。

犬は、古来からペット。人間の横や村の通りに一匹描き入れておくだけで、ほっこりアットホーム感がでる。たまに狛犬とかね。

鳥は、やはり美しさの表現。衣装や花鳥画、工芸品と雅やかな品々が満載。

昨年の猪は、様相が多岐にわたっていた。食材から始まり、吉祥画題、博物図譜と幅広く登場。山中が描かれるのが個人的に興味深かった。

 

そして今年のねずみ。ねずみって立ち位置が微妙な感じ。「かわいい」×「知恵もの」×「害獣」のはざまで、好かれ、嫌われ。これとひとくくりにしてとらえられないのがねずみというモチーフなんでしょうか。

とにかく幅広い角度からねずみを検証していました。

うれしいことに、前の日記に書いた「鼠草子」(18世紀) が展示されていました。しかも前に本館では巻かれて見られなかった巻末の部分が広げられていました。

正体がばれて人間の妻に追われたあと、ねずみは「猫の御房」に出会い、ともに高野山の奥の院にのぼり、仏堂修行に励む。

ねずみも猫の御房も、コマ送りみたいに動きが描かれている。萩や院など、背景もこまやか。

猫の御房は200歳を越すというが、確かに…。ねずみはひとの良さが出ている。。

作者不詳だけれど、絵がかわいいので、この人が描いた他の絵草子もどこかで出会いたいもの。

ほかにも、工芸品、絵、書物、博物図譜、涅槃図、浮世絵などからねずみが集結。

印象深かったものを以下に。

 

着ものが展示されていました。ねずみも文様ではなくて、「色」ときましたか。

ねずみを色に名付けた日本人。思えば不思議な。

倹約令で華美な色が禁止されたとはいえ、「48茶百ねずみ」と言われるほど、ねずみ色は繊細な差異で展開。しかもその地味な色が江戸後期から明治時代に大流行したという。そういえば北斎の美人画にもねずみ色の着物が多い。

どれも心憎いばかりのおしゃれの上級者ぶり。ねずみ色の地に、逆に色や刺繍がきらっと引き立って見えたのです。

小袖 藍鼠紋縮緬地唐山水人物模様  江戸時代

 

一つ身振袖 鼠色縮緬地萩流水烏帽子鞍模様  江戸時代19世紀

 

振袖 鼠色縮緬地竹模様(笹竜胆紋付) 明治時代19世紀

若い女性が着たとは思えないほど渋い。どんな帯や帯留めを合わせたのだろう。

 

書物からもねずみを検証していました。

ねずみといえば、雪舟。足の指でネズミを描いたお話は、狩野栄納の「本朝画史」1693年 に記載されているのでしたか。父・狩野山雪の「本朝画人略伝」の草稿をもとに補足して出版したもの。

「和訓栞」(谷川士清編1830年)という江戸時代の国語辞書には、ねずみという名称の一説が記されている。「寝盗み(人が寝た後に盗み食う)」から転化したとのこと。

 

由来は泥棒ねずみでも、繁殖力の強さから子孫繁栄のモチーフとして東アジアでは愛されてきたという。

根付や印籠、水滴などの工芸品にあらわされたねずみは、とてもかわいい。(たぶん小物なのがポイント。大きいと怖いかも。)

「南京に唐子水滴」は、一瞬唐子がねずみに見えたけれど、ねずみは南京から顔を出していた。

ねずみは食材といっしょがしっくりくる。

 

<かわいい> と <ちょっと苦手…> の境界は、写実の度合いによるかもしれない。写実のほうにいくと、動きそうで怖い。

 

干支の帯留め(19~20世紀)では、ウサギ(上から二番め)に惹かれる。この角度からきたか☆。象のダンボみたいに飛べそう。

 

拓本になると大きい作品でも愛らしい。

金庾信墓護石拓本 明治時代・19世紀(原碑=統一新羅・8~9世紀)

金庾信とは、韓流ドラマの「善徳女王」のユシン殿では。三国統一を成し遂げた新羅の英雄。墓を取り囲む12の護石には文官姿の干支動物が彫られている。以前、猪や猿のが展示されていた。

 

それと同時代に彫られた日本の墓守ねずみがキュート。

隼人石像碑拓本  江戸時代・19世紀(原碑=奈良時代・8世紀)

聖武天皇の皇太子とされる墓の立石のひとつ。

 

絵画では、渡辺南岳の干支図(18世紀)が良い。なにが良いって、動物たちのキメ顔が最高にかっこいい。

特に悪そうな龍が最高。黒雲もいいなあ。

目で殺れるぜみたいな鶏。

牛、渋っ。

ねずみはふつうなんだけど。虎は赤い舌がペロっと♡。

ひと昔前の俳優みたいないぶし銀の魅力?。南岳は応門10哲の一人。残された作品は60点ほどと少ないそうだけれど、ちょっとヒトクセありそうな作品がちらほらある。

 

浮世絵では、とくに北斎の麦藁細工の見世物 1820年 が見どころ満載。

北斎の下絵をもとに作られた麦わら人形が、1820年に浅草の金龍寺で披露された。これはその見世物を題材にし、干支の12の額絵も描きこまれている。

白象にのる唐美人の人形の美しさと存在感。

 

諸葛孔明。後ろに闇に浮かぶ龍が、北斎の龍だ。

このおじさんは??。周蒼とある。

北斎の描く動物は表情が意味ありげ。

犬の額絵は、漆の背景に螺鈿の桜を感じるような。

 

それでは、国芳の「ねずみ除けの猫」でしめくくり。

 猫は干支になれなかったけれど、ねずみに関連して描かれたりするので、猫好きとしては救われます。









 

 


○あけましておめでとうございます

2020-01-05 | 日記
遅ればせながら、新年あけましておめでとうございます。
 
ねずみといえば。。。
つい先日、蘆雪のねずみに出会いました。


それから頭の中を一巡してみると、
 
御伽草子の「鼠草子絵巻」
ねずみがとってもかわいそうなことになるのですけど、そこで終わらずに、最後にはねずみは精神の高みを目指すという、深いお話だった。
 
それから、「くるみ割り人形」
このねずみはヤバい。ねずみの女王の恨みは凄まじく怖いし、ねずみは軍隊まで組織してかかってくる。
 
ねずみ軍といえば、「おしいれの冒険」ねずみばあさんも最強だった。
 
人間はねずみに潜在的恐怖心を抱いているのかしら。
 
小さいくせに、日陰者のくせに、ねずみはあなどれない。
 
大きなかぶ」では、ねずみの微力が大きな決定力になる。
 
ねこがねずみをよんでくるシーンがとくにお気に入り。
 
本棚から絵本を出してきて気づいたのですけど、この絵、彫刻家の佐藤忠良だった(!)。


 
ついでに本棚にいたねずみを。
絵本だと概ねかわいくなっている。
「ぐりとぐら」
 
パンケーキの印象が強くて、ぐりぐらがねずみだって忘れていました。
 
ピーターラビットから。
 
 
それから、ねずみといえばレオ・レオーニ。彼の「とるにたらないもの」への愛。昨年のレオ・レオーニ展もよかった。


アーノルド・ローベルも優しい眼差し。
「やどなしねずみのマーサ」
嫌われもののねずみがやっと居場所をみつける。
 
ドリトル先生シリーズにもちらっといた。



「とんとんとめてくださいな」は森の動物たち。



年始早々とりとめもなくなってしまいました。

今年もよろしくお願いいたします。
 

○東博 東洋館:朝鮮陶磁器

2019-12-01 | Art

中国絵画を目当てに東洋館へ。

その前に5階の陶磁器につかまってしまいました。

 

●5階10室【朝鮮の陶磁】2019.10.22~2020.4.14

今回は鮮やかな彩色の磁気とはまた違った、素朴絵のような絵付けの陶磁器が集まっていました。

東洋的な、岸田劉生の言葉を借りれば、”間の抜けた” 感じがなんともよくて、お持ち帰りしたいくらい。

 

原三国時代から朝鮮時代までの陶磁の流れをメモ:

◆朝鮮半島では原三国時代楽浪の影響を受けて製陶技術が発達。それまでの赤焼きから、窯で灰色に焼き上げた土器が登場する。

◆三国時代(4世紀~676)には陶質土器に発展。各地で覇を競う有力者の成長と相俟って、地域ごとに多様な形態の土器が作られるようになる。

◆6世紀に登場した印花文土器や緑釉陶器は、統一新羅時代(676~935)に完成される。

 

◆高麗時代(918~1392)には中国の影響で青磁の生産が始まり、独自の様式が完成。主に宮廷で使用される。

 「青磁鉄地掻落参葉文水注」高麗12世紀

 

「青磁鉄地象嵌草葉文瓶」高麗12~13世紀

 

◆朝鮮時代になると粉青沙器(主に灰色の胎に、白土で印花を押して象嵌を表したり、掻き落としで模様を描いたりして装飾を施した器)や白磁など、多様な陶磁器が焼かれるようになる。

「粉青鉄絵魚文瓶」朝鮮15~16世紀、「粉青鉄絵魚文俵壺」朝鮮15~16世紀

民窯とのことで、魚の線描きが大胆で楽しい。魚のモチーフは、個人的に東南アジアでお土産ものやで見かけると、なにかと買ってしまうやつ。

 

◆次第に青磁より白磁の生産のほうが主流になってくる。両班に好まれ、15世紀に設けられた官営の窯で上質の白磁が作られるようになる。

「白磁皿」朝鮮15~16世紀、右「白磁面取壺」朝鮮18世紀

韓流ドラマの両班の部屋にありそうな上品な感じ。時代が進むにつれて肌理こまやかになっているのが印象的。

 

15世紀後半ごろには、鉄絵、青花などの下絵付けが焼かれるようになる。

「鉄砂雲竜文壺」朝鮮17世紀

民画的なおおらかさ。

 

青花は中国、日本のものも展示されている。

 中国・明の虎が愛らしい。しかも5客セット♡。

「青花虎文皿」景徳鎮皿 明17世紀

 少しずつ顔が違う手描きの良さ。いいにっこり具合。

 

かわいい虎にニコニコしていたら、日本のうさぎの皿に射貫かれてしまった(!)。

「染付吹墨亭兎図皿」伊万里17世紀 

月から飛び出したような宇宙ウサギが、UFOに遭遇している?。ナルト雲も愛らしい。吹き付けた墨が青く発色し、夜空に見える。

見返り具合が最高♡。

UFOかと思ったのは私だけか。。英題では「Dish with a Rabbit and Pavilions」。「亭」でしたか。もの知らずで、最近は英題に教えられることが時々ある。

東屋からみたウサギに秋の風情を感じたという情趣なのかな。兎、雲、亭を同じ大きさでこう配置するところがすてき。和菓子、漬物、お団子…、真ん中に置くものによってさらにファンタジーが広がりそう。

 

朝鮮の皿も同じ路線の楽しさ。

「青花山水魚文皿」朝鮮19世紀

 

「青花雲鶴文皿」朝鮮19世紀

顔♡

周りを雲で埋め尽くすところが、余白で語る日本と少しちがうのかな。

 

「青花蓮池魚文皿」朝鮮19世紀

これもびっちり蓮を描きこんでいるのだけれど、魚が天地逆で、不思議な浮遊感がある。

(3匹の三すくみ状態?)

 

青花の壺も吉祥画題。(朝鮮19世紀)

この鶴と亀は、妙に風格をみなぎらせている。

 

「青花花鳥文双耳壺」朝鮮19世紀

手馴れた筆致、濃淡の効果にも留意している。

頸の立ち上がりが高い壺は、朝鮮王朝の官窯で焼かれた白磁や青花によくみられる。官窯では専門画員を招いて絵付けを行っていたと、解説にある。

取っ手に、うなぎ犬のような霊獣

 

今回の陶磁器は、中国、日本、朝鮮と、なんともかわいくおおらかな系譜のものがそろっていました。

4階の中国書画へつづく。

 

 


○日展 2019年

2019-11-23 | Art

日展

国立新美術館 2019年11月1日~24日

今年こそは油彩も工芸も見ようとゆっくり時間をとっていったのに、膨大な量を前に、結局今年も日本画の部屋だけで時間切れ。

日本画すらも全部は拝見できなかったけれど、そのなかで特に好きな絵の備忘録です。

(見た順に。)

●「つむぎの森」 上岡奈苗

地の和紙の繊維のやわらかい感じと、墨とベージュのにじみがきれい。思わず近寄ってみると、編み物をする女性とひつじ。鷺もいる。

墨の黒がベージュやピンクと響く感じに見入ってしまう。

編地が空にかかる河のように舞い広がっていた。

 

●「時を刻む蘇鉄」 北川由希恵 

蘇鉄は個人的に愛着があり、特に固くとがった葉がバサバサと風に吹かれる様が好きなのだけれど、この絵の主役は、幹。この方の蘇鉄に対する解釈が、強く迫ってくる。

太古から生えているような風格。暗い色の幹から、小さな葉や芽が派生し、光を受けて輝いている。一本の蘇鉄が大地のように父のように、大きい。

 

●「白い鳩」竹内恵利子 

「Singing in the rain♪(雨に唄えば)」の歌を思い出した、音楽のような絵。線がリズミカルに響きあって。

雨上がりなのか。足元を書いているけれど、描かれない空が輝いて地面に映りこんでいる。

ほんの少しだけの青や緑、オレンジやピンクが目に入って、その度こちらの気持ちも小さく弾んだりする。

 なんてことのない光景がこんなにきれいで、楽しく瑞々しい気持ちになったのだった。

 

●「讃歌」松浦丈子

黄色に茶に白がかっこいいなあ。と思ったら、葉の蓮も種もつぼみも、ひとつとしておなじ色、触感のものはない。素材も金や銀の箔など含め、さまざま。

枯れかけた葉ですら、思い思いの装いをしている。まさに讚歌。

どれもないがしろにすることなく、無数の花や穴の開いた葉を描いた若冲を思い出す。

年齢を重ねて且つぴんと背中を伸ばして咲き誇っている、人のような蓮。なんだか達観の境地を仰ぎ見た気が。

それにしてもこんなにさまざまに描き分けて、それでもうるさくなく、都会的なのに憧れる。

 

 ●「日々」南聡

和紙に墨で描き、さらに幾重か和紙を張り重ねて描いている。和紙のうすい風合いが、光のヴェールがゆらぐようにも見える。

おお、アリがあちこちにたくさん。アリの日常が描かれている。

いろいろな虫や蝶もいる。草叢の世界。

繊維の見える和紙にひかれる茎や弦がすーっとして、心地よかった。

 

●「おいて」諸星美喜

風が左へ吹いている。白、ピンク、ベージュへと柔らかく移行する背景がきれいだった。ハリネズミの針?も同じ階調で。

紫の水滴がきらきら。明るい緑と黄色の葉っぱも好きなところ。

描きこまない余白、おさえめの色、すーっとした線の美、厚塗りでない着色、メインのモチーフに少しだけ添える葉。なんだか菊池契月とか京都の流れを思いだす。

 

●「大地の灯」深澤洋子

 窓に明かりのともる絵はなんだかほっこり。いろいろな飾りのついた窓に、小さな青や赤の色が灯っている。

遠くの空はまだすっかり暗くなりきらない。この短い時間のあいまいな色がいいなあ。

屋根の色がきれい。

中国でこんな丸く囲われた集落を見たことがあるけれど、これはヨーロッパのようでもあり、どこでもない街のようでもある。

遠く眺める視線に大岩オスカールさんの絵を思い出したりもする。

 

●「雪牡丹」岩田荘平

発色の鮮やかさときたら。圧巻の美がつくりだされている。

金に金を追い金。白に散った金砂子もとてもきれい。

赤は油絵のように濡れたようなオイリーさ、一方、白はざらりと日本的。素材感の組み合わせも堪能しました。

 

●「風和む」高田淑子

やわらかい風を感じて、こころよい色合い。具象を離れて、いっそう自然な感じというか。。

水面があまりにきれいで。。

心惹かれて検索してみたら、昭和11年のお生まれで、晨鳥社所属と(!)(大好きな山口華陽の♡)。

 

●士農力「The river London」

細かい作品は多くあるけど、ここまで膨大に細かいとは。

ロンドンの空を映している川の色

細かいところにいろんな色が小さく点いていて、色の少ない街にぽつぽつと色を放っている。

 

 

●「昼の月」加藤晋

毎回楽しみにしている絵。

でもこの作品はとくべつすごい!。すごいとしかいえない語彙のなさがもどかしい、、。でもほかのひとも、この絵を見るなり、すごいと声を漏らしているから、私だけじゃなさそう。

深い深い緑色に心震えてしまい、それから入り込んでしまう。幅3メートルくらいある絵なのだけれど、その寸法さえ忘れ、別の世界への入り口が広がっている。深く深く、どんどん向こうへ。風景というより、世界というか。大きな自然の世界でもあり、自分の記憶の奥にある世界でもあり。

そしてこの世界にはこっそりいろいろなものが生きている。

まんなかにブレーメンの音楽隊たちが進んでいる。かわいいなあ。おお、この犬が噂の。

そうそう、お地蔵さまはひとりだけ傘が足りなかったのだ!、何十年ぶりかに思い出した。

ほかにもあちらこちらにいる。くたっとしたクマがとってもかわいい。かさ地蔵を1セット、ブレーメンも1セットとして数えると、全部で13(セット・人・匹)は見つけた。きっと全部見つけたと自負しているけど、さてどうだろう。

独り占めで見たかったけれど、多くの人の足もこの絵の前で止まり、話に花を咲かせている。

「あっほらこれ、ハーメルン!じゃなくてブレーメンだっけ。」「こういうひとのドキュメンタリーとか見てみたいわね。」「一年くらいかかって描くのかしら。」「俺3年くらいかかりそう。いや3年でも描けないか。」「あっ、かさ地蔵よ。あらでも6人しかいないね。(←?)」「やだ鬼がいる♡。」

((注)聞き耳を立てていたわけではないのですが、皆さんが弾んだ声になっているので耳に入ってしまうのです。思わずクスっと笑ってしまった。)

帰りにもういちど見たくなって戻ってみると、今度は人も少ない。

見ていると、懐かしく楽しい気になりつつ、同時に、深い深い色に、もうこの世界には戻れないんだと、少し悲しくなるような。あのころ一緒に遊んだネコやイヌや昔話のなかのいきものたちは、記憶のなかに生きていることを今回も再認識したけれど、現実世界じゃない向こうの世界にいるんだなあと、じんわりもの悲しくもあり。

それでも久しぶりに一緒に遊べて楽しかった。

その両端にいったりきたり振れながら、泣き笑いのような、長い時間を過ごしたのでした。

 

 

●藤井範子「ふたつの季ー夏から秋へー」

毎回好きな作。季節は屏風だとたいてい右から左へ移るけれど、これは上下に移っている。

蜘蛛が♡。ショウジョウバッタを久々に見られてうれしい。

 

 

●山田まほ「竜が淵」

昨年の作も心に残っているけれども、今回も見入ってしまう。

荒い筆で引き下ろされた木の勢い。等伯の松林図のような、今目の前でざわめくライブ感。

この淵にはなにが棲んでいるのだろう。水面に見入ってしまう。

色もあるけれども、線で木々を描き、動きを描き、交錯する光を描き、風もあらわし。

この淵の気と風にとりまかれ、取り込まれてしまう。

 水墨のような描き方をした作品は会場内にいくつもあったけれども、この作品のもたつかない筆の強さ、ひとはらいに込められた迫力に惚れ惚れ。

 

 ●「風神」中村賢次

重厚。。伝統的でありつつ、どこかゲームのキャラみたいなお顔。

渦巻雲のふわふわが好きで😊。たらしこみも好きで😊。

波濤図を思わすような水しぶきもいいなあ。

 

 

●池田璋美「雪しずり」

融け落ちそうな雪。

雪の色が多彩。白とグレーのなかにいろんな色のあじわい。

そういえば、山口蓬春が波の絵を灰色だけで描いたときに言っていた。灰色だけで表すのは割と難しく、そのひとの技量が問われる、と。

梟は細密。かわいいなあ。

 

 

●高増暁子

いつも好きな絵。牛がのんびり。千葉の台風の時は大丈夫だったのか気がかりだったけれど、ギャラリーもカフェも営業しているようなのでまた行かねば。

 

●「竹の葉」福田浩之 

微かに竹の葉。水に映っている?水に流される?

 

 ●百里本出「沙羅の樹」

好きな絵。画像だとよくわからないけど、静かに包まれるような感じだった。

 

 ●佐々木淳一「巌」

岩がドーンと。空の色も印象的。

固い岩が表情豊か。火や熱量,意志を抱合している。

 

 

●「森へー水鏡」猪熊佳子

静かで、澄んだ清涼な空気に満ちている。

 

 ●「すすき」成田環 

 

 ●「ひねもす」長谷部日出夫 

遺作とのこと。光に包まれて、まるで眠りにつかれたご本人のように感じられて。

 

 ●「季」林和緒 

 

どなたの作品かわからなくなってしまった。。

空がきれい。雲が流れる。

 

 

●新川美湖「秋の終わり」

葉の流れ、ツタの流れ。羽も反時計に吹かれているようで、反時計回りの輪廻のようなめぐりが。

 

 ●「東京ノスタルジー」一木恵理

東京駅かな。オリンピックの旗が。色もノスタルジックであたたかい。

 

 ●「大山椒魚」及川美沙

図案化された小魚が好きなところ。のったりしたサンショウウオと対照的に、俊敏に動く魚群。

サンショウウオの目がかわいいなあ。化石っぽいマチエールも。

 

●「ハルジオンと猫」新屋小百合

見上げる視線。夢見るねこ。ハルジオンも上を向き。そこに空がある。

空気も空もハルジオンも蝶もねこも、お互い交感しあっているような。

 

容量エラーが出てしまったのでこの辺で。

今年もいくつもの好きな作品に出会えました。

 

 


○カルピスの包み紙 茨城県立近代美術館常設

2019-06-05 | Art

志村ふくみ展のあとで所蔵作品展へ。

「日本の近代美術と茨城の作家たち 春から夏へ」会期:2019.4.17~6.16

 

茨城のゆかりの画家たち。

中村彝 横山大観  小川芋銭  下村観山  木村武山  那波多目功一  中西利雄  安井曾太郎  山本文彦  朝倉文夫  能島征二ほか(一部を除いて写真可)

 

以前に来た時は中村彝ルームがあったような記憶があるけれど、今回も4点。

どれもなんだか差し迫ってくるものがある。

そんななかで、彝の「カルピスの包み紙のある静物」(大正12年)。

カルピスの水玉模様が敷物になっているのが、すっと清涼感が通り抜け、親しみを感じたりする。紙で包まれたガラス瓶のカルピスは、子供のころにお中元で送られてきた、夏休みのイメージ。いつしか紙パックになったよね。

おや、包み紙、今の白地に水色の水玉と、色が逆のような。せっかくなので調べて見ると、カルピスが発売されたのが大正8年。当初はミロのヴィーナス模様の紙箱だったのが、大正11年に水玉模様になった。そのころは絵の通りに、青地に白い水玉の紙。今の白地に逆転したのは1949年。

彝は出始めたばかりの商品の紙を描きいたのだ。ちょっと爽やかで軽やかな風が送り込まれている。

私はカルピスばかりに気がいっていたけれど、解説を読むとしんとした気持ちになる。

すなわち、この大正12年、病中にある彝は死を思わせる髑髏の絵を多く描いていた。その矢先に関東大震災。絵は破壊されたが、そんななかで生き残った彝は、芸術のために生かされたのだと感じ、短い命を輝かせる花の絵を描くようになる。

改めてこの絵の花を見ると、紙と共に鮮やかな色と息を放ち、彝の包むような目線が見えるようだった。

彝は翌年亡くなる。


●美を紡ぐ 日本美術の名品ー雪舟・永徳から光琳・北斎までー

2019-05-21 | Art

特別展「美を紡ぐ日本美術の名品―雪舟、永徳から光琳、北斎まで―」

東京国立博物館 本館 特別5室・特別4室・特別2室・特別1室

2019年5月3日(金)~2019年6月2日(日)

 

宮内庁、文化庁、読売新聞が官民連携で取り組む「紡ぐプロジェクト

その一環の「皇室の至宝・国宝プロジェクト―」の第二弾。

第一弾は、4月に開催された「両陛下と文化交流」。「悠紀・主基地方 風俗歌屏風」「小栗判官絵巻」などのほか、美智子さまのドレスの高雅さには見とれました。

今回も、三の丸尚蔵館でもなかなか展示されない歴史的な品々が一堂に会し、これはもう神的な陳列。

更級日記、古今和歌集などを目の前にすると、当時がつながって今に至ることを実感してしまいました。以下備忘録。

展示目録

個人的な最大のお目当ては、永徳の「唐獅子図屏風」。

中学校の歴史の教科書の小さな写真で、かわいいなあ、おもしろいなあと眺めていたのを覚えているけれど、実物を見て驚いたのがその大きいこと。223×451.8㎝の大画面。

目の前にばーんと立つ等身大の獅子。その足の太さに目をみはる。

そしてこれが一双で、なんと左隻もあったとは。しかも左隻は、好きな狩野常信(嬉)。永徳からすればひ孫になる。

永徳の右隻は、もとはどこかの障壁画であり、実際はもっと大きかったという。陣屋屏風に切り詰めて仕立て直し、秀吉は中国攻めの時に陣中に持ち込んだ。信長の急死に際して、和睦の印として毛利輝元に贈った。関連人物がすごすぎる。。

多くが燃え落ちた永徳の大作のなかで、これが生き残ったのは、戦地に持ち込まれ、毛利に渡ったおかげなのか。。。

毛利家の資料によると、1615年には萩城にあり、1639年に江戸に移された。よって常信は江戸で左隻を描いたことになる。そして明治の1888年、明治宮殿の落成お祝いとして、毛利家から皇室に献上された。

屏風の前に立つと、永徳の唐獅子の迫力ときたら。これが永徳の線なのかと。大胆に、気分ものった線で、唐獅子の骨格を形作っていく。そして尾はゆるゆると渦をまき上げ毛の感じを生みつつも、張りのある線。地の気を救い上げるような激しい岩の峻。斑は闇のような霊性。500年経っても、目の前で描き上がっていくようなライブ感だった。安土桃山のダイナミズム。

そうして生まれた二頭と背景から放たれるのは、権力を誇示する威容と、悠々とした恒久感。桃山文化の為政者の為の屏風。信長と秀吉は、陣中の自分の背後にこの屏風を必要としたのだった。

 

それから半世紀あと。偉大な曾祖父の左隻を拝命した常信は、どんなふうに考えたんでしょう。すでに完結している永徳の画を踏襲し、かつ一双の世界となるよう、工夫している。

永徳の二頭が男女とするなら、勝手に思うに、常信の一頭は子だろうか。子獅子の視線は永徳の黄色獅子の目とつなげて、なんとなく母子の交感のような。子獅子の色も、二頭とかぶらず、且つ二頭の色から取っている。

対比を狙い、新風を吹き込んでいるのかも。右隻が水平の動きなら、左隻は弾むような獅子と落ちる滝とで、上下の動き。陸と水。ダイナミックで権力を誇示する右隻に対して、安定の江戸期の軽妙で粋な左隻。

反対をいっても破綻なくまとまっているのは、そこは狩野の血ってことなのだろうか。

常信は、自分の作った新しいストーリーのなかに、永徳の獅子を組みいれ、時代の好みに合うよう刷新したのかもしれない。

常信のオリジナルな画風と気質も出ているような。この元気いっぱいな子獅子は、子犬のようにほほえましく(^-^)。毛も細密にいれてある。滝の波濤も細かく瑞々しく。踏襲しつつもおもねらず。

この堂々とした軽妙さに感服。

 

そして永徳の最晩年の「檜図屏風」1590が並ぶ。

「唐獅子図」と「檜図」が並んで見られるなんて、もう生きているうちにないかもしれない。

秀吉は最初の子・鶴松が生まれ、正親町天皇の孫・智仁親王との猶子関係を解消。かわりに八条宮家を創設して御殿を造営。「檜図」はその御殿の障壁画だったもの。のちに八条宮家の後身である旧桂宮家から宮内省に引き継がれた。

濃墨で輪郭を描き上げ、さらに立体感と木肌の質感もデッサンのように激しく入れ込んでいく。このクレイジーなほどの幹のうねりは、山楽や山雪に引き継がれたのだなあ。

幹のうねりで豪胆に持ち上げておいて、容赦なく横枝に突き放す。その横枝の枝分かれする枝先の鋭い尖塔感。魔王的な所業。

それでもよくよく見れば、檜の葉は細やかに緑で描かれて、とてもさわやかなのだった。

唐獅子と同じく、檜の姿をアウトプットして直接に紙に再現していく永徳の姿をライブで見ているようだった。

(ところで檜図屏風は国宝なのだけど、唐獅子は重文ですらない。なぜなのだろう?と思ったら、檜図は東博、唐獅子は三の丸尚蔵館の所蔵。皇室のものは、ほかの出品作もすべて重文でも国宝でもないのだそう。)

 

伝狩野永徳の「四季草花図屛風」部分

これも同じ八条宮家の御殿の一部。この御殿は御所のすぐ北にあり、御所の改築の障壁画も狩野一門が受けている。御所の後陽成天皇は智仁親王の兄。

ためいきものの美しさだった。檜図の豪放な筆とは打って変わって、繊細。花は写実でもあり、デザイン的でもあり。岩も細やかで立体的に描かれ、永徳の一門の絵師たちの実力の高さにも感嘆。

風が左から右へを吹き抜けていく。とくに菊がきれいで、何種類もの菊が繊細に描き分けられ、花びらがかわいい。風に裏返される葉、流麗に動きのある茎。

そして百合、シャクヤク、スミレなどの他、シャガも描かれている。

元信の花鳥画も豪華で美しいけれど、この上品でどこか儚さを感じる花鳥画は元信とは違う感じ。なんだか16世紀とは思えず、といって、では何世紀ともわからないけれど、漂う抒情感は抱一の秋草図を感じたのかも。

 

伊勢集断簡(石山切)「秋月ひとへに」平安時代・12世紀  余白(!)。色(!)1000年前の美意識に感嘆。

 

松図屛風 室町時代15世紀

15世紀のやまと絵の屏風が遺るのは貴重とのこと。やまと絵というと優美というイメージだったのだけれど、これはむしろ人の及ばない自然の凄みを訴えてくる。見ていると、吹きすさぶ風の中、ひとりで海辺にたたずんでいるような寂寥感が広がる。

右隻には、春と夏。違った描き方の紅梅と白梅から始まり、次第に海が始まり、網代、波、帆船。小屋もあるが人はいない。

左に進むにつれ、黒い波が圧倒的になる。赤い紅葉が見えはじめ、気づけば砂浜は雪で白く。

筆者が気になるところ。土佐光茂筆との伝承もあったが、現在は、それより前の土佐派絵師、または作風から六角寂済という説も出されているとのこと。

 

 *

江戸時代

大好きな久隅守景の納涼図に再会。

荒くたっぷりとした水分の墨で瓢箪や葉を描く。夫は力強い太い線で、妻は細い線で、やわらくも引き締まった腕や体をかたどっている。髪の毛も丁寧。葉にはうすく青が足され、それは夫の衣の青でもある。妻は美しく健康的で、口もとの紅が妻の美しさを際立たせる。大きな月。

この絵の制作背景はどうなんだろう。権力も何もない人の気持ち、和み、日常の幸せ。四季耕作図でも庶民の暮らしの安寧と豊穣は描かれるけれど、これはそこからぐいっと人間味や情愛のようなところに踏み込んでいる。

狩野の画題におさまりきらない守景の個性と志向。この時代に人間的な感情を描くのは、なんだか表現主義の画家たちを想ったりする。

 

その横に師の探幽の唐子図が。

藝大所蔵の永徳の唐子図も、子供らしさを十分に描き尽くしていたけれど、この大画面の唐子たちも生き生き。唐犬もかわいい。子供たちの丸い顔が織り成すリズムは、毬がはずむようで小気味いい。

とはいえ、横山崋山の描いた唐子たちのように手に負えない悪童たちじゃなく、かわいくもやっぱり格調高いのがさすが奥絵師。

 

 

ふたつの「西行物語絵巻」は見もの。

巻1は、俵屋宗達「西行物語絵巻」(詞書は烏丸光広)が1500年の古絵巻を模写したもの。巻4は、宗達が模写したものをさらに光琳が模写したもの。

宮中のしつらえや襖絵、野の萩、鹿や薄の図案など、宗達を成した源泉を見る思いがするし、さらに光琳へと受け継がれる流れが興味深く。

 

光琳の「伊勢物語 八橋図」と、乾山の「八橋図」は並んでいた。根津美術館の燕子花図屏風をみたところなので、ちょっと嬉しい。これらはどういう順で描かれただろう。

乾山の朴訥な描きぶりがよくて、ちょっと肩の力が抜けて目じりが下がる。緑と紫色が瑞々しい。間を満たす文字が風か水のように動いて、なんだか音のある動画を見ているようなのだった。

 

長澤芦雪「花鳥遊魚図巻」文化庁蔵

驚かせるような墨の稜線から始まり、にじみが幽玄。赤や緑の彩色が印象的。ころんころんの犬も登場しつつ、遊漁のシーンが個人的に気に入ったところ。鯉、フナ?、ナマズやエビもいて、水の青みがよい。咲き始めの藤や蝶も。突然大きな鯉を投入したりとサプライズを織り込みつつ、やっぱり上手。

 

葛飾北斎「西瓜図」1839 晩年の不思議な絵

西瓜に載せられたラップの役割の和紙は水分を吸って、種も透けている。

包丁には銘が入っているがよく見えない。包丁の柄と刃が45度になっている。

皮が二種類あるのが不思議。赤い皮は西瓜のものだろうけれど、くるんと裾が巻いた緑色の皮は、端のところか、ほかの瓜か。

すっと通りすぎることのできないひとくせがあるのだけれど、最近の研究では、国学者小林歌城→柳亭種彦→北斎という人脈で、俳文集を根拠に織姫と彦星とする説が提唱されているとのこと。赤は龍田姫、包丁は男、水をすった和紙が川という見立てだそう。もしや赤い皮と緑の皮も二人の衣なんだろうか。

 

池大雅の「前後赤壁図屛風」も再会。

縦横に操る筆に、淡彩が涼やか。遠くの月の青みがいいなあ。樹下にも船上にも東屋にも、たっぷり居場所のある悠々とした山河。嬉しいのは、もやの中から仙人を乗せた鶴が飛んでくるところ。こちらも下界を見下ろして、開放的な気持ち。

 

谷文晁「虎図」はヨンストンの「動物図譜」を参考にしたもの。

 *

明治以降

西村五雲「秋茄子」1932

茄子は多くの画家が描いた、個人的に興味深い画題。五雲の茄子は、葉が枯れて秋の風情。実も変色しはじめ、割れたものも。そんななかで狐は野生的であり、かつ人里に近いところに棲む、なにか近しい感じもする。すっとひかれた線の足や顔に対して、ふかふかの毛ときたら。墨の大きな余白に、自由に動く彼らの目は閉じられていて、やっぱりどこか霊的な気配をまとっている。

五雲は狐を求めて動物園に通い、山野を探し、ついに自邸の庭に狐を飼ったとか。

 

大観の「龍蛟躍四溟」1936 も再会を願っていたうちのひとつ。

 

龍も”みづち”もかわいいなあ。ふわふわの雲は感動的。陳容など中国古典の竜図を参照したと思われると解説に。墨雲のぼかしはボストン美術館の陳容の九龍図巻に重なるけれど、大観が足した金のうずまきも楽しい。帝展出品作であり、本人から昭和天皇に献上されたもの。

神秘的な生き物を、大真面目にダイナミックにユーモラスに描き挑む。そして堂々たる普遍的な存在として昇華される。東洋って神秘。

 

 *

工芸品も見ほれるばかりの超逸品ぞろい。

初代宮川香山「黄釉銹絵梅樹図大瓶」1892 は、凄みすら感じた作。360度ぐるりと、どこから見ても。

優美にかつ明晰に空間を分かつ壺の曲線のライン。その境界線から内にざくっと切り込む、ゆるみなく硬質な梅の枝。花びらはふっくら豊潤だった。別に横文字にしなくてもいいのだけど、カット&スプレッド。香山は明治20年代になると、中国清時代の陶磁の高度な技術に学んだ格調高い表現へと作風を変えていった、と解説に。

 

石山寺蒔絵文台・硯箱 [蒔絵]川之邊一朝 [図案]岸光景 1899 

紫式部の石山の観月の画題。肉眼でも超絶技巧なうえ、単眼鏡でみたらもう悶絶の細密さと金のきらめき。A4ほどの大きさの硯箱の蓋に、黒髪の紫式部。その式部の目線の先は、硯箱からさらに流れ出て、箱の乗る台の大きな景色へと。山間の川に紅葉が浮き沈みして流れていく。波線はまったく乱れがない。硯箱の中の硯などのお道具類にも紅葉があしらわれている。1900年のパリ博出品作。

 

「芦穂蒔絵鞍鐙」安土桃山時代・16世紀 芦を大胆に配置。ちっとも古臭さがなく、キレと冴えがかっこいい。今のファッションデザイナーなら誰だろう。

 

濤川惣助「七宝富嶽図額」1893は、雲のふわりとしたぼかしといい、どうみても絵。金の輪郭のない無線七宝。富士を右によせて、すうっとした稜線ととりまく雲。左からの光が山頂をやわらかく照らしている。

 

 *

 修理・修復についてのパネル展示も大きくスペースを取ってあり、たいへん興味深く。

切れ、浮き、膠の劣化、しわなどを、裏髪をはがして、新しい紙で裏打ちし。裏打ちも、糊との相性など、紙の特性で使い分け、糊の付け方、重ね方も変えて。

修復に使用される和紙も、全国の産地と材料ともに、生産者のかたも紹介されている。トロロアオイも原料になるとは。生産者はひとりだけという和紙も多く、驚くばかり。図録には、大量生産のラインに乗らない原材料や道具、修理技術者は、滅びさる一歩手前まで来ている、と恐ろしいことが書いてある。

光影堂さん、半田九清堂さんの名前も記載されている。この展覧会の収益は、修復に充てられるそう

 

劣化をきれいにすればいいわけではなく、次の修理の支障にならないように材料と手法を慎重に選択しながら、次の修理までの期間がなるべく長くなるように徹底的な処置を施すから、どうしても時間とお金がかかる。当面きれいになっていればよくてそのあとそうなっても構わないのであれば、安く速くできるが、100年、150年を見据える文化財修理とはそもそもそういうものではない(図録「飾る・しまう・直す」文化 綿田稔)

永徳の檜図屏風も、2012年に修復された。

しかし次の50年、100年後に、同じように修理できる技術者や材料の生産者はいるんだろうか。

最後に、若冲と北斎

 
 
 
 
 
すばらしい展覧会だった。

●福島県立美術館のコレクション展 酒井三良、速水御舟、山口華陽他

2019-04-26 | Art

3月末のことになりますが、福島県立美術館の若冲展(5月6日まで)へ。

そのあとで、二階のコレクション展も見ましたので、先にその備忘録。

といっても、新幹線の時間があり、日本画の部屋の半分くらいしか見られなかったのだけど、心に残る作品ばかりでした。(画像は福島県立美術館のHPから)。

 

展示目録

なかなか見る機会のない酒井三良(1897(明治30)-1969(昭和44) )が二点。見るとひかれる三良の絵、今回もやっぱりよかった。

そういえば三良は会津の出身。2016年の藝大美術館の「いま、被災地からー岩手・宮城・福島の美術と震災復興ー」展のときに見入った三良の「雪に埋もれつつ正月はゆく 」は、こちらの美術館から来ていたのでしたか(日記)。

*今回は展示されていません

ふるさとの風土と当たり前の日々の暮らし。これはまだ22歳の時の作。

でも、並み居る有名な画家の作品のなかで、あの展覧会の冒頭に展示され、フライヤーにも使われていたのはこの絵だった。展覧会を企画したひとたちのいろいろな思いがこめられているのだと思う。

 

今回は、意外にも沖縄を描いた作品だった。

「沖縄風俗」1955 再興第40回院展 

三良は27歳のときに沖縄を訪れ、精力的に取材。30年後にこの作品を描いた、と解説に。

和紙に墨の風合いがいい感じ。母子?姉妹?の頬は赤く、頭上のかごには作物と鍬。しっかりとした生活感。

通りすがりの旅人ではあるけれども、光景としてだけではなく、二人の気持ちや性格に思いを巡らせてスケッチしたように思える。

 

もう一作の 「松籟 」は、どこを描いたのかはわからない。でもこちらも、その土地の風土、気象のなかに、ひとと暮らしが描かれている。風土とひとは切り離されるものではなく、一体となり三良の視線に入っている。地元は違えど、そこで生きるひとに、三良は共感を覚える。

 「松籟 」1964 再興第49回院展

英題は「Sound of Pinewood」。墨に松の緑が印象的。風が松にたてさせる音に白波の音が重なる感じ。1946~54年まで五浦の大観の別荘に住んでいたけれど、茨城の海べかな?

三良は奥村土牛とよく旅行に出かけ、小川芋銭(「雪に埋もれつつ正月はゆく 」は、たまたま会津に来ていた芋銭の一言で、院展に初めて出品したのだそう)と親しかったというから、なんだかわかるような気がする。

所蔵品検索してみると福島県立美術館には多くの所蔵品がある。もし三良展が開催されたらまた来なくては。

 

 

それから、遠目にも神秘的な精気を放つ、山口華楊(1899~1984)「畑」1925


26歳の作。
画像だとよく見えないけれど、マメ、とうもろこし、なす、西瓜、鶏頭、ペンペングサ。実ものの野菜はこんなに神秘的で魅力的。
マメの花やなすの花にはとくに見入ってしまった。凄みがあるほどの写実だけれど、輪郭はそっとぼかされている。


 速水御舟は、妻を描いた「女二題」の、”その壱”と”その弐”(1931)


以前に世田谷美術館の御舟展で見た記憶があるけれど、これもこちらの所蔵でしたか。
御舟が見つめ抜いた花や皿といったモチーフと同じ観察眼でもって、妻をモデルに画に挑んでいる。
少ししか見たことがないのだけど、御舟の人物は、いつも実験と模索の過程にあるように見える。(人物に限らないか。。)
身づくろいをする姿態、手の動き、なにより、床に座った腰から脚つきのラインと肉感に、御舟の興味は多く集中している気が。
このあと、「花の傍」1932では西洋の椅子に座った女性を描いているけれど、もはや御舟の意図は別のところに移っている。

御舟の「晩秋の桜」1928 は、小枝まですべて写し取ったのではと思うほど。地を活かした墨のみの作品。



中島清之(1899~1989)「胡瓜」1923 も印象的。葉の質感やしわ、立体感、手触りまで写実を極めて、一時の御舟かと思うような執拗さ。

他にも、山本丘人(1900~1986)「月夜の噴煙」1962、 池田遥邨「大漁」、 再会した安田靫彦「茶室」、 小茂田青樹「薫房」1927 も心に残る作。
 


 後ろ髪をひかれる思いで美術館を後にしましたが、西洋画の部屋にはワイエスが4点展示されていたのに‥。もっと時間をのこしておくべきだった涙。


福島駅の構内に桃の花が咲いていました。ほんものです。

帰りの新幹線のおやつは、福島駅で買った桜あんのゆべし。

これとってもおいしい!!。箱ごと買ってくればよかった。

 


●たばこと塩の博物館「江戸の園芸熱」

2019-03-10 | Art
    
 
 
 
 
 
 
 
たばこと塩の博物館へ。渋谷から移転してからはじめて。
 
 
植木選びにわくわくしているおかみさんたち、花見でうきうきしているファミリー。
今回の浮世絵はとにかくみんなニコニコしているので、見終わってほのぼのしました。
 
 
今でもガーデニングやフラワーアレンジメントやお花見は不動の人気だけれど、江戸の庶民はそれこそ園芸に「熱中」していたしい。
18世紀、徳川吉宗の植樹政策により、江戸のお花見名所が一気に増えた。
植木鉢が普及したのは18世紀半ばのことだそう。そうするとお庭が持てない庶民の間にも園芸が流行し、草花の鉢植が、浮世絵にも描かれるようになる。
 
歌麿、国貞、渓斎英泉、国芳、広重、豊国。。ほかその名前をしらない絵師のも、前後期合わせて200点余の浮世絵版画が並ぶ。
 
なかでも豊国は花がとても美しかった。豊国もそうとう花好きだったんじゃないかな。
 
 
 
一章は「身の回りの園芸」
植木鉢が庶民の暮らしの端々に溶け込んでいる。
 
個人的に惹かれるのが、天秤棒に鉢植えを乗せて売り歩く、植木の物売り。「振り売り」というのだそう。今とは比べ物にならないくらいたくさんの職業があった時代。。
たくさんの振り売りが描かれていたけれど、どの振り売りも多分、かっこいいおにいさんとして描かれている。人気歌舞伎役者が振り売りに扮して描いたものもある。
 
「夏の夕くれ」(歌川国芳)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
真剣に選ぶ奥さんと、キメポーズの振り売りさん‥
 
植木鉢が粋だった。19世紀には植木鉢の模様も細かいのが売られるようになったそう。
白地に青い染付の、丸型、角型さまざま。とくに青と白のストライプのものがかっこいい。
 
 
中国風の山水や花鳥の模様も。会場では、瀬戸や備前の実物も展示。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
なでしこもかわいい。
 
 
それにしても、花もいろいろ。椿、万年青、梅、菊、朝顔などの他、さぼてんや蘇鉄など南方系のものも。寄せ植えもある。ふくじゅそうはお正月用のものらしい。
 
当時は、街やお寺の境内などあちこちで、植木の縁日が開催されていたのだそう。浅草の雷門わきでは常設の植木屋があったそうだし、茅場町では月に二回もあったとか。そういえば今でも浅草寺や靖国神社で植木市を見かけたような。
 
日常に花がとけこんでいる。
化粧をする美人の横には梅の鉢植え。歯磨きをする美人の目線の先には朝顔。テッセンもある。
二階の物干し台(ちょっと築年数たった昭和の家と全く変わらない造り(!))にも花菖蒲の鉢植え。
銭湯帰りにも、振り売りの植木を品定めする母親。
 
手入れの様子が描かれているのもある。
支柱をたてて、紙の花受けや、針金の輪台を入れたり。
 
おや、魚屋北渓の浮世絵には、植木屋さん二人が鉢に腐食止めを塗っている。美人でも役者絵でもヒーローでもない、ふつうのおじさんたちを描く浮世絵もあるのね。ひねりがきいた体勢が生き生きしてて、師の北斎を思い出した(この日は、六本木の北斎展からはしごしてきたからか)。
 
 
へんなところが気になるのだけど、はしばしに描かれている、じょうろがいろいろあって興味深い。
注ぎ口だけのものがあったけど、どうするのかな?
竹にくちをさしたものはうまく作ってあるなあ。(ヘタなメモ絵)
 
 
 
子供向けの「おもちゃ絵」も楽しい。
「新板植木のはんじもの」歌川芳藤 はとくにお気に入り。
絵で花の名前を当てるナゾナゾのようなもので、絵が脱力系
例えば、
鶴がほうきを持って掃きそうじをしている絵→つばき
顔が鯵になっているおかみさん→あじさい(鯵妻)
炎を背中にしょってるハト→ヒバ
絵ハガキがなかったのが残念!
 
 
 
2章は、見に行く花々
当時は花の名所と時期のガイドブックも出るほどで、百花園、亀戸天神、亀戸梅屋敷、などが人気。花のテーマパークだった浅草の花やしきができたのは、1853年。
 
感動的なのが、菊人形。今でもあるけど、象に仕立てるのはあっぱれ!
 
菊細工ブームは二回あり、19世紀初期と、その後後半には再びの大ブームに。巣鴨や駒込で人気を博したそう。
 
国芳「百種接分菊」はびっくり。一本の菊に百種類の菊を挿し木して咲かせている。見物人が珍しそうに釘付けになっている。
 
 
3章は、役者と園芸。
 
歌舞伎でも植木売りが登場したり、浮世絵にも描かれている。
 
 
三代目尾上菊五郎は、園芸愛が高じて、植木屋ごと買い取り別邸にしたとか。後年その別宅を担保に借りた550両の証文が展示されていた(笑)。使途は不明だそう。
この別宅に当時の名優7代目団十郎が訪れたことが、浮世絵に描かれている。雪の庭で、菊五郎は龍の模様の着物、団十郎はコート?のようなものを羽織り、どちらも相当おしゃれ。
 
 
変顔朝顔の流行についても、展示。これもブームは二回、文化文政のころと、嘉永安政のころ。
田崎早雲が描いた変顔朝顔の画が迫真。もはや朝顔とは思えない変顔ぶり。旗本たちの間でも研究会があったそう。
 
ケースを見下ろす展示が多かったので、すっかり首がこってしまったけれど、花を愛でて、楽しい時間でした。
 
 
煙草の階、塩の階も、とても充実していた。
 
移転前よりマニアック度は減ったような気もするけれど、メソアメリカの遺跡が迎えてくれたり、大航海時代の魔物が棲む世界地図がひそかに楽しかったりと、見どころたっぷり。
     
    
 
和田三造、堂本印象、杉浦非水のたばこのパッケージデザインも。
    
 
    
 
    
 
    
 
  
  
    
    
    
    
 

●野間記念館「四季の彩りと趣き 十二ヶ月図」

2019-03-03 | Art

野間記念館「四季の彩りと趣き 十二ヶ月図展」

2019年1月12日(土) ~ 3月3日(日)

    

野間記念館はいつも奥の部屋は色紙の部屋だけれど、今回は全ての部屋が十二か月セットの色紙で埋めつくされている。

小さな作品とはいえ、41名×12枚=492点。好きな作家を優先して見たけれど、それでも時間が足りなくなってしまった。

色紙の小さな画面でも、その画家の大きな絵で見る世界が凝縮されている。

日本画っていいなと改めて思う。花一輪でも気が漂い、枝一本で季節が広がる。描きこまない背景にもその空気感が漂う。

画家の目によって小さく切り取られたそれで、鈍感な自分だったら気付かないであろう季節の移り変わりを、まるで自分が気付いたかのように見て、喜ばしくなる。

むしろ、自分の中の季節感というのは、こうやって古今の誰かの描いた画を見て自分の中に浸透したイメージと、自分が実際に見た自然の記憶とが折り重なってできているのかも。

特に心に残ったものの備忘録。

一章:十二ヶ月図の佳作

~川合玉堂・上村松園・鏑木清方・伊東深水・小茂田青樹・山村耕花・堂本印象・福田平八郎・山口蓬春~

<上村松園>1927年、52歳頃の作。

美人画で張り詰めた究極の線を見ることが多いので、色紙の多少かすれた即興的な線が新鮮に見える。ちょっと洒脱な趣きの12ヶ月。

8月「月見」   美人も足を崩しくつろいだ様子。それでもやっぱり着物がセンスいい。

 

11月「砧」

                       ササっと描いても、はっとするほど美しい目元だった。


12月「降雪」

                  雪見る美人はちらりとお歯黒が見え、なまめかしい目をしている。


そんな美人のあいまに、6月「新竹蛍」ど花鳥だけの画が織り込まれているのも、肩の力の抜き具合がすてき。一枚一枚もいいのだけれど、12枚としても調和がとれているのだった。

   

 


<小茂田青樹>1928 37歳頃の作。

   

見過ごしそうな小さなもの。切り取ったものはシンプルに少しだけなのに、そこから広がる世界はとても広く趣深く。だから次に足が進まないのだった。小さな画面だからこそなのか、色と形と配置、流れ、とてもおもしろくて。

1月「若松」は、金地に、上へと伸びていく小枝の先端の新芽のところもポイント   。6月「梅雨」は、とくにお気に入り。葉の合間に青梅と、それよりもずいぶん小さいカタツムリがかわいいなあ。葉もとてもきれいで、その先端から雨が滴っている。緑と茶色っていいなあ。

7月「百合蝶」は、真っ白な百合に留まる蝶はとても細密に描かれている。8月「玉蜀黍」に巻き付く朝顔が夏の終わりの風情。葉の先端、つるの先端まで良くて、くまなく目が誘われてしまう。9月「葡萄」は豊潤に実った巨峰は、枝のつき方が実はひとひねりある。イメージだけで描いているのではないのだった。10月「稲穂」も、いいなあ。首を垂れた穂にはキリギリスが留まっている。稲の一粒一粒がきちんと描かれていて、これは感謝の念すら浮かんでくる。

小さな景色の中には、さらに小さな発見やできごとに満ちているのだった。

 

 

<堂本印象>1933

墨と着色の作品。墨の作品がとくに心に残る。

1月「老松に瀧」、2月「古松に白梅」、墨の色は大観が使っていたような漆黒の温かみのある黒色で、濃淡も表情豊か。光を印象的に描きだしている。

4月「柳につばめ」、5月「土筆に鳥」、鳥がどれもかわいくて。

   

   

12月「竹林に雪」は、奥行きのある墨の濃淡の背景の上に雪が舞っている。小さなササの葉がいいなあ。風の向きと逆に、低い位置を水平に鳥が飛んでいく。

   

 


<福田平八郎>描かれたものは極めてシンプル。でもいろんな会話が聞こえそう。

1月「ササの雪」は、雪の乗った細い枝がたった二本、9月「芋」はサトイモの葉が一枚だけ。4月「牡丹」はほんのりとてもきれいなピンクの牡丹が一輪だけ。なのになのに(!)。どれもこれだけで、何も描かれない背景の空間に空気まで見える気がするし、5月「金魚」は、二匹の金魚以外は何も描かれていないけれど、それは水中に見えるし、色紙を超えて水槽が広がっているし。二匹の金魚のそれぞれの向きによるのか、金魚の絶妙な大きさによるのか?。

モチーフと空間との遊びにも思えてくるけれど、なんなら8月「朝顔」は、ほんとの遊び心なんだろうか?。青、白、赤の朝顔の花だけが、重ねられ横一列に並んでいる。その色の美しいこと。朝顔の花はもう手折られているけれど、やわらかで瑞々しく、白いところは透けるよう。ガクの緑も楚々とさわやか。

平八郎の色がほんとうに美しかった。11月「柿紅葉」も、茶変した柿の葉を3枚、虫食いの穴まで正確に写し取っている。そのオレンジ色はとてもきれいで、「色」に抱く平八郎の愛情なんだろうか。色が喜んでいる、そんなことを思ったり。

 

2章:四季の彩り~花鳥画

徳岡神泉、上村松篁、山口華楊、石崎光瑶、山川秀峰、木村武山、橋本静水、郷倉千靭、田中青坪、榊原紫峰、木島桜谷、宇田荻邨、池上秀畝、荒木十畝、

 

<石崎光瑶>1928 ここで見られるとは(嬉)。金沢で屏風や掛け軸の大作に見た、琳派と写実を”熱く”融合したような感じが色紙にぎゅっと。

5月「芥子」は赤白の妖艶なケシの花。6月「つる花」は、ミクロ的にうすいレースのような珍しい花。インドで見たのかな?。葉は光瑶独特のたらしこみ。10月「粟」はよく実って首を垂れた穂に、これも葉が独創的。葉の表面に偶然の産物のように水の軌跡を見る。

写実的な花に、葉のたらしこみの偶然が混じりこんで、不思議な感じでもあり、一作一作が神秘的な一瞬の光景のようだった。

 

<郷倉千靫>1931 どことなく無常感の漂う12ヶ月。

8月「かひで」は青楓に赤い種がつき、輪廻の輪のように描かれている。蝉もいるからいっそうそう思うのかな。3月「豆花」は特にお気に入り。つるの先端が生気を吐き、カミキリムシがいる。背景の薄墨のせいか、やっぱりこれも輪廻の輪の中にいることを見ているような気がする。

 

<木島桜谷>動物たちが、桜谷の大きな作品と同じようにまるで生きているかのように、小さな色紙に再現されているのに感嘆。

トラは咆哮し、キツネの目は鋭くヒール感たっぷり。かすれた勢いある筆でさっとひいたわずかな枯れ草だけで、野の雰囲気そのものになっていた。一作一作の自然と動物の切り取り方が迫力で、抒情なんて甘いものではなく、ぐいぐい訴えてくる。

筆にも見惚れてしまう。「藤」の蜂は、羽ばたきが見えるほど。秋の「鶉」「百舌鳥」は、ざっと描いた枯葉がかっこよくて。

動物だけでなく植物を描いても、桜谷はドラマティック。「柘榴」のひび割れに妙に見惚れてしまう。「菖蒲」の下にはアメンボがいる。桜谷と自然との距離が近く、ほとんど鼻つきあわしている位置にいる。

圧巻だった。

 

<山口華楊>1928

院体画のような気が漂っている。動物を神秘的に描く華楊だけれど、花も神秘的なほどに美しかった。いや、葉まで美しい。一輪、一枝、一羽は華楊が描くと特別な命を吹き込まれたように表情豊か。なのに、たまに微妙にかわいかったり。語彙がなく苦しいけど、12枚すべてうっとり。

1月「稚松四十雀」、松葉数本を四十雀がつかんだ瞬間。

2月「八重椿」白い椿がはっとするほど美しい。葉は裏まで美しい。表は墨、裏側は白緑で、両方で作り出す光景。

3月「桃花燕」一つ一つのつぼみがかわいい。鳥も細密。

4月「青麦」数本描いていあるだけなのだけど、何とも言えずよくて。

 5月「さつき子雀」一枝のさつきを見上げて地面に立つ小さな雀。両者の間合いが絶妙で、間の空気感までうっとり。

6月「若鮎」鮎と青梅がひとつころんと。それで独特の間合い。

8月「瓜きりぎりす」キリギリスの目おちゃめ。足の出方が不思議なのはなぜ?

10月「柿に栗」大きな柿の実ひとつに、イガイガの栗が一個、栗の実が一個。イガイガの細い線がファンタジー。栗の実もころんとかわいい。目が遊ぶ。

11月「山茶花」花が1輪とつぼみが、下から。ため息がでるような神秘的な美しさ

12月「寒雀」目がかわいい。ちょっとキョエちゃんみたい😊

 

 

3章:美人画、歴史画

窯本一洋、山川秀峰、生田花朝女、北野恒富、木谷千種、鴨下晁湖、中村大三郎、伊藤小坡、吉村忠夫、 勝田哲

<伊藤小坡>は楚々とした女性たち。しぐさの細やかさが印象的。

<木谷千種>の美人画は妖艶。この妖しげな目線が12ヶ月。。

<中村大三郎>美人の着物の柄に題の花があしらわれている。洒脱な美人たちの目線が魅力的。色もきれいだった。6月「星」は星の模様の着物。11月「菊桐」は菊児童、12月「雪玉」は雪女?赤い唇が印象的。

 

ゆっくり見られなかったけれど、他にも初めて知る画家が印象的だった。

<松本一洋>古い絵巻を見ているよう。

<生田花朝女>おおらかでどこか童心を保ったような。祭りや踊りの作品は、古い風俗絵巻のよう。何月だったか、空を仰いで手を伸ばす子供たちが印象的。

 *

いつのまにか逆回りで見ていて、大大好きな二人、<上村松篁><徳岡神泉>が最後になってしまい、閉館間際になってしまった(泣)。しかもどちらも永遠に見ていたいほど、美しく神秘的だったのだ。

松篁は、多くはたった一輪。画面の上下左右斜め、いろいろなところから顔を出してくる。3月「菜の花」、9月「つゆ草」(虫もいる)、10月「菊」(ごく薄い墨)、12月「白山茶花」などとくにお気に入り。神秘的でもあり、ほっこりもする。

 

徳岡神泉は、私の雑多な言葉じゃ表せない世界。霊的なほど美しい。

10月「菊花」

   

 

8月「睡蓮に糸蜻蛉」

   

   

 

この二人だけでも、もう一度ゆっくり見に行きたい。。。

 


ちさかあや「狂斎」原画展

2019-02-10 | 
銀座SIXの蔦屋書店で、ちさかあや「狂斎」の原画が展示されていました。(213日まで)
 
 
 
 
 
 

半月ほど前に、何年かぶりに買ったコミック。新刊発売を待って買うなんて、高校のとき以来かも。
今はもう初版は売り切れで、もうすぐ重版されるそうです。

 
ちょうど、先日にサントリー美術館「暁斎展」を見たあとで、暁斎の狩野派仕込みの筆致の強さを実感していたところ。
なので、ちさかあやさんの描く暁斎の「狂」斎ぶりも感慨深いものがあります。
ちさかあやさんの強い筆致も、濃い墨と筆を思わせて、暁斎に重なります。
 
 
コミックの「狂斎」の血染めの着物シーンも衝撃だったけど、暁斎展では、処刑場を精緻に描いた羽織の実物が展示されていました。

暁斎は、処刑され、朽ち果てゆく人体の各段階を実際に見てきたかのように、まんじりと描き記していました。言葉で描写するのもはばかれるほどなので、ここまでに。

図録の解説では、この着物は、注文品とのこと。いったいどういう注文主??

暁斎の狂気も感じつつ、この羽織で暁斎はしっかり九相図の学習と狩野派の筆法などをアピールしているそう。

狩野との生涯の付き合い、古画の学習、毎日描いていた仏画、たくさんの画帖、模本の収集など、暁斎の実直な面も感じる展覧会でした。


脱線しましたが、コミックのほう、狂気あふれる「狂斎」で好きなシーンがあります。無骨な風体の櫛作りの男を、狂斎は「あんた、きれいだな、、」と言う。そして男の周りに華麗な花をしょって見えている。


強者弱者の逆転、美醜の逆転、愛らしい妖怪たち、そういう絵を描いた暁斎ならでは。


暁斎と鈴木其一の娘との結婚もずっと気になってきたことなのだけど、コミックでは其一も娘も登場。

史実では早逝してしまうようですが、次巻でどう展開していくか楽しみなところです。


暁斎展の日記も改めて。


●ぎゃらりい秋華洞「トリを描く トリを愛でる」

2019-02-06 | Art

しばらく日記の投稿ができないでいた間に、スマホ版のレイアウトが変わっていたのですね。

例によって会期も終わってしまったのだけれど、銀座のギャラリーの備忘録です。

ぎゃらりい秋華洞「トリを描く トリを愛でる」

2019125日(金)~23日(日)

伊藤若冲、歌川広重、竹内栖鳳、川村清雄、川合玉堂、小原古邨(祥邨)、榊原紫峰、宋紫石、石崎光搖らの鳥画題。

おめでたい吉祥画題の鳥たち、ほっこり平和な気持ちになってきました。

一部(若冲、栖鳳)を除いて、写真を撮らせていただけました。購入もできます。

若冲は水墨が二点。彩色の画ももちろんだけど、若冲の水墨の作品がとくに好きなので、嬉しい。

若冲は日本でも稀代の水墨画家じゃないかと見るたび思う。

掛け軸の鶴と鶏。身体はまるや三角に昇華されちゃって、顔は、「!」なびっくり目。ユーモアとシンプルを極め、一気呵成に描き上げたように見えて、実はとても丁寧。いく段階かの濃淡の墨を重ね、私が気付く限りでも繊細な技のオンパレード。

俵に乗っている鶏(上の画像、部分))も、樽の木組みは見事な筋目描き。鶏の首まわり?の輪郭は、薄墨の上に短いはらいを続けて形取っていて。今まさに樽に飛び乗った鶏の羽毛の揺れが見える。尾の濃墨の強く太いかすれも、勢いよい動きを。若冲、どれだけ動体視力いいんだろう。

コンマ数秒の瞬時の動きを、二次元の絵に動画のように再現している。200年前という気がしなくて、いつでも先端を走っているような鳥たちだった。

 

その若冲の鶏の向かいに、石崎光搖(18841947)の「双鶏」というステキな配置

 

琳派を学び、19歳で竹内栖鳳に入門。動植綵絵を見て若冲に私淑。教え子の知らせで清福寺の「仙人掌群鶏図」を発見した。

 光搖のこの鶏の目も、仙人掌群鶏図鶏のごとき鋭い気迫。 極彩色だけど、彩色は独特。富山で見た、インド帰国後の「熱国妍春」や「燦雨」のなかにあったような朱や白は、若冲とは違う光搖の独特な鮮烈さ。若冲も光搖も、無防備なほどに自然に感応して、激しい絵を描く。

 

そのお隣には、若冲も影響を受けた南蘋派が並ぶ。宋紫石(右)の鶏と、田能村直入(左)のウズラ。この鳥たちも目が鋭い。

田能村直入、どこを重箱の隅をつつくように見ても気をぬくとこなく、彩色も線描きも、きっちりと細密。おもわず気持ちが張り詰めてしまう。うずらはなにかをついばもうとし、樹の上の鳥も実を食べるために枝を移ろうとしている。

お、鳳仙花だ。薄く木漏れ日の届く地面まできちんと点描で表現している。

解説では、ウズラは「ごきっちょう(御吉兆)」と鳴くので縁起がいいとされたのだそう。

直入は、酒もたばこもせず、規則を重んじ、一度に五百羅漢を描き上げたこともある、質実剛健、根気の画家、とのこと。この絵からも、深く納得。。

 

直入に学んだのが川村清雄。石崎光瑶に続いて、またまた嬉しい。

日本画のギャラリーで油彩の清雄。でも清雄の画題は、日本のものが多く、この絵も「洋画」とも思えない。油彩だけれど、日本の気骨、サムライスピリット。

しゅっと勢いある筆は、水墨のよう。木目が水面の波紋となっている。真っ黒な水面とは。木目がよく見えるけれど、それだけではない、なんだかかっこいい。

この人の油彩は、見るたび魅力的(中村屋サロン美術館の日記、三の丸尚蔵館の日記、東博の日記)。旗本の家に生まれ、8歳で奥絵師の住吉派に学び、10歳で大阪奉行に任じられた祖父とともに大阪に移り、田能村直入に学ぶ。江戸に戻り春木南溟に、さらに川上冬崖に油彩をまなび、アメリカ、ヨーロッパを経て、6年間ヴェネツィアの美学校で過ごした。

日本の美術史の本流では語られない人に魅力的な人が多いこと。

 

竹内栖鳳の二点では、「早鶯」(上の画像の若冲の鶏のお隣にいる)がとくに好きな作品。墨でさっとかいたからだに、脚とくちばしだけにわずかに色を使っている。ささっと描かれて生まれた鶯がなんともかわいくて。

最後は、小原古邨、広重などの版画、榊原紫峰なども拝見して、楽しい時間でした。


●京都国立博物館:渡辺始興、干支コーナー

2019-01-27 | このブログについて

関西に行く用があったので、京都で途中下車。

4時間ちょっとしかないので、京博と建仁寺へ行くことにしました。

京博は、1月27日まで公開されている渡辺始興の襖絵と干支特集の部屋だけに絞って、他の部屋では足を止めないことを決意。誘惑のなかでこれは苦行に近いものがあります。

建仁寺は、「京の冬の旅 非公開文化財特別公開」のうち、建仁寺塔頭の正伝栄源院で狩野山楽の障壁画を。

という弾丸プチトリップを試みました。

京都国立博物館

京博は、特別展じゃないので撮影可かと思っていましたが、東博と違ってこちらは不可なのですね。

 *

まず京博の干支企画。

全11点と、小ぶりな展示ですが、あれもこれもとお気に入りの作品だらけ。東博と関連する作品もいくつかありました。

ここでも望月玉泉のいのしし登場。東博のイノシシは眠っていたけれど、こちらはうりぼう。

花卉鳥獣図巻 国井応文・望月玉泉筆(部分)

応文が鳥、玉泉が獣を担当した図巻。画像では切れているけれど、手を口に当てて笑っているようなクロクマもいた。ちょっと怖そうなくろやぎについていくうりぼう。草をはむのほほんとしたしろやぎ。毛並みまで細密に冴え冴えと描かれていながら、なんとなくほのぼの感が漂っている。イノシシは秋の季語で、リンドウ、つゆ草、秋牡丹、萩の秋の花とともに。玉泉は花も美しい。

 

森狙仙は、深い銀世界のなかの動物たち。さるはもちろん、鹿、イノシシ、雀もかわいくて、寒いけど楽しい。

雪中三獣図襖 森狙仙筆 京都・廣誠院

 ふかふかのサルの毛並みに比べ、イノシシの毛は硬そうな。毛の手触りも伝わるのはもちろんのこと、外隈で現した雪までもしっとり濃厚な質感まで手に感じてしまう。鹿の毛並みも惚れ惚れするほどで、白い斑点は地を塗り残してある。

 

東博で、"狸vs.十二支動物軍"の戦いの絵巻が展示されているけれど、その発端が描かれた絵巻があった。東博で「狸が恥をかかされた」とあったのは、歌合わせの席でのことだったのだ。

重文 十二類絵巻

皆りっぱに盛装している。着物の柄も気を使って、イノシシは秋らしい萩の模様の着物。職業絵師によるものとのこと。

 

サロメのイノシシ版?と思ったら、狩野山雪の筆。中国にイノシシの頭を好んで食べる「猪頭和尚」がいたそうな。

猪頭像 狩野山雪筆

中国では干支の猪というとブタのことだそうなので、豚の頭をもって伝わったのだろうけれど、これはどちらかな?。蛭子和尚らと三幅対だったと考えられるそう。達観した感のある面相。衣文線は、強く勢いをもってかすれつつも、おおらかさを含むように思った。

 

新羅十二支像護石拓本のうち亥像

西遊記に仲間入りさせてあげたいキュートな彼は、お墓の護石のレリーフ。

 

渡辺始興(1683~1755)のコーナー

江戸中期の京の絵師は、応挙、大雅、若冲と個性的な面々ぞろい。始興は、彼らの前、光琳のあとと、ちょうどはざまに活躍した。

応挙、大雅、若冲は見る機会も多いけれど、始興はたまに一点ずつみる機会がある程度。今回は4点まとめて展示されてる貴重な機会。

これまでの日記に検索をかけてみると、何度か登場している(・畠山美術館「四季花木図屏風」、・岡田美術館「松竹梅群鶴図屏風」「渓上遊亀図」、・東博「春日権現縁起絵巻 陽明文庫本」、・東博「吉野山図屏風」、・根津美術館「梅下寿老人図」、・三井記念美術館「鳥類真写図鑑」)。見るたびに、始興の違った面を知らされてきたのだった。

狩野派を学び、乾山と交流があり、近衛家煕の命で写実からやまと絵まで幅広い画風をこなした始興。今回の4作品に、それら全ての画風が入っていた。

「四季耕作図屏風」、やまと絵のような鮮やかな色彩で細密に描かれた耕作図。中国の風俗ではなく、日本の四季と人物が描かれている。人も動物も生き生き、行動に細やかな設定がされている。「春日権現縁起絵巻」の復元絵巻を3年かけてあれほどにすばらしく描き切れるのだから、始興にはこれくらいは苦でもないだろうか。着物の柄や店の商品まで緻密。それにしても庶民の暮らしをよく観察している。

《右隻》には爽やかな春夏の風景。街では、神楽、茶店、草履売りなど。店の奥では赤い針刺しの前で女性が着物か何か縫物をしている。農村では、牛で田おこしをしたり、子どもも天秤棒を担いで苗を運んでいる。あぜ道では火をおこしてお茶タイム。お社やつばめまで、芸が細かい。

《左隻》は稲刈り。綿の摘み取りも行われていて、名主さんの屋敷に積まれた白い綿のなかに猫がまみれている。普請に来た役人や、建築中の家の大工など、ひとの様子も細かい。渡辺崋山の耕作図にもあった脱穀機?は、”唐箕”といい目新しいものだそう。

 

松に百合図襖(霊屋障壁画)(部分) 奈良興福院は多様な画風が併用されている。松は狩野派、写実的な百合、波の意匠は光琳風。でもどの画風にもとくに引っ張られることなく、全体として始興の世界になっている。始興の世界といってもわずかしか見ていないのだけれど、吉野山図屏風のようにリズムに富んで明晰な感じが始興らしい。

おおいかぶさるような松の大木の下に、小さな百合が負けていないのが印象的。花鳥や風が会話をするような抒情的な風ではないのだけど、各々内在するエネルギーを放っている。

 

四季草花図屏風力強い抑揚のある線と鮮やかな彩色で描かれた草花。これもいろんな要素が取り込まれている。特に個人的に興味深いのは、樹の幹が水墨で描かれ、おおらかで自由な省筆が、たしかに狩野尚信を思わせるものであること。尚信好きとしてはうれしい。尚信は近衛家煕が高く評価していたそう。そして桐の幹や菊の葉などはたらしこみ。これは宗達風で、ゆったりおおらかな感じ。ウコンは、家煕が親密にしていた島津家由来のものでは、とのこと。写実的に細密に描かれた花々は、其一を思い出す、じっとりとした存在感。といって、マニエリズムというほどではない。金と銀の砂子や切箔の美しい背景は琳派風か。地が雲がゆらめくようで美しかった。

 

竹雀図屏風 文化庁解説では、これは「浜松図屏風」の裏面であったもので、雀は応挙につながる要素が見受けられるとのこと。

竹のカサカサした皮?まで写実的。荒い筆致ながら雀も的確で動きに満ちている。筆の勢いあるはらいで、鳥の羽ばたきのスピードが見える。紙の継ぎ目が見え、これは立てて描いたのだろうか?丘の部分の薄墨がかすかに垂れている。細やかな写実なのに、全体として即興で描いたのではと思うスピード感。こんな一面もあるとは。

 

4作品に、それぞれ違う始興が見える。職人としての凄み。さまざまな影響・要素を垣間見せつつ、それらは始興の感性にとりこまれ、どの流派でもない始興独特の絵画となっている。人間味ある風俗も描くけれども、過多な詩情は盛らず、明晰。自然を冷静に見つめた、始興独特のリアリズムなんだろうか。

始興ってどんな人だったのか、全貌はやっぱりつかめない。特定できる始興の作品も、文献に登場するのも、家煕に仕えるようになってからのことらしい。それまではどんな絵を描いていたのだろう。

どこかで「渡辺始興展」を開催してくれないかな。

 *

そのほか、足を止めてはならぬと誓っていたのにつかまってしまった品々。

塩川文麟の雪の日の空気の色につかまる。

平等院雪景図屏風 塩川文麟筆

解説には、和歌のイメージのを絵画化し、円山四条派仕込みの空間把握、描法による実感に富んだ景観描写と。

金や銀砂子で表された、しんしんと重い空気。でもどこかふわりと平等院とまわりの風景を包む。凍てつく水の色もなんともいいなあ。芝舟や船頭の笠にも積もっている。文麟の弟子・「幸野楳嶺が伝えたこと」展(岡山竹喬美術館)にも文麟の作品も展示されているようなので、ますます行きたくなる。

 

花鳥蒔絵螺鈿角徳利及び櫃17世紀大航海時代、西洋人のために日本で造られた葡萄酒用のとっくり。注ぎ口のねじを切る技術は、ポルトガル人の小銃から学んだとのこと。

 

捻梅蒔絵野弁当(ねじりうめまきえのべんとう)は、ドット模様に散らされたねじりうめがかわいらしく、現代でも人気の出そうなお弁当箱。

 

厳島縁起絵巻は、マーカーのような赤い着色の味のある絵も印象的だけど、ストーリーに目が点。かつての東海テレビの昼ドラマになりそうな愛憎うずまく展開に、これが霊験あらたかな神社の縁起とは。。

天竺のせんさい王と妻・あしひきの宮はそろって美貌。せんさい王の父王の妃たちはあしひきの宮に嫉妬し、あれこれ陰湿な嫁いびりをする。人形を埋めて呪詛するシーンなどは、等身大の人形を二人がかりで運んで地中の穴に入れていて、もはや刑事事件レベル。妃たちの企みで薬草を取りに出されたせんさい王が鬼たちから草を受け取るシーンは、鬼たちのかわいいこと。と思っていたら、そのあいだに、妃たちは宮と若い男との不義密通をでっちあげ、なんと宮は斬首。宮が連行されるシーンは気の毒で。宮は死の間際に男の子を生み落とす。せんさい王は愛と執念で、山中で生きていたその子を見つけ出し、紆余曲折あって、父子協力のもとに、宮の蘇生に成功し、親子三人幸せに暮らす。。。

が、そのあとにまだ続きが。。せんさい王~~~っ怒

 

狩野元信「浄瓶踢倒図」サントリー美術館の元信展以来の再会。

瓶をけって立ち去る霊裕の気骨ある表情と、ぽかんとした百丈の顔が見もの。手前の善覚だけは、そんな霊裕を理解しているような顔。さわさわとした葉の流れとまんなかの絶妙な余白が、この想定外の出来事の間合いを演出している。ササや小枝の柔らかでハリのある筆使いは、腕と筆が一体になったようで、ほれぼれ。

 

他には、慧可断臂図豊干図、などもあったけれど、横目に見ながら、建仁寺へ。続く。

 


●東博2 18室から浅井忠、古径、青邨

2019-01-20 | このブログについて

年が明けて最初の美術館は、東博の常設。

東博の空は広い

だんだん閃光めいてきた

18室

この日は、浅井忠(1859~1907)のプチ特集。7点のうち4点は、高野時次のコレクションからの寄贈。高野時次は 名古屋にあった高野精密工業株式会社(現・リコーエレメックス株式会社)の社長。

明治の巨匠と知ってはいても、まとめてみるのは初めて。今回は1900~02年にフランスに留学する前までの初期の作と、留学中の作品。留学前とあとでは大きく画風が変わっている。

留学する前の作品がとくに心に残る。技巧的なことはよくわからないけれど、油彩の重さが、日本の風景、さほど明るくない色調とうまくあわさっているような。100年前の風景を見ているという自分の心情が、無意識に作用しているのかもしれない。

田舎家炉辺  1887年

惹かれる作品なのだけど、映り込みで良く見えなかったのが大変残念。どう角度を変えても、後ろの展示物の鏡となり果て...涙。予算は限られていると思うけれど、なんとかならないものだろうか...

 

(重文)春畝  1888年

中心になって創設した明治美術会の第一回出品作。人物は写真からの引用とのこと。

 

房総御宿海岸 1899

かすかに人が見える。簡素な村の自然な情景。

昔ある画家がフランス留学から一時帰国して描いた自宅付近の風景画を見て、洋皿にフォークとナイフで秋刀魚の塩焼きを食しているような不思議な感覚を覚えたことがあったけれど(それがまた忘れられない絵になっているのだった)、 これらの絵にはそんな感じはしなかった。

浅井忠は、1876~78年にかけて工部美術学校でフォンタネージに学ぶ。小山正太郎、山下りんなど、フォンタネージに学んだ明治初期の画家には心に残る人が多い。日本の油彩画についてよく知らないけど、フランス帰りの外光派が幅を利かせる前に活躍した油彩画家の作品は個人的に魅力的。

 

留学中の作品は、うってかわって、まさにフランスの洋画という感。真摯な学びの日々だったのでしょう。

でも深く情感のある静かさは変わらないのかもしれない。

ちょうど今ヤマザキマザック美術館で「アール・ヌーヴォーの伝道師 浅井忠と近代デザイン」を開催中。

工芸で印象深かったもの。シカゴコロンブス博出品作は力の入ったものばかり。

「銅蟹蛙貼付蝋燭立 」百瀬惣右衛門 1873年

枯れた蓮にうごめく生命がなんとも。ガレのような。台にはしっかりと種が表現されている。

 

雪中南天樹鵯図額  正阿弥勝義作 1892 は刀工らしい細やかさ。

 

猿猴弄蟷螂図額 香川勝広1892

毛、指先の皮膚まで細密なこと。小さくても目線の強さまでしっかり伝わる。

 

戸張弧雁。ネコって時々液体になるよね。でも骨格と肉感はしっかり、

 

海士玉採図石菖鉢 山尾侶之1873 

好きな作品に再会。真横から見ると、一匹だけぶら下がっている兎がいる。

 

人長舞図花瓶 紹美栄祐作 

火。人の写実、立体、陰影、どこか怖いくらい

 

遠目からはく製かとおもった、森川杜園作の鹿 1892

鹿って雄々しくも、どうしてこう抒情的な表情をするんだろう。

せっかくなので、向こうの青邨の獅子とともに。堂々たるコラボ。

 

ご退位や年頭の御挨拶など、陛下のお席のうしろになにかと青邨(1885~1977)の獅子図が映る最近。私があの実物を見られることはないだろうけれど、山種美術館に続いて、ここでも青邨の獅子を見ることができた。

ユーモラスなものと神的なものを併存させることが叶うのが、日本の美術のすばらしいところだろうか。ぐいぐいくるこの存在感とまるみ。

「唐獅子」20世紀 大正時代 

これが個人蔵とは。しかもこの迫力は後年の作だろうと思ったら、大正期なので少なくとも41歳までの作。

3頭の表情がすばらしい。父母と、一人前になった息子かな?

この線に見惚れきってしまう。

線を塗りのこしたところや、薄墨の線のうえに、たらしこみ。透明感すら感じ、獅子の存在の神秘性が見えるような。

一本の線で、重量感、神的なもの、ふくよかさ、肉感、おおらかさ、すべてを表す。全ての線がなくてはならないものであり、余計な一本はない。

しっぽもいいなあ。青は透明でクール、赤はまるで火のような。

新年そうそう、爽快な気分になれました。

青邨は、絵巻もおおらか。そしてこちらの線も見もの。青邨は絵巻のほぼすべてのものを、多種多様な長短の「線」だけで描き上げている。

「朝鮮の巻」1915  巻物の左から右へと歩いてゆく人々。のどかな風情。

藁ぶき屋根や瓦ぶき屋根の線のリズムと、人物の洒脱なラインがおもしろい。

おおらかに上から見る目線だけど、細かい描写。韓国の町がにぎわっている。おお韓国ドラマで見る輿だ。担ぎ手の腰が心配になるやつ。

女性たちは棒でせんたくをしているのかな

船着き場の人物が遠く指さすほうへ、さらにその先へ、河をゆうゆうと視線が流れていく。

旅人の気分になれました。

 

青邨とともに渡欧した小林古径(1883~1957)はこの日のお目当ての一つ。今回は渡欧前の作品。

異端(踏絵)」1914 

悲壮感は強調されず、なんというか、インナー世界。蓮の花は美しく、仏画の天上界のような色調。

踏み絵との距離感が、なんとも。3歩先の命運。キリスト像を見つめる3人は、この状態はもはや強制されたものではなく、まさに自分と向き合った極みにいる。

二人目の女性の表情は、おそらくもう自分の中に答えを見出しているのだろう。でもその手は、もしかしたら最後の一片の迷いがあらわれているのか、もしくは今消えようとしているところなんだろうか。

 

3人目の表情からは、はっきりした感情は読み取れない。今まさに自分の心を自らに映しているところなんだろうか?彼女の目と手からしばらく目が離せなくなってしまった。

 

一人目の女性は、信仰心の極みのなかに立ち、自分の心に曇りがないことを自覚し、むしろ信仰の悦びのなかにいるのかもしれない。

当時の女性の立場がどのようなものか知らないけれど、人として意志のもとに自立した存在であり得ているといえる。

彼女たちはきっと自らの意志を全うしたのだ。

そのほか、心に残った作品

富岡鉄斎「二神会舞」1923 90歳の作

アメノウズメと、もう一人は天狗?サルタヒコ?。安田靫彦も描いていた、口を開かないサルタヒコに対し、アメノウズメが胸をあらわにして道案内をさせたという場面かな?

天上界の雲は不思議なエネルギーに満たされている。

 

肉筆浮世絵の二作。

小林永濯「美人愛猫図」にも再会。確か2~3年前にも同じ場所で見た記憶が。興味尽きない永濯だけれど、東博の所蔵は、この作品と「黄石公張良」のみなのかな?。永濯展はまだまだ遠いかな…

 

落合芳幾(1833~1904)「五節句」明治時代19世紀  隅から隅まで見どころ満載。

おとぼけイヌ

四季と富貴の着物の柄の美しいこと。牡丹、なでしこ、菊、あじさい、水墨のような月と梅。

ちさかあや「狂斎」を読んだところなので、登場する芳年の兄弟子と思うと感慨深いものがあったりする。

2に続く

 

 

 

 

 


●東博1「博物館に初もうで イノシシ勢いのある新年」

2019-01-16 | このブログについて

恒例の「博物館に初もうで」の干支特集(2019年1月2日(水)~1月27日(日))

ここ数年の干支特集を振り返ると、猿は猿社会のなかのコミュニティー性、鳥は装飾性、イヌはひとの暮らしの中にとけこんで、、とざっくりそんな概観だった。

さてイノシシは美術の中でどんなキャラクターなのか。

タイトルには「勢い」とある。多くの展示作も、予想を裏切らないイノシシの勇猛な姿だった。そんな絵を通して、日本人の中に猪突猛進なイメージが刷り込まれてきたということなのかな。

イノシシの装飾品は少ないのだそうだけど、その分縄文から、そして多方面からのアプローチだった。こんなとこにも登場していたの、という意外性もあり、楽しい展示だった。

毎年思うのだけれど、猪が主役の大作はもとより、重箱の隅をつつくようなところに小さな猪の絵を見つけ出してくる、東博の学芸員さんたちを尊敬してしまう。

パネルの解説に、日本のイノシシは、まだ大陸と陸続きだった時に渡来し、二ホンイノシシとリュウキュウイノシシがいるとある。

積年の謎だった、中国の干支ではなぜイノシシではなくブタなのかも解決。中国語では猪・亥はブタ(家畜化されたイノシシ)のことだそう。中国では漢時代にはブタの飼育が一般化していた。日本ではイノシシの家畜化は進まなかったのね。

そのようなわけで、1章:イノシシと干支では、中国のブタ製品が並ぶ。多産や財の象徴であるブタに願いを込めて、死者と埋葬された、手のひらサイズのブタたち。

前漢(前2~前1世紀)「灰陶豚」くるんとしたしっぽがすてき。

 

日本では、縄文時代の出土品から展示が始まっていた。

2章:イノシシと人との関わりでは、縄文から弥生時代、古墳時代へと、イノシシと人とのかかわり方から社会形態の変化を示していたのが興味深く。中国と違い、「イノシシ=狩り」という”対野生”の姿勢が一貫している。

縄文時代の土のイノシシは、犬型土製品と組み合わされて出土されることから狩りの成功を祈ったのではとあるけれど、うりぼうにきゅんとして思わず造形しちゃったのでは、と思うかわいさ。子孫繁栄、狩りの安全などさまざまな解釈がなされるらしい。

猪形土製品 青森県つがる市木造亀ヶ岡出土 縄文時代(後~晩期)・前2000~前400年

 

弥生時代では、袈裟襷文銅鐸伝香川県出土 弥生時代(中期)・前2~前1世紀。高床式の建物に、杵でうすをつく様子も描かれ、農耕社会の様相。イノシシはまさに弓矢で狩られるところ。

 亀もかわいい。 

 

古墳時代には、古墳の副葬品の埴輪として。当時の狩猟は、王がおこなう盛大なイベントであったとある。1500年前の人たちも、ブタっぽい鼻と長い顔の形に留意して造っている。

埴輪 矢負いの猪 (伝我孫子市出土)6世紀矢が刺さり、たてがみを建てて興奮するイノシシ

 

 それから一気に時代が進み、3章:仏教のなかのイノシシへ

イノシシが仏教美術のなかにこんなにも溶け込んでいたとは。

ひとつは、金剛界曼荼羅の中に、イノシシの頭を持つ「金剛面天」。ヴィシュヌ神は生類救済のために10の姿で地球に表れ、その第三の化身がヴァラーハ(イノシシ)。

金剛界曼荼羅旧図様  平安時代・12世紀

 

もう一つは、イノシシに乗った「摩利支天」イノシシも摩利支天もこの猛進ぶり。陽炎を神格化した摩利支天は、ゆらめいて捉えられないことから戦国武将に信奉された。

仏画図集 (江戸時代)切れ長の目も、白描で現した毛並みも良いなあ。

 

目貫の摩利支天といのしし。他にも、小柄や脇差しといった武具の装飾にイノシシの突進するモチーフが。

 海野盛寿の目貫の摩利支天 江戸時代(19世紀)両者の眼、猪の毛並み、雲といい、感嘆。

 

北斎漫画のなかの摩利支天のイノシシは、正面向きに突進してくる。思わずよけてしまう。

 

仏教といえば、涅槃図にもいたのだった。うりざね型がかわいい。

仏涅槃図 室町時代(15世紀)(部分)

 

絵巻では、イノシシが主役ではないけれど、十二類合戦絵巻(模本) 下巻狩野養長 江戸時代19世紀に登場。狩野養長(1814~1876)とは初めて聞くけれど、肥後細川藩のお抱え絵師。年末の永青文庫「江戸絵画の美」展にも、養長筆の博物図譜があった。木挽町狩野最後の当主・狩野雅信(勝川院)に師事したらしい。

干支に恥をかかされたタヌキは、十二支軍に戦いを挑み、愛宕山に籠城する。

「殿、門が突破されました」な感じ

「なにっ(狼狽)」的な。

イノシシは十二支軍の先陣を務める。豪胆な感じ。

龍たちの迫力。

最後はタヌキはちょっとかわいそうだったけど、よく頑張りました。

 

「富士の巻狩り」を描いた二つの作品も、大胆な構図に一目でひきこまれる。1193年に源頼朝が開いた大巻き狩り。このときに曽我兄弟の仇討事件が起こったのだった。

岩佐又兵衛周辺の作といわれる「曽我仇討図屏風(右隻)」江戸時代17世紀

さすが又兵衛工房、すばらしいライブ感とスピード感。

 

個人的は動物がとてもかわいいのにくぎ付け。

この絵師の描くウサギはとてもかわいい

白うさも茶色うさもかわいい。

画中には3頭のイノシシが登場。そのうちの巨大イノシシを、新田史郎が殺める。

 

もう一作は明治時代。結城正明「富士の巻き狩り」1897南画のようにうねる山に滑り落ちる富士がどこかシュール。

こちらの動物もひねりがきいてて、逃げ惑う感が。

 

霊獣とすら思わせる大いのししとの死闘。。

 

最後の6章では、博物図譜、京都画壇と、写実的に描かれたイノシシ。

博物図譜では、細川家、伊予大洲藩主に関係するものが展示され、江戸後期の大名たちの博物学への没頭ぶりをここでも感じる。

「諸獣図」江戸時代19世紀細川家の「珍禽奇獣図」との関連が指摘されている。(雌、雄の展示のうちの牝)

表裏のひづめの形状、固そうな毛並み、ボリューム感まで丁寧に再現している。

 

岸連山(1804~59)の「猪図」は、まさに猪突猛進。飛び出してきたスピードを、筆の勢いがそのまま表す。足やひづめ、体躯の墨の濃淡にも見入ってしまう。

 

一方、望月玉泉(1834~1913)の「萩野猪図屏風」江戸~明治時代は眠るイノシシ。「臥猪(ぶすい)」は「撫綏(鎮めて安泰にする)」に通じる天下泰平を願った画題とのこと。それで巨体に似合わず、かわいい顔ですやすや眠っている。

金砂、金泊の背景から、つゆ草や萩までとてもきれいだった。

応挙が、「寝ているイノシシの絵」の注文を受けた話を聞いたことがある。変わった注文主だな?と思ったけれど、そうか吉祥画題だったのね。応挙は、出入りの柴売りの者に、寝ているイノシシを見かけたらすぐ知らせるよう頼んでおいた。すると柴売りから連絡があり、山を案内させて写生をしてきた。しかしその絵を見た、鞍馬山から来た老人が、これは病気のイノシシにそっくりだと感嘆。応挙が気を悪くしていると、なんと、柴売りから、あの翌日に例のイノシシがそこであのまま死んでいたことを聞いた。逆にその写生力にさすが応挙と評判になった、という話。...玉泉のイノシシはさてどちら??。 

 

最後は浮世絵。見立てが楽しい。

葛飾北斎「見立て富士の巻狩」1803

大黒天が打ち出の小づちでしっぽをきろうとする。皆が満面の笑みでとってもごきげん

 

大小暦類聚 1791は、亥年の絵暦をまとめた一冊。さまざまな絵がとりあわされるなかで、これがツボ。

 

仮名手本忠臣蔵にも、イノシシが登場。わき役なのだけど、存在感あって、おもしろい感じになっちゃって。

北斎

 

歌川豊国の「浮繪忠臣蔵・五段目之圖」はイノシシがもっと前面に。

マイペース感がおもしろい

最近は農地や住宅でもイノシシの害が増えていることが時々報道されるけれど、江戸時代にもこんなふうに田畑に出没することがあったのかな?。

 

イノシシの造形は、狩りの対象であるとともに、猪突猛進で大きく手ごわい存在に向ける、どこか神聖視する眼差し。一方で親しみもあり。イノシシの役割は、多彩だった。

来年の干支は、ねずみ。ちょっと苦手な動物。おにぎりころりんや鼠草子のように物語に小さく描かれたのはかわいいけれど、博物図譜みたいにどどんと細密に描かれたのがあったら、逃げだしてしまうかも。

 


1月の森 17時

2019-01-05 | 日記

陽が沈むと寒い。

ところどころに氷が。

風もないので樹が映り込む。

椿の花びらも痛んでしまった。

 

水鳥のばさばさっという羽音にドキッ。甲高く鳴きかう。暗い中でも鳥は活動しているらしい。鳥目は大丈夫なのかな?とか。

落ちるように暗くなっていく

 

民家の灯りがぽつんと。この先が森の出口。

スマホのライトで照らしながら出てきました。

 

夜の森なら ColdPlay - Midnight- (youtube) 

ちょっと木島櫻谷「寒月」を思い出す。