岡田美術館「若冲と蕪村ー江戸時代の画家たち」 2016.9.5~12.18
若冲はもちろん、池大雅と渡辺始興を見たくて箱根へ。
あまり時間がないので、今回は1,2階の青銅器と陶磁器は諦め、4階の企画展コーナーへ。
解説に1716年(享保元年)という年について触れていた。尾形光琳が亡くなり、若冲と蕪村が生まれた年。それから少し遅れて、応挙、呉春、池大雅、長沢蘆雪、曽我蕭白と。江戸も面白いけれど、18世紀の京都はとりわけ面白い画家が乱舞した時代。
一章:若冲の世界
7点のうちほとんどは東京都美術館の若冲展で見ているはずなのに、覚えていなかったりする。
若冲「笠に鶏図」(40代後半?)
若冲の墨だけの作品は、見ると好きになる。極彩色の絵も濃密で詰まった感じがするけど、墨の絵も一瞬静止したみたいな緊迫感だった。若冲の動体視力はカミソリのごとき。それでいて顔がこれ^-^。
超高速進化形コマみたいな笠の波動と、一本足で乗っている鶏の迫力に、鶏といっしょに目を見張ってしまう。
濃墨の尾は、意外に筆の速度が抑えてあるのはどうしてだろう。薄墨の上に濃墨と、二回ひく慎重さ。笠の超高速と鶏の目線に意識が凝縮されるように?。とか浅知恵でいろいろ考えて、時間がもったいなくも過ぎてしまった。
若冲「月に叭々鳥図」のびっくり目もすてき。
月の大きな円、叭々鳥の三角、紙の四角、仙厓の〇△□の禅画を思い出す。相国寺も禅寺でした。
勢いのまま一気に描き上げたように見えたけれど、解説を読むと、細かい技がかしこに仕込まれてある。
・月は微細な光を放っているけど、これは単なる外隈ではなく膨大な横線でシルエットを描き出している。
・尾にも無数の斜め線が引かれている。
・背中の八の字の模様は濃墨の上に胡粉を入れ、さらに薄墨で仕上げる。と。
簡潔に見える水墨にも若冲の緻密さが隠れていたとは。
それにしてもこの背中の模様の魔的な美しさときたら。闇夜の雲間にさす月光のよう。
深遠な感じ。気づけばタイトルにも月とありました。
若冲「三十六歌仙図屏風」1796 食べ物がいっぱい♪
お豆腐田楽がおいしそう。
凡河内躬恒と在原業平がお豆腐を切り、藤原元真と藤原兼輔が串にさす。中務はお味噌をすり(すり鉢が大きい!)、小野小町が焼く。背景にはお豆腐料理の流行があるらしい。
源信明たちはおはぎを作っている。薄墨に濃墨のあんこ感がおいしそう。
他にもタコを担ぐ人、里芋を担ぐ人、シャボン玉で遊ぶ人、ヨーヨーで遊ぶ人(この時代からあったとは)、かくれんぼで琵琶に隠れる人(はみ出している)。伏見人形が歩いていたのもうれしかった。
若冲81才、やりたい放題。流行にも敏感。若冲がおじいさんになるって気がしない。
極彩色の絵もひとり占めで観られた。
「花卉雄鶏図」、「梅花小禽図」は、動植綵絵に同じ取り合わせのものがあるけれど、こちらのほうはわりに余白を残してある。改めて動植綵絵のあのすさまじい密度はなんなのだろうと思う。
「雪中雄鶏図」(40代後半)
解説では、雪面についているの足の爪にだけ胡粉を重ね、雪がかすかに載る様子を表しているとか。言われても肉眼では判別できない。
映画のヒーローみたいに、なめるようにゆっくり登場する鶏。動体視力もすごいのだけれど、逆に数秒を超スロー再生みたいに描き出す時間感覚もすごい。。
極彩色の目玉は、今年83年ぶりに再発見されたという「孔雀鳳凰図」だったのに、一点だけ陶磁器の階に展示してあったため、後で観ようと思って忘れて帰ってしまった(涙)。
二章:光琳から応挙へ
江戸中期は、「旧風革新の時代」とあった。
目当ての渡辺始興(1683~1755)「松竹梅群鶴図屏風」江戸時代中期、18世紀後半
解説の要約:狩野派に学び、光琳に倣う。近衛家熈が絶賛した狩野尚信風の筆墨と、家熈好みの写実の融合。
おそらく晩年の作。
マナ鶴、丹頂鶴、ナベ鶴と三種。羽の墨が見とれるほど。とりわけ着陸しそうなナベ鶴の三段階の黒がきれいで。白い羽の部分は透けるよう。
タケノコの皮が実物そっくり!。根津美術館の応挙のタケノコもそっくりだけど、応挙は始興に影響を受けたそうなので、タケノコには気合入ったのかな。下村観山の絶筆もタケノコだったけど、巨匠はタケノコにひかれるのか?。
渡辺始興では別階に「渓上遊亀図」 江戸時代中期 18世紀もお気に入り。(例によって下手なメモ)
水墨だけど、竹林を淡い光がすり抜けて、渓流の水面がわずかに照らされていた。二匹の亀が岩の上で甲羅干ししていて、空気があったかくて。でもさすがは始興、亀の顔はきっちりは虫類だった。
なかなか見る機会がない始興だけれど、今年はいい絵に出会えてよかった。
尾形光琳(1658~1716)「雪松群禽図屏風」18世初頭
始興がリスペクトする光琳のこの絵も、飛んできたばかりの雁がいる。二本の絡まる松が妙な奥行き感を出していて、どこかなまめかしいのも其一を思い出す。光琳の雁もかなりな写実ぶりでした。
この流れを受けて、円山応挙(1733~1795)が10点。
応挙「南天目白図」1792、目白の目力ばっちり。三羽の動きがとってもかわいい。一羽の見返りぐあいが最高。また見たい一枚。
応挙「立雛図」18世紀後半、男雛も女雛も何とも悠久な感じのお顔。先日の七難七福図でもそうだけど、応挙は人間でも動物でも顔をよくとらえているなあと思う。袴の模様など本物みたいに緻密、色も美しく豪華。三井家のためのものなのかな。
「三美人図」は応挙と弟子の源琦との合作。左右を源琦、真ん中を応挙が描く。
応挙
帯や着物の細密ぶりと彩色の鮮やかさに驚いた。布の質感まで描き分けていた。島原の遊女ヒエラルキーTOPの太夫、りんと高雅。
源琦は、良家の奥様と、若い娘。
応挙と区別つかないほど。弟子の鑑だ。着物の質感も応挙にひけをとらないほど。娘の着物のグラフィック感に見とれ、奥様の上品な着物に合わせる帯が龍模様なのに驚き。
三人三様の特徴をとらえている表情が興味深かった。それにしても太夫の美しい存在感。
応挙「群犬図」1773は父犬と母犬と10匹の子犬がころんころんしていた。母犬がまっ白いところが「百万回生きた猫」みたい。優しそうなお父さん犬だった。
犬では、「子犬に蕨図」も蕨の脱力感がよくて、「子犬に綿図」は綿にまけじと丁寧に犬のもふもふ感
一本の木に黄色い花から実がはじけて綿になるまでの50日余を描いていて、茶色犬ももののあはれを感じていた。
応挙は冷静だけど、情感豊かでやさしくて、少しだけ寂しい気持ちも抱き合わせていたおじさんのような気がしてきた。
三章は与謝蕪村(1716~1784)と文人画
これも大変見ごたえあり。この時代の京都の人気絵師が勢ぞろいしていた。
文人画の極意?とは。解説に、詩書画一致、脱俗、自敵意(意にかなう)、写意の系譜と。ビギナーなのでこれは胸に入れて。
与謝蕪村「桃林結義図」1771
蕪村にこんなにハートフルな顔の作があるとは。桃とスモモの木の下に、劉備、関羽と張飛。三人が義兄弟の契りを交わす場面。嬉しさ満開の張飛の顔がかわいくて。
大鉢の中は桃のコンポートかなとか。蕪村はもっと簡素な文人画のイメージだったので、これは楽しい。
与謝蕪村「飲中八仙画帳」1776 酔っぱらってる8人の仙人のアルバム。
李白なんか、この有りさま。山田五郎さんの言葉を借りれば「ダメになっちゃってる」おじさん感が愛らしい。
岩の書き分けも様々。中にはアバンギャルドなのも。小さな画帳でも文人画の岩は生き物みたい。
絵もいいけれど、横に合わせた松下烏石(1669~1779)の書にも見惚れた。篆書、行書、草書、隷書、楷書と。中林梧竹の書を初めて見たときはミロみたいなリズムに衝撃を受けて大ファンになったけれど、この書たちも、文字として絵を補完しながらも、絵のような表現力。書のかもしだす世界に久しぶりに打たれた。
一文字一文字みても臨書したくなるほど。とりわけ、この最後の文字、困った顔みたいな篆書体の「眠」はかわいい。
眼花落井水底眠(まなこくらみ、井戸に落ちて、水底に眠る)という一文。身に覚えが(._.)。
与謝蕪村「渓屋訪友図」も見ていると、文人の「脱俗」って脱ストレスになれるんだなあと思う。先日千葉市で見た浦上玉堂は、脱藩して脱俗していたんだなあ。
池大雅も三点。
池大雅の「関帝像」。大雅は自由自在、筆が生き物のようにくねって、さえぎるものなく池大雅のリズム。着物の模様にも龍が見え隠れしていた。
大雅はんてほんと面白い。端午の節句に頼まれたものらしく、菖蒲とヨモギの葉が描かれていた。
池大雅「終南山図」は、全体にふっくらとして印象に残った。深い山もどこかあたたかかく、雲ごこち。
柳沢淇園(1703~1758)の「彩竹図」
この色使い。素人じゃない感じの男性?いや女性?と。男性ならなんだかちょいワルおやじそうな匂い。大胆なのに小さな葉も描き込まれていて細やかなのも。遊びを尽くしたものだけがわかるような。余裕と自信がないと描けなさそう。
と思ったら、側用人柳沢吉保の大老の次男。絵も学問もエリート教育、身分にも才能にも恵まれた。奔放放蕩な人生だけど、意外と骨太なところもあるそう。
「桃に小禽図」は桃が少し毒々しかった。ウィキに出ている「花卉図」も相当。
オランダ絵画みたい。これを着物にしたら着こなせるのは相当の女性じゃないと無理そうだけど、こう描くのも相当の男じゃないと。
柳沢淇園は池大雅の師。池大雅の才能を見出したのは淇園だった。納得。
4章は芦雪と蕭白
蘆雪の「群犬図」は、一人だけちょっと親犬から離れて振り返る子が気にかかる。
蘆雪「牡丹花肖柏図屏風」(左隻)、いつも牛に乗って出かけた肖柏という連歌師。号が牡丹花。牛は後ろ向きに乗られるわ、頭に牡丹つけられるわ(..)。
ここまでゆるくなれる蘆雪に尊敬と羨望。なのにダイナミックな滝の流れと岩の強い筆致。大胆不敵なやつ。
蘆雪はほかのもひとくせある作品だった。「鯰図」は、ぬるりと大きい奇想に驚く。魚を超えて、池のぬし化していた。
「蓬莱山・双鶴図」は、おめでたい絵なのに、鶴が舞い降りたら妙に現実感。「清流翡翠図」は、くどくどしい朱の足が印象的。「牡丹孔雀図」もどこか奇妙。繊細すぎる牡丹が現代画か長谷川潔っぽい。
あまり見たことがないけれど、蘆雪にどっぷり浸るのも面白そう。今年は師匠の応挙展があったので、来年は蘆雪展も続くといいな。
蕭白も「山水図」「鬼退治図屏風」と凄みのある絵だった。。
江戸時代の京の絵師たちは、個性的。ちょっとかわりもん。輝きを放つ男っぷりでした。