永青文庫 江戸絵画の美ー白隠、仙崖から狩野派まで
2018.10.13~12.5(11月13日から一部展示替え有り)
会期ぎりぎりに行ってきました。
別館に、昨年同様、この時期に熊本から送られてくるという《肥後菊》がありました。
肥後菊は、花単体としてだけでなく、花壇全体としても鑑賞するのだと、スタッフさんが教えてくれました。武士の園芸として、いろいろ決まった形式があり、大輪の菊は一本に7輪と決められているとか。
華美ではなく、ほっそり楚々とした感じ。↑は、「初雪」。↓は、「千代の寿」
「旭光」
熊本名菓「加勢以多」。かりんのジャムが楚々とおいしい♪。(別館は茶菓つきで200円)
こんなことをしているあいだに、展示が16時半閉館ということを忘れて、あまり時間がなくなってしまった。
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肥後54万石、700年続く細川家に伝わる文物の中から、今回は江戸絵画の展示。
狩野派、森派、谷文晁などのほか、初めて名前を知る肥後藩の御用絵師がみもの。
また、細川家の歴代お殿様が自ら描いた絵も、ちゃんと?上手い。そもそも自ら絵を描きたがるところがアート好きな一族。
大観はじめ数多くの画家のパトロンであった細川護立(1883~1970)の収集品から、白隠や仙厓が多く展示されている。
博物図譜系の展示も多く、江戸のマニア趣味をけん引したのは、一番は大名たちであったかもしれない。その熱中ぶりがほうふつとされました。
◆狩野派の絵画
細川家所蔵の狩野派絵画。
桃山時代の西王母・琴高仙人図屏風(狩野派)6曲一双は、奇抜でなく格式あるな描きぶり。人物の目が大きめで、この絵師の描く顔、いいなあ。
右隻の西王母の上品でふっくらとしたほほが印象的。
左隻の琴高仙人は好きな画題。下界の高士たちのびっくりした顔が(笑)。鯉の周りの雲の墨がいい感じ。
しかし、別にいいのだけど人物が10等身、いや12等身くらいあるのに目がいってしまう。教会の受胎告知は見上げる視線を計算しているのの逆で屏風の見下ろす分を計算しているわけではないと思うのだけれど??
今回のお目当ては、狩野常信。常信は、1692年頃に細川家から俸禄をもらっていた記録が残っているとのこと。安信叔父に冷遇されていた感じがするけれど、細川家は彼の画を認めていたのだろうか。
常信「寿老人・山水図」は三幅対。図柄も探幽様式とのこと。でも探幽よりも丁寧で端正な感じ。山水のしっとりしたにじみが美しかった。中幅の寿老人の足元には蓑亀が。
常信「七十二候図」は、5日を1クールとして、1年365日を72枚、気候を描いたもの。そんなに描き分けられるとは(!)。《地始凍》、《水始氷》などのタイトルになるほど。枯れた柳、氷のひび割れなど、日本の季節を細やかにとりだしていた。
常信「八景図」はとてもきれいだった。水面に降りたもやがいいなあ。
先日静岡県立美術館でたっぷり見た狩野栄信、養信親子も。
狩野栄信「百鳥図」。70種101羽いるとのこと(!)
明清絵画の接しゅに努めた栄信。百鳥図は明で流行しており、この画も中国絵画を踏襲したものとのこと。それにしても鳥密度Maxで、もはやシュールなほどだけど、鳥の顔がとてもかわいい。各鳥のしっぽも見どころポイントだったりもする。つがいだったり、父母+ヒナ二羽のファミリーだったりと、幸福感を押し出している。鳳凰など実際に見たわけでもないのに、よくこんなに動きがあって描けるもの。
息子の養信の「胡蝶遊覧図」 も大名家の所蔵らしく、鮮やかな絵具をふんだんに使って描かれた、復古やまと絵。
画面に散る花びらが美しい。舟に遊ぶ貴族たちも、男性とは思えないふっくら雅びな顔立ち。梅を愛でていたり、しっかり気持ちの向きが読み取れる。鳥たちの隊列や、散り方さえきれいで、ぬかりがない。
◆細川家に仕えた絵師たち
まずは森徹山、奥文鳴と、応挙の弟子が並ぶ。奥文鳴「西王母・紅白桃図」の三幅対 は、とくに印象深く。右幅の下から上がってくる城桃、左幅の画面上から下りてくる紅桃との上下の力強いリズムが、目にぱっと飛び込んでくる。金も使って華やか、さすが細川家。
矢野派という初めて聞く流派は、細川家が熊本に転封されたときに付き従ってきて、熊本に根付いた。在家の武士や商家の注文もこなしながら、藩の御用も請け負った一派。「領内名勝図巻」18世紀 は、御用絵師の矢野派の嫡男良勝とその相弟子の衛藤良行が藩主の命で肥後領内を歩き、二年半かかって、名勝地を絵巻400メートル、14巻にわたって描いたもの。展示では滝のシーンだったのだけど、参考展示の現地写真とそっくり。雪舟の筆致を踏襲して描かれて、滝のしぶきなどたいへんな迫力だった。
これを描かせた藩主・10代目斉しげのもとで熊本では絵画文化が栄え、永青文庫に伝わる明清絵画はこの藩主のもとで集められたものだとか。
杉谷行直も矢野派。「富士登山図巻」はとても面白かった。参勤交代の途中で実際に富士山頂まで登山したもので、苦労した臨場感がある。一列に杖をついてジグザグ道を登っていく一行。茶屋も描かれている。3合目では花も咲いているけど、7合目8合目になると岩のみ。石を屋根に乗せた山小屋がいくつも連なっている。山頂は雲がかかっている。絵師もたいへん。。
その子、杉谷雪樵「小嵐山図」19世紀 嵐山に似せて造った、ここ目白の庭を描かせたもの。広っ。今も残る細川庭園の面影がある。
杉谷雪樵の時代で明治維新を迎える。維新後は上京し、宮内庁の御用や引き続き細川家の御用を受け、さほど困窮した様子もないらしい。芳崖のように御用絵師皆が困窮したわけではないようだ。
細川護立(1883~1970)が収集した白隠や仙厓では、人柄が偲ばれるようなほのぼの楽しい作ばかり。
特に白隠の「拝牛図」「鼠師槌子図」などがお気に入り。「拝牛図」は十牛図のひとつ。荒牛をようやく飼いならした場面。つい今まで荒れていた牛は、まだ少しファイティングモード。それをよしよしとなだめる男性がかわいい。
仙厓では「臨済図」。厳しいので有名な臨済だけど、今ならパワハラ。片手で弟子を殴り、もう片手は周囲に止められている。目の周りの薄墨が怖い。
◆博物図譜
鳥、獣、虫、花などを細密に描写させ、お殿様(8代目細川重賢)自ら本に編纂している。参勤交代の道中でいろいろ動植物を採集させたらしい。「珍禽図」では、むささび、モモンガがぺろんと大きく画面を占めたページが楽しい。「遊禽図」1755は、高松藩の松平家から借りたものの模写。この松平家も博物図譜系の展示のたびになにかと出てくる。以前静岡県立美術館で見た、松平家所蔵の魚や椿の図譜があまりにすばらしく(ついにはおもしろく)衝撃だった。細川のお殿様と松平のお殿様はプライベートでもなかよしだったのかな?。お殿様ネットワークに興味がわく。
◆お殿様の絵
細川忠興、絵も上手いのね。狩野派の手本によるものらしい。
斉しげのネコは、徽宗皇帝風の微妙さ。。ネコがペロリと手をなめている。毛描きに頑張った感があるけれど、ちょっと化け猫入っている感じ。
ひとつ気にかかっているのが、細川有孝(1676~1733)の「諸獣図」。ムササビといいジャコウネコといい、大好きな、でも不詳の狩野宗信(17世紀生没年不詳)の画に似ている(化物絵巻の日記)(根津美術館の日記)(!)。お殿様は狩野の粉本から描いたものらしいけれど、元絵はどのようになっているのだろう。
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すっかり暗く。
坂を下りて、関口芭蕉庵の芭蕉を見て帰りました。もうしまっていたので、外から。
まだまだ青々した葉が健在。紅葉とふしぎな組み合わせにて。
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