出光美術館「水墨の風」展 1,2章の続き
惹かれた作品の備忘録です。
3章は、室町水墨の広がり
南宋院体画の影響を受けた、曽我派の二点。
曽我宗誉「花鳥図」
伝曽我蛇足「山水図」
華美さがなく、簡素で質実。余韻がしんと残る。
曽我派は越前で活躍し、等伯は宗誉の子の紹昭に最初学んだそう。どこか寂寞とした感じは、晩年の等伯の水墨にも重なる気がする。
伝周文「待花軒図」 小僧さんがお掃除中。山中の清浄域と静けさ。
ふと、ざっざっと竹ぼうきで掃いてみたくなる。ってそんな広い庭ないし。どこかのお寺で、お庭を掃き清めていいよイベントはないか。(伝)周文のもう一点の「山水図」も静かに心が整うような山水だった。
鎌倉絵画も。
質実剛健さ漂う鎌倉画壇、禅宗が早くから根付き、15世紀から牧谿様式を受容。波頭とコントラストがはっきりした墨が、鎌倉様式の特徴、とある。
伝一之「観音・梅図」
伝一之「観音図」
伝揚補之「梅図」
下からの枝は力強く、上からの枝はしなやかに。神性すら感じる梅。
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4章:近世水墨 狩野派、そして文人画へ
伝狩野松栄「花鳥図屏風」、狩野永徳の父上。山本兼一「花鳥の夢」では、永徳にさんざん凡庸とこき下ろされていたけれども。
しっとりした墨、穏やかな印象。海棠、山百合、ひよどり、シジュウカラ...。
画家が主張しすぎて部屋においたら落ち着かなそうな絵もあるけれど、松栄のこれは一歩引いて、安定した描きぶり。大人だなあと思う。「花鳥の夢」で、松栄は永徳に、「それでは見る者の居場所がない」というようなことを言っていた。
狩野派では、(松栄の父)元信印の「花鳥図屏風」(元信の周辺の人物と推察)、(永徳の孫の三兄弟)探幽・尚信・安信の合作「山水花鳥人物図鑑(探幽の部分のみ展示)」もあった。そのなかで一番心に残ったのは、狩野尚信。
葉室麟「乾山晩秋」の「雪信花匂」、松木寛「狩野家の血と刀」に、三人の兄弟の確執が描かれているけれど、探幽、安信の確執に比べ、尚信はあまり登場していなかった。目立ったトラブルもなかったのかな?。
尚信の「酔舞・猿曳図屏風」は、のどかな農村の風景。雪舟の琴棋書画図屏風をイメージソースとしているとのこと。
二隻の真ん中には大きな月と大きな余白。
家も人も多少のゆがみなど気にせず、生き生き。踊る人、寝転がる人、窓からのぞき見る奥さん。
後ろから追っかけてくるおじさんはどうしたんだろう?
撥墨の樹が印象的。特に左隻の樹は、がしゃがしゃっと尚信のリズムのまま。
なにより描くことを楽しんでいるよう。
狩野派でも、庶民を描いた久隅守景のようなみずみずしい自由さ。尚信は兄探幽の弟子の守景とは気が合い、親しかったなんてことないかな?。
尚信は、ふらりと京都に旅行に出て小堀遠州を訪ねた、失踪して中国に行こうとした、などという逸話があるけれども、この自由さなら本当かも。
岩佐又兵衛「瀟湘八景図巻」江戸時代は、見られてたいへんうれしい。
にぎやかな小栗判官絵巻や山中常盤絵巻とは全く違う趣き。耳を澄ませたくなる静かな世界。
そしてこんなに小さいのに人の立ち居がすごい。小ささを忘れるほど情感豊か。人の目線まで見える。さすが又兵衛。1637年~50年の間に描かれたと推測される、と。
瀟湘夜雨。傘をすぼめて。
江天暮雪。雪の情景がなんともきれいだなあ。
洞庭秋月。「いい月ですのう」「おお、ほんに」
漁村夕照。「おじいちゃん、パパの船だよ」的な。
妄想。木までも情景を物語っていて、とてもすてきな絵巻だった。
瀟湘八景図では、池大雅もよかった。
池大雅らしいめらめら書き込んだもの、たっぷり水を含んだ筆で少ない筆数で描き上げたもの。八枚それぞれ違う描きぶり。気の向くままに自由に描いた感じがいいなあ。
ひょいひょいっ、すっすっと。
画家の心理状態がリラックスしていると、見る側も心地よい。
文人画では、玉堂「奇峯連聳図」1793 も印象的。
脱藩する前年に、瀬戸内の山々を描いたもの。
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どの一枚一枚もが見逃せない展覧会でした。
西日のまぶしい皇居を見ながら、お茶いただいて帰りました。いつもありがとうございます。
こちらに来る前に、隣の国際ビルヂングのトプカプでトルコ風ピザランチ。ほうれん草入りでおいしい