千葉県我孫子市で、「葛飾北斎とその時代」展を見てきました。
2107.7.15~7.31
市の記念事業で会期は半月だけですが、監修は安村敏信先生。作品の解説、図録の監修も安村先生。https://www.city.abiko.chiba.jp/event/event/music/katsusika-hokusai.html
全48点のうち、40点もが肉筆。 安村先生のお力か、貴重な作ぞろい。
構成は、
1、北斎(6つの画号の各時期の特徴、勉強になりました)
2、北斎の門人(変わりもんぞろいで楽しかった)
3、北斎とその時代(鳥居清長から国芳まで勢ぞろい)。
きゅっと濃くつまった展覧会でした。
以下、安村先生の講演と合わせて、備忘録です。
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まず、北斎。
1、春朗期(1778~1793)19~34歳
この時期の展示はなかったけれど、役者絵や相撲絵を手掛け、人物の個性を描きだした時代。
北斎の視点って、鳥並みに自在。どうして飛行機も高層ビルもない時代にあんな鳥瞰的な絵が描けるのかな?と思っていたのだけど、このころから透視図法を学び、「浮絵」と呼ばれる風景を描いていた、と。
初期の「新板浮絵両国橋夕涼夜店之図」が展示。両国橋の望遠と、路地ににぎわう祭り客の近景とが同居していた。このあたりが北斎の鳥の視点の原点かと思い、感慨深。
2.宗理期(1794~1803)35~44歳
この時期の美人画は、宗理風美人といわれ、細長い顔に、富士びたいが特徴。
「都鳥図」は、胡粉だけなのにふっくらと白いからだ。北斎の鳥は、いつももの思う顔。
展示ではなかったが、以前から気になっていた「くだんうしがふち」もこの時期の作とのこと。オランダから入ってくる銅版画を、木版でやろうと、影をつけたり、落款をひらがなにして横書きにしたりと、洋風な版画に挑戦。北斎の自在な位置感覚に磨きがかかっているようです。
3.葛飾北斎期(1804~1809)45~50歳
美人画は、宗理期に比べてがっしりとし、衣文線も力強くなる。
美人画の肉筆をたっぷり、間近で堪能した。 微妙な女心の揺れまで留意し、目線や口元手元に繊細に表現している。がさつな北斎とは思えない機微。
着物の布地や紙、髪の毛の質感までも細密。奇想の人のイメージの前に、この地道で誠実な仕事ぶりがあってこそなのだと、今さらながらリスペクト。
「蚊帳美人図」 枕を持って、さらりと蚊帳の中に滑り込む女性。
口元の指、かすかに色がさした肌が色っぽい。
「布団の奥にはどんな男性が待っているのだろうか」とは安村先生の解説。賛が山東京伝。
「三美人図」 くつろいださりげないひと時。若い芸妓が指さす本に、ほかの二人も「おやそうかい」「あれほんとだね」と。
三角構図に、三美人の白い顔がひょいひょいと面白い。
着物は、上着は抑え目な色柄のものにし、ちらりとのぞく下着に派手なものを組み合わせるのが、あか抜けた江戸のおしゃれと。賛は蜀山人(太田南畝)。どれも賛の顔ぶれがすごい。
北斎期には、上方で流行った鳥羽絵を江戸でも始め、1400枚もの読本挿絵にも精力的に取り組む。巨大な蜘蛛や妖怪など、視覚的に驚かせる効果のものが目立つとか。
4.戴斗(たいと)期(1810~1819)51~60歳
北斎漫画で有名になった時期。北斎派の形成に意欲的で、門人と通信教育のようにやりとりしていた。
鳥瞰図の「東海道名所一覧」もこの時期。だんだんと視覚が高くなっていく~~。
美人画はさらにがっしり
「団扇と美人図」
首の90度曲げに湾曲する身体の弧は、実際にはありえないけれども、絵としては美しい。それにしても、非現実的に大きな帯の柄、夏の透ける着物、たらりと縮れたなまめかしい赤い絞り、着るものそれぞれがひそかに妖しい。なのに着物だけが浮き上がっているわけでもない。
「富嶽三十六景」は、61~74歳の為一期。同じ版木のものが3点。 「凱風快晴」はイワシ雲、「山下白雨」は瑞雲。北斎の空と雲がとてもいい。他の作品も一度空と雲に特化してみてみよう。
輪郭線まで藍一色で刷られた「凱風快晴 異版(藍擦)」は、安村先生いわく、珍品中の珍品、二度とみれないであろう稀有な機会らしい。
当時はベロ藍(ベルリン産の化学染料の藍)がもたらされ、安価な中国産ベロ藍も出回った時期。初版を藍で擦ったものの、評判がよくなく、これ以降は多色になったのだそう。
5、75~90歳の「画狂老人卍」期は、肉筆に専念する時期。不思議の世界に入っていく。 現実も非現実も動物も、すべてが北斎ワールドに生きているようだった。
「風神之図」1844年、の顔は、神というよりも、ほとんど人。挑戦的な目。
「兎の餅つき」1847年 ウサギがなんかたくらんでる感。ひひひ・・と宝珠をつこうと。
雲のほうがおもちっぽく見える。 既存の固定概念を打ち負わし、新しい価値観に挑戦しようとする88歳の北斎の心情では、と安村先生。
なのに、北斎は鳥を描くと、なぜか夢見る鳥になる。
「雪中鷲図」はファンタジックな瞳。
一方、強いはずの龍は、ちょっと気弱になっちゃうのが不思議。
「登龍図」 1846年
「90歳で奥義を極め、110歳で一点一画が生きているようになる」と思っているのに、自分の老齢を不安に思っているのか、困っている顔。弱い自分を投影させるのが、登り竜とは。
以前に府中美術館で見た「富士越の龍」(日記)も展示されていた。白い富士に登り竜は、古来より出世を象徴する構図。でも個人的には、やっぱりなすすべもなく天に運ばれていく(*_*)、と見えてしまった。
「生首図」は見るのは二度目だけど、今回は至近で見てしまった。口から除く歯の、ぞっとするよなリアルさ、血の気のない肌の質感。首を洗うためのひしゃくが不気味。
北斎は、晩年になるにつれ、「気持ち」や「思い」を描くようになっていた。描写力や構図の斬新さに隠れていただけで、昔からそうだったかもしれない。晩年に集中して描いた肉筆は、北斎の胸の中にくろぐろと湧き上がるものを表出させ、その振れ幅に心揺さぶられてしまう。江戸時代までの幾人かの絵師も花鳥や山水、龍や仏像の中に自分らしさや感情を表現していたけれど、北斎はそんな範疇を超えて、圧倒される。絵師というより、画家、なんだろうなあ。
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2、北斎門人の作品も、たいへん見ごたえあり。
8人の門人の展示。
北斎に似た技術・画風というよりも、北斎の妙なエッセンスを受け継いだ作品が多い。
受け継ぎ方が自由すぎるのも、むしろ北斎の正統なのかも。
それとももともと自由な人が、北斎周辺に集まるのかな?
二代葛飾北斎は、晩年の北斎ワールドを受け継いだのかも。「16羅漢図」の顔はどれもいい顔している。
達筆で流暢な筆使いを存分に活かして描きだされた、龍・虎のかわいさったら
龍が「やほ~」みたいな。羅漢も親し気な表情。
美人画のような「く」の字の湾曲、瀟洒な水流。茶筅売りのおじさんの微笑みが、マリア様か観音様のように清らかに脱しておられた。
抱亭五清「富士遠望図屏風」は、6曲一双の大画面。
辰女「盛夏娘朝顔を眺める図」
朝顔が少し寂し気。生地の質感も線も、手慣れた描きぶり。筆撫子の模様の着物がかわいい。
3、「北斎とその時代」も、肉筆の素晴らしいものぞろい。
これで無料では、我孫子市民じゃないのに申し訳ないくらい。せめてというわけではないけど、あびこショッピングセンター(展示室はその中の市民プラザにある)の地元産のパンとか野菜とか売っているスペースで、お買い物して帰りました。お団子がのったパンが、たいへんおいしかった。