外部からの物理的刺激が受容器に入り、その刺激量がしきい値を超えるとパルス列を生成し感覚野に送ります。
これらのパルス列は、各受容器に入力された物理的刺激(光や音の振動数、分子の種類など)の情報を運びます。
これらのパルスは単なる電気的パルスではありません。
周知の通りこれらのパルス列はどの受容器でも同一形式です。
一方、受容器に対応する感覚野にはそれらのパルス列が運ぶ外部刺激に関する情報を認識する機能があります。
その機能を実現した結果生じるのがクオリアなのです。
これがクオリアの正体です。
外部からの様々な物理的刺激に関する情報を感覚野が認識した結果、光に対するクオリア、音に対するクオリア、味覚に対するクオリアなどが生じるのです。
これは、受容器から来る同一形式のパルス列に物理的刺激の次元(光の波長、音の波長など)を等価的に付与したことによるものと解釈できます。
つまり、次元の等価的付与は結果的に同一形式のパルス列にそれぞれ異なる意味を与えるていることになります。
以上のことは、測定器の機能とよく対応しているのです。
測定値自体は、基準量と入力量との比なので無次元です。
測定者がその測定値情報に物理量の次元を付与することによって測定値にその意味を与えているのです。
パルス列が運ぶ受容器情報に次元を付与するクオリアと、測定値情報に次元を付与する測定者との間にはこのような対応関係があります。
感覚野が持つクオリアの機能は、脳の進化の過程で得られたものです。
感覚野のクオリアは、高度な意識の原始的形態です。
脳の進化に伴い言語機能を獲得すると、より高度な意識の形態が可能となったのです。
クオリアのないロボットには測定値に物理的次元を付与する機能はありません。
ロボット内部にあるのはあくまでも情報だけで、情報を超えるものは有りません。
言うまでもなく、意識に相当するものもありません。
哲学においてクオリアはハードプロブレムとされ様々な議論がありますが、それらは机上の空論と言えます。
しかし、クオリアには先に述べたような合理的根拠があるのです。
クオリアに神秘性を帯びさせるという悪習は直ちに無くすべきです。