測定器の大きさは有限です。
一方、光子や電子などの量子の大きさは0です。
光子を検出する感光板を考えます。
光子がこの感光板に到達すると感光板に点状の痕跡が付きます。
大きさが0の光子がこの痕跡のどこにあるかを知ることは不可能です。
ということは、感光板を用いて光子の到達位置を知ることは出来ません。
感光板の代わりに光電管を用いても同じです。
要するに、大きさが0の量子の位置を測定することは原理的に不可能なのです。
感光板などが示す光子の位置はあくまでも便宜上のものであり、光子の正確な位置を示すものではありません。
光子の偏光、電子の運動量、電子のスピンなどについても事情は同じです。
感光板に到達した光子の位置の測定値は感光板に付いた痕跡の中心の位置を意味していると思われます。
物理学者は知りえないことについて議論しても始まらないと考えます。
現実の測定器による測定値がすべてです。
そして、測定値と量子力学が予想する理論値が一致すれば十分なのです。
測定器が示す測定値が量子の持つ物理量であるとします。
測定値は測定器が定義して出力する情報です。
測定器に依存する測定値は客観的な概念ではありません。
ということは、物理学者が考える物理量も客観的な概念ではないのです。
清水明『新版 量子論の基礎ーそのやさしい理解のためにー』、サイエンス社(2006.9)、p.19に
”物理量とはどんな状態においても(原理的には)いくらでも小さな誤差で測れるりょうのこと”
という記述がありますが、これは測定器が有限の大きさをもつという避けられない現実を無視しています。
前述のように、検出器に到達した量子の真の位置を知ることは不可能だからです。
将来、分子の大きさを持った測定器が出来たとしてもその大きさは有限であることに変わりありません。