大変なことに出会って、
「どこをどうやって帰ってきたか記憶にありません」
という話を聞いたり、読んだりすることがあります。
私は今朝、それに順ずる体験をしました。
実は、この秋に、仙台まで行って、耳を診察してもらい、
即手術の予約をして帰ってきました。
日が経つにつれて、もろもろ不安要素が出てきて、
友人の紹介で、ある大学病院の教授の診察を受けてきました。
教授の病院までは1時間強かかるので、出先機関で診察を受けて、
十分な説明をしてもらいました。
3日前に学会があり、そこで最新の医療器械が出てきた。
今までは[CT]で分からなかった耳の疾患が分かるものが出てきたので、
それで調べることをすすめてくれました。
ただしそれは四国の病院だったから東京で設置している病院を調べて連絡をくれることになったのです。
それが無い場合、耳を開く以外分からないし、仙台で受ける手術は・・結果として、手術を受けるに値するかどうか。
診察を終えて、普段使わない私鉄の駅から、テクテク歩いて帰ってきた。
「仙台の手術どうすべきか」
「教えてもらう病院で検査するのも、10日間旅に出かけて留守だし」
「今日の先生に手術をしてもらうとして、聴力出るかで無いか5分5分」
「今のままで手術を受けずに済ますとすると・・・・」
頭の中はフル回転。
行きつ戻りつ今後どうすべきか もろもろ考えながら足を運んでいる。
ふと、家までの道順を何も考えないで歩いている自分に気付いた。
何も考えていない・・・それでもチャンと家への道を選んでいる。
あぁ! こういうことなのかも知れない。
世間で耳にする
「気が動転していて、いったいどうやって帰ったか分からない」というのは。
パソコンに向かってキーを打ちながらも、
「さあ、耳の手術はどうしたものか」
と 考えながら、画面を見ている。
人の機能ってすごい。
ついでにもう一つ
聞く機能・・・補聴器を試したところ、いろんな音が聞こえて大変うるさく感じる。
生身の耳にも同じように入ってきているのに、瞬時に必要な音を判別して脳に送っているらしい。
なにも意識していないのに・・・である。
すごい機能だと感心してます。
「どこをどうやって帰ってきたか記憶にありません」
という話を聞いたり、読んだりすることがあります。
私は今朝、それに順ずる体験をしました。
実は、この秋に、仙台まで行って、耳を診察してもらい、
即手術の予約をして帰ってきました。
日が経つにつれて、もろもろ不安要素が出てきて、
友人の紹介で、ある大学病院の教授の診察を受けてきました。
教授の病院までは1時間強かかるので、出先機関で診察を受けて、
十分な説明をしてもらいました。
3日前に学会があり、そこで最新の医療器械が出てきた。
今までは[CT]で分からなかった耳の疾患が分かるものが出てきたので、
それで調べることをすすめてくれました。
ただしそれは四国の病院だったから東京で設置している病院を調べて連絡をくれることになったのです。
それが無い場合、耳を開く以外分からないし、仙台で受ける手術は・・結果として、手術を受けるに値するかどうか。
診察を終えて、普段使わない私鉄の駅から、テクテク歩いて帰ってきた。
「仙台の手術どうすべきか」
「教えてもらう病院で検査するのも、10日間旅に出かけて留守だし」
「今日の先生に手術をしてもらうとして、聴力出るかで無いか5分5分」
「今のままで手術を受けずに済ますとすると・・・・」
頭の中はフル回転。
行きつ戻りつ今後どうすべきか もろもろ考えながら足を運んでいる。
ふと、家までの道順を何も考えないで歩いている自分に気付いた。
何も考えていない・・・それでもチャンと家への道を選んでいる。
あぁ! こういうことなのかも知れない。
世間で耳にする
「気が動転していて、いったいどうやって帰ったか分からない」というのは。
パソコンに向かってキーを打ちながらも、
「さあ、耳の手術はどうしたものか」
と 考えながら、画面を見ている。
人の機能ってすごい。
ついでにもう一つ
聞く機能・・・補聴器を試したところ、いろんな音が聞こえて大変うるさく感じる。
生身の耳にも同じように入ってきているのに、瞬時に必要な音を判別して脳に送っているらしい。
なにも意識していないのに・・・である。
すごい機能だと感心してます。