亀の歩みで

急がず、慌てず、IT文化を楽しめたらいいと思っています。

物忘れ

2008-04-27 21:52:14 | Weblog
近年物忘れに拍車がかかってきたとは思っていたものの、・・・・・・
いつものように台所に立ち、早めに夕食の支度を始めた。
「○○顆粒」の出汁ではなく、昆布出汁に鰹節を加えてきちんと出汁をとって 大根と人参を薄味仕立てで煮ようとお鍋を火にかけていた。
他の作業をしてから、再びお鍋の様子を見ようと蓋を取ってみたら、なにかポチっと黒ぽいものが見えた。
蓋の内側にくっ付いていたゴミか何かが入ってしまった。と 思って、なにがはいってしまったかと凝視した。
「あぁ」そうだった、シメジが3~4本残っていたので、それを入れたんだった。
ほんの数分前のことだったのに、すっかり忘れてしまっている。
唖然とした。
こんなことでいいのか!! 大丈夫なのだろうか不安が・・・

アジア・パシフィックのバザー

2008-04-16 16:28:10 | Weblog
ご主人が外務省にいた方から、アジア・パシフィックのバザーのお誘いがあり、地元の友人と出かけていきました。
会場は溜池山王から歩いて10分ほどの全日空ホテル
かなりの人出に驚き、どこから見て回ったものか悩んでしまった。
島津孝子さんが見て回っていました。
一通り会場内を見てからにすることにしたものの、各国に群がる人たちをみて、良いものは売れてしまうと、買いたいものがあるか、人の脇から手を伸ばして、品物を取ってみた。
あちこちで沢山の買い物をして抱えている。
つられて、この際買わないと損するような気持になってきて、値段が張らないアクセサリーと可愛い袋を買った。
洋服をかなり破格な値段で提供していたが、私のサイズが合うのを探すのは難しい。
それでも一応試着してみたりしたが、そのたびに、バストが小さかったらと思う。
そんな中ふと手にしたシルクの上着、サイズが[L]だった。
同行の友達は同じ「L」サイズ。
私は自分にとって「これイイかもね」と友人に声をかけたつもりだった。
友達には勘違いされて、「着てみる」と彼女がその場で試着することに。サイズは結構合っていた。
私もその後に試着してみたら、凄くいい。
しかし、彼女は今月同窓会があり、それに丁度良いとすっかり買う気になっていて「私が買いたい」とはとても言えなかった。
100%シルクで少々あらたまったところにも着ていかれる上着、しかも 値段が元値の90%off。逃した魚は大きかったかナ? ちょっと残念。
○○宮様がご来場になられて、馬頭琴の演奏などがあり、
その後には モンゴルまでの往復航空券と2泊のホテルのセットが当たるなどたくさんの抽選があったが、誰が当たったか、運気がないわたしでした。
「逃した魚は実際より大きく見えるものよ」と、誰かが言ってました。


意識不明に

2008-04-15 01:35:44 | Weblog
4月1日に一緒に湯煙りの里に行き、喜んでくれた長姉が今意識不明で入院しています。
ブログに書くのが辛いです。
8日の午後、介護支援センターから電話が入りました。
ヘルパーさんが訪れる日になっていたのに、鍵がかかって開かず、電話をしても応答がないというのです。
姉は、久しぶりに東京へでてきて、我が家に泊まったのですが、帰ってから眼が疲れたと言っていました。
お風呂に行った翌日は出かけることもなく、私がバザーで買ったニットが着にくいので、姉に教えてもらい、襟ぐりなどを編みなおしたのですが、編みものが得意な姉が殆ど直してくれました。
それが疲れさせてしまった原因と悔いても悔やみきれません。

ヘルパーさんから再び連絡が入って、近所の方が朝から雨戸が閉まったままだったと・・・これは中で倒れてしまっているかもしれない。
急ぎ姉のところへ車を飛ばしました。
ついたのは夕方遅く、鍵を開けて中へ入ったとたん、洗面所から廊下に頭をだして倒れている姉の姿が・・・・姉に声をかけると頭を持ち上げて私を見ました。
何か言ったような気がしますが、明瞭でなく声がでただけ。
昨夜から雨が降っていたので一日中寒く、体は冷えきっていました。
毛布と布団を掛けて、さらに足に靴下をはかせました。
動かせる状態ではなかったので救急車を手配しました。
受話器を持って「110」だったか「119」だった迷いました。咄嗟に出てきません。
とりあえず「110」にかけました。「事件ですか?事故ですか?」
「すみません救急車は119でしたね」
平素はすらすら言える姉の住所も電話番号も途中で閊えて出てきません。
慌てて携帯電話に入れた住所をみて答えました。
手配をしてもなかなか救急車が来ません。
やがて着いた救急車に乗ってから、受け付けてくれる病院が決まるまでかなり長いことかかりました。
年齢が高くて倒れたとなると 受入れが難しい事を救急隊員の病院リストを片手に片っ端から電話をしては断られ、ようやく何軒目かで遠方の病院が決まったのをみて、ニュースで報道してたとおりだとつくづく思いました。 

姉は「脳出血」でした。それもかなりの出血。
少なくとも倒れてから一日は経ってしまっていました。
これから良い季節になるので一緒に旅に出て、デジカメで写真を撮るなどしてもっと楽しめるようにと思っていた矢先でした。
年が離れている姉なので、小さい頃から いろいろ面倒を見てもらってきました。
まだまだやってあげたいことがあります。

一般道で

2008-04-05 10:10:10 | Weblog
長姉を車で送って行った。
姉がひと月に一回とても楽しみにしている日が今日だった。
それは、美味しいお弁当が届く日。
高齢者支援の一環か、200円で美味しいお弁当が届けられるサービスがあり、
その料理がとても美味しいのだそうだ。
そのお弁当を受け取るのに11時には戻っていなければならないので、
こちらを9時過ぎに家を出た。
ところが京王線の踏切で13分も足止めを食い、更に 環八が混んでいた。
関越はスムーズであっという間に所沢インターについて、いつもなら姉の所に直接向かえば20分くらいで姉宅につく。
しかし、駅近くの銀行に用事があるというので、川越街道を通ることにした。
渋滞気味だったが駅前の銀行に着いた。
姉が銀行に来るのは久しぶり。細い道を入っていったのだが、目的の銀行が見当たらない。
当節、いつ銀行は駅前から撤退してもおかしくない時代。
道行く人に聞いてみたら、一本道を間違えていた。

用事を終え時刻は10時40分だった。まだ11時には余裕があり気楽に運転をしていた。
「次を左折すると 桜並木かも」…大当たり。
どうせならここも見て行こうと左折。ここでも トンネルになった桜の花を愛でることができた。

姉の家に着くと直ぐに庭で作業した。
それは昨年「雑草の生えにくい土」を敷き詰めたのだったが、不十分だったので、補足して敷き詰めて、水をまいて作業を終えた。
そして、心待ちにしていたお弁当を二人で分けて食べ、そのあと、「パソコンにデジカメの写真を入れる」、それを「添付メールで送る」を教えたのだったが、とても難しいことだ。また後日教えに来ることにして、帰路についた。

帰り道
いつもなら関越で帰るのだが、桜を見るチャンスがある一般道を選んだ。
朝霞自衛隊駐屯地を曲がると桜の並木が「やっぱりあった」
その先の大泉学園の通りが、ずーっとずーっと長い桜のトンネルが続いていた。
世田谷の用賀の比ではなかった。
≪やっぱり、良かった一般道≫であった。



川越から

2008-04-02 23:27:02 | Weblog
一番上の姉は膝と腰をいためているので、歩くのも杖が必要なのです。
仙川にある「湯けむり里」のお風呂の「岩盤浴」「垢すり」を楽しみにしている姉です。
昨年 暮も押し詰まった12月28日から約3か月ぶりに、この1日に川越から出てきました。
今時川越から世田谷に来るのにでてきましたという表現は使いませんが姉にとっては、出てきたがぴったりなのです。
3月31日は朝方まで雨で寒く、別の日にしないといけないかと思いましたが幸い翌日の天気は晴の予報でした。
当日は市ヶ谷駅から電話をもらって、時間を見て最寄り駅まで車で迎えに行ったのですが、待ち合わせの場所をいい加減にしていたため行き違いになってかなりお互いが気をもみながら待つことになってしまいました、
待った40~50分でした。なかなか会えないので姉は「携帯電話をもっていればこういう時に便利ね」と。
そういえば、以前、会えなくて2時間待って、相手の妹さんだったか、「携帯電話を持つよう」強く言われ、携帯なんてと思っていたけど、後日持つようになったとブログで読んだことがあります。
しかし、今の姉にはちょっと無理かな。音が聞こえないので、伝達はメール。しかも、携帯メールはパソコンの文字入力より厄介です。次回は待ち合わせ場所をしっかり確認することにしました。
ようやく会えた二人はそのまま仙川へ。
お互いにゆっくりお風呂に入って、姉は風呂上りのビールで喉を潤し、私は運転するのでお茶で。
行きは日大とおりの桜のトンネル。
お風呂のあと、私の知っている 車に乗ったまま満開の桜の花を堪能できるところをまわりました。
まず、東宝日曜大工センター。ここは素晴らしい。
その近くの世田谷通りの桜、そのあと、関東中央病院のある用賀までの長い桜並木。ここは桜の下を長い距離ずーっと通り抜け、きれいきれいと連発。
馬事公園は横の通りをゆっくりと走り、塀の間から数本の桜を見ました。
ここは中に入ってじゃないと素晴らしい桜をみることは難しい。
次に経堂5丁目先から千歳船橋の地名「桜」のあたり。
時間がなくなり ここから家に向かった。
姉が来てくれたので、桜見物をすることができ、姉も満開の時に出てきてよかったと大喜びしてくれました。