亀の歩みで

急がず、慌てず、IT文化を楽しめたらいいと思っています。

何で?

2007-03-29 11:44:01 | Weblog
先日の京都行きの日 前夜から携帯電話の充電をしていたのに、差込がきちんと入っていなかったらしく、まったく充電されていなかった。
旅にでるのに携帯がないのはとても困るので、娘がコンビニで買った充電できるグッズがあるのを思い出し、キヨスクで使い捨てのを買って充電した。
旅先で携帯は大変役に立ちました。
帰宅してから、まだ電池が残っているようなので、一晩 携帯に差し込んだままにしていたら、朝、待ち受け画面は真っ黒で、全く動かなくなってしまっていた。
本来の充電のコードをつなげても反応しなくなってしまったため、明大前のお店に持っていったら、お店の充電コードで繋がって画面が出てきた。
電池で充電すると、電流が一定でないために不具合が生じるのだとか。
以前として、携帯は電池切れだったので、帰宅して充電しようとしたら、なぜか充電できない。
私の携帯の充電コードは、以前に踏んづけてしまって壊れたので、娘が使っていた携帯の充電器で充電していたので、こちらも不具合が起きてしまったのだろうか。
充電器を買おうとしたら、少し上乗せすると新しい携帯が買えるとのこと。
娘がいないと、判断ができない私に歯がゆさを感じながら、値段をきいて、充電してもらった携帯を持って帰宅した。
下高井戸にも携帯の店があったので、ちょっと見ていたら、明大前にない機種がいろいろあった。
「お店によって値段が違うんですか?」と突然婦人の声が耳に入ってきた。
へえーそうなの?  と、軽そうな機種の価格を聞いて帰ってきた。
「今日は新しいのに乗り換えなくちゃ充電も切れちゃうし・・・・・」と考えながら、何気なく ふと、いつも使っている充電器をさして見た。
あれ?不思議!嬉しい! 充電できる!
昨日は充電していると付く灯りが付かなかったのに、今日は付いている。
≪何で? ≫
理由が分からないが、使えるようになった。
ということで、まだ暫く、地図検索ができない携帯電話を使うことに。
出費がなくて嬉しいような、まだ使えるのに新しいのに替えることができない人間なので、新しいのが使えない寂しさも・・・ある。


親王

2007-03-28 14:37:17 | Weblog


長い間楽しませてもらった蘭「親王」
昨年秋篠宮家に親王が誕生したのをお祝いして、この蘭が創られたそうです。
ピンクや白っぽい蘭が主流のお花屋に陳列してあって、始めは目に止まらなかったのですが、店員さんに説明されてみると、なんだか買う気になってしまいました。
他の蘭は値引きをしてくれたのに、この『親王』はどれも値引きをしてくれません。
しかし、一度買いたいなと思った気持ちは捨てがたく、結局値引きなしで、結構なお値段で買いもとめることになったのです。
人間の心理とはゲンキンなもので、値引きをしなかった分、高貴な「親王=蘭」に思えて、心を潤してくれていました。
長い間居間で楽しませてくれていましたが、そろそろ花が終わりに近づいてきましたので、記念に写真に収めました。

新幹線の遅れ

2007-03-27 10:44:20 | Weblog
24日の土曜日、京都20:45発の新幹線「のぞみ」に乗車。
浜松駅で止まってしまった。
車内アナウンスでは、
「掛川と静岡の間新幹線の線路に人が倒れていたため、警察が向かっているので、暫く停車いたします」とのこと。
暫く立って
「ただいま警察が検査をしています」と2回目のアナウンスがありました。
それから情報が入らないまま、時間が過ぎて、眠ってしまったので、その後の経過がアナウンスされたか分かりませんでしたが、
東京駅に着いたのは、日付が変わって明け方の3時半でした。
4時間半遅れて着いたのです。
席に座ったまま、7時間余り、身体は固まったままで、くたくたになってしまいました。
東京駅に着いたものの、在来線は動いていません。始発がでるまで1時間以上もあったので、タクシーで帰ることにしました。
ところが、遅れて東京駅に着いた新幹線は私達の乗った電車だけでありません。
タクシー乗り場は長蛇の列。
順番を待つこと30分。雨の中を走った車は始発電車が出る頃には家に着いていました。
女3人日帰りの旅、朝私が時計を見間違えて、明大前に早く着き、1時間待ったところから、珍道中の旅がスタートしました。
東京駅で、私が新幹線の発射時間が迫っているので急いでおにぎりを買い、飛び乗ったのですが、同行の2人が乗っていなかったのです。
先に新幹線に乗っていると思っていた2人が、時間がないことを気付かずに、おにぎりを買う私を待っていたのです。
そして、私が持っていた紙袋を彼女達に預けたのですが、携帯電話がその袋に入っていたのです。
彼女達は私の携帯に電話を何回もかけて、一向に通じないので、預かった袋の中をみたら私の携帯電話がそこに入っていて、どうすることもできなかったのでした。
京都駅で30分も待ち、旅行の順序が大きく狂ってしまいました。
その結末が、新幹線のストップの旅。
還暦を過ぎた3人にとって、大変な疲労が土産となりましたが、語って尽きない大笑いの旅をしてきました。

特急料金の払い戻し金はしっかり受け取り、タクシー代の一部に・・・・





大失敗と、ひょんなところで

2007-03-14 17:52:48 | Weblog
寒暖の差が大きくて、とうとう昨夜は寒気を感じて早寝しました。
今朝も寒気が残っていて、ゴミだししてから、昼近くまで、なにもする気になれないで、もっぱら新聞を広げてテレビを付けっ放し。
さてお昼ごはんの仕度、昆布出汁にはなカツオをたっぷり入れて、美味しい出汁をとって大根とにんじんを煮ていたのでしたが、お昼ご飯に間に合わないので、これを圧力鍋に入れ替えて、煮ていました。
ところが 他のことをしていたら、焦がしてしまい、せっかく美味しい出汁で煮たのに、大失敗。
お昼に焦げてない上の方を盛り付けて、食卓にだしました。幸い主人に焦げたことがバレないでラッキーでした。

午後は、冷蔵庫の中を除いて、ちょっと日が経ったタラコをレンジでチンしてから、冷蔵庫の中の残っているものが気になって レンジを駆使して料理しました。
その1、たった一枚残った油揚げ、ちょっと油くさくなったので、油抜きをして、器に8枚に切った油揚げを入れてみりんとカツオだし醤油と少量の水を入れて、チン。ひっくり返して再び チン。初めて試したけれど、立派に稲荷寿司に使える味になったのに驚きました。これなら お鍋でクツクツ煮なくても、この方法が失敗しないかもしれない。
次は、8cmくらいの小ぶりの蓮根。きんぴらには小さいし、黒くなる一歩手前だからなんとか料理しておかないと・・・それで、5mmに切って これも器にいれて、少量の水とほんだし顆粒をぱらぱらとして チン。薄塩のハスの煮物になった。
その3 残った大根を短冊に切り、レンジでチン
フライパンに、にんにくのみじん切りと鷹の爪をいれて炒めたところに、大根を入れ、さて味をどうするか考えた。ザ~菜と一緒に炒めようかな?
何かないかと 冷蔵庫の野菜室を見たら、セロリが・・・サラダに一度入れた後食べてなくて、残っていた。これを薄く小口切りにして、大根と一緒に炒めた。美味しい! ひょんなところで 大根の新しい料理が一品できた。
その4、切り落としの牛肉が少し残っていた。
これをフライパンで炒めて、取り出し、玉ねぎ1個スライスして炒め、にんじんを細く切って一緒に炒め その中にトマトの水煮を一缶つぶしながら入れて、固形コンソメを1つ入れ、クツクツ煮込んでみた、味はGood!
今晩は 冷蔵庫整理のおかずばかり。でも味は良いはず!  だと良いけど。

仰げば尊し

2007-03-10 17:12:15 | Weblog
暖冬の今年、今頃になって金沢あたりでは今年一番の積雪に見舞われたとか。
車のタイヤを冬用から替えたばかりという人もいたようですが、3月といえば、卒業式の月。
最近ではあまり歌われなくなったという「仰げば尊し」
歌詞が難しいというのも一つの理由なのだそうです。
私は意味が分からないままというか、意味など考えたことがなくて、、折り目折り目で歌ってきました。
改めて歌詞を思い浮かべると、分からない歌詞が結構あります。

NHKテレビで解説
① 思えばいととし早年月の「いととし」
 「愛しい」の変形かと思いました。
 これは
 「いと」は強調で「とし」は「疾し」=はやい ということ。

②今こそわかれめ の「わかれめ」
  別れ際とか、別れる時かと思いましたが、
 これは 「わかれめ」の「め」は
 意思を表す「む」から「め」に変化したもので
 「わかれよう」という意味

③ 2番の やよ忘るな の「やよ」は「決して」という意味

この年になって初めて意味が分かりました。


今の卒業式では、いろいろな歌が歌われているそうですが、
この曲を聴けば我々世代は即、卒業式という「仰げば尊し」。
この歌を大事にして欲しいし、日本人だったら誰もが共通してイメージできる歌があってもいいのではないかと思います。

それでもボクはやってない

2007-03-01 12:13:02 | Weblog
先日ふと思い立って映画を観たいと思い、ずいぶん話題になった「武士の壱分」を観ようと上映している映画館を検索したところ、渋谷でのみだった。
ところが そのページで目にとまったのが、今年になって、NHKに夫妻で出演した「シャルウィダンス」の周防監督が11年ぶりにメガホンを取った「それでもボクはやってない」の文字。
こちらを観に行きました。
普段、通学や通勤で混んだ電車で痴漢に会った経験をした人は沢山いるとおもいますが、以前痴漢の冤罪で職を失い、裁判でようやっと無罪を勝ち取った人が思い浮かびました。
鑑賞後は爽快感は全くなく、いわゆる「お上に歯が立たない」気持ちのやり場のない思いでした。
思いがけず、鑑賞後に周防監督が来られて、映画を作る経緯から、司法への警鐘、検察や裁判官の実態などの話を聞きました。
聞きながら、日本は三権分立国家で、行政は最近になって、マスコミが談合や、税金の使われ方を取り上げだして、多少は国民の監視が届いているところがあり、立法は、国会議員が何をしているか、これも選挙という機会がありますから、国民の目が光っていると思われます。
しかし、司法について、国民は手がだせず、裁判官の結審が必ずしも正しく行われていなくてもそれを受けなくてはならないという現実を知る映画でした。もちろん控訴という手段はありますが、そこまでしないで正は正の結審をして欲しいのが被告にされた人の感情です。「冗談じゃない、なにもやってないのに」というところでしょう。
裁判は公正にされなくてはなりませんが監督の話では 現状は、裁判官自身の出世が絡んできて、
「白」なのに「黒」とする事件が結構あるようです。
裁判官を私たちが裁くことはできるのでしょうか。たしか最高裁の判事の選挙があると思いますが・・・最高裁は複数の判事で裁きますが、他の裁判ではひとりの判事の判断に拠る結審です。ここで間違いの判決があるということでしょう。