亀の歩みで

急がず、慌てず、IT文化を楽しめたらいいと思っています。

喜寿その1

2007-04-28 11:41:02 | Weblog


私の姉(長女)の喜寿のお祝いで姉妹そろって温泉に出かけ、満開の桜を見て来ました。姉は5月5日の子供の日が誕生日。
ゴールデンウィークなので、混雑を避け平日に。
東京が終わって今頃の桜というと弘前くらいしか思いつかなかったが、足腰の弱っている姉に負担が少なく、地の利が良い「かみのやま温泉」を
次姉が旅行社やインターネットで調べて、切符の手配、ホテル選び、お昼の食事処まで予約してくれました。
ホテルへは喜寿のお祝いの特別料理を頼んだ折に、ホテルとして何かサービスがあるか問い合わせたら、ホテルからはそっけなく「特にありません」という返事で、感じが悪いので、選んだホテルは良くなかったのではないかと気を揉んでいた次姉に比べて、私は喜寿の姉と同様に旅を楽しむだけの状態で、なんだか申し訳ない感じでした。

出発時間は長姉の負担にならない時刻を選び大宮駅で待ち合わせ。
長姉の最寄のバス停の時刻、乗り換えのJR埼京線の最寄り駅に着くバス停の位置を示した地図、駅の写真、時刻、エレベーターの有無、大宮駅では降りたホームで待ち合わせる位置など克明に知らせて、当日を迎えました。
姉妹の住所は千葉県、埼玉県、東京とバラバラ。
朝から雨で、早めに家を出たラ、京王線は14分の遅れが生じてました。JR埼京線・臨海線も15分の遅れでしたから、ダイヤは狂っていて、早く出発して正解でした。
東北新幹線の車窓から雨が止むことを願って、少し空が明る区なった空に期待し、雨があがるかもしれないと かすかな望みを抱き、しかし山を一つ越えるとそこは雨がかなり降っていて、雨が止むことを祈るような気持ちでいましたが、願いは虚しく破れ、雨の降る中「かみのやま温泉」に12時50分に着きました。
お昼ごはんは予約してある「コンニャク番所」。
駅で観光客用にお得なタクシーチケットを購入して、乗ったタクシーの運転手さんがとても感じの良い人で昼食の後、1時間ほどの「桜の花見」に回ってくれました。
このあたりの、歴史も詳しく、この辺りまで武田信玄の所領だったことの他教えてくれたのだが、感心して聞いていたのはその時だけで、帰ってきたらすっかり忘れていました。
ホテルでは、姉が予約した部屋は10帖一間の部屋だったのに、次の間付きの部屋だったので、間違っているのではとフロントへ聞いてみると言う姉に「間違って良い部屋に案内したとしてもホテル側の責任だから」と私。
夕食は椅子席で、正座できない長姉にとって好都合。
2段重ねのお重に「寿」の文字入りの蓋い、箸袋にはやはり「寿」の文字。
そして食事をしていると女将が「本日はおめでとうございます」とガーべラのお花の鉢を長姉にくれた。
ホテルに喜寿の祝いで泊まると話しても「特にありません」ということだったので、何も期待していなかったので、思いがけないお祝いをもらい大変喜んだ。
しかし、車できているのじゃないのに花の鉢をもらっても持って帰るの大変。その辺の配慮がイマイチ。
「ねぇ、ねぇ、お部屋もお祝いでよい部屋を提供してくれたのじゃない?」

初めての越冬

2007-04-09 11:21:59 | Weblog

一昨年いただいたミニシクラメンが、伸びてしまった葉の間から沢山の花を咲かせています。
昨年一冬楽しんだ後、他の鉢に並べて水遣りをしていましたが、枯れもせず、しかし葉ばかりでした。この冬が暖かかったため、霜にあたることがなかったので、生き残り3月の終わりごろから蕾が膨らんできて暖かさに誘われるように咲いています。











このハイビスカスは昨年買ったもので、冬の間、家の中に入れて寒さに当てないようにしてきました。
昨年沢山のハイビスカスを家に入れていたのですが、水遣りをちょっと怠ってしまったのでした。「生き返って!」と祈るように見つめていましたが、終に枯れてしまいました。
一昨年は80cmほどの幹がよじれて素適な形のハイビスカスを春先の暖かい日に外に出し、しまい忘れてたった一晩の寒さに当たって枯らしてしまいました。
今年は大事に面倒をみてきました。
シクラメンはともかくハイビスカスも越冬させて花が咲いてくれたのは初めてのことです。とっても可愛く思います。(~0~)

カレー

2007-04-06 00:23:08 | Weblog
先月、マレーシアカレーがとても身体に良さそうなので、今日は野菜のカレーを作りました。
玉ねぎは大蒜をオリーブオイルで香りを出してから、茶色になるまで炒め、にんじんの千切りを入れて炒め、ここにワインがなかったので、水を入れて、玉ねぎがとろとろになるまで(圧力鍋で10分程)次にマレーシアカレーのスパイスを
クミンやターメリックやガーリック、他7種類くらいのスパイスを入れ、レンジでチンしたジャガイモとレンジでチンしたサツマイモ、それにシメジ、トマトの水煮とコンソメ1個半を入れ胡椒をいれて味を調えてでき・・・・
ジャなかった。昨晩の餃子の具の残り、肉少々、

桜並木

2007-04-01 23:38:42 | Weblog
桜の花見に行く時間がないので、車を走らせて、出会った桜並木の写真を撮りました。
車の通りが少ない通りだったので、ゆっくり走って撮ったのは用賀と日大前

  

桜が丘は車から降りて撮りました。

  


桜の花は、冬の寒さに会わないとなかなか咲かないと暖冬の今年の桜の開花情報で知りました。
見事に咲くのは厳しさを味わってのこと、人間も温室育ちでは鍛えられなくて、良い大人にならない事でしょうか。
昔から苦労は買ってでもしろといわれています。
大人になっても苦労した人は、人の痛みが分かり、不撓の精神が鍛えられ大成するのでしょうか。

同期会

2007-04-01 12:19:07 | Weblog
昨年の4月1日に中学の還暦祝いの同期会、そして昨日は一年遅れの還暦祝いの小学校の同期会がありました。私達の同期は2クラスで、私のクラス担任が亡くなれてから2クラス合同で持つようになりました。
卒業時の担任ではありませんが2年3年と担任だった先生は今年75才、お元気で、弁も立ち、肌も小じわがない美しい肌をしておられました。
70才で作られた自分史には、戦前から教師になり、その後教師を続けながら 妻として、母としての姿を綴られています。
戦時中や戦後の時代背景が見事に書かれていて、素晴らしい本です。
75歳でNo2を出したそうです。
今回、ひとりの秀才の生徒から、小学校での先生の秘話を聞きました。
彼は 東大から通産省に進んだ秀才。算数の授業中、先生が児童に教えている時、自信がないと、彼に「これで良い?」と、彼に目で確認をしていたそうです。
「間違ってない!」と、それとなく合図を送ると安心して先に進めていたとか。
「(^-^)ネ!、先生、そうですよね?」と彼。
先生は、こっくり頷いて認めて「彼はあまりに頭が良くて、怖かった・・・」と。
私達は彼が頭が良いことは知っていたけれど、先生が頼りにするほどとは思っていなかった。彼は6年生の途中で、親から「○○中学を受験」をするように言われ、難なく優秀な成績で入学。2年までは成績が悪く、教師からもっと実力があるはずだといわれ、ふとしたきっかけで数学を追求するようになり、中学生で大学受験数学を解けるようになり、「ピタゴラスの定理」と個人名が定理に付くような定理を見つけようと、明けても暮れても定理を求めて数学の毎日を送っていたそうです。

一方 先生からは、小学校当時問題児だった子ほど、記憶に残っていて、今でも心配する気持ちが続いていて、元気に暮らしているのが分かると安堵するのだそうです。

さて、女性人の中にはご主人を亡くされた人がいました。
一口に「2年前に亡くなりました」「昨年亡くなりました」となんでもないように話していましたが、亡くなるまでのことを聞くと、大変な日々であったし、一人になってからの精神的葛藤を乗り越えて今この場にいることなどを聞くと、
元気で飛び回っている主人に、不満は沢山あるものの、当たり前に会話ができ、偶には一緒に旅にも行かれる今の自分はいい時を過ごせていると思いました。

前出の秀才君の著作「高橋の数」を戴いたので、読み出しました。
生い立ちあたりはスイスイ読みましたが、本題の数学の話に入るとサラッとは読めなくなり、飛ばして最後の方の「私の脳」辺りから最後まで読み終えました。
後で真ん中を読もうと思っています。
ここまで読んだ感想:凄いことを考える能力のある人が身近にいた驚きと、彼は数学を学ぶことは「苦はなく「単なる追求」であり、「喜び」だった、とても尋常では考えられない「脳」の持ち主だった。
こんな優秀な人にふれて度肝を抜かれた私でしたが、平凡に できないことを悩んで、それでも できないまま卒業して、一社会人として生活できていければいいんじゃないかと感じました。
しかし、スポーツや芸術の世界などにいる多才な人たちは、弛みない努力を積み重ねて大成しているのですから、一社会人で良いという私の考えは、ただ怠惰ってことなのかも・・・・?
怠惰とか、屈辱的な自分をいろいろ考えてみても到底私にはできないことだ。
ちっぽけな範囲でちょっと頑張ったりするだけで良しとしよう。