亀の歩みで

急がず、慌てず、IT文化を楽しめたらいいと思っています。

夫婦別寝室

2006-08-23 12:01:46 | Weblog
主人がヨソ様に語っている話の中で、主人はどっちに賛同しているのか分からないことがあります。
その中のひとつに
「夫婦別々の寝室」
住宅事情もあり、一概には言えないのですが、私達くらいの年になると、子供が別世帯を構えて、今まで使っていた子供部屋が空いて、夫婦の何れかが子供の部屋へ移り、寝室を別にしていることが多いと、語っていました。
我が家も夫婦二人になって、3人の子供が使っていた部屋は、一つは主人の仕事部屋、一つは私のパソコンやら洗濯物を整理する家事室みたいに使っていて、残りの部屋は、娘の荷物とベットが残っています。
私のベットを他の部屋に移せば、夫婦別寝室になるのですが、移す特段の理由も見当たらず、未だに夫婦同寝室です。
ですが、この夏の暑さで、主人は冷房をガンガンかけています。
私は 体が冷え込んでシバシバ目が覚めてしまい、朝の目覚めがすっきりしません。
下の部屋に比べ 暑い2階に寝室も子供の部屋もあるので、今は下の和室で布団を敷いて寝ています。
以前パソコンのビデオ編集でパソコンをやりすぎて腕を痛めて、未だ完全に治りきっていないので、布団の出し入れは腕が痛いのですが、冷房で夜中に目が覚めてしまうより、朝の目覚めが良いために、7月下旬から、夫婦別寝室です。
この状態が続いていますが、未だに主人が、ヨソ様に語っていた夫婦別寝室の賛同者なのか如何か分かりません。階下で寝ていても なんにも言いません。
布団の上げ下ろしが面倒になったら、2回の寝室に戻るつもりです。

夫の存在

2006-08-20 11:21:19 | Weblog
今夏 暑中見舞いを出したところ、ご主人と実母を相次いで亡くされたと返事を頂いた友達を電話で話をしました。
彼女は 
定年を迎えて、自治会の会長になって活躍していたご主人は病気になリ、外出が一人でできなくなってしまいました。
生来 前向きな彼女は、自分の仕事や趣味を忙しい時間をやりくりして、花の季節には花を見に、紅葉を見に、ご主人を車に乗せて、出かけていたそうです。
ご主人に加えて、実家の両親も高齢のため、手助けが必要をなり、東京まで車を走らせて通っていました。
初めの内 ご主人は一人で留守番ができていましたが、月日が経つ内に難しくなって、ショートステイを利用して、親の面倒を見に出かけていました。
高速道路を突っ走っても片道2時間を要します。
時折電話で話していましたが、いつも「くよくよしていてもしょうがない」と明るい彼女でした。
このような中、ご主人が治療のため血管拡張の手術を受けたのが昨年11月のこと。体力の回復を待って2回目の手術を春に予定していました。
一方年が明けて母親が肺炎の為に入院することになってしまいました。
そのため父親も施設に入れてもらわなくてならなくなり、慌てて探しましたが、急を要するため彼女の住いの近くには空が無くて、ちょっと離れている場所にたまたま新しくオープンしたばかりの施設に一時的に入れてもらったそうです。

ご主人を車に乗せては入院している母親を見舞うこともシバシバ。
ご主人と一緒に見舞っていたため、母と夫が久しぶりに楽しそうに「ずいぶん年をとった!」と語らっていたとか。
そうこうしている内に急に容態が悪くなった母親が亡くなってしまいました。

葬儀もひと段落着いて、ご主人の体力回復状態の検診に行った病院で、即刻入院と言われたものの、足は動かないため介護を必要としていても、夫婦の会話はいつもの通りだったので、
入院に必要なものもあるので明日来る と帰宅したところ、急変して病院から電話が入り、駆けつけた時には、器械は一本の線になってしまっていたそうです。
それから瞬く間に、母親の新盆、そして夫の新盆を終え、あっと言う間に月日が経っていったとか。
ご主人を亡くされた後は、施設にいる父親を月に数回は在宅介護をしなくてはならないため、東京の親の家に泊まり父の介護を余儀なくされていて、この8月だけでも、症状の違いは有っても診察を受けるため病院に連れていったのが8回もあったそうです。

そんな彼女が最後に語ったことは、
「主人が亡くなって、年金が58%に下がってしまい、固定資産税・新聞・電話・電気・ガスなど生活の殆どの物が2人居る時も1人も変わらず掛かるのに年金はこれだけ下がってしまうと生活が大変になってしまった。
それと、話したくても夫がいないことは辛い。
入院していても夫が生きていてくれることがどんなに良かったか
貴女 ご主人を大切にね!」

シム・シメール

2006-08-17 11:17:46 | Weblog
新宿のLタワーで開かれているシム・シメール展を見てきました。

会場に入って目にした絵にどこか懐かしい気持ちが湧いてきたのですが、中ほどまで進んで、その理由が分かりました。
「ライオンキング」のイラストを描いた人らしい。

描かれたライオンはぬいぐるみの様で、ふわふわの生地がそのまま絵に貼ってあるかのように、浮き出て見えました。

係りの方が版画と原画を並べてくれましたが、どちらが原画か分からないくらいでした。ただし価格は原画は版画の10倍してました。



頂いた絵葉書です。

停電

2006-08-14 10:45:02 | Weblog
今朝 都内広範囲に渡って停電がありました。
朝食の支度に電子レンジを使おうとした途端の停電でした。
作動しないので、オカシイと思い、何度かスイッチを入れましたが、動きませんでした。
その内、傍に置いてある、電話の子機が「ぷーぷー」と鳴り出しました。
この子機は電池がなくなるとこの音が鳴り出すので、もう電池の寿命が来ちゃったのかな、取り替えてからそんなに経ってないようなのに・・・・・と。
気が付くと 今まで点いていた照明やテレビが消えてました。
初めはブレーカーが落ちたのかと思い、点検しましたが、ブレーカーは落ちていません。
念のため、外にでて取り込んでいるブレーカーを確認しました。
室外にあるブレーカーはボックスに入っているため、扉を開けようとしましたが、普段点検する機会がないので開け方が分からず、むやみに引っ張ったり押し込んだり、焦りも手伝って中々開きません。
開けるのに手間取りましたが漸く扉を開けることができ、点検しましたがこちらも[ON]になったまま何も変わりが無いのを確認し、これはやはり停電だろうと思いました。
ラジオでなにか言っているかもしれないと思いましたが、いつも聞いているラジオは電池で聞いているのではないので、緊急用のラジオを使うしかないと思いましたが、電池をセットしたりしなくちゃならず 後回しに・・・・

東京電力に聞こうと思いましたが、問い合わせたくても電話回線が使えません。
そこで文明の利器「携帯電話」の登場です。
ところで 東京電力などの公共の電話番号はパソコンでゲットしたりしていますが、そのパソコンが使えません。
こんな時には、昔から使っていた我が家の電話帳のお世話になります。
必要を感じた時々に書き込んで、ボールペンやら鉛筆やら、字も不揃いで汚い電話帳ですが、こんな時はやはり「アナログ」が活躍するもの、アナログも捨てがたいものよ!
などと独り言のように思いながら、電話帳から東京電力の電話番号で携帯電話でかけてみました。
沢山の人が問い合わせている性か 掛かりません。
主人は主人で、領収書に記載されていた電話番号で やはり携帯から掛けたようです。
そして、ラジオを手に2階から下りてきました。
「これ 手で回すとラジオを聞けるんだよ」と・・・。
そうだ! その手があった!
娘が防災用にと買ってくれたラジオが、同じ機能を持っていたっけ。
それは直ぐに使えるようにとキッチンに掛けてある。



トッテを回すと蓄電することができて、ラジオを聴くこともできるし、懐中電灯として使えるし、その上携帯電話の充電もできるという優れもの。
早速 トッテをグルグルと回してラジオをスイッチをいれた。
NHKのニュースで、「渋谷・世田谷など都内広範囲で停電になっています」
直ぐに情報を耳にすることができた。

「トントン・トントン」なにやら戸をたたく音が聞こえて、玄関に出てみると、近くに住んでいる義兄が立っていた。
「停電かな?」
すると真向かいの人がYシャツにネクタイ姿で我が家の門の前に・・・
「車のテレビを点けたんですが、テレビでは何も出てこないんです・・・」
「停電だそうです。葛西の方の電車も止まっているらしいです。ラジオで言ってました」

8時過ぎに娘から電話が入り、「停電してるって?」
「そうなの。携帯電話の留守電聞いて電話くれたの?」
「イヤー、テレビで言っていたから」
娘の住む六本木ヒルズは停電していない模様。
その途端、照明が点いて私の住むエリアは停電が復旧しました。
しかし以前 復旧していなくて、鉄道もストップしたところが増えたという情報でした。
ちょうど通勤時間に重なってましたから、大変だったことだと思います。
一人暮らしの人は何時停電が復旧するか分からないので、冷蔵庫の中を心配しながら出かけたようです。
午前10時44分全面復旧したそうです。
原因は 浦安あたりを浚渫船がクレーンを上げたままで通行した結果送電線(279万6千V)を引っ掛かって、切ってしまったとのことです。

自家発電に切り替えると煙が出るのを見て、テロという話も飛び出たらしい。
エレーベーターがストップ。信号が消えてしまう等々首都機能が乱れて、これくらいの停電でこの事態では有事の時 どうなるのか不安にもなりました。
そうそう 前出の義兄宅はオートロックになっているので開かなくて手動で開けたとか・・

セミが

2006-08-11 18:31:42 | Weblog
薄暗くなってからセミがジィジィ鳴いてます。
こんなに長く聞こえてきたのは今夏、初めてです。
昔はこの時期うるさく感じるほど鳴いていたのに、
近年はセミもずいぶん少なくなってきてしまいました。
結婚した頃は、玉虫とかカナブンとか庭にいました。
子供の前で「キャーキャー」声を出して逃げ回っていた性か、
長男が小バエとか小さいものでも虫は全て大嫌いになってしまいました。

暑中見舞いの返事

2006-08-09 11:33:24 | Weblog
友達から暑中見舞いの返事が届き、俗に言う「便りがないのは良いこと」ではなかったとおもいました。・・・
小学校の友達は数年前、ご主人が、病に倒れて、要介護になり、機能回復のために、車で外に連れて出て、刺激を与えたり、いろいろ頑張っていました。
併せてご両親が相次いで人の手が必要になり、実家にも介護に通ってました。
そんな中でも趣味の書を通じて、中国との民間外交に出かけたり、多岐に渡って活躍していました。
暫く沙汰がないと思っていましたら、この春 実母を亡くされ、その後ご主人を亡くされ、失意のどん底に明け暮れていたとのこと。
今でも愁傷感の中で 実家に通い父親の面倒を見ているとのこと。

また、別の友人は昨年突然ご主人を亡くされ、自分も後を追いたいと思いながら、1周忌を迎えたものの、悲しさは癒えず、一人っ子の彼女は周りの友人に励まされているとのこと。

わが身を振り返ってみれば、夫がいることが当たり前になっていて、勝手なことばかり言っている自分を見つめなおすことにしました。



暑中見舞い

2006-08-04 13:44:16 | Weblog
今年の暑中見舞い、子供さんがいそうなお宅へ出しました。
切り抜いて組み立てると小箱になります。
飴玉が2粒くらい入ります。
便りはホンの少し、差出人の横に・・・。



考えてみたら、カモメールのクジが付いていて、使うとしても9月4日以降でした。
お祭りが終わってしまう・・・。

梅干

2006-08-04 13:20:46 | Weblog
今日は朝から暑い日になりました。
こんな日は洗濯する気分。
なんだか気分が良いのは何故でしょう。
多分 今日から主人が10日間 旅行に出かけるのでかも?
さっさと掃除機もかけ、洗濯物を干し、お風呂場にカビキラーを撒いて、キッチンの片付け、そしておカビキラーを撒いておいた風呂場の掃除。
お昼前、主人は楽しそうに出かけました。
私も“o(* ̄o ̄)o”ウキウキ♪。

そうだ、この日照りに 梅干を干さないと・・・
今年は、南高梅を奮発して漬けました。
毎年漬けていないので、漬け方が一様に決まってなく、
テレビから、漬物の本から知恵を借りてます。
今年は、漬物の本をみて4kg漬けました。
初めて赤紫蘇を入れてみました。

そして、梅干用の笊があるのですが、今年は梅干用に買った簾をベランダに敷き梅を紫蘇を干しました。
赤紫蘇はユカリとして、いろいろ料理に使えそうです。
干してみると4kgの梅、思っていたより少なく感じます。
梅は一粒が大きくて3.5~4cm。
どんな味になっているか楽しみ・・・。

体験 一日ヒルズ族

2006-08-01 17:12:03 | Weblog

娘が住んでいる六本木ヒルズのアパートを訪ねました。
高層のビルが堀エモンのライブドアや村上ファンドが入っているビルで、娘の会社もこの中にあります。
屋上は環境に優しい仕様で庭園になっていて、大きなお化けみたいな猫じゃらしが強風になびいていました。写真を撮りましたが、ぶれてしまいました。
右下は このビルの隣にある小学校です。珍しく校庭が芝生になってました。



18階にあるゲストルームからです。窓がフレームになって東京タワーが絵のように素敵に見ることができます。
右は テレビ朝日のアンテナです。反対側にもう一つありました。
娘の部屋からテレ朝のオフィスが良く見えて、「テレビ局が24時間働いているということが良く分かる」と言ってます。
下はゲストルームの一部で、自由に飲み物がいただけます。
朝は住人のための朝食が無料で用意されるので、一晩泊まって、朝食を食べました。



ヒルズの住人が利用できる「スパ」と「ジム」を、娘が住んでいるので、私と息子夫婦がビジターで利用できました。
外部の人は会員制で利用できるらしいですが、加入するのも、会費も大変な額らしいです。
受付嬢は黒いスーツ姿で 流石一寸違う という印象。
ジムでは 初めて体験するのマシンで運動しました。
15分は続けるように言われ、若い人に混じって頑張って15分格闘しました。
それから二の腕を鍛える 振袖になってしまった腕を少しでも変えたい密かな願望です。変えたいのは腕だけではないのですが・・・アハハ!
それからプールでひと泳ぎして、娘からプレゼントのスパでマッサージをしてもらいました。
そして後から来た主人と一緒に
私の誕生日を家族で祝ってくれました。
ヒルズにあるホテルのフレンチをご馳走になりました。
オープンキッチンになっていて、普通見えないキッチンが良く見えましたが、
興味を引かれたのは最初だけで、後はおしゃべりに夢中になり、キッチンの様子は全く目に入リませんでした。
デザートをいただく頃には、満足感に浸って、主人と息子夫婦と別れ、私は娘のアパートに泊まりました。

娘のアパートにモナコに邸宅を構えている「デューク○○」さんがいるみたい。