亀の歩みで

急がず、慌てず、IT文化を楽しめたらいいと思っています。

photback

2008-05-31 23:44:51 | Weblog
この春の同窓会を記念して
アルバムをphotbackで作成して、
みんなに送りました。




表紙の写真は主人の撮影したのを使用しました。
「お陰さまでいいアルバムができました」というと
主人は内心嬉しいのでしょうが、「うん」と返事し 何事もないような顔をしていました。




今はこの校舎は建て替わってしまってます。
卒業した年に
長嶋茂雄さんが巨人に入団し、プロ入り初めての出番にすべて三振したのだそうです。
鉄腕アトムが放映始まり、東京タワーが建ち、暮れに「一万円札」が発行されたのでした。
これはインターネットで調べてわかったことです。アルバムにその一部を載せました。




写真は打ち合わせの時「セピア色」の方がいいということになりました。

送られてきたアルバムを見て、とても喜んで電話をくれた友達がいました、
彼女は幹事の一人ですが、打ち合わせに参加できなかったので、送られてきて初めてアルバムを見たのです。
アルバムの制作者は記載してありませんし、
アルバムを送るときに送付状を入れましたが、これは代表幹事が作った文章をメールで送ってきたのを私が印刷しました。
送付状に幹事代表が「アルバムはnaranekoさんが作成しました」と入れてくれましたが、みんなで作ったのですから、これはカットして印刷して送付しました。
とはいえ、中心になって作った者にとって喜んでいただけたのがとても嬉しいことです。

ついでに封筒の宛名印刷
これはExcelの名簿から「差し込み印刷」を使うのですが、教室で教えてもらって初めて印刷しました。
とても便利なのに驚き、パソコンちゃんの頭の良さに感心しました。
そうそう封筒がこのあたりではサイズがなくて、ハンズに行ってようやく探し当てたのですが、印刷の時、このサイズがなくて、これもまたはじめての経験ですが、自分でサイズを入力して印刷しました。
とってもいい勉強になりました。・・・しかし、今後マスターしたこの方法を使うチャンスが来るかどうか・・・・?

2か月前

2008-05-31 23:20:31 | Weblog
夕方から仙川の「美しの湯」に行って垢すりしてきました。
2か月前 長姉と一緒に来たことが思い出されます。
あんなに喜んでいたたのに・・・・・
未だに意識が回復してなくて、一昨日見舞ったときに、姉のなくなった主人の(義兄)の写真を見せたら、すぐに分かって笑ってくれたのだった。
「見せてあげて良かったぁ」と思ったのも束の間。
暫くすると顔が曇って、なんだか辛そうな表情になった。
こちらが「つらそう」 そう思うからかもしれないが、そのままベットの脇の台の上において帰ってきた。

姉が倒れてしまって、連れて行ってあげることができない。
喜ぶ顔を見ることができなくて、残念に思う。

私はこの「仙川のお風呂にリフレッシュしに今後もくることになるだろう。
その都度 姉と出かけた「お風呂と桜」は思い出すに違いない。

なにが良いって「垢すり」とそして「軽くマッサージ」をしてくれるから、それが堪らない。

ブルガリアでは

2008-05-27 07:04:09 | Weblog
今朝の読売新聞より
ブルガリアでは、頼みごとをすると、たいてい首を横に振る。ダメかと思ってしまうが、ここでは横に振るのが「はい」で縦にコックリするのが「いいえ」だとか。
頭で分かっていても現実感がない。まるで「不思議の国」を旅するような奇妙さだ。とあった。
全く違うことだが、そういえば 家族でカナダに住んでいた頃、子供たちが現地の学校に通い慣れてきた頃から、日本語で「これはもう要らないの?」と聞くと、首を横に振って「要らない!」と答えたもの。
日本人なら「うん、要らない」と「縦に」振って答えるので、最初はずいぶん戸惑ったものだった。
英語だと「否定形」の質問には答える側が「質問」された事柄について「否定」だったら「答え」も否定形になるのだが、日本語は「否定形」の質問そのものに対して「ハイ」「イイエ」を答えるのが慣習になっているため、帰国して暫く我が家では時々、行き違いがあった。今ではすっかり日本の慣習に戻ったが、現在 アメリカにいる息子と話すときは気をつけている。

久し振り

2008-05-18 13:48:07 | Weblog
気候が良くなり、朝の目覚めが冬の間より早い時刻になってきてました。
それで一念発起して、朝の散歩をし始めて今日で3日目。
最初の日は甲州街道を渡って、今まで歩いたことがない道に入ったところ、今まで一つのお寺だと思っていたのに、なんと3つのお寺が隣り合わせにあったことが判明。
そういえば東松原駅近くにもいくつかのお寺が隣接しています。
聞いた話では、昔都心にあった寺々が区画整理の為だったかで、郊外に移転させられたとか。
烏山には寺町と住居表示があるくらいだから、お寺が沢山並んでいることでしょう。
歩いていると身障者の学校が建設中。さらにすすんで行くと、明治大学のグランドに出た。
私が独身のころ、会社のグランドがここにあった。
テニスコートがあって、土・日には練習に通ったもの。
また明治大学に通っていた友達に誘われて、この上の校舎で開かれた大学祭にも来たことがあったと懐かしく思い出して歩いていた。
さらに進むと井の頭線が通る音が、みるとほどなく踏切に。
踏切を渡ると何処へでるのか心配になって、踏切手前の道を選んだ。
結局はグランドを周りもとの道に出たのだったが、グランド側に建っている校舎から上の校舎は連絡橋で繋がっており、道路を跨がなくても済むようになっていた。
その下の道路は、駐車禁止の勧告がべたべた貼ってあった。以前は車で大学に通う学生の違法駐車が絶えなかったのだろうか。

帰り道は神田川に沿って、時々川に泳ぐ鯉を眺めた。静かにゆったりと泳いでいた。やはり赤色の鯉がすぐに分かった。黒い鯉はじっと見つめているとたくさん泳いでいるのが分かった。
そして、「鯉は獲らないでください」と貼ってあった。
ここにも「フトドキ者」が出没するようである。

最初の日の散歩は 後で困らないように短時間で切り上げた。

母の日

2008-05-15 15:32:30 | Weblog
母の日に子供たちからの贈り物をいただいた。
娘からは 天然温泉で、ジャグジーと露天風呂がついている目黒区にある普通のお風呂屋さんに行ってから、洒落た一品料理もあるというお寿司屋さんに招待してもらい、夫と3人で出かけました。
お寿司やに予約をしていたため お風呂に入って体の火照りが十分冷めないうちに服を着たため汗がなかなか止まらなかったので、今度は時間をたっぷりとって期待と思いました。
お寿司屋さんにはお任せで、小さな器に品よく盛られたお料理が次々と出てきて、肝心のお寿司を食べられなくなりそう。
とはいえ胃袋が大きい食い意地が張っている私は、しっかり握り寿司もいただいて、お酒も十分楽しんで、そして酔っ払って普段は言えないことも言い、本当に楽しい母の日でした。


ドライブスルー

2008-05-10 16:38:13 | Weblog
今朝早く出発して入院している姉のお見舞いにいきました。
昨日までの陽気と打って変って3月の気温に戻ってしまいましたので、それまで5月下旬だとか6月の初夏のような日差しが暑い日が続いていたので、セーターも洗い、上着もクリーニングへ出してしまったのです。
母が言っていました。梅雨があけるまでは夏物一色にすることはできないと。
車ですから、さほど影響はないものの、雨も降ってきて、上着なしではすみません。
10時過ぎに病院に付いて、面会時間は午後ですが、家族は別、と勝手な解釈をして、病室へ。
医者の適切な治療のおかげで 姉は再出血の危険はなくなり、手足の浮腫みもとれたのはホッとできたのだが、すっかり筋肉がおちて、細くて哀れになってしまっている。
紙を丸めて 耳の遠い姉の耳元に近づけて
「お花は花木さんに水をあげてもらっているからね!」と声をかけてみた。
ちゃんと聞こえたようで、「うん」とコックリして安心した顔になった。
さらに、前回も見せた写真、これは姉が姪の子供に贈った手編みの帽子と靴下を履いている写真なのだが、今日も見せてみた。自分が編んだものなのでしっかりと記憶していることがよく分かる。姉は自分が編んだものだと分かると同時に、今自分の状況が分かって、やりきれなさも味わうのかも知れないと思うと、写真は見せない方が姉のためなのかと・・・・

帰りはお昼時にかかってしまい、どこかで食事をしようと車を走らせていたら「マクドナルド」の「ドライブスルー」の文字が目に飛び込んできた。
自宅のある最寄り駅にもこの店はあるのだが「ドライブスルー」は駅前のため設置されていない。子供が小さい頃 家族で夫の運転する車で、まだ当時はドライブスルーが珍しくて、興味深々、注文してしかるべき場所で品を受け取ったことも懐かしい。
今日は私一人、しかも大台を超えた「女」が独りである。
ちょっと冒険をしてみようと、マイクのあるところで車を止めた。
「ご注文をどうぞ」
顔が見えないことがこんなに不安になるものかと、ドキドキしながら、目の前のメニューを見る。色々あって即座に決められなくて、昔よく食べた「フィレオフィッシュ」と「コーヒー」と注文した。
「コーヒーはSにしますかLにしますか?」ときた。
落ち着いて「S」をお願いしますと言えた。
「では前にお進みください」
合わせて360円だった。注文する時、ドキドキして値段を見る余裕がなかったので、意外と安くすんだことに満足。
いつもなら関越を選んでいち早く帰るのだが、今日は下の道を通って、赤信号の旅にパンを口にしながら帰ってきた。
私にとっては ちょっとした冒険だった。

17回忌

2008-05-03 16:55:21 | Weblog
今日5月3日は憲法記念日。主人の母の17回忌の法事でした。
命日は20日なのに、5月に法事ができる日がゴールデンウィークの真っただ中の3日しか取れなかったのだとか。
生憎昨日からの雨が降り続いてました。11時から1時間ほどの法要が終わる頃雨が上がってることを期待しましたが、お墓参りの時にはまだ傘が必要で、お水をあげる必要がなくお線香をあげて手を合せました。
そのあと、駅近くのホテルで会食しましたが、目の前に広がる景色は明治神宮の向こうに新宿副都心の高層ビルが見えて、店は目の前をスケッチした絵にビルの名前が書いてある栞を用意してくれて、なかなか洒落た計らいに「ナカナカ、こじゃれたサービス」と、栞とビルを見ながら、話が広がりました。
姪のご主人がある有名設計事務所の建築家で、「あのビル」というと「何年前にできて」とか「丹下さんの孫の設計」とか詳しいので、流石プロということに。
久し振りで会った 小さかった姪の子供が、成長してどんどん大きくなって、大人との会話を楽しんでいるのにびっくりです。
今年75歳になる義兄から、「母の23回忌は僕が80歳を超えるし、やれる自信がないから、23回忌はないことにしますか?」と話がでたのです。
「大丈夫よ、長生きするわよ」主人の姉が言えば、「私の方が本葬になってるかもしれないわ」と兄嫁。
23回忌の法事は今からやるとかやらないとか決めなくていい、ということになったのですが、昔の家制度と違って、兄の子供の世代に祖父母の法事を受け継がせないというのが当たり前なのかどうか、他所様のお宅では如何様にしているのか、機会があったら聞いてみたいと思いました。
そうそう、リズムに合わせて自然と体が動いていた様子をみてバレーを習わしたという姪の子供は、坊さんが叩く木魚のリズムに合わせて体を動かしていたとか。
「お経はリズムなんですね」と姪のご主人の一言。
私もそう思いました。