亀の歩みで

急がず、慌てず、IT文化を楽しめたらいいと思っています。

アボガドのタネ

2007-10-19 02:11:13 | Weblog
アボガドは栄養価が高いので時々食卓に並びます。しかし、すぐに黒くなってしまうので、種をだして中身をボールに移してすぐにレモンの汁をかけて黒くなるのを防ぎますが、それでも黒くなってしまうことがあります。
テレビで、メキシコ人の家庭料理で紹介していました。
アボガドのタネを入れたまま他の野菜と和えると黒くならない。
本当かな?と試してみましたら、なんと不思議なことに黒くなりませんでした。
最近の料理の本にかいてあるのでしょうか。
素晴らしい情報でした。

一年の間に

2007-10-18 13:35:08 | Weblog
遥か昔に子供が通っていた学校ではPTAの組織がしっかり出来上がっていて、総務部・教育部・厚生部など各部が文化祭や体育祭に大きくかかわり、学校に貢献していた。
子供が中学3年の時にPTAの役員になり、1年間かなり頻繁に学校へ通ったのがついこの間の事のようです。
その時、一緒の係りで団結した1年生から4年生(中高一貫教育のため高校1年生を4年生と言う)のメンバーが、任務が終えた後も1年に1度お食事会をするようになって20年以上続いている。
昨日、そのお食事会があって、久しぶりに顔を合わせ、みんなで集えたことを喜んでいたのだが、この1年、数えてみると365日、短いようで長い月日であることを実感した。
中の一人はご主人が海外で重責を担って昨年退官して帰国し、家も手を入れて、これからは夫婦でのんびり旅行をするのを楽しみにしていたところ、
帰国を待っていたかのようにお嫁さんが精神を患ってしまい、嫁さんと離れて息子と孫が同居することになり、孫の世話に追われる生活となってしまった。
今年の年賀状に「孫と野菜作りをしている」と書いてあったので、孫のいない私は羨ましく思っていたのだったが、思ってもいない苦労をしていたことをしって複雑な気持になりました。 
また、ある人は昨年はようやくうち孫に男の子が誕生した喜びで一杯でした。ところが実家に出産で戻ったお嫁さんがそのまま帰らず、遂に離婚することになってしまった。お孫さんは東京にいる父親の家に一度も来ることもなく父を失ってしまったのです。こんな小説でもないのに現実に起きているのを知ることとなりました。その話は、「Aさんの息子さん離婚されたのよね、実は・・・」という話から始まりました。このAさんは、代々医者の家系で周りはみな医者の家です。息子さん達は当然医者で娘さんも医者、いうことなしのお医者様の家ですが、息子さんは何故か離婚してそのお子さんは可愛い盛りでしたが奥さんが引き取ってしまったそうです。
「今日はいい話と言えばBさんがマンションを建てた話くらいねぇ」とは、Cさんと交わした会話でした。
Cさんは今年の5月、ご主人をガンで亡くされました。
皆と別れた後 夕食一緒に食べましょと付き合ったのです。
しみじみとご主人の経過をききました。
Cさんのご主人はZ医大に複数の診療を受けていたのに、3月に癌が見つかった時は末期で、5月までくらいしか余命がないと言われたそうです。
Cさんには息子さんが一人いて、病院からは息子さんに病気の説明があり、彼女は息子から仔細を聞いたそうです。
息子夫婦と相談して、最後まで病名は知らせないと決めて、病院に伝え医者や看護婦さんは徹底して最後まで知られないようにしてくれたそうです。
しかし、彼女は知られないようにするのにとても苦労したし、30歳半ばの息子の沈着冷静な対応になんども助けられたとか。
病院から帰る道々は放心状態で、コンビニで選ぶことなく決まったお弁当を買い、その品切れのときは無意識に隣のお弁当を手にしてレジに行くという具合。
何を食べたのか、どうやって帰ってきたのか、テレビのスウィッチをいれても上の空の毎日。
最後は息子さんとお嫁さんが会社を休み、それも「有給休暇が余って消化しなくちゃならないから」と、父親に気付かれないようにして、病室に泊まり看病に明け暮れたものの、出社しなくてはならなくなってきて、終いにお嫁さんのお父さんが手助けに来てくれるという話になったその日に息を引き取ったそうです。
家族4人が結束できとても良い時間を過ごすことができたと話してくれました。
今はいろいろと手続きに追われていて、一人になった寂しさを実感していないそうです。
明るい性格のCさんですから、1年も経てば乗り越えて前向きになれると思います。


ジャズコンサート

2007-10-14 23:11:56 | Weblog
ハービー・ハンコックとウェイン・ショーター出演のジャズコンサートにいってきました。
娘がジャズが好きな主人のためにチケットを手に入れてくれたのでしたが、行かれなくて代わりに私が聞きにいきました。前から2列目の席で、素晴らしい演奏を聴くことができました。

東京国際フォーラムAでも演奏するようですが、このホールは大きなホールなのでおそらくパネルに映し出された彼らを見ることになるのではないかと思います。
その点 パシフィコ横浜国立大ホールは、規模がそれほど大きくなくて、とても素晴らしいコンサートでした。
帰りは早めの夕食をすることにしてので、娘がホテルのレストランの情報を調べてくれていましたが、どこがいい?何が食べたい?と聞かれて、なんでも良い私は困りました。クイーン・アリスがプロディースしたという中華を食べて満腹でした。
心も満たされてとっても満足な一日を過ごしました。

息子の3週間

2007-10-09 11:57:26 | Weblog
9月半ばから、アメリカから一時帰国した息子と私たち夫婦の「親子水入らず3週間の生活」が昨日朝 新宿へ送って終了した。
滞在中はビザの申請、運転免許証の更新、友人知人との友好、その上、突然、大学同期生の訃報で弔問、あろうことかアメリカに戻る前日にはアメリカの友人の父親の葬儀(山梨県甲府での告別式)に出席するなどと、ハードなスケジュールだった。

また、ある日は夕方から 素敵なアパートに住む娘の部屋を見に行って、目の前にあるレトロなウナギ屋で御馳走になり、その後一緒に近くのダイエーでアメリカに持ち帰るものを物色して購入した。
弟の懐を軽くしてあげるために姉である娘は買い込んだものは全部払ってあげたのだ。まるで親みたいに。

息子は今までに数回帰国してアメリカへ戻って行ったがその都度、ぎりぎりまで荷作りができず、手伝わざるをえない状態だった。
その手伝いをしてきた私や娘から今回もそんなことになるのではと揶揄されていた。
小ぶりのスーツケースで帰国した息子は2個目のスーツケースを日本で購入予定だったが、気に入ったのが見つからず・・・というか 我が家に娘が使わなくなったのが一つあったので、本人はそれを頂戴するつもりで真剣に見つけようとしなかったと思うのだが、思ったとおり、娘に電話して「貰う」ことにした。
荷作りは、告別式から帰宅した夕方から始めた。
しばらくしてから、最後の晩になるので娘が一緒に夕食を食べに帰ってきて、賑やかに食事をしたあと、荷造りを再開。
買い込んだものが沢山で、かなりの重量。スーツケースに入れた本が10kgあった。これを取り出すとなんとか制限をクリアーできそうだったので、その本は手荷物で運ぶことにした。
荷造りを終えた後、話し込んで、その後、私は久しぶりに息子のためにお弁当をつくり、なんだかんだで寝たのが明け方の4時になってしまった。6時に起きると息子も起きてきて最後の荷物チェック。そんなこんなしているとあっという間に時間がたってしまった。
成田エキスプレスの時刻を調べた主人が、8時台出発する便は間に合わない、自発は9時40分すぎ、これでは成田に出発2時間前に間に合わない。
急遽、乗物をバスに変える。当の本人は呑気に構えているが、その時刻は何時?
と 傍がイライラ。
主人がバスなら新宿のヒルトンホテルが良いと、ホテルに車を着けたら新宿西口から乗る予定だったバスが数分後に到着するタイミングの良さだった。
ホテルに泊まっていないのに親切な応対に感激した息子はようやく成田行のバスに乗り込んだ。
怒ったりするけど、どこまでいっても親。親身になって動いてあげる。
息子を見送って、夫婦で「ふーっ」と。

 成田でチェックインしたら、重量は20KGもオーバーしてたとか。