いくつかの媒体をみていて思うのは、
この情報のでどころは?ということ。
私の予感が正しければ、・・・そういうことだ。
つまり、情報が操作されていると感じる。
この感覚は、説明しようがない。
左脳の理詰ではなく
右脳の直感であり、自分への信頼である。
言葉でいくつもの実証を得ないと「自分にとって正しいかただしくないか」
を判断できない、あるいはしない人たちと
自分は違う。
違ってなにが悪い?と思う。
『多様性』の大切さを言ってきたのは世間なのだ
違う考え方をもつ『多様性』があるのはごく自然なことだ。
かつては、私も「これが正しい」「のに」「なぜあの人たちは」と
「どうやったら」「コントロールできるのか」
と思考したことがある。
それは、不可能なのだから、悩むだけ無駄なのだ
あるいは
それは人を「洗脳することを志向する」のだから
あるいみ犯罪なのかもしれない。
人の「考える」「自分で決める」「意思決定権」に
操作を加えるのだから。
それが、たとえばその人の幸福につながることであれば
まだいいかもしれないが、
世界の人々を分断するため
人々を分断するため
長いこと時間をかけないと、解けないような
もし真実がわかってしまったら
ショックで立ち直れなくなるような
世界が機能不全に陥るかもしれないような
洗脳だったら、どうなんだろう。
たった世界の2%の人たちが、自分たちのために
ほかの98%の人を欺き
自分を利するためだけの行為だとしたら?
・・それこそ、「陰謀論だ」と笑われそうだけれど。
そういうことを
どう思うか、これもただ理詰で考えることはしない
自分を「信頼する」かどうか、だけの問題だ
なにも、大きな大学を出ていなくても
どんな権威がなくても
人には健全な意志が宿っている
それを、自分自身が「信頼し 尊重するか」
それだけなのだ。
そこに立ち返り、自分とつながることができれば
おのずと答えはでてくる。
罪深い洗脳
しかし、きっと解ける緒はあると信じている。