ネコのヒトビト

ネコにまつわるヒトビトについてのお話等

洗脳の罪深さ 2

2022-04-20 08:42:06 | 思ったこと
いくつかの媒体をみていて思うのは、
この情報のでどころは?ということ。
私の予感が正しければ、・・・そういうことだ。
つまり、情報が操作されていると感じる。
この感覚は、説明しようがない。
左脳の理詰ではなく
右脳の直感であり、自分への信頼である。
言葉でいくつもの実証を得ないと「自分にとって正しいかただしくないか」
を判断できない、あるいはしない人たちと
自分は違う。
違ってなにが悪い?と思う。
『多様性』の大切さを言ってきたのは世間なのだ
違う考え方をもつ『多様性』があるのはごく自然なことだ。
かつては、私も「これが正しい」「のに」「なぜあの人たちは」と
「どうやったら」「コントロールできるのか」
と思考したことがある。
それは、不可能なのだから、悩むだけ無駄なのだ
あるいは
それは人を「洗脳することを志向する」のだから
あるいみ犯罪なのかもしれない。
人の「考える」「自分で決める」「意思決定権」に
操作を加えるのだから。
それが、たとえばその人の幸福につながることであれば
まだいいかもしれないが、
世界の人々を分断するため
人々を分断するため
長いこと時間をかけないと、解けないような
もし真実がわかってしまったら
ショックで立ち直れなくなるような
世界が機能不全に陥るかもしれないような
洗脳だったら、どうなんだろう。
たった世界の2%の人たちが、自分たちのために
ほかの98%の人を欺き
自分を利するためだけの行為だとしたら?


・・それこそ、「陰謀論だ」と笑われそうだけれど。
そういうことを
どう思うか、これもただ理詰で考えることはしない
自分を「信頼する」かどうか、だけの問題だ

なにも、大きな大学を出ていなくても
どんな権威がなくても
人には健全な意志が宿っている
それを、自分自身が「信頼し 尊重するか」

それだけなのだ。
そこに立ち返り、自分とつながることができれば
おのずと答えはでてくる。

罪深い洗脳
しかし、きっと解ける緒はあると信じている。

洗脳の罪深さ

2022-04-20 08:23:03 | 思ったこと
ある人の記事で、
ある戦闘員が、ある権力者に殺害されたというエピソードを見た
要するに、戦争なのだから、敵兵を殺害する、と言うことは
当たり前の行為なのだけれど、
その敵兵とは、その国の兵士ではなく、
傭兵といって他の国の兵士だったから
記事になり得たのである。

これが本当かどうかなどということを
私はわかるはずもない
ただ、言えることは
傭兵として潜入した戦争において、
相手国の兵士 または国民を殺害するように
教育された兵士の強固な意志は
どうやって作られたのだろうか、と言うことである。

自分の国を護るためという大義がある場合ならまだわかるが
傭兵が命がけで(情報を漏らさないよう)雇った国の情報を護りながら、
相手国を破滅に追いやろうとするという強固な意志を持ちうるには
洗脳だとか、すくなくとも強い影響力のある「教育」なくして
あり得ないと思うからだ。

今の日本でも思うのだけれど、
社畜と自分を嘲りながら、非人間的な社会生活を晒すYouTuberだとか
自分の人生、命、家族なのに、なぜか社会へ「捧げてしまう」姿をみる。
こんかいのinjectionもそう。任意と「義務」の間で
自分の命を守れなかった人たちが、どのくらいいるんだろうか。
自殺だってそうだ。自分を尊重するということが、どこか欠け落ちてしまう。
だれかを尊重するのはもちろんいいことだけれど、
自分を尊重しない人が、真の意味で人を尊重することができるかというと
疑問である。それは自己犠牲であって、
「俺もこうしたのだから、おまえもそうしろよ」という無言の圧力であってはならない。どの人にも、自分の命を救う権利がある。
だれもが、自分の意志で、誰かによって命を決められるということを
拒否しなければならないと 私は思う。
そうでなければ戦争は終わらない。
そうでなければ、犠牲は終わらない。

だから、人が 一人一人、健全な 自己を持つ
健全な脳の働き、
健全な心の動きを維持すると言うことは、
とても大事なことなんだなあ、とつくづく思った。

この殺害されたとされる兵士だって
本当に 本心から殺害されたいと思ったはずはない
どこかで、強烈な教育に晒された上での「自己意志」でもって
命を捧げてしまったのだ。

正しいのか、間違っているのか、という問題を
超越して、

一人一人が健全な自分の
本来の健康と幸せを優先して、すこやかに生きることを選択すれば
この世の中は、ずいぶん違う世界になるのではなかろうかと思った。