1985計画の予兆
1985年8月12日の123便遭難事件がかなり早くから計画・準備されていただろう件については、本ブログでも数年前から明確にそれを示してきました。
本ブログでは、その証左を当時のメディア作品・報道、流行などの中に見出してきました。詳しくは「芸能界の闇」シリーズを再読して頂きたいのですが、搭乗していた坂本九さんが、事件から20年以上前の1963年6月に全米ビルボード第1位に輝いたのも、また、123便事件の前年から「グリコ森永事件」によって日本社会が翻弄され続けていたのも、全て計画の準備段階と考えると辻褄の合うことが分かってきます。
そのような、123便事件を巡る計画性の一つの示唆として、Foggy-K氏がまたもや独自視点で動画を作成してくださいました。まずはそれをご覧になって頂きたいと思います。
123便の乗客を検視するために創られた組織と確定!【123便調査File_No.28】
何故か関東の北の外れ群馬県で、1984年に一般医師・歯科医を組み込んだ異例の大規模検死体制が作られており、その「先見性」が翌年の123便事件発生の際に大いに功を奏した。その余りに出来過ぎた話にFoggy-K氏は疑問を呈しているのです。
123便事件ではありませんが、これと似たような話が他にもあり、本ブログでも取り上げたことがあるのをご記憶でしょうか?
関連記事:地下鉄サリン事件の暗号
1995年の地下鉄サリン事件では、その犠牲者の多くが東京の聖路加国際病院へと搬送されました。何故ならば、日野原重明先生で有名なこの病院は、何故か大規模テロ・災害に備えた病院設備の増強を済ませたばかりだったのです。この時も病院の「先見性」が称賛されたのを覚えておられるでしょうか?
日野原先生が元731部隊の関係者で、世界的な毒薬の権威であることは既に述べていますが、猛毒に晒された被害者が、まるでその為に準備されていたかのような病院へと搬送され、毒薬の権威によって診断を受ける。こちらについてもやはり出来過ぎた話だと私は思うのですが、如何でしょうか?
いずれにせよ、あまりにも「先見性」が高いリアクションについては、予め計画の中に組み込まれていたと考えるのが、むしろ自然な発想であると私もFoggy-K氏に賛同するのです。
■失敗も織り込み済み?
さて、群馬県警による「先見性の高い」医会発足が計画的なものだったとしても、一点だけ未だに解せない点があるのです。それは、
陸上遭難シナリオは失敗シナリオ
だったのではないかという疑いです。
どういうことかと言うと、大量の物的証拠・目撃証言が残る陸上遭難シナリオは予め想定されてた123便撃墜計画の本筋ではなかろうというのが、計画立案者の思考に立脚した時に、普通に考え至る結論です。象徴的に123便を葬るならば、やはり証拠が挙がりにくい海上というのが一番に考えられます。
もちろん、これまでの分析から、計画者はカルト集団的要素も持ち合わせているのが分かっているので、そのような普通の思考は通用しないのかもしれませんが。
計画者がいくらかまともな思考をする集団であると仮定するなら、群馬県警の事前準備は、どう考えても
計画の失敗が事前に分かった上での対処
と見るしかありません。
もちろん、周到な計画とは失敗シナリオを含めてその対策を練るものですが、事件の何年も前の、陸上のどこで起きるかも分からない失敗ケースに対し、ピンポイントで群馬県を指定してきたことには、やはり大きな違和感があるのです。
この大きな違和感は、これまで本ブログでお伝えしてきた、各国軍用機の同事件への干渉についても言えることであり、特に、御巣鷹の尾根に続くスゲノ沢沿いで発見されたオーストラリア空軍の戦闘機破片については、時間的にも空間的にもどうしてそんなものがそこにあるのか私も未だに理解できていません。
関連記事:The Longest Flight of a Hornet
敢えて言うなら、そこで何が起こるのか事前に知った上で予め上空に迫っていたという説明なのですが、陸上遭難が失敗シナリオならば、同戦闘機も失敗そのものを予め知っていて待機していたのではということになるのです。
これに関しては、米国のU2偵察機や旧ソ連のミグ25など、速度や航続距離に問題のある軍機が同じタイミングでそこ(御巣鷹の尾根周辺)に居合わせ、しかも全て撃墜されているという奇妙さにも通ずるのです。
それらの不自然さを説明する答とは何なのか?一部のアニメ作品の中にはそれが描かれているようなのですが、果たしてどうなのでしょうか・・・
参考:
・黒霧123便関連記事ガイド
・(新)ブログ全記事リスト
・123便搭乗者検索
TU REX COGITARE COEPISTI IN STRATU TUO QUID ESSET FUTURUM POST HAEC ET QUI REVELAT MYSTERIA OSTENDIT TIBI QUAE VENTURA SUNT
お休みになって先々のことを思いめぐらしておられた王様に、神は秘密を明かし、将来起こるべきことを知らせようとなさったのです。
(ダニエル書 第2章29節)
キリストの御国にて記す
管理人 日月土
本ブログでは、その証左を当時のメディア作品・報道、流行などの中に見出してきました。詳しくは「芸能界の闇」シリーズを再読して頂きたいのですが、搭乗していた坂本九さんが、事件から20年以上前の1963年6月に全米ビルボード第1位に輝いたのも、また、123便事件の前年から「グリコ森永事件」によって日本社会が翻弄され続けていたのも、全て計画の準備段階と考えると辻褄の合うことが分かってきます。
そのような、123便事件を巡る計画性の一つの示唆として、Foggy-K氏がまたもや独自視点で動画を作成してくださいました。まずはそれをご覧になって頂きたいと思います。
123便の乗客を検視するために創られた組織と確定!【123便調査File_No.28】
何故か関東の北の外れ群馬県で、1984年に一般医師・歯科医を組み込んだ異例の大規模検死体制が作られており、その「先見性」が翌年の123便事件発生の際に大いに功を奏した。その余りに出来過ぎた話にFoggy-K氏は疑問を呈しているのです。
123便事件ではありませんが、これと似たような話が他にもあり、本ブログでも取り上げたことがあるのをご記憶でしょうか?
関連記事:地下鉄サリン事件の暗号
1995年の地下鉄サリン事件では、その犠牲者の多くが東京の聖路加国際病院へと搬送されました。何故ならば、日野原重明先生で有名なこの病院は、何故か大規模テロ・災害に備えた病院設備の増強を済ませたばかりだったのです。この時も病院の「先見性」が称賛されたのを覚えておられるでしょうか?
日野原先生が元731部隊の関係者で、世界的な毒薬の権威であることは既に述べていますが、猛毒に晒された被害者が、まるでその為に準備されていたかのような病院へと搬送され、毒薬の権威によって診断を受ける。こちらについてもやはり出来過ぎた話だと私は思うのですが、如何でしょうか?
いずれにせよ、あまりにも「先見性」が高いリアクションについては、予め計画の中に組み込まれていたと考えるのが、むしろ自然な発想であると私もFoggy-K氏に賛同するのです。
■失敗も織り込み済み?
さて、群馬県警による「先見性の高い」医会発足が計画的なものだったとしても、一点だけ未だに解せない点があるのです。それは、
陸上遭難シナリオは失敗シナリオ
だったのではないかという疑いです。
どういうことかと言うと、大量の物的証拠・目撃証言が残る陸上遭難シナリオは予め想定されてた123便撃墜計画の本筋ではなかろうというのが、計画立案者の思考に立脚した時に、普通に考え至る結論です。象徴的に123便を葬るならば、やはり証拠が挙がりにくい海上というのが一番に考えられます。
もちろん、これまでの分析から、計画者はカルト集団的要素も持ち合わせているのが分かっているので、そのような普通の思考は通用しないのかもしれませんが。
計画者がいくらかまともな思考をする集団であると仮定するなら、群馬県警の事前準備は、どう考えても
計画の失敗が事前に分かった上での対処
と見るしかありません。
もちろん、周到な計画とは失敗シナリオを含めてその対策を練るものですが、事件の何年も前の、陸上のどこで起きるかも分からない失敗ケースに対し、ピンポイントで群馬県を指定してきたことには、やはり大きな違和感があるのです。
この大きな違和感は、これまで本ブログでお伝えしてきた、各国軍用機の同事件への干渉についても言えることであり、特に、御巣鷹の尾根に続くスゲノ沢沿いで発見されたオーストラリア空軍の戦闘機破片については、時間的にも空間的にもどうしてそんなものがそこにあるのか私も未だに理解できていません。
関連記事:The Longest Flight of a Hornet
敢えて言うなら、そこで何が起こるのか事前に知った上で予め上空に迫っていたという説明なのですが、陸上遭難が失敗シナリオならば、同戦闘機も失敗そのものを予め知っていて待機していたのではということになるのです。
これに関しては、米国のU2偵察機や旧ソ連のミグ25など、速度や航続距離に問題のある軍機が同じタイミングでそこ(御巣鷹の尾根周辺)に居合わせ、しかも全て撃墜されているという奇妙さにも通ずるのです。
それらの不自然さを説明する答とは何なのか?一部のアニメ作品の中にはそれが描かれているようなのですが、果たしてどうなのでしょうか・・・
参考:
・黒霧123便関連記事ガイド
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TU REX COGITARE COEPISTI IN STRATU TUO QUID ESSET FUTURUM POST HAEC ET QUI REVELAT MYSTERIA OSTENDIT TIBI QUAE VENTURA SUNT
お休みになって先々のことを思いめぐらしておられた王様に、神は秘密を明かし、将来起こるべきことを知らせようとなさったのです。
(ダニエル書 第2章29節)
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38回目の夏-計画は再び起こされる
本日は令和5年8月12日。毎年この日が来るたびに複雑な思いが心をよぎります。
このブログを始めたのが14年前の7月で、その翌月から123便の真相について記事を書き始めたのですが、まさかこんなに長くブログが続くとは、私自身も全く予想していませんでした。
とは言っても、それでも私がこの問題に取り掛かったのはたった14年でしかありません。123便の犠牲者、またそのご遺族にとってはあれから38年もの歳月が過ぎ去って行ったのですから、その心中を察することすらもはや憚られるのです。
今日この日、私は多くの犠牲者に対して手を合わせることしかできません。読者の皆様も、もしもお時間が許せば、夕方の6時56分頃、空に向かって手を合わせて頂けませんでしょうか。犠牲者のご冥福と共に、事の真相が詳らかになることを祈って。
見返り峠からスゲノ沢を望む(今月撮影)
* * *
長年本ブログにお付き合い頂いた方ならもうお気付きのように、私は現在、1985年当時から現在に至るメディア表現を中心に事件の解析を進めています。
その中で、文化・芸能・報道が一体となって社会を誘導する様を確認し、それが123便事件よりも前から長期間行われてきた実態が見えてきました。
残念ながら、日本をはじめこの世界には、真の「報道の自由」・「表現の自由」などないことが露わになってきたのです。その端的な例が、3年前に始まったパンデミック騒ぎであると言って良いかもしれません。
現在は、ネットの普及などで、ある程度検証のし易い環境が整っていますが、38年前のメディア環境がどうであったか、当時を知る方は思い出してみてください。
テレビやラジオ局は限られ、詳しい内容は3大新聞や地方紙、雑誌を通してというのが一般的だったはずです。ネットなどはまだありませんでしたから、多くの人々が同じメディアから同じ情報を取り入れていた時代でした。
ですから、その時は国民的アイドルなど「国民的〇〇」という言葉がすんなりと受け入れられた時代でもあったのです。別の言い方をすれば、一人のアイドルやスポーツ選手に国民の大多数が熱狂できた時代だったのです。それはそうでしょう、皆が同じ情報ソースを見聞きし、それに対して何の疑いもなく論評し合うのが当たり前の世の中だったのですから。
そして、当時の国民は、その罠にまんまと引っ掛かった。スポーツや芸能という一見政治や思想と関係ない表現の中に埋め込まれた心理的トリガーを、疑いなき無垢の心で無条件に吸収し続けていたのです。
本ブログの「芸能界の闇」シリーズは、まさにその点を追ったものであり、その分析から、123便事件が大衆心理操作を含め長期間の計画を経て為されたものである痕跡を幾つか見出すことができました。
これまで、その計画のことを「123便撃墜計画」あるいは「昭和天皇暗殺計画」と表していましたが、この計画の背後を更に追求していくと、これらが、大きな国家的計画の一部でしかないことも段々と分かってきたのです。
現在のところ、その規模と内容は、もはや「計画」というより「儀式・祭祀」と呼ぶに相応しいもので、その「儀式」の本質は、123便の乗員乗客を狙ったと言うより、日本国民全員の命を狙ったと言うべきものであると私は判断しています。
しかし、私たちは38年後の現在でも生きています。生きているが故に、そのような「儀式」があったとは誰も思わないのですが、実は1985年の儀式が不調に終わった理由も、これまでの調査から大分見えてきているのです。
私の実力では、これらを系統だって説明するのはまだまだ難しいのですが、この「大儀式」が終了していない現実は
・1995年地下鉄サリン事件
・2011年東日本大震災、福島第一原発事故
・2020年コロナパンデミック
など、この38年の間に発生した大規模災害・事故・事件から読み解くことができます。
こういうことを書くと、またすぐに「陰謀論」と言われてしまいそうですが、そう言う人はメディアが作り上げた政府や社会のイメージを一切疑わない、素直で善良な人々なのでしょう。
残念ながら、123便事件はその政府と社会が一体となり、緻密な計画に従って進められたものなのです。泥棒が「泥棒をした」と言うはずはなく、泥棒が生き残れるのは、過度に善良な人々がその甘言に酔いしれ盲目的に泥棒を擁護しているからだと、そろそろ気付いて欲しいのです。何よりも、その命が奪われる前に。
話があらぬ方向に進みそうなのでここまでにしておきますが、私が一番にお伝えしたいのは
1985年の計画はまだ生きている
という事実であり、国民の誰もが123便の犠牲者と同じ運命を辿る可能性があるということなのです。
参考:
・黒霧123便関連記事ガイド
・(新)ブログ全記事リスト
・123便搭乗者検索
QUI CUM SAPIENTIBUS GRADITUR SAPIENS ERIT AMICUS STULTORUM EFFICIETUR SIMILIS
知恵ある者と共に歩けば知恵を得/愚か者と交われば災いに遭う。
(箴言 第13章20節)
キリストの御国にて記す
管理人 日月土
このブログを始めたのが14年前の7月で、その翌月から123便の真相について記事を書き始めたのですが、まさかこんなに長くブログが続くとは、私自身も全く予想していませんでした。
とは言っても、それでも私がこの問題に取り掛かったのはたった14年でしかありません。123便の犠牲者、またそのご遺族にとってはあれから38年もの歳月が過ぎ去って行ったのですから、その心中を察することすらもはや憚られるのです。
今日この日、私は多くの犠牲者に対して手を合わせることしかできません。読者の皆様も、もしもお時間が許せば、夕方の6時56分頃、空に向かって手を合わせて頂けませんでしょうか。犠牲者のご冥福と共に、事の真相が詳らかになることを祈って。
見返り峠からスゲノ沢を望む(今月撮影)
* * *
長年本ブログにお付き合い頂いた方ならもうお気付きのように、私は現在、1985年当時から現在に至るメディア表現を中心に事件の解析を進めています。
その中で、文化・芸能・報道が一体となって社会を誘導する様を確認し、それが123便事件よりも前から長期間行われてきた実態が見えてきました。
残念ながら、日本をはじめこの世界には、真の「報道の自由」・「表現の自由」などないことが露わになってきたのです。その端的な例が、3年前に始まったパンデミック騒ぎであると言って良いかもしれません。
現在は、ネットの普及などで、ある程度検証のし易い環境が整っていますが、38年前のメディア環境がどうであったか、当時を知る方は思い出してみてください。
テレビやラジオ局は限られ、詳しい内容は3大新聞や地方紙、雑誌を通してというのが一般的だったはずです。ネットなどはまだありませんでしたから、多くの人々が同じメディアから同じ情報を取り入れていた時代でした。
ですから、その時は国民的アイドルなど「国民的〇〇」という言葉がすんなりと受け入れられた時代でもあったのです。別の言い方をすれば、一人のアイドルやスポーツ選手に国民の大多数が熱狂できた時代だったのです。それはそうでしょう、皆が同じ情報ソースを見聞きし、それに対して何の疑いもなく論評し合うのが当たり前の世の中だったのですから。
そして、当時の国民は、その罠にまんまと引っ掛かった。スポーツや芸能という一見政治や思想と関係ない表現の中に埋め込まれた心理的トリガーを、疑いなき無垢の心で無条件に吸収し続けていたのです。
本ブログの「芸能界の闇」シリーズは、まさにその点を追ったものであり、その分析から、123便事件が大衆心理操作を含め長期間の計画を経て為されたものである痕跡を幾つか見出すことができました。
これまで、その計画のことを「123便撃墜計画」あるいは「昭和天皇暗殺計画」と表していましたが、この計画の背後を更に追求していくと、これらが、大きな国家的計画の一部でしかないことも段々と分かってきたのです。
現在のところ、その規模と内容は、もはや「計画」というより「儀式・祭祀」と呼ぶに相応しいもので、その「儀式」の本質は、123便の乗員乗客を狙ったと言うより、日本国民全員の命を狙ったと言うべきものであると私は判断しています。
しかし、私たちは38年後の現在でも生きています。生きているが故に、そのような「儀式」があったとは誰も思わないのですが、実は1985年の儀式が不調に終わった理由も、これまでの調査から大分見えてきているのです。
私の実力では、これらを系統だって説明するのはまだまだ難しいのですが、この「大儀式」が終了していない現実は
・1995年地下鉄サリン事件
・2011年東日本大震災、福島第一原発事故
・2020年コロナパンデミック
など、この38年の間に発生した大規模災害・事故・事件から読み解くことができます。
こういうことを書くと、またすぐに「陰謀論」と言われてしまいそうですが、そう言う人はメディアが作り上げた政府や社会のイメージを一切疑わない、素直で善良な人々なのでしょう。
残念ながら、123便事件はその政府と社会が一体となり、緻密な計画に従って進められたものなのです。泥棒が「泥棒をした」と言うはずはなく、泥棒が生き残れるのは、過度に善良な人々がその甘言に酔いしれ盲目的に泥棒を擁護しているからだと、そろそろ気付いて欲しいのです。何よりも、その命が奪われる前に。
話があらぬ方向に進みそうなのでここまでにしておきますが、私が一番にお伝えしたいのは
1985年の計画はまだ生きている
という事実であり、国民の誰もが123便の犠牲者と同じ運命を辿る可能性があるということなのです。
現在公開中の映画「君たちはどう生きるか」の中で、崩れ行く現世に戻ろうとする主人公を引き止めるシーンがあります。この「崩れ行く現世」こそが、現在進行中の「計画」を示す暗示であると、私は捉えたのです。
参考:
・黒霧123便関連記事ガイド
・(新)ブログ全記事リスト
・123便搭乗者検索
QUI CUM SAPIENTIBUS GRADITUR SAPIENS ERIT AMICUS STULTORUM EFFICIETUR SIMILIS
知恵ある者と共に歩けば知恵を得/愚か者と交われば災いに遭う。
(箴言 第13章20節)
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管理人 日月土
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123便事件と芸能界の闇(18)-ひとりぼっちのナツコ
今日は8月11日。祝日の「山の日」であり、明日の「123便遭難の日」の前日となります。
山の日が11日に制定された経緯については、お盆は避けたい、上旬は原爆の日、12日は123便の日と重なるから、などと色と々理由が言われているようですが、ならば8月下旬にすれば良いだけの話であり、どうしてこの忙しいこのシーズンなのか真意は不明のままです。
その8月11日向けて、次の様な芸能関係ニュースが先日流れました。
引用元:YAHOOニュース(Real Sound) https://news.yahoo.co.jp/articles/ca7870aef9fd42915d771640cfe0745c3e2dad15
あの無広告戦略を取っていた宮崎駿監督の最新作「君はどう生きるか」(以下「君生き」と表記します)のパンフレットが今日から販売されるということなのです。
そう言えば、先月の記事「復活のバービー人形」(*1)で触れた、米国映画「バービー」も今日8月11日から公開でしたね。
画像1:映画「バービー」公式サイトから https://wwws.warnerbros.co.jp/barbie/
このバービーも米国では先月7月20日から公開されているのですが、世界同時公開・先行公開が珍しくないこのご時世において、何故か時間をずらして今日に合わせて公開日を決めているようなのです。
しかも、日本公開に先立ち「世界興行収入が10億ドル突破」とか「バーベンハイマー」による炎上など、映画の中身とは直接関係のない周辺の話題を最大に盛り上げての鳴り物入りのご登場なのです。
それが意図的かどうかは確認もできないので議論しませんが、少なくとも「バービー」の公開日と「君生き」のパンフレット販売日が、
人の意思で決められた
のは事実であり、そこに恣意的なものがあったと考えるのは不自然ではありません。
それでは、この日に照準を合わせた理由とはいったい何なのでしょうか?
■プリンセス プリンセス
過去記事(*1)では、「バービー」と日本のテレビアニメ「推しの子」に見られる共通点を次のように整理しています。
「バービー」と「推しの子」の共通点
・アルファベットの「B」もしくは数字の「13」を強調
・美智子妃殿下(1985年当時)の象徴
そして、今回の「バービー」と「君生き」の共通点は次のようになります。
「バービー」と「君生き」の共通点
・8月11日を強調
・アルファベットの「B」もしくは数字の「13」を強調
ここで、「君生き」と「推しの子」に関連性が生じるのですが、実はこの二つの作品の間にも明確な共通点が見出せるのです。
「推しの子」と「君生き」の共通点
・アルファベットの「B」もしくは数字の「13」を強調
・二人のプリンセスを強調
※ここから先はネタバレを含みますので、「推しの子」/「君生き」をまだご覧になっていない方はご注意ください。
「君生き」における「13」の強調はそのストーリー設定に明確に現れており、それはヒロインの名前が
ヒミ (=13)
であること、また映画終盤で語られる世界を構成する仕組み
13個の石の積み木
で最大限に強調されているのです。
しかし、私が注目したのはここだけではありません。この「ヒミ」には「夏子」という容姿のそっくりな妹が居るのです。
画像2:夏子さん(イメージ)
「推しの子」のヒロイン「アイ」は設定上では姉妹の存在は語られていませんが、何故か主題歌のプロモーションビデオでは「二人のアイ」が描かれており、それについては(*1)の記事で既にお伝えしています。
二人のヒロイン、これはまさしく「プリンセス プリンセス」の象徴であり、同名の有名女性ボーカルバンドが歌う「M」即ち
美智子さま
を象徴していると考えられるのです。
そして、両作品のヒロインには更に共通した設定があるのです。
・ヒミは病院で焼け死に、容姿の似た妹、夏子が残される
・アイは暴漢に刺殺され、容姿の似た娘、ルビィが残される
このように、どうやら「二人のプリンセス」に加え「一人残されたプリンセス」というのが、この共通設定から読み解ける隠されたメッセージのようなのです。
どうしてそこまで言えるのか?これは「君生き」に登場した「夏子」という名前に答がはっきりと刻まれているからなのです。
夏子のローマ字表記: NATSUKO
これがアナグラムであると気付いた方は多いと思いますが、これをどのように変換すれば良いのか?この解読には簡単な英語の知識が必要となりますが、それを用いると次のようになります。
NATSUKO ⇒ OAK'S NUT (樫の実)
もしかしたら、ここまで辿り着いた方は多いのかもしれません。問題なのはこの「樫の実」の解釈の方なのです。
万葉集には次の様な歌謡が記されています。
かしのみのひとりか寝(ぬ)らむ
樫の実は一つずつしか実らない。昔の人もそれは良くご存知で、ここから樫の実は
ひとりぼっち
の象徴とされたのです。
これこそが(真)ブログ記事「ぼっちと夏子は似た者同士」で読者の皆様に問うた質問の答なのです。
画像3:樫(白樫)の実
鈴なりのようにも見えるが、1つずつポツンと枝に付く様をそう捉えたのか
■8月11日とは何なのか?
さて、ここまでの解読で様々な要素が浮かび上がってきました。
1. B あるいは 13
2. 美智子さま
3. 二人のプリンセス
4. ひとりぼっち (残されたプリンセス)
5. 8月11日
これらを意味ある一つの大メッセージとしてつなぎ合わせるには、どうしても日本神話、または日本古代史、そして聖書の理解が必要となってきます。
私たちは、1つの事件または1つの事象を見た時、狭い時系列や地理的状況だけにその因果を求めがちですが、123便事件は38年という小さな時の流れで説明できるようなものではありません。これらの解読要素は、数千年の時をまたぎ、現在に至っているのです。
今月1日に配信したメルマガ83号では、1985年の8月11日と美智子さまの関係について、メディア暗号から導いた私の推論を述べさせて頂きました。その内容はあまりにも悲惨でとてもブログで書けるようなものではありません。しかし、これもまだ大メッセージの中のほんの一部でしかないのです。
このスケール大きさこそが、38年後の今になっても、同じメッセージが繰り返しメディア作品の中に表現される理由だとも言えます。
123便事件はその背後で画策された「国家的な大儀式」の、その僅かな綻びであったと言って良いかもしれません。この儀式は8月12日に始まった訳ではなく、その前日の8月11日、あるいはそれよりずっと前から始まっていたのです。
そして忘れてならないのが、この儀式は現在も継続中であること。今度のターゲットは123便の乗員乗客ではありません。これを読んで頂いた読者を含む全ての人々なのです。3年前に始まり全世界を席巻したあの社会的パニックは、まさにその前兆と言えるでしょう。
123便事件の深層を理解する手助けとして、手前味噌ですが(神)ブログの歴史関連記事にもこれからはご注目頂きたいのです。
美智子妃殿下、今は静かにお休みください
LAUDATE DOMINUM OMNES GENTES CONLAUDATE EUM UNIVERSI POPULI QUIA CONFORTATA EST SUPER NOS MISERICORDIA EIUS ET VERITAS DOMINI IN AETERNUM ALLELUIA
すべての国よ、主を賛美せよ。
すべての民よ、主をほめたたえよ。
主の慈しみとまことはとこしえに
わたしたちを超えて力強い。
ハレルヤ。
(詩編 117編)
※主 = 十 + 三 = 13 = B
キリストの御国にて記す
管理人 日月土
山の日が11日に制定された経緯については、お盆は避けたい、上旬は原爆の日、12日は123便の日と重なるから、などと色と々理由が言われているようですが、ならば8月下旬にすれば良いだけの話であり、どうしてこの忙しいこのシーズンなのか真意は不明のままです。
その8月11日向けて、次の様な芸能関係ニュースが先日流れました。
引用元:YAHOOニュース(Real Sound) https://news.yahoo.co.jp/articles/ca7870aef9fd42915d771640cfe0745c3e2dad15
あの無広告戦略を取っていた宮崎駿監督の最新作「君はどう生きるか」(以下「君生き」と表記します)のパンフレットが今日から販売されるということなのです。
そう言えば、先月の記事「復活のバービー人形」(*1)で触れた、米国映画「バービー」も今日8月11日から公開でしたね。
画像1:映画「バービー」公式サイトから https://wwws.warnerbros.co.jp/barbie/
このバービーも米国では先月7月20日から公開されているのですが、世界同時公開・先行公開が珍しくないこのご時世において、何故か時間をずらして今日に合わせて公開日を決めているようなのです。
しかも、日本公開に先立ち「世界興行収入が10億ドル突破」とか「バーベンハイマー」による炎上など、映画の中身とは直接関係のない周辺の話題を最大に盛り上げての鳴り物入りのご登場なのです。
それが意図的かどうかは確認もできないので議論しませんが、少なくとも「バービー」の公開日と「君生き」のパンフレット販売日が、
人の意思で決められた
のは事実であり、そこに恣意的なものがあったと考えるのは不自然ではありません。
それでは、この日に照準を合わせた理由とはいったい何なのでしょうか?
■プリンセス プリンセス
過去記事(*1)では、「バービー」と日本のテレビアニメ「推しの子」に見られる共通点を次のように整理しています。
「バービー」と「推しの子」の共通点
・アルファベットの「B」もしくは数字の「13」を強調
・美智子妃殿下(1985年当時)の象徴
そして、今回の「バービー」と「君生き」の共通点は次のようになります。
「バービー」と「君生き」の共通点
・8月11日を強調
・アルファベットの「B」もしくは数字の「13」を強調
ここで、「君生き」と「推しの子」に関連性が生じるのですが、実はこの二つの作品の間にも明確な共通点が見出せるのです。
「推しの子」と「君生き」の共通点
・アルファベットの「B」もしくは数字の「13」を強調
・二人のプリンセスを強調
※ここから先はネタバレを含みますので、「推しの子」/「君生き」をまだご覧になっていない方はご注意ください。
「君生き」における「13」の強調はそのストーリー設定に明確に現れており、それはヒロインの名前が
ヒミ (=13)
であること、また映画終盤で語られる世界を構成する仕組み
13個の石の積み木
で最大限に強調されているのです。
しかし、私が注目したのはここだけではありません。この「ヒミ」には「夏子」という容姿のそっくりな妹が居るのです。
画像2:夏子さん(イメージ)
「推しの子」のヒロイン「アイ」は設定上では姉妹の存在は語られていませんが、何故か主題歌のプロモーションビデオでは「二人のアイ」が描かれており、それについては(*1)の記事で既にお伝えしています。
二人のヒロイン、これはまさしく「プリンセス プリンセス」の象徴であり、同名の有名女性ボーカルバンドが歌う「M」即ち
美智子さま
を象徴していると考えられるのです。
そして、両作品のヒロインには更に共通した設定があるのです。
・ヒミは病院で焼け死に、容姿の似た妹、夏子が残される
・アイは暴漢に刺殺され、容姿の似た娘、ルビィが残される
このように、どうやら「二人のプリンセス」に加え「一人残されたプリンセス」というのが、この共通設定から読み解ける隠されたメッセージのようなのです。
どうしてそこまで言えるのか?これは「君生き」に登場した「夏子」という名前に答がはっきりと刻まれているからなのです。
夏子のローマ字表記: NATSUKO
これがアナグラムであると気付いた方は多いと思いますが、これをどのように変換すれば良いのか?この解読には簡単な英語の知識が必要となりますが、それを用いると次のようになります。
NATSUKO ⇒ OAK'S NUT (樫の実)
もしかしたら、ここまで辿り着いた方は多いのかもしれません。問題なのはこの「樫の実」の解釈の方なのです。
万葉集には次の様な歌謡が記されています。
かしのみのひとりか寝(ぬ)らむ
樫の実は一つずつしか実らない。昔の人もそれは良くご存知で、ここから樫の実は
ひとりぼっち
の象徴とされたのです。
これこそが(真)ブログ記事「ぼっちと夏子は似た者同士」で読者の皆様に問うた質問の答なのです。
画像3:樫(白樫)の実
鈴なりのようにも見えるが、1つずつポツンと枝に付く様をそう捉えたのか
■8月11日とは何なのか?
さて、ここまでの解読で様々な要素が浮かび上がってきました。
1. B あるいは 13
2. 美智子さま
3. 二人のプリンセス
4. ひとりぼっち (残されたプリンセス)
5. 8月11日
これらを意味ある一つの大メッセージとしてつなぎ合わせるには、どうしても日本神話、または日本古代史、そして聖書の理解が必要となってきます。
私たちは、1つの事件または1つの事象を見た時、狭い時系列や地理的状況だけにその因果を求めがちですが、123便事件は38年という小さな時の流れで説明できるようなものではありません。これらの解読要素は、数千年の時をまたぎ、現在に至っているのです。
今月1日に配信したメルマガ83号では、1985年の8月11日と美智子さまの関係について、メディア暗号から導いた私の推論を述べさせて頂きました。その内容はあまりにも悲惨でとてもブログで書けるようなものではありません。しかし、これもまだ大メッセージの中のほんの一部でしかないのです。
このスケール大きさこそが、38年後の今になっても、同じメッセージが繰り返しメディア作品の中に表現される理由だとも言えます。
123便事件はその背後で画策された「国家的な大儀式」の、その僅かな綻びであったと言って良いかもしれません。この儀式は8月12日に始まった訳ではなく、その前日の8月11日、あるいはそれよりずっと前から始まっていたのです。
そして忘れてならないのが、この儀式は現在も継続中であること。今度のターゲットは123便の乗員乗客ではありません。これを読んで頂いた読者を含む全ての人々なのです。3年前に始まり全世界を席巻したあの社会的パニックは、まさにその前兆と言えるでしょう。
123便事件の深層を理解する手助けとして、手前味噌ですが(神)ブログの歴史関連記事にもこれからはご注目頂きたいのです。
美智子妃殿下、今は静かにお休みください
LAUDATE DOMINUM OMNES GENTES CONLAUDATE EUM UNIVERSI POPULI QUIA CONFORTATA EST SUPER NOS MISERICORDIA EIUS ET VERITAS DOMINI IN AETERNUM ALLELUIA
すべての国よ、主を賛美せよ。
すべての民よ、主をほめたたえよ。
主の慈しみとまことはとこしえに
わたしたちを超えて力強い。
ハレルヤ。
(詩編 117編)
※主 = 十 + 三 = 13 = B
キリストの御国にて記す
管理人 日月土
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2023年の慰霊
先日、一足早く御巣鷹の尾根まで慰霊に行ってきました。
今年、慰霊登山を予定している方にお知らせしなければならないのが、登山口駐車場前の斜面が崩れ、駐車場に限られた台数の車しか止められなくなっていることです。
高齢のご遺族関係者以外の方は、なるべくその下にある観音像前の駐車場をご利用ください。
写真:登山口駐車場付近
写真:崩れた斜面
現地を訪ねた方には、ぜひ、この崩れた瓦礫の色を良く見て頂きたいのです。この一帯は基本的に岩山で、その土の色も岩混じりの黒っぽい色をしています。
これを、123便遭難当時の次の写真と良く見比べて欲しいのです。
写真:当時の遭難現場
もちろん、カメラの色調の影響もあるとは思いますが、この写真の土の色は周囲の緑色と比較してもやはり赤っぽいと判断できるのです。
これについて、10年以上の前の記事でも触れましたが、私たちが遭難現場としてメディアを通して見せられていた上写真を含む映像は、他所の土を被せられ取材用に調整された後の姿だったのではないかと疑われるのです。
「そんな時間がどこにあったんだ?」と思われる方、ちょっと懐かしいですが「闇夜に蠢くもの(4)」を読み直してみてください。M氏は一晩中ヘリの音が鳴り響き、その音を頼りに山中を移動したと語っているのです。
ですから、遭難現場はとっくに特定されていただけでなく、そこで「何かの作業」をしていたのはどうやら間違いがないのです。その「何か」の一つが、夜明け後の取材に耐えうるよう、戦闘機の破片など不用なものが写り込まないよう現場を繕っていたのではないかと私は考えるのです。
この「土の色」に関するトピックについては、YoutuberのFoggy-K氏の動画の中でも触れられています。ぜひこちらもご覧ください。
動画:521人目の遺体が見つかった不可解な状況【123便調査File_No.16】
さて、今回は現場の麓まで慰霊には向かいましたが、登山まではいたしませんでした。それは、今回は123便事件の痕跡を現場の周辺に求めたからです。
先程「何かの作業」と記述しましたが、仮にそれが重要証拠物の隠蔽作業を含むならば、機影が消えた午後7時から翌朝午前4時前後の9時間程度の限られた時間しか、作業者にはその時間が与えらていません。
取り敢えず人や機材は集めたとしても、大量の「不都合な物体」をどこに移動しどう隠せばよいのか、しかも民間人に気付かれないように短時間で・・・そのような難題に出くわした運行管理者の視点に立った時、自ずとその作業工程は絞られてきます。
「木は森に隠せ」の喩ではありませんが、そのような物体を隠すのに一番最適なのは周囲の山林の中なのです。もちろん、大きな断片はある程度切り刻む必要があるでしょう。しかし、大型ダンプは入れないし、ヘリによる輸送はうるさいし限界があります。そこで最終的にどのような手段を取るのか、もはや選択肢は限られてしまうのです。
それについては、今後詳しく検証していきたいと思いますが、私は既に遭難現場周辺の10数箇所を推定埋設現場として特定しています。そして、今回はその場所の確認に向かったのです。このような現場に向うと、時々予想もしないものに出くわすことがあります。
以下の写真、おそらく特定の自衛隊関係者が見ると冷や汗が出るかもしれません。
写真:現場周辺エリア(埼玉県内)で
自衛隊に関しては、これまで正規部隊/非正規部隊と分け、123便事件への中心的関与は非正規部隊ではないかとしてきましたが、そもそも、そのように単純に黒白2分できるような話でないことは重々承知しています。
私はこの事件を「123便撃墜計画」もとい「昭和天皇暗殺計画」と、予め存在した大計画(あるいは大儀礼)の一部として捉えていますが、そんな大計画の中に、日本航空はもとより自衛隊幹部が組み込まれていないはずがないのです。
この「後処理問題」と絡め、自衛隊中枢及び現場部隊が当日同夜どのように動いたのか、もう一度冷静に見て行かなければならないでしょう。
DIVITIAE TUAE ET THESAURI TUI ET MULTIPLEX INSTRUMENTUM TUUM NAUTAE TUI ET GUBERNATORES TUI QUI TENEBANT SUPELLECTILEM TUAM ET POPULO TUO PRAEERANT VIRI QUOQUE BELLATORES TUI QUI ERANT IN TE CUM UNIVERSA MULTITUDINE TUA QUAE EST IN MEDIO TUI CADENT IN CORDE MARIS IN DIE RUINAE TUAE
お前の富、商品、物品、船乗り、水夫、水漏れを繕う者、物品を交換する者、船上のすべての戦士、すべての乗組員たちは、お前が滅びる日に海の真ん中に沈む。
(エゼキエル書 第27章27節)
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管理人 日月土
今年、慰霊登山を予定している方にお知らせしなければならないのが、登山口駐車場前の斜面が崩れ、駐車場に限られた台数の車しか止められなくなっていることです。
高齢のご遺族関係者以外の方は、なるべくその下にある観音像前の駐車場をご利用ください。
写真:登山口駐車場付近
写真:崩れた斜面
現地を訪ねた方には、ぜひ、この崩れた瓦礫の色を良く見て頂きたいのです。この一帯は基本的に岩山で、その土の色も岩混じりの黒っぽい色をしています。
これを、123便遭難当時の次の写真と良く見比べて欲しいのです。
写真:当時の遭難現場
もちろん、カメラの色調の影響もあるとは思いますが、この写真の土の色は周囲の緑色と比較してもやはり赤っぽいと判断できるのです。
これについて、10年以上の前の記事でも触れましたが、私たちが遭難現場としてメディアを通して見せられていた上写真を含む映像は、他所の土を被せられ取材用に調整された後の姿だったのではないかと疑われるのです。
「そんな時間がどこにあったんだ?」と思われる方、ちょっと懐かしいですが「闇夜に蠢くもの(4)」を読み直してみてください。M氏は一晩中ヘリの音が鳴り響き、その音を頼りに山中を移動したと語っているのです。
ですから、遭難現場はとっくに特定されていただけでなく、そこで「何かの作業」をしていたのはどうやら間違いがないのです。その「何か」の一つが、夜明け後の取材に耐えうるよう、戦闘機の破片など不用なものが写り込まないよう現場を繕っていたのではないかと私は考えるのです。
この「土の色」に関するトピックについては、YoutuberのFoggy-K氏の動画の中でも触れられています。ぜひこちらもご覧ください。
動画:521人目の遺体が見つかった不可解な状況【123便調査File_No.16】
さて、今回は現場の麓まで慰霊には向かいましたが、登山まではいたしませんでした。それは、今回は123便事件の痕跡を現場の周辺に求めたからです。
先程「何かの作業」と記述しましたが、仮にそれが重要証拠物の隠蔽作業を含むならば、機影が消えた午後7時から翌朝午前4時前後の9時間程度の限られた時間しか、作業者にはその時間が与えらていません。
取り敢えず人や機材は集めたとしても、大量の「不都合な物体」をどこに移動しどう隠せばよいのか、しかも民間人に気付かれないように短時間で・・・そのような難題に出くわした運行管理者の視点に立った時、自ずとその作業工程は絞られてきます。
「木は森に隠せ」の喩ではありませんが、そのような物体を隠すのに一番最適なのは周囲の山林の中なのです。もちろん、大きな断片はある程度切り刻む必要があるでしょう。しかし、大型ダンプは入れないし、ヘリによる輸送はうるさいし限界があります。そこで最終的にどのような手段を取るのか、もはや選択肢は限られてしまうのです。
それについては、今後詳しく検証していきたいと思いますが、私は既に遭難現場周辺の10数箇所を推定埋設現場として特定しています。そして、今回はその場所の確認に向かったのです。このような現場に向うと、時々予想もしないものに出くわすことがあります。
以下の写真、おそらく特定の自衛隊関係者が見ると冷や汗が出るかもしれません。
写真:現場周辺エリア(埼玉県内)で
自衛隊に関しては、これまで正規部隊/非正規部隊と分け、123便事件への中心的関与は非正規部隊ではないかとしてきましたが、そもそも、そのように単純に黒白2分できるような話でないことは重々承知しています。
私はこの事件を「123便撃墜計画」もとい「昭和天皇暗殺計画」と、予め存在した大計画(あるいは大儀礼)の一部として捉えていますが、そんな大計画の中に、日本航空はもとより自衛隊幹部が組み込まれていないはずがないのです。
この「後処理問題」と絡め、自衛隊中枢及び現場部隊が当日同夜どのように動いたのか、もう一度冷静に見て行かなければならないでしょう。
DIVITIAE TUAE ET THESAURI TUI ET MULTIPLEX INSTRUMENTUM TUUM NAUTAE TUI ET GUBERNATORES TUI QUI TENEBANT SUPELLECTILEM TUAM ET POPULO TUO PRAEERANT VIRI QUOQUE BELLATORES TUI QUI ERANT IN TE CUM UNIVERSA MULTITUDINE TUA QUAE EST IN MEDIO TUI CADENT IN CORDE MARIS IN DIE RUINAE TUAE
お前の富、商品、物品、船乗り、水夫、水漏れを繕う者、物品を交換する者、船上のすべての戦士、すべての乗組員たちは、お前が滅びる日に海の真ん中に沈む。
(エゼキエル書 第27章27節)
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管理人 日月土
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123便事件と芸能界の闇(17)-復活のバービー人形
先日、ニューヨークタイムスを眺めていたら、次の記事がアジア発ニュースとして取り上げられていました。
「バービー」がベトナムで炎上した訳
グレタ・ガーウィッグ監督の新作映画が、中国とベトナムが領有権を争っている領海を描いた地図を使用したため、ベトナムでの上映が禁止となった。
グレタ・ガーウィッグ監督、マーゴ・ロビー主演のバービーは、月曜、ベトナムでの上映が禁止となった。
ジン・ユウ・ヤング
2023年7月4日掲載 (7/7更新)
この夏、ベトナムにバービーワールドは出現しない。
その東南アジアの一国は、グレタ・ガーウィッグ監督の新作映画「バービー」の公開を禁止した。それは、映画シーンの中で、南シナ海を示す地図上に九段線と呼ばれるU字型の点線で描かれた、中国とベトナムの両者が領有権を主張している領域が含まれていたからだ。
九段線は南シナ海のおよそ90パーセントを占め、中国の主張を表す印として中国の地図で使われる。
(和訳:日月土)
引用元:New York Times How 'Barbie' Landed in Hot Water in Vietnam
この記事、一見すると、何かと領土トラブルで話題となる南沙諸島周辺の緊張関係を指し示す記事のように読めます。一応、その九段線がどのようなものであるか、適当な地図があったので、それを転載しておきます。
画像1:南沙諸島と九段線
南沙諸島の領有権自体は、アジア情勢における深刻な国際問題だとは思いますが、しかし、なんでこの時期にファンタジー映画の「バービー」と絡んでくるのだろうと、少々不思議な気分にもなったのです。
バービー人形と言えば、私はその名前くらいしか聞いたことはありませんが、幼い少女達の人形遊びのアイテムとして、世界的に人気があること位は私も聴き知ってはいます。
画像2:バービー人形
映画予告を観た限り、どうやら、人形の国(バービーワールド)にいたバービーさんが、現実の人間世界に現れる設定らしいですが、まあ、ファンタジー作品でしょうからそれについては特に言うことはありません。
主演のバービー役はオーストラリアの女優マーゴ・ロビーさんで、たいへん美しい方ではありますが、年齢は33歳と、夢見る少女たちのアイドル役としては少々厳しいのではないかと思ったりもします。この「33」という数字も気になりますが、ここでは深追いはしないことにしましょう。
画像3:マーゴ・ロビーさん(発音上の表記)
■日本とバービーの関係
このバービー人形、外国の人形と思っていたのですが、調べたところ、日本ともたいへん縁が深いことが分かってきました。以下はウィキペディアからの抜粋です。
バービー人形は1959年に発売されたそうですが、なんと、その製造は日本の企業が引き受けていたそうなのです。
その経緯については、次のサイトが参考になります。
関連記事:日本人は知らない、バービーが「日本のドール」と言える意外な理由
このサイトの2ページ目を見てちょっと驚いたのですが、バービー人形が発売された1959年とは
明仁皇太子と美智子さんの御成婚
の年であり、なんとその年に、非売品でありながら日本限定の御成婚モデルまで造られていたそうなのです。
画像4:御成婚限定モデル(同サイトから引用)
ここで「おやっ?」と思ったのは、バービー誕生と美智子さまの間に何か特別な関係が隠されていたのではないのか、その点なのです。
■映画ポスターの解析
ここで、今回の映画ポスターを眺めてみます。
画像5:国内上映用のポスター
引用元:映画「バービー」公式サイト https://wwws.warnerbros.co.jp/barbie/
見ればお分かりのように、バービー(Barbie)の頭文字「B」を強調した派手なレイアウトなのですが、この特大の「B」の文字を眺めていたら、最近のアニメでやたら「B」の文字を強調していた作品があったのを思い出しました。
画像6:アニメ「推しの子」から
このアニメの設定については、暗に「美智子さま」を意識して設計されているだろうと、(真)ブログ記事『「推しの子」推しの話』で解説済みだったのです。
「B」という文字は、数字の「1」と「3」の文字間を詰めたもの、すなわち「13」と同じと見なせますから、これを漢字で書き直すと「十三」(じゅうそう)となります。実は、この「十三」と「重曹」を意図的に掛けてキャラクタライズされている登場人物が、このアニメの中に設定されていることも、やはり(真)ブログ記事『「有馬かな」が語るもの』の中で指摘しているのです。
画像7:商品キャラにもなった「重曹ちゃん」こと「有馬かな」
アニメ「推しの子」はシーズン1が先週終了しましたが、それを見透かしたように、8月にやはり「B」推しの映画「バービー」が公開される。これを果たして偶然と捉えてよいのかどうか、疑問が残ります。
これが偶然でない場合、アルファベット「B」が両者で共通しているように、
美智子さま
についても、共通項として見なさなければなりません。
■美智子妃殿下(当時)と123便事件
本ブログでは、1985年の123便事件に昭和天皇が大きく絡んでいると指摘してきましたが、実は当時の皇太子妃である美智子妃殿下についても無関係ではなかろうとしています。
それについては、過去記事「八月に天皇は殺される」の最後部に、次の様な遠回しな表現で仄めかしています。
もちろん、1985年以降も昭和天皇および美智子妃殿下も公式にはご存命でしたが、ここで一つ読者の皆様に考えて頂きたいことがあります。
お二人の素顔を直に拝見したことがあるのか?
私たちが知っているお二人の顔は、あくまでもメディアを通したものです。中には歌会や一般参賀などで拝顔されたことがあるという方もいらっしゃるとは思いますが、それがご本人だと確証できる理由はあるのでしょうか?
天皇は、メディアがまだ未発達だった頃もその姿は御簾の向こう側にありました。100年より前にやっと御尊影として一般人が目にするようになっても、それが本人である確証など実は何もなかったのです。
ある意味、私たち日本国民は皇室メンバーという名の実写版バービー人形をずっと見させられていたのかもしれません。
さて、ここで日航123便事件を取り上げたのにはもう一つ大きな理由があります。それは映画「バービー」の日本公開日が
8月11日
であることなのです。ちなみに米国での公開日は7月21日です。
この日はご存知の様に「山の日」であり、
123便事件の前日
でもあります。
ここに映画「バービー」の大いなる作意が凝集しており、それは「B」、すなわち「十三」と美智子妃殿下(当時)とがこの運命の日で繋がることを意味しています。
123便事件はその前日、いや1959年の御成婚の時から既に始まっていたのです。
画像8:例のアニメでも「プリンセス プリンセス」(二人の妃)を表現
このヒロインは第1話で早くも殺され血まみれの中で死亡している
「皇帝のいない八月」のヒロインと同じ様に
タイトルの「M」がいったい誰を象徴しているのか、もうお分かりでしょう。問題なのは、なぜ半世紀前後も昔の話がこのタイミングで復活しているかなのです。
QUOMODO SEDIT SOLA CIVITAS PLENA POPULO FACTA EST QUASI VIDUA DOMINA GENTIUM PRINCEPS PROVINCIARUM FACTA EST SUB TRIBUTO
なにゆえ、独りで座っているのか/人に溢れていたこの都が。やもめとなってしまったのか/多くの民の女王であったこの都が。奴隷となってしまったのか/国々の姫君であったこの都が。
(哀歌 第1章1節)
キリストの御国にて記す
管理人 日月土
「バービー」がベトナムで炎上した訳
グレタ・ガーウィッグ監督の新作映画が、中国とベトナムが領有権を争っている領海を描いた地図を使用したため、ベトナムでの上映が禁止となった。
グレタ・ガーウィッグ監督、マーゴ・ロビー主演のバービーは、月曜、ベトナムでの上映が禁止となった。
ジン・ユウ・ヤング
2023年7月4日掲載 (7/7更新)
この夏、ベトナムにバービーワールドは出現しない。
その東南アジアの一国は、グレタ・ガーウィッグ監督の新作映画「バービー」の公開を禁止した。それは、映画シーンの中で、南シナ海を示す地図上に九段線と呼ばれるU字型の点線で描かれた、中国とベトナムの両者が領有権を主張している領域が含まれていたからだ。
九段線は南シナ海のおよそ90パーセントを占め、中国の主張を表す印として中国の地図で使われる。
(和訳:日月土)
引用元:New York Times How 'Barbie' Landed in Hot Water in Vietnam
この記事、一見すると、何かと領土トラブルで話題となる南沙諸島周辺の緊張関係を指し示す記事のように読めます。一応、その九段線がどのようなものであるか、適当な地図があったので、それを転載しておきます。
画像1:南沙諸島と九段線
南沙諸島の領有権自体は、アジア情勢における深刻な国際問題だとは思いますが、しかし、なんでこの時期にファンタジー映画の「バービー」と絡んでくるのだろうと、少々不思議な気分にもなったのです。
バービー人形と言えば、私はその名前くらいしか聞いたことはありませんが、幼い少女達の人形遊びのアイテムとして、世界的に人気があること位は私も聴き知ってはいます。
画像2:バービー人形
映画予告を観た限り、どうやら、人形の国(バービーワールド)にいたバービーさんが、現実の人間世界に現れる設定らしいですが、まあ、ファンタジー作品でしょうからそれについては特に言うことはありません。
主演のバービー役はオーストラリアの女優マーゴ・ロビーさんで、たいへん美しい方ではありますが、年齢は33歳と、夢見る少女たちのアイドル役としては少々厳しいのではないかと思ったりもします。この「33」という数字も気になりますが、ここでは深追いはしないことにしましょう。
画像3:マーゴ・ロビーさん(発音上の表記)
■日本とバービーの関係
このバービー人形、外国の人形と思っていたのですが、調べたところ、日本ともたいへん縁が深いことが分かってきました。以下はウィキペディアからの抜粋です。
概要
1959年3月にアメリカのマテル社から発売された。
(中略)
初期のバービーは日本で製造されている。当時、日本はアメリカに比べ人件費が安く、繊維産業が盛んであり人形本体と衣装とをまとめて発注できるという理由から注目され、玩具問屋と小売を営む(株)国際貿易との交渉から日本生産が決まった。
引用元:Wikiペディア バービー https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%93%E3%83%BC
1959年3月にアメリカのマテル社から発売された。
(中略)
初期のバービーは日本で製造されている。当時、日本はアメリカに比べ人件費が安く、繊維産業が盛んであり人形本体と衣装とをまとめて発注できるという理由から注目され、玩具問屋と小売を営む(株)国際貿易との交渉から日本生産が決まった。
引用元:Wikiペディア バービー https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%93%E3%83%BC
バービー人形は1959年に発売されたそうですが、なんと、その製造は日本の企業が引き受けていたそうなのです。
その経緯については、次のサイトが参考になります。
関連記事:日本人は知らない、バービーが「日本のドール」と言える意外な理由
このサイトの2ページ目を見てちょっと驚いたのですが、バービー人形が発売された1959年とは
明仁皇太子と美智子さんの御成婚
の年であり、なんとその年に、非売品でありながら日本限定の御成婚モデルまで造られていたそうなのです。
画像4:御成婚限定モデル(同サイトから引用)
ここで「おやっ?」と思ったのは、バービー誕生と美智子さまの間に何か特別な関係が隠されていたのではないのか、その点なのです。
■映画ポスターの解析
ここで、今回の映画ポスターを眺めてみます。
画像5:国内上映用のポスター
引用元:映画「バービー」公式サイト https://wwws.warnerbros.co.jp/barbie/
見ればお分かりのように、バービー(Barbie)の頭文字「B」を強調した派手なレイアウトなのですが、この特大の「B」の文字を眺めていたら、最近のアニメでやたら「B」の文字を強調していた作品があったのを思い出しました。
画像6:アニメ「推しの子」から
このアニメの設定については、暗に「美智子さま」を意識して設計されているだろうと、(真)ブログ記事『「推しの子」推しの話』で解説済みだったのです。
「B」という文字は、数字の「1」と「3」の文字間を詰めたもの、すなわち「13」と同じと見なせますから、これを漢字で書き直すと「十三」(じゅうそう)となります。実は、この「十三」と「重曹」を意図的に掛けてキャラクタライズされている登場人物が、このアニメの中に設定されていることも、やはり(真)ブログ記事『「有馬かな」が語るもの』の中で指摘しているのです。
画像7:商品キャラにもなった「重曹ちゃん」こと「有馬かな」
アニメ「推しの子」はシーズン1が先週終了しましたが、それを見透かしたように、8月にやはり「B」推しの映画「バービー」が公開される。これを果たして偶然と捉えてよいのかどうか、疑問が残ります。
これが偶然でない場合、アルファベット「B」が両者で共通しているように、
美智子さま
についても、共通項として見なさなければなりません。
■美智子妃殿下(当時)と123便事件
本ブログでは、1985年の123便事件に昭和天皇が大きく絡んでいると指摘してきましたが、実は当時の皇太子妃である美智子妃殿下についても無関係ではなかろうとしています。
それについては、過去記事「八月に天皇は殺される」の最後部に、次の様な遠回しな表現で仄めかしています。
なお、吉永さんの配役にはもう一つ別の意図が見い出せるのですが、それは、吉永さんが実在する誰を象徴しているのか、吉永小百合さんという女優のイメージから想像すると直ぐにお分かりになるのではないかと思います。おそらく、日本人でこの方(女性)を知らない人はいないでしょう。
そのお方はプリンセスとも呼ばれることがありました。
そのお方はプリンセスとも呼ばれることがありました。
もちろん、1985年以降も昭和天皇および美智子妃殿下も公式にはご存命でしたが、ここで一つ読者の皆様に考えて頂きたいことがあります。
お二人の素顔を直に拝見したことがあるのか?
私たちが知っているお二人の顔は、あくまでもメディアを通したものです。中には歌会や一般参賀などで拝顔されたことがあるという方もいらっしゃるとは思いますが、それがご本人だと確証できる理由はあるのでしょうか?
天皇は、メディアがまだ未発達だった頃もその姿は御簾の向こう側にありました。100年より前にやっと御尊影として一般人が目にするようになっても、それが本人である確証など実は何もなかったのです。
ある意味、私たち日本国民は皇室メンバーという名の実写版バービー人形をずっと見させられていたのかもしれません。
さて、ここで日航123便事件を取り上げたのにはもう一つ大きな理由があります。それは映画「バービー」の日本公開日が
8月11日
であることなのです。ちなみに米国での公開日は7月21日です。
この日はご存知の様に「山の日」であり、
123便事件の前日
でもあります。
ここに映画「バービー」の大いなる作意が凝集しており、それは「B」、すなわち「十三」と美智子妃殿下(当時)とがこの運命の日で繋がることを意味しています。
123便事件はその前日、いや1959年の御成婚の時から既に始まっていたのです。
あなたの声聞きたくて
消せないアドレスmのページを
指でたどってるだけ
プリンセス プリンセス「M」から(1988)
消せないアドレスmのページを
指でたどってるだけ
プリンセス プリンセス「M」から(1988)
画像8:例のアニメでも「プリンセス プリンセス」(二人の妃)を表現
このヒロインは第1話で早くも殺され血まみれの中で死亡している
「皇帝のいない八月」のヒロインと同じ様に
タイトルの「M」がいったい誰を象徴しているのか、もうお分かりでしょう。問題なのは、なぜ半世紀前後も昔の話がこのタイミングで復活しているかなのです。
QUOMODO SEDIT SOLA CIVITAS PLENA POPULO FACTA EST QUASI VIDUA DOMINA GENTIUM PRINCEPS PROVINCIARUM FACTA EST SUB TRIBUTO
なにゆえ、独りで座っているのか/人に溢れていたこの都が。やもめとなってしまったのか/多くの民の女王であったこの都が。奴隷となってしまったのか/国々の姫君であったこの都が。
(哀歌 第1章1節)
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