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123便事件と芸能界の闇(17)-復活のバービー人形

先日、ニューヨークタイムスを眺めていたら、次の記事がアジア発ニュースとして取り上げられていました。



「バービー」がベトナムで炎上した訳
グレタ・ガーウィッグ監督の新作映画が、中国とベトナムが領有権を争っている領海を描いた地図を使用したため、ベトナムでの上映が禁止となった。


グレタ・ガーウィッグ監督、マーゴ・ロビー主演のバービーは、月曜、ベトナムでの上映が禁止となった。

ジン・ユウ・ヤング

2023年7月4日掲載 (7/7更新)

この夏、ベトナムにバービーワールドは出現しない。

その東南アジアの一国は、グレタ・ガーウィッグ監督の新作映画「バービー」の公開を禁止した。それは、映画シーンの中で、南シナ海を示す地図上に九段線と呼ばれるU字型の点線で描かれた、中国とベトナムの両者が領有権を主張している領域が含まれていたからだ。

九段線は南シナ海のおよそ90パーセントを占め、中国の主張を表す印として中国の地図で使われる。
(和訳:日月土)

引用元:New York Times How 'Barbie' Landed in Hot Water in Vietnam


この記事、一見すると、何かと領土トラブルで話題となる南沙諸島周辺の緊張関係を指し示す記事のように読めます。一応、その九段線がどのようなものであるか、適当な地図があったので、それを転載しておきます。


画像1:南沙諸島と九段線

南沙諸島の領有権自体は、アジア情勢における深刻な国際問題だとは思いますが、しかし、なんでこの時期にファンタジー映画の「バービー」と絡んでくるのだろうと、少々不思議な気分にもなったのです。

バービー人形と言えば、私はその名前くらいしか聞いたことはありませんが、幼い少女達の人形遊びのアイテムとして、世界的に人気があること位は私も聴き知ってはいます。


画像2:バービー人形

映画予告を観た限り、どうやら、人形の国(バービーワールド)にいたバービーさんが、現実の人間世界に現れる設定らしいですが、まあ、ファンタジー作品でしょうからそれについては特に言うことはありません。

主演のバービー役はオーストラリアの女優マーゴ・ロビーさんで、たいへん美しい方ではありますが、年齢は33歳と、夢見る少女たちのアイドル役としては少々厳しいのではないかと思ったりもします。この「33」という数字も気になりますが、ここでは深追いはしないことにしましょう。


画像3:マーゴ・ロビーさん(発音上の表記)


■日本とバービーの関係

このバービー人形、外国の人形と思っていたのですが、調べたところ、日本ともたいへん縁が深いことが分かってきました。以下はウィキペディアからの抜粋です。

概要

1959年3月にアメリカのマテル社から発売された。

 (中略)

初期のバービーは日本で製造されている。当時、日本はアメリカに比べ人件費が安く、繊維産業が盛んであり人形本体と衣装とをまとめて発注できるという理由から注目され、玩具問屋と小売を営む(株)国際貿易との交渉から日本生産が決まった。

引用元:Wikiペディア バービー https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%93%E3%83%BC


バービー人形は1959年に発売されたそうですが、なんと、その製造は日本の企業が引き受けていたそうなのです。

その経緯については、次のサイトが参考になります。

 関連記事:日本人は知らない、バービーが「日本のドール」と言える意外な理由 

このサイトの2ページ目を見てちょっと驚いたのですが、バービー人形が発売された1959年とは

 明仁皇太子と美智子さんの御成婚

の年であり、なんとその年に、非売品でありながら日本限定の御成婚モデルまで造られていたそうなのです。


画像4:御成婚限定モデル(同サイトから引用)

ここで「おやっ?」と思ったのは、バービー誕生と美智子さまの間に何か特別な関係が隠されていたのではないのか、その点なのです。


■映画ポスターの解析

ここで、今回の映画ポスターを眺めてみます。


画像5:国内上映用のポスター
引用元:映画「バービー」公式サイト https://wwws.warnerbros.co.jp/barbie/

見ればお分かりのように、バービー(Barbie)の頭文字「B」を強調した派手なレイアウトなのですが、この特大の「B」の文字を眺めていたら、最近のアニメでやたら「B」の文字を強調していた作品があったのを思い出しました。


画像6:アニメ「推しの子」から

このアニメの設定については、暗に「美智子さま」を意識して設計されているだろうと、(真)ブログ記事『「推しの子」推しの話』で解説済みだったのです。


「B」という文字は、数字の「1」と「3」の文字間を詰めたもの、すなわち「13」と同じと見なせますから、これを漢字で書き直すと「十三」(じゅうそう)となります。実は、この「十三」と「重曹」を意図的に掛けてキャラクタライズされている登場人物が、このアニメの中に設定されていることも、やはり(真)ブログ記事『「有馬かな」が語るもの』の中で指摘しているのです。


画像7:商品キャラにもなった「重曹ちゃん」こと「有馬かな」

アニメ「推しの子」はシーズン1が先週終了しましたが、それを見透かしたように、8月にやはり「B」推しの映画「バービー」が公開される。これを果たして偶然と捉えてよいのかどうか、疑問が残ります。

これが偶然でない場合、アルファベット「B」が両者で共通しているように、

 美智子さま

についても、共通項として見なさなければなりません。


■美智子妃殿下(当時)と123便事件

本ブログでは、1985年の123便事件に昭和天皇が大きく絡んでいると指摘してきましたが、実は当時の皇太子妃である美智子妃殿下についても無関係ではなかろうとしています。

それについては、過去記事「八月に天皇は殺される」の最後部に、次の様な遠回しな表現で仄めかしています。

なお、吉永さんの配役にはもう一つ別の意図が見い出せるのですが、それは、吉永さんが実在する誰を象徴しているのか、吉永小百合さんという女優のイメージから想像すると直ぐにお分かりになるのではないかと思います。おそらく、日本人でこの方(女性)を知らない人はいないでしょう。

そのお方はプリンセスとも呼ばれることがありました。


もちろん、1985年以降も昭和天皇および美智子妃殿下も公式にはご存命でしたが、ここで一つ読者の皆様に考えて頂きたいことがあります。

 お二人の素顔を直に拝見したことがあるのか?

私たちが知っているお二人の顔は、あくまでもメディアを通したものです。中には歌会や一般参賀などで拝顔されたことがあるという方もいらっしゃるとは思いますが、それがご本人だと確証できる理由はあるのでしょうか?

天皇は、メディアがまだ未発達だった頃もその姿は御簾の向こう側にありました。100年より前にやっと御尊影として一般人が目にするようになっても、それが本人である確証など実は何もなかったのです。

ある意味、私たち日本国民は皇室メンバーという名の実写版バービー人形をずっと見させられていたのかもしれません。

さて、ここで日航123便事件を取り上げたのにはもう一つ大きな理由があります。それは映画「バービー」の日本公開日が

 8月11日

であることなのです。ちなみに米国での公開日は7月21日です。

この日はご存知の様に「山の日」であり、

 123便事件の前日

でもあります。

ここに映画「バービー」の大いなる作意が凝集しており、それは「B」、すなわち「十三」と美智子妃殿下(当時)とがこの運命の日で繋がることを意味しています。

123便事件はその前日、いや1959年の御成婚の時から既に始まっていたのです。

あなたの声聞きたくて
消せないアドレスmのページを
指でたどってるだけ

プリンセス プリンセス「M」から(1988)



画像8:例のアニメでも「プリンセス プリンセス」(二人の妃)を表現
    このヒロインは第1話で早くも殺され血まみれの中で死亡している
    「皇帝のいない八月」のヒロインと同じ様に

タイトルの「M」がいったい誰を象徴しているのか、もうお分かりでしょう。問題なのは、なぜ半世紀前後も昔の話がこのタイミングで復活しているかなのです。


QUOMODO SEDIT SOLA CIVITAS PLENA POPULO FACTA EST QUASI VIDUA DOMINA GENTIUM PRINCEPS PROVINCIARUM FACTA EST SUB TRIBUTO
なにゆえ、独りで座っているのか/人に溢れていたこの都が。やもめとなってしまったのか/多くの民の女王であったこの都が。奴隷となってしまったのか/国々の姫君であったこの都が。
(哀歌 第1章1節)


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管理人 日月土
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闇夜に蠢くもの(7)-忘れられた林道

今回の記事は、今月12日に投稿した「37回目の夏-失われたウェストサイドストーリー」を少なからず補足する内容となります。

同記事の締めくくりに私は次のように書きました

 その時西側で何が起きていたのか、それが事件解明の鍵

であると。

これには少々付け加えなければいけないことがあります。西の長野側が極めて重要なのは変わりませんが、これは何も123便遭難現場の西側だけを良く見ろという意味ではありません。、本事件は現場を中心とした数キロ圏内だけではなく、東西南北数10キロ圏内まで視野を広げないと、その時何が行われていたか全体が見通せないという意味も含んでいます。

数日前、私は次の写真の場所を訪ねました。調査目的もありますが、自分の中では123便事件犠牲者の慰霊という大きな意味も含んでいます。


写真1:閉鎖された中津川林道(秩父市王冠キャンプ場付近で撮影)

中津川林道もとい秩父市道大滝幹線17号線は、長野県の川上村と埼玉県の秩父市を繋ぐ林道です。未舗装区間が多く、落石などでしょっちゅう通行止めになる峠道でもあります。現在も昨年から通行止めの状況が続いています。

実はこの林道、123便遭難地点、いわゆる御巣鷹の尾根の尾根続きの南側にある「三国峠」(みくにとうげ)を超えています。


画像1:中津川林道とその周辺
    川上村と上野村の間には古来からの通商回廊があったという(地元談)

これまでの123便関連報道、及び関連書籍を読む限り、遭難現場よりはかなり北側にあるぶどう峠の話はよく出て来るのに、何故か現場により近いこの三国峠については殆ど登場することはありません。

これは、直線距離にして上野村の半分程度、遭難現場に最も近い川上村に救難支援本部が設置されなかったことと同様にこの事件の大きな謎であると言えます。そしてこの林道が注目されない、あるいはここに注目させない大きな理由として考えられるのが、

 事件隠蔽の回廊として使われた

のではないか、具体的には戦闘機破片や搭乗員、また現地に展開し死亡した戦闘員の遺体などを輸送するルートに使われたのではないかという疑いなのです。

私の分析では、軍用機やその他の123便以外の航空機の墜落数は最低でも15機以上であり、そんなにたくさんの物証が落ちていたら絶対にバレるだろという読者様の疑問もよく分かります。

しかし、隠し通せるはずのないものをどうやって隠すのか、隠す側の心理に立てば解決の為の戦術はそれほど難しくないことに気付きます。それは、高く東西を隔てている高天原山・三国山を結ぶ稜線の

 西側をマスコミから完全にシャットアウトすればよい

のであり、西側を回収物の集積拠点とし、そこ(長野県川上村)から埼玉方面への輸送ルートの一つとして、中津川林道に白羽の矢が立ったのではないかと考えるのです。

これは伝聞情報で私自身が直に確認した話ではないのですが、1985年8月13日(遭難翌日)の早朝、林道を大きな金属板のような物を自衛隊員数人が抱えて運んでいる姿を見たという地元の方の証言もあるようなのです。

この情報の真実性はひとまず置くとしても、かつてこの林道を走破した経験から言えるのは、木に覆われ殆ど人の行き来の無いガタガタ道の林道沿いは、一時的にでも大きな物、大量の物資を隠すのには絶好の場所だと考えられるのです。

わざわざ人目付く埼玉県側の村落を通過するとも考えにくいので、この林道沿いの傾斜地などが、回収物の一時保管所、または遺棄場所として利用された可能性は極めて高いと推測されるのです。

これ以外の傍証として、三国峠付近に車を止めて周囲を探索し始めると、既に昼間なのにも拘わらず、何故か複数の登山客グループが続々と訪れて、三国峠からの登山道に入山するという奇妙な光景に出くわしたこともあるのです。

これについては、遭難現場周辺の山林には、登山客に扮装した自衛隊OB、または現役隊員が今でも常時監視体制に就いていると、この際読者の皆様にも現地情報としてお知らせしておきましょう。そして、どうして彼らが37年も前の件で今も現場に貼り付き続けているのか、その理由を考えて頂きたいのです。

ここで、強調しておきたいのは、この事件を隠蔽するために、西側ルートが使われただけでなく、ここから更に埼玉県山間部・山梨県山間部へと夜間の隠密輸送が展開されていた形跡があるということなのです。

正味8時間しかない闇夜の中で、如何に同事件を事故として取り繕うのかを考察した時、当時の実際的な手段が見えてきます。それは、墜落予想現場の誤報を何度も繰り返しながら(画像1の×印)、最終的に私たちの目を御巣鷹の尾根に集中させる。これは長野県側で自衛隊の活動状況が目撃されたときの言い訳になります。

その時間稼ぎの間に、大型破片をなるべく小パーツに裁断し、それを各小隊に分けて持たせ、次々と林道脇など広域に分散して捨て置き土を被せて隠蔽する。雑な方法ですがこうでもしなければ、この短時間で事故に見せるまでのお膳立てはとても完遂し得なかったでしょう。完全な回収は、国民の目が東側(群馬側)に注がれている間にゆっくりと行えば良いのです。殆ど稼働することのない南相木ダムの建設も、証拠隠滅がその主な目的であるならば実に納得できるのです。

もしもこの予想が当たっているなら、画像1の「推定埋設現場」からは今でも積み残しの小片などが回収できるのではないかと考えられるのです。


写真2:とあるキャンプ場。この写真を掲載した意味は何なのか?
    現地で活動中の自衛隊OBの皆様ならもうお分かりでしょう


参考:
 ・黒霧123便関連記事ガイド
 ・(新)ブログ全記事リスト
 ・123便搭乗者検索


 * * *


今回の中津川林道訪問がなぜ私にとって「慰霊」であったのか、それは推定第2現場がどのような性質のものであったかを理解した時に初めてご理解頂けるのではないかと思います。それについてはもう少し説明に時間を掛けさせてください。



VAE QUI PROFUNDI ESTIS CORDE UT A DOMINO ABSCONDATIS CONSILIUM QUORUM SUNT IN TENEBRIS OPERA ET DICUNT QUIS VIDET NOS ET QUIS NOVIT NOS
災いだ、主を避けてその謀を深く隠す者は。彼らの業は闇の中にある。彼らは言う。「誰が我らを見るものか/誰が我らに気づくものか」と。
(イザヤ書 第29章15節)


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37回目の夏-失われたウェストサイドストーリー

本日は令和4年8月12日。日本航空123便が遭難したあの日からもう37年目の夏です。

37年前と言えば、私もまだ世間知らずの学生で、見るもの聞くものの全てに興味深々の頃でした。その自分がそろそろ老い先を考え始めなければならない年齢を迎えるとは、あの時にはとても想像できなかったことです。

私が123便の調査を始めて既に13年を数えますが、この間いったい何を成し得たのか、自分の至らなさに歯痒い思いを覚えるのは当然ながら、既に高齢の域に入られた犠牲者のご遺族関係者様に至っては、いったいどのような心境でおられるのか、それを思うと心苦しいばかりです。

ここで毎年のお願いとなってしまいますが、読者の皆様におかれましては、123便の姿がレーダーから消えたと言われる時刻、午後6時56分前後になりましたならば、わずかな時間でよいので、犠牲者のご冥福を祈ってあげてくださいますよう、お願い申し上げます。

これは多くの同胞が亡くなられた事件である。それを忘れないためにも。


■第2の遭難現場

本日を迎えるに先立ち、今年もまた123便の遭難現場へと足を運び慰霊を行ってきました。今回は、学生時代の同期の友人がこの事件の犠牲になったという方、話にはよく聞くが現場にはまだ一度も訪れたことがなく、ぜひ手を合わせに行きたいという方、そのような方々を連れ立っての訪問となりました。


写真1:慰霊のため遭難現場付近を訪れる


写真2:こちらは御巣鷹の尾根へ続く登山道
    沢が荒れ整備がたいへんだったでしょう。関係者の尽力に感謝です

御巣鷹の尾根を訪れたことのある方なら、どうして写真1が遭難現場なのだと首を傾げたかもしれません。それもそのはずで、ここは群馬県ではなく長野県側、現在の南相木ダムのダム湖畔の風景なのです。

私はここを第2の遭難現場と呼んでいますが、ここの存在については私が運用している(神)ブログメルマガで僅かに触れているのみです。というのも、これまで発見された軍機やミサイル破片の存在にすら強い拒否反応を示す世間一般に向けて、この第2現場の存在について詳細を示すのは時期尚早であると考えているからです。

ですから、今回の記事でもそれについて殊更強弁するつもりもないのですが、読者様には次の2つの事実についてご自身でよく考えて頂きたいと思っています。

 (1)殆ど使用されることない揚水発電所が何故ここに作られたのか?
 (2)どうして御巣鷹の尾根に最も近い川上村が救助拠点にならなかったのか?

(1)についてはかなり前に記事にしていますが、そもそも「大電力は長距離送電できない」という物理的制約に従えば、海沿いの発電所で作った大電力をこんな山の中に送電できないし、ここからの電気を遠く離れた都会に回すことなどできるはずもないのです。

 関連記事:大電力送電の大嘘 

つまり、数兆円は掛かっているだろうこの南相木ダムを含む神流川ダムは全く別の目的で建設されたのは自明のことなのです。この殆ど使われない施設の為に、千曲川源流周辺の土砂が複数の山体ごと大量に持ち運び去られたのです。私はこの行為を国による「証拠隠滅」と捉えています。

また(2)については過去の記事「The Paths of Mountain Wanderers」、「35回目の夏 - 小片に刻まれた想い」で軽く触れていますが、実は川上村に限らず123便事件において長野県側での動きが殆ど報道されないのは極めて不自然なことなのです。

"123便の遭難現場(御巣鷹の尾根)がどの辺か絞れてきた時点で、川上村の村長は「現場に最も近く平地も多いこの村が救助拠点になるのは間違いない」と判断し、村内の小中学校に受け入れ準備を始めるよう指示を出したのです。

ところが、実際には川上村には声が掛からず、村長はどうしてそのような判断になったのかと首を捻っていました。"


以上は3年前に、1985年当時の川上村村長に近かった方から直接伺ったお話なのです。

また、日本航空内では現地へ急遽派遣される社員に対し「現地へのアクセスは群馬ルートで」という指示が出されていたと当時の日航に在籍していた方の証言もあります。とにかく、長野県側に人を寄せたくないという意志が随所に見られるのです。


地図は現場周辺の地形図(現在)。県境の尾根を越えると長野県川上村があり、そこには人が住み農地の広がる平地がある。何故ここに救援本部を設置せず、遠く離れ急峻で平地の確保が難しい上野村が選ばれたのか?


写真は川上村内の現場最短地点(引用元:Google)。高原野菜の農地が広がる

大量の軍機破片が見つかっている話は以前から本ブログで取り上げていますが、そうなるとその機体本体を人目に触れないようどのように運び出したのか?当然それが疑問として上がってきます。

つまり、同事件を事故に見せかけるためには搬出路と廃棄場所の確保は必須であり、その為に取られた措置が

 西側(長野県側)の報道管制・行動規制

であったと考えられるのです。

この視点を得た時、これまで同事件に関して注目されることの少なかった長野県、そして南に続く山梨県や静岡県などの現場西側エリアこそが、同事件の処理及びその隠蔽に於いて非常に大きな役割を果たしたことが見えてくるのです。

さて、先に述べた「第2の遭難現場」とは、そのような現場西側の不可解な動きを調査する中で浮上した問題なのですが、これについては機が熟したと思われた時に改めて公表したいと考えています。

今はっきりとお伝えできるのは

 その時西側で何が起きていたのか、それが事件解明の鍵

であるということだけです。


画像は「事件の記憶-改ざんされた事故報道」から。離れた2箇所が炎上している

なお、私が他のブログを含め取り扱っている芸能・科学・アニメそして歴史等の話題は、一見関係ないようですが全て123便事件の全容を理解するための前準備であるとご理解ください。

まずこの辺の基礎知識を頭に入れて頂かないと、これから展開する123便事件の深層はまるで理解できないでしょう。それほどまでに、この123便事件の闇は深いのです。

参考:
 ・黒霧123便関連記事ガイド
 ・(新)ブログ全記事リスト
 ・123便搭乗者検索


DIXITQUE DOMINUS AD ABRAM POSTQUAM DIVISUS EST LOTH AB EO LEVA OCULOS TUOS ET VIDE A LOCO IN QUO NUNC ES AD AQUILONEM ET AD MERIDIEM AD ORIENTEM ET AD OCCIDENTEM
主は、ロトが別れて行った後、アブラムに言われた。「さあ、目を上げて、あなたがいる場所から東西南北を見渡しなさい。」
(創世記 第13章14節)


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123便事件と芸能界の闇(16)-映画に予告された123便事件

この記事は今年1月5日の記事「映画に予告された123便事件」で紹介した映画シーンについて改めて解説したものです。

同記事では、1985年の8月以前に公開された次の映画シーンを掲載し、この映画タイトルが何であるかを読者様への質問として問いかけました。今回は注目部分を赤丸で囲み、改めて掲載します。


画像1:あの数字「123」


画像2:ラストシーンに登場する「LOOP」(ループ)

また、画像2の「ループ」が、昨年末に日本先行上映で注目された映画「マトリックス」で使われたテーマと同じことから、どうやら2022年の今年は、1985年と同じ様に日本をターゲットにした「第2の123便計画」と呼ぶべき大計画が画策されているだろうと私の予想を述べています。

 関連記事:マトリックス - ボット化された日本人

前の記事から早くも半年が経過し、ずい分遅くなってしまいましたが、ここでこの映画タイトルを発表します。それは

 テラ戦士Ψ BOY

です。この映画の主要な情報をWikiから拾うと次の様になります。

 監督 :石山昭信
 脚本 :原田真人
 原作 :マイク・スプリングレイン
 出演者:菊池桃子、早乙女愛、益岡徹、竹中直人他
 音楽 :林哲司
 主題歌:菊池桃子『BOYのテーマ』
 配給 :東映
 公開 :1985年7月6日

これらの情報の中でご注目頂きたいのは、何といってもその公開日が123便事件発生の直前である「1985年7月6日」である点です。


画像3:「テラ戦士Ψ BOY」の映画ポスター
    例のピラミッドもしっかり登場してます

そして、一般大衆に印象を与える上で最も重要な映画タイトルについても、次の様なメッセージが暗示として組み込まれていることを頭に入れておいてください。

 テラ戦士  → 地球戦死 → 世界最終戦争
 Ψ(プサイ) → 三叉鉾 → 八咫烏・海軍
 BOY     → 誰?

1985年前後のアイドルブームを経験された方なら、この年の5月にトップアイドルだった松田聖子さんが「ボーイの季節」という歌を出されたことを覚えておられるかもしれません。そして、少しマニアックなアイドルファンなら、やはりこの年におニャン子クラブが「LIKE A CHERRY BOY」という楽曲を歌っていたことをご存知でしょう。


画像4:1985年当時の松田聖子さんとおニャン子クラブ

何が言いたいかというと、この年に使われた「BOY(ボーイ)」というキーワードには明らかに特別な隠喩が込められていること、そして、おそらくそれがある特定の人物で、男性を表すという点なのです。

これまで本ブログの「芸能界の闇シリーズ」をお読みになられた方なら、それが誰であるかもうお分かりになったかもしれません。これまでの分析と照らし合わして導けるBOYが示す特定人物とは

 昭和天皇

なのです。ここからこの映画タイトルの真意を分析すると

 八咫烏による世界最終戦争は昭和天皇の死を以て贖われる

と読むことができるのです。

 関連記事:八月に天皇は殺される 


映画シーンの中に「123」という数字がしっかり刻まれていることから、この計画が1985年の日本航空123便撃墜計画を皮切りにスタートする予定であったこともここから読み解くことができます。

「ループ」は繰り返し・やり直しを表す言葉ですが、これを現実世界に当てはめるならスクラップ&ビルド、すなわち今あるものを一旦全て破壊してやり直すという意味に取ることができます。

私たちが現在進行で経験しているの現在の世界は「グレート・リセット」という言葉が示すように、計画的なパンデミックとワク〇ン接種で2度と今までの日常が戻らない方向へと向かっています。これはまさしく私たちが計画上のループ過程に乗ったことを示しており、同様のメッセージが37年前の123便事件の時には既に現れていたのです。

このようなことを書くと将来を悲観される読者様もいらっしゃるかもしれませんが、ここでご理解頂きたいのは、

 1985年の計画は失敗した

という点であり、だからこそ今になって第2の123便計画が発動したと見ることもできるのです。

では、どうして1985年の計画は頓挫したのか?その理由を分析し理解することで、現在置かれている状況から世界がどう抜け出したら良いのか、その現実的方策が見出せるはずだと私は考えるのです。

最後に、次の画像を良く見てください。


画像5:ジャンボジェット機に合わされた照準
    「テラ戦士Ψ BOY」の同時上映アニメ映画「エリア88」から
    「88」は海軍・八咫烏を表す数字


画像6:同じく「エリア88」に現れた数字「182」→ 8月12日

ジャンボジェットに合わされた戦闘機の照準にこれ見よがしな数字。このようなシーンが「テラ戦士Ψ BOY」と一緒に上映されていたのです。これはもう、123便撃墜計画が存在していたことを示す動かぬ証拠であると私は捉えますが、皆様はどのようにお考えでしょうか?


参考:
 ・黒霧123便関連記事ガイド
 ・(新)ブログ全記事リスト
 ・123便搭乗者検索

 ・テラ戦士Ψ BOY 無料動画
 ・エリア88 無料動画



SICUT CANIS QUI REVERTITUR AD VOMITUM SUUM SIC INPRUDENS QUI ITERAT STULTITIAM SUAM
犬が自分の吐いたものに戻るように/愚か者は自分の愚かさを繰り返す。
(箴言 第26章11節)


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123便事件と芸能界の闇(15)-鹿児島から東へ

報道によると、鹿児島県の桜島が何やら大変なことになっているようです。以下にそのネット記事を貼り付けますが、これがまた非常に気になります。その部分に赤下線を加えました。



引用元:MBC南日本放送 https://www.mbc.co.jp/news/article/2022072400058009.html



(以下省略)

引用元:MBC南日本放送 https://www.mbc.co.jp/news/article/2022072500058049.html


地元鹿児島に在住の知人は、この報道について次の様に述べています

”不可解なのは、この程度の噴火は以前から繰り返し起こっているにも拘わらず、今回は速報でニュースを流し、警戒レベルを最高まで引き上げたことです”


コロコロ祭、電力不足祭、そして全国各地の夏祭りと、最近はとにかくお祭り続きですが、いよいよ「噴火祭」が始まったのかと思わずにはいられません。

本ブログが長い読者様ならもうご存知でしょうが、実はこの桜島は色々と曰くのある土地なのです。それについては、4年前と最近の2つの記事を読み比べて頂ければ、その疑わしさについて何か感じて頂けるのではないかと思います。

 (1)川内原発再び(九州核ネットワーク2)
 (2)古都の夏が暑い理由 - 地下電源情報(2)

(1)では引用<記事3>として、1985年の8月11日、あの日航123便事件が起きる前日に、鹿児島で桜島の噴火による不可解な電車の立ち往生があったことに触れています。

実は、桜島もとい鹿児島と日航123便事件との関係性はこれに留まりません。

昨年「八月に天皇は殺される」という記事を上梓し、その中で「皇帝のいない八月」という1978年の日本映画に123便事件を予告する内容が含まれている点を指摘しました。

この中で、映画のストーリーが「福岡→東京」と移動する展開に、同じく「福岡→東京」と移動し、その直後に大阪行き123便となった日本航空JA8119機の運命を重ねているようだと指摘しています。

この記事では敢えて触れませんでしたが、実はこの「皇帝のいない八月」の冒頭は

 桜島の見える鹿児島のシーンから始まる

のです。はっきり言ってストーリーとの直接の関連性はなく、主要登場人物がたまたま鹿児島の実家に墓参りをした時に、クーデター計画の連絡を受けると言うところから物語が始まるのです。


画像:「皇帝のいない八月」予告編から

問題なのは、ここまで緻密に123便撃墜計画の詳細を伝えるこの映画が、本当に"たまたま"鹿児島を冒頭の舞台に選んだのかという点なのです。


■「東方向」は何を意味しているのか?

MBCの引用記事に幾つか下線を入れましたが、その中で「東方向」に注目します。当然ですが、私はこの2つの報道記事は暗号報道であると見立てています。

前節で触れたように、桜島と123便事件との間に関連性が窺えることから、このキーワードを解釈する鍵も123便事件から読み解けるだろうと予測します。そうなると、当時(1985年)巷に流れたフレーズの中で、特に関連性が強く認められるのが以下であると考えられるのです。

 東へ行くのよ 唇かみしめ
 アナアーウィズアローホ NILE (註:ナイルに行きたい)
 夢に包まれた 子供に返って笑ってみたいの
 遠くであなたが 呼んでる気がする
 アナアーウィズアローホ NILE
 破いた写真は 宙に舞い踊り 無くなってくだけなのに


ある歌詞の一部なのですが、ナイル川(エジプト)へ向かって砂漠を「西から東へ」と移動する意志が歌われていますが、文意から、これがまるで空から地上を俯瞰する視点で描かれているのに気づきます。この歌が何かもうお分かりですね。


https://www.youtube.com/watch?v=upFSJLg2MfY

そうなのです、当時松田聖子さんとならんで日本のトップアイドルであった中森明菜さんが歌う「SAND BEIGE ~砂漠へ~」の一節なのです。

また、何より注目すべきなのは、この歌が

 123便事件発生の当夜に歌われた

という点なのです。


画像:8月12日の当夜、トップテンで4位であった

そんな37年前の話が、しかも歌謡曲の話がどうして令和4年の現在に繋がるのか、特に若い世代の方は理解が困難かもしれませんが、123便事件を一つの祭、あるいは儀式として考えてみてください。

例えば京都祇園祭の様式が開催の度に変わるでしょうか?祭にはその祭独自のスタイルがあり、基本的にそれに関連する歌謡も踊りも道具も手続きも大きく変わるものではありません。

日航123便事件とは国家カルトが絡む巨大な儀式殺人事件であったと考えられるので、仮にに同じ儀式を繰り返すなら、同じ様式をどこかで必ず踏襲してくるはずです。

回りくどくなりましたが、要するに今回の桜島噴火報道とは

 第2の123便事件の実行が近い

サインであると捉えることができるのです。なお、これは必ずしも航空機を狙ったテロと考える必要はなく、真の狙いは天皇暗殺による日本国の解体とそれに続く世界の強制リセット(世界終末)であると見られます。

現在行われている理不尽なパンデミック騒ぎも、それに向けた導入と捉えれば一転して極めて合理的かつ周到な戦略として再解釈できるようになります。

そのコンテキストの中で最近の国内注目事件-「安倍元首相襲撃事件」-を眺めた時、この事件が今年の夏に向けた「儀式」の前夜祭的位置づけであったことが窺えるのです。それについては(真)ブログの次の記事で分析していますので、そちらをご覧ください。やはり中森明菜さんが絡んでくるだけでなく、今年舞台化された「千と千尋の神隠し」も関わってくるのです。

 関連記事:安倍元首相襲撃事件と中森明菜の呪い


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この他、報道に記された数字から、この計画の実行予定日なども読み取れるのですが、必ずしも私の解読精度が100%とは言えないこと、また、未来を断定的に語るのは本ブログの主旨ではないので、後は読者様のご判断にお任せしたいと思います。
※次回のメルマガでは私の解析結果としてご紹介する予定です

避難指示という名の人払い令が出た桜島で、今後どのような動きが見られるのか、しばらくは注意深く見て行かなくてはなりません。


画像:鹿児島県内の九州核ネットワーク重要施設。左上から時計回りに(1)JAXA内之浦宇宙空間観測所、(2)海上自衛隊鹿児島音響測定所、(3)九州電力川内原子力発電所、(4)内閣衛星情報センター 阿久根受信管制局。桜島を中心にどう動いてくるのだろうか?

参考:
 ・黒霧123便関連記事ガイド
 ・(新)ブログ全記事リスト
 ・123便搭乗者検索


HAEC IGITUR DICIT DOMINUS IN HOC SCIES QUOD DOMINUS SIM ECCE PERCUTIAM VIRGA QUAE IN MANU MEA EST AQUAM FLUMINIS ET VERTETUR IN SANGUINEM
主はこう言われた。『このことによって、あなたは、わたしが主であることを知る』と。見よ、わたしの手にある杖でナイル川の水を打つと、水は血に変わる。
(出エジプト記 第7章17節)


キリストの御国にて記す
管理人 日月土
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