避難地、フィリピンにて思う
福島第一原発の事故後、3月16日に日本の住居を離れ、現在の避難地フィリピンに住むようになってから早くも5ヶ月が経過しようとしています。
避難を決意したその日から、123便事故の真実追求という重い仕事に加えて、核被曝から人を、国土を如何に解放すればよいのかという、直近の問題までを抱えてしまうことになりました。
ブログ記事で何度も触れているように、福島第一原発の事故は、事故そのもに恣意性を強く感じます。つまり、天災の発生から全て計画的に実行されたテロであり、天災とそれに伴う事故を装いながら日本という国家を瓦解させるまで追い詰める、いわば戦争における奇襲攻撃と見なすことができます。
何故そんなことが言えるのか?地震発生の不自然さや、原子炉格納施設の爆発状況などを詳細に観察すれば、公式発表では説明できない疑問点がいくつも湧き出してきます。詳細な議論は、いくつかの掲示板で行われているようですが、この手の議論をいくら尽くしても「疑い」以上のものは何も出てこないでしょう。そんな曖昧な状況の中でも私が「計画的事故=戦争」を言葉にするのは、日航123便墜落事故の調査の中で、日本領土内、それも首都東京からそれほど遠くない地で、米国、ソ連(現ロシア)という当時の超大国と日本が交戦するという、一般常識では到底信じられない事実を、議論ではない物証から知るに至ってしまったからです。
そのような大事変が発生したにも拘わらず、123便の墜落は「事故」として処理され、当事者の超大国、米国・ソ連、そして、当時世界ナンバーワンの経済力を誇った日本も沈黙を保ったのです。私は、この時から、隠された戦争の時代に入ったのだと認識しています。そして、豪腕を以って「大事変」を「大事故」にまで変容させてしまう、見えない組織の存在に気がついたのです。一般マスコミだけでなく、米国軍・ソ連軍を黙らせるような強大な力を保持する組織ですから、世界的な結社と見立てるのが正解なのでしょう。
それでは、御巣鷹事変で事が丸く収まったのかと言えばそれは疑問です。123便の墜落直後の1985年9月に電撃合議された「プラザ合意」で、日本は経済衰退の道を歩み始めます。翌1986年になれば、3月の米国スペースシャトルの爆発事故、続けて4月に発生したチェルノブイリ事故など、御巣鷹事変関係国で国の威信を揺るがす「大事故」が立て続けに発生しているのです。その後も、時間を置いてソ連の共産主義政府の解体、日本の地下鉄サリン事件と阪神大震災、米国の911偽装テロ事件と大政変・大災害・大事件が繰り返し発生しています。近年の歴史を俯瞰して得た私の結論とは、「隠された戦争は終わっていない」というものです。
このような歴史的流れの中で、311の震災と福島第1原発の事故をもう一歩深く推し量れば、そこにはやはり隠された戦争が潜んでいるのだと言えるのです。
* * *
以上をお読みいただければ、私が何故、早い時期に海外避難を決断できたのかお分かりいただけるのではないかと思います。私は現在の事態を隠された戦争と判断したのです。いわば私は、戦争避難者です。
外地にいても、日本(戦地)に残る知人から様々な情報が送られてきます。核汚染に関する悪い情報が多い中、朗報も入ってきます。その中でも「ほとんど全ての核種について放射性物質の吸着除去を可能にする浄化装置(試作)が完成した」という一報には思わず胸をなでおろしました。外部被曝要因を除去できる見込みが技術的に立った訳ですから。これに内部被曝要因を排除する私たちの「被曝治療」の技術を組み合わせれば、もうこれ以上、核の恐怖に怯える必要はありません。
しかし、問題が一つだけ残ります。それは、「争いを求める人の心」です。その心がなければそもそも「核汚染」などという悲劇はあり得なかったはずです。また、危ない原子力を求める心も、その源泉は核兵器の開発など「争いを求める人の心」だったのではないでしょうか?この人心の問題を解決しない限り、つまり現在起きている戦争を止めない限り、どんなに優れた核除染技術も意味をなさないと思います。
日本から遠く離れたフィリピンでも、放射能の雨が降り始めました。地球を一周してやって来た放射能です。日本に比べてまだマシなレベルですが、日本と同緯度の北米、欧州、ロシア、中国の危険な状況が手に取るように分かります。このまま福島が放置され、戦争が続く限り、日本が死に、やがて世界が死ぬことになるでしょう。この人類最大の危機を救うのはやはり人の心なのです。
* * *
日本から避難する時、慌しい中で何枚かのお気に入りクラシックCDを鞄に押し込み外に飛び出しました。その中の一枚が、ピアノの名手グレン・グールドが演奏する独逸の大作曲家J・Sバッハ作曲の「ゴールドベルグ変奏曲」です。こちらフィリピンでも、一人で静かに何かを考えたい時に流しています。
穏やかでいて時に激しく、切なさと同時に生きる喜びを与えてくれる名曲・名演奏です。このCDを持ち出すことができて本当によかった。この1枚があることで、美しいものを理解し創造する人の心をいつまでも信じることができます。時間とお金ができたら、ぜひこちらでも古いピアノを購入して演奏したいと思っています。
J・Sバッハ「ゴールドベルグ変奏曲 BWV988」より(聖書からの引用に代えて)
南の島フィリピンより
管理者 日月土
避難を決意したその日から、123便事故の真実追求という重い仕事に加えて、核被曝から人を、国土を如何に解放すればよいのかという、直近の問題までを抱えてしまうことになりました。
ブログ記事で何度も触れているように、福島第一原発の事故は、事故そのもに恣意性を強く感じます。つまり、天災の発生から全て計画的に実行されたテロであり、天災とそれに伴う事故を装いながら日本という国家を瓦解させるまで追い詰める、いわば戦争における奇襲攻撃と見なすことができます。
何故そんなことが言えるのか?地震発生の不自然さや、原子炉格納施設の爆発状況などを詳細に観察すれば、公式発表では説明できない疑問点がいくつも湧き出してきます。詳細な議論は、いくつかの掲示板で行われているようですが、この手の議論をいくら尽くしても「疑い」以上のものは何も出てこないでしょう。そんな曖昧な状況の中でも私が「計画的事故=戦争」を言葉にするのは、日航123便墜落事故の調査の中で、日本領土内、それも首都東京からそれほど遠くない地で、米国、ソ連(現ロシア)という当時の超大国と日本が交戦するという、一般常識では到底信じられない事実を、議論ではない物証から知るに至ってしまったからです。
そのような大事変が発生したにも拘わらず、123便の墜落は「事故」として処理され、当事者の超大国、米国・ソ連、そして、当時世界ナンバーワンの経済力を誇った日本も沈黙を保ったのです。私は、この時から、隠された戦争の時代に入ったのだと認識しています。そして、豪腕を以って「大事変」を「大事故」にまで変容させてしまう、見えない組織の存在に気がついたのです。一般マスコミだけでなく、米国軍・ソ連軍を黙らせるような強大な力を保持する組織ですから、世界的な結社と見立てるのが正解なのでしょう。
それでは、御巣鷹事変で事が丸く収まったのかと言えばそれは疑問です。123便の墜落直後の1985年9月に電撃合議された「プラザ合意」で、日本は経済衰退の道を歩み始めます。翌1986年になれば、3月の米国スペースシャトルの爆発事故、続けて4月に発生したチェルノブイリ事故など、御巣鷹事変関係国で国の威信を揺るがす「大事故」が立て続けに発生しているのです。その後も、時間を置いてソ連の共産主義政府の解体、日本の地下鉄サリン事件と阪神大震災、米国の911偽装テロ事件と大政変・大災害・大事件が繰り返し発生しています。近年の歴史を俯瞰して得た私の結論とは、「隠された戦争は終わっていない」というものです。
このような歴史的流れの中で、311の震災と福島第1原発の事故をもう一歩深く推し量れば、そこにはやはり隠された戦争が潜んでいるのだと言えるのです。
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以上をお読みいただければ、私が何故、早い時期に海外避難を決断できたのかお分かりいただけるのではないかと思います。私は現在の事態を隠された戦争と判断したのです。いわば私は、戦争避難者です。
外地にいても、日本(戦地)に残る知人から様々な情報が送られてきます。核汚染に関する悪い情報が多い中、朗報も入ってきます。その中でも「ほとんど全ての核種について放射性物質の吸着除去を可能にする浄化装置(試作)が完成した」という一報には思わず胸をなでおろしました。外部被曝要因を除去できる見込みが技術的に立った訳ですから。これに内部被曝要因を排除する私たちの「被曝治療」の技術を組み合わせれば、もうこれ以上、核の恐怖に怯える必要はありません。
しかし、問題が一つだけ残ります。それは、「争いを求める人の心」です。その心がなければそもそも「核汚染」などという悲劇はあり得なかったはずです。また、危ない原子力を求める心も、その源泉は核兵器の開発など「争いを求める人の心」だったのではないでしょうか?この人心の問題を解決しない限り、つまり現在起きている戦争を止めない限り、どんなに優れた核除染技術も意味をなさないと思います。
日本から遠く離れたフィリピンでも、放射能の雨が降り始めました。地球を一周してやって来た放射能です。日本に比べてまだマシなレベルですが、日本と同緯度の北米、欧州、ロシア、中国の危険な状況が手に取るように分かります。このまま福島が放置され、戦争が続く限り、日本が死に、やがて世界が死ぬことになるでしょう。この人類最大の危機を救うのはやはり人の心なのです。
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日本から避難する時、慌しい中で何枚かのお気に入りクラシックCDを鞄に押し込み外に飛び出しました。その中の一枚が、ピアノの名手グレン・グールドが演奏する独逸の大作曲家J・Sバッハ作曲の「ゴールドベルグ変奏曲」です。こちらフィリピンでも、一人で静かに何かを考えたい時に流しています。
穏やかでいて時に激しく、切なさと同時に生きる喜びを与えてくれる名曲・名演奏です。このCDを持ち出すことができて本当によかった。この1枚があることで、美しいものを理解し創造する人の心をいつまでも信じることができます。時間とお金ができたら、ぜひこちらでも古いピアノを購入して演奏したいと思っています。
J・Sバッハ「ゴールドベルグ変奏曲 BWV988」より(聖書からの引用に代えて)
南の島フィリピンより
管理者 日月土
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