123便事件と芸能界の闇(12) - 八月に天皇は殺される
※※2021-07-13 08:15 追記があります。
本記事は日本の芸能・放送界が結束して推進した「123便撃墜計画」に向けた大衆洗脳、それを暴く第12弾目となります。このテーマではおよそ1年振りの記事となります。
■鑑賞冒頭、思わず目を疑った
今回はある旧作の日本映画について論述して行きますが、書き始めの前にまず次の画像をご覧になってください。
画像1:映画の冒頭のシーンから
上の画像は、タイトル表示の前に流れるアクションシーンからの抜粋です。これだけでは暗くてよく分からないかもしれません。注意して見ていただきたい箇所を今度は強調してみます。
画像2:パトカーのナンバーに注目
お分かりになったでしょうか?年代物のこのパトカーのナンバーは「20-13」です。これを並べ替えるとどうなるか、もうお分かりですよね?
2013 → 123
冒頭からいきなりこれですから、鑑賞している私も思わずのけぞってしまいました。出演する車のナンバーに何かしら意味ある数字を置くのは、どうやら日本映画の常套手段の様です。
その他の例:
117(関東淡路大震災) → シン・エヴァンゲリオン (関連記事)
311(東日本大震災) → ゴジラ対キングギドラ (関連記事)
とは言っても、123という数字は縁起としてよく使われますし、必ずしも123便のことを指しているとも言い切れません。ところが、これはほぼ間違いなく、123便を指しているのだろうことは、オープニングテロップが始まった以下のシーンではっきりとその意図を感じるのです。
画像3:日本航空のボーイング747(ジャンボジェット)
ここに登場するジャンボジェット機は、その後に始まるストーリーとは全く関係がないのです。あくまでも風景の一部として、テロップの背後に意味有り気に特大アップで登場するだけなのです。
■8月12日の123便の動きを予告している?
10年以上、123便関連記事を扱ってきましたが、これまで次の事実は書いたことがなかったかもしれません。
123便とされる機体番号JA8119号機は、8月12日に羽田からあの惨事のフライトに飛び立つ直前、366便(*1)として福岡から羽田に就航しています。366便には当時の運輸大臣である山下徳夫氏も乗機していたことで知られています。
なぜここで、福岡の話題を出したかと言うと、この映画のストーリーは福岡を舞台に大きく展開が始まるからです。しかもその舞台に登ったのは、当時、長崎と東京を結ぶ寝台特急「さくら号」だったのです。
(*1)366便:1桁目の6の数字を上下ひっくり返すと369となることに私は注目しています。何故なら、123×3=369 だからです。また、396と並べ替えれば「396(さくら)」と読むことができます。くだらない話のように思われるかもしれませんが、このような細部に拘るのがカルト犯罪集団の特徴だと理解するべきです。
博多駅に停車するさくら号と、同列車に乗り込む元・現自衛隊員たち。かれらはさくら号をジャックして東京に乗り込み、クーデターを起こす予定だったのです。ここまで解説するともうこの映画のタイトルが何であるかお分かりになった読者様もいらっしゃるかもしれません。しかし、もう少しタイトル名は伏せておきます。
さて、このさくら号は夕方の6時50分台に博多駅を出発することが、駅の構内アナウンスから聞こえてくるのですが、構内シーンで何故だか次の時刻シーンが突然アップで映されるのです。
画像4:午後6時10分のアップシーン
これもまた、ストーリー展開と全く関係ない、というか作品構成上およそ不要なシーンとしか言えません。しかし、次の様に考えればこのシーンの必然性が理解できるのです。
つまり、映画に登場する福岡発東京行さくら号は、実運用されていた福岡発東京(羽田)行366便の日航ジャンボジェットを模したものである。そして、午後6時10分とはそのジャンボジェットが、123便として羽田から再び大阪伊丹空港へと飛び立つ時間であるということ。
123便が羽田空港を出発したのは、記録の上では予定より少し遅れた午後6時12分とされていますが、実際の出発予定時刻は6時10分頃だったとも考えられるのです。
冒頭シーンといい、福岡-東京間の設定といい、ここまで123便事件と重なってくると、もはやこの作品が、ただの娯楽作品とは言えなくなってくるのです。
■映画予告編に見る未来予告
さて、この映画は1978年に公開されたのですが、予告編については、現在でもYoutubeなどでも観ることができるようです。そして、その予告編を観て、私はまたまた度肝を抜かれたのです。次のシーンを見ればその心中をお察しいただけるかと思います。
画像5:クーデター決行日
こちらの映像は本編にはないのですが、西暦の1桁目が伏字にはされているものの、そこには
「1980年代のある年の8月にそれは起きる」
とおおよそその時期が明記されているのです。これが正真正銘の予告でなくして何と形容すればよいのでしょうか?
これを観て、私のこの作品への疑いは確信へと変わりました。
■本題は123便事件ではない
ここまで書けばもう映画タイトルを出しても良いでしょう。この映画は山本薩夫監督による松竹映画が制作した
皇帝のいない八月
- DER KAISER IST NICHT AM AUGUST -
です。1978年に出版された林ひさお氏による同名の小説が原作となっていますが、出版年が映画公開年と同年であることより、事実上、この映画のために原作が書き下されたのだろうと私は推測します。
さて、ここからは、この映画と123便事件との間に関係性が見られる、具体的には事実上の事件予告映画であると仮定してこの作品の各種設定について考察を加えます。この作品の中核となる事象は次の様になります。
(1)日本を舞台に軍事クーデターが画策されていた
(2)蜂起計画名が「皇帝がいない八月」(映画タイトルに同じ)
(3)クーデター失敗もさくら号は爆破され死傷者が出る
お気付きの様に、123便に関わるサインは複数出されてはいるものの、話の中心はあくまでも、軍事・皇帝・民間犠牲者なのです。
私は以前より「123便撃墜計画」の存在を示唆してきましたが、なぜ、一民間旅客機を撃墜させる必要があるのか、その理由付けはこれまで十分な説得力を持つものではありませんでした。しかし、123便撃墜計画をより大きな計画の一部、軍事的な作戦行動の一環であると見るならば、その必然性がより明確になってくるのです。
ですから、細部まで作り込まれたこの映画を分析することで、123便撃墜計画の背景が見えてくるかもしれません。
■123便遭難後の異様に素早い自衛隊の動き
次の写真は、123便事件の遭難現場にほど近い、長野県南相木村にある南相木小学校です。
画像6:南相木小学校
M氏の証言等でご紹介したこともありますが、123便の機影がレーダーから消え、何かが起きたのではないかと、世間が騒がしくなり始めた午後8時から9時の間、この小学校の前をバイクで通過したM氏は、はっきりと、この小学校の校庭に自衛隊が部隊展開しているのを目撃しています。
後に、当時ここに駐留していたのが、陸上自衛隊宇都宮駐屯地の部隊、おそらく特科連隊であることが現地に残された記録などから分かっています。
M氏の証言では、既にその時間、上空を戦闘機が飛び回っており、M氏自身も墜落地点は既に特定されていたものと思っていたそうです。それにしても、こんなに素早く自衛隊が現地近くに部隊展開していたことには、多少の驚きを抱いていたそうです。
元自衛隊員に尋ねたところ、災害救助部隊を編成するといっても、人員や装備の確保、他部隊との調整など、現地派遣に数時間は掛かるのが普通だということですから、この素早さは尋常ではありません。しかも、この時はまだ、報道上は墜落現場が特定されていないことになっているのです。
ここで、2つの疑問が生じます。
1)宇都宮の部隊はなぜこんなに素早く現地派遣ができたのか?
2)どうして墜落現場とされている群馬ではなく長野側だったのか?
1)についての考察は素直にこう考えるしかありません
当日、自衛隊は既に有事を想定した準備を行っていた
これは、M氏が山中で目撃したという、特殊装備をして入山してきた多数の自衛隊員や頻繁にヘリボーンで拾得物をピストン輸送していたという、その人員や装備の展開の素早さを考えても、最も合理的かつ現実的な解釈ではないかと思われるのです。
映画のストーリー設定をなぞってこれを表現すれば、クーデター計画のような武装蜂起計画が、1985年の8月12日当時、既に想定されていたと考えられるのです。
物語の中でも、過去に一度クーデター計画が失敗したという主人公による回想シーンが出てくるのですが、国際軍事評論家B氏の説明によると、実際に日本国内でクーデターが何度か計画され、その度に中央がそれを押さえ込んできたという現実があるようなのです。そのような計画はここ10年の間にもあったことを、私の情報筋も伝えてきています。
なお、2)の疑問についてはたいへん重要な問題を孕んでいます。これはむしろ、この時想定されていた有事の導入に失敗した原因と大きく絡んでおり、別の稿でお知らせするべきかと考えています。
今言えるのは、もしも武力による有事の勃発が計画通り進行していたならば、1985年8月12日という日は、123便の撃墜・墜落だけではなく、日本全土に戒厳令が敷かれていたかもしれないということです。
■皇帝とは天皇である
この芸能界の闇シリーズもそうですが、社会に現れた様々なサイン等から、123便撃墜計画の本質は
昭和天皇暗殺計画
ではなかったかと私は嫌疑を掛けています。もちろん、昭和天皇が記録上崩御されたのは1989年の1月とはなっていますから、資料としてこの説を証明するものは何もありません。私がこう主張するのは、あくまでも、カルト犯罪者たちがこの撃墜計画で何を狙っていたのか、彼ら特有の表現形態から導き出した結論なのです。
つまり、確信は覚えつつも私の中でもどちらかと言うとモヤモヤとした結論だった訳ですが、この映画の示唆するところは、その点への迷いを全て払拭するほど明解なものであったのです。
「皇帝」は英語ではエンペラー(Emperor)と翻訳されますが、「天皇」を英訳する場合もエンペラーであることは多くの方がご存知かと思います。
この映画ではちょっと気取ってドイツ語のカイザー(Kaiser)をサブタイトルに使用していますが、カイザーの英訳がエンペラーになることはドイツ語を学ばれた方なら既にお気付きでしょう。
私が注目するのは、どうしてあまり意味のないドイツ語のサブタイトルをここに添えたのかなのです。これはおそらく次の意を明確にするためであったと考えられるのです。
皇帝=カイザー=エンペラー=天皇
つまりこの映画タイトルの真意とは
天皇のいない八月
であり、もしも目の前に天皇がいるというのであれば、このフレーズの意味は
八月に天皇を亡き者とする
の意に置き換えることができるのです。つまり、123便撃墜による昭和天皇の暗殺計画です。
そして、まるでそれを意図しているかのように、燃え盛る炎を背景に映画タイトルの「皇帝」の文字が映し出されるのです
画像7:炎を背景にした映画タイトル
昭和天皇は乗客名簿にないではないかと思われる方は、まず天皇が一般乗客と座席を同じくすることなど普通はないと気付いてください。123便に乗機させられていたとすれば、それはおそらく監禁されて貨物室に押し込められていたとしか考えられないのです。
また、1985年以降、あるいはその前も、テレビでよく観ていた昭和天皇が、本当に昭和天皇その人だったのか、その点も十分に疑ってください。メディアが全く当てにならないことは、現在進行中のコロナ・ワクチン報道で読者様も十分にご理解いただけているはずですから。
■血で染まった白いワンピース
この映画でひと際目を引いたのが、血生臭いストーリーの中で凛とした美しさを垣間見せる、白いワンピース姿が目に眩しい若き日の吉永小百合さんでしょう。
サービス画像:作品中の吉永小百合さん
ネタバレになってしまいますが、吉永さんが演じた杏子は、クーデターの首謀者で夫でもある藤崎(渡瀬恒彦)と共に、ジャックした列車の中で果ててしまいます。
吉永さんの回想録によると、無残な死に役を演じさせられたのはこれが初めてだとか。確かに、この映画を観ていて、最後に列車が爆破され、「ええっ!吉永さん死んじゃうの!!」と思ったのは私だけではないと思います。
画像8:血染めの白いワンピース
1970年代に作られた、同じような列車ジャック映画「新幹線大爆破」は、列車に爆弾が仕掛けられるも、最後には乗員乗客の脱出は叶ったのですが、こちらの方は、クーデター計画は頓挫するも、自衛隊の対ハイジャック特殊部隊が無抵抗な民間人にも平気で発砲して殺しまくるし、最後はクーデター側が仕掛けた起爆装置が作動して、列車ごと吹き飛ぶことになるという、何とも陰惨な、後味の悪い結末で終わったのです。
映画ではクーデター計画の失敗という形で終わるのですが、見方を変えると、これこそが123便撃墜計画の本質を描き、予告しているのではないかと思われるのです。それは、
天皇崇拝者(藤崎)の死 → 昭和天皇の権威失墜
血染めの白いワンピース → 貴人の死
列車の爆発 → 123便の爆発
と解釈することで見出せます。そして、民間人まで撃ちまくる光景とは、まさに御巣鷹の尾根で行われた残虐行為そのものであったのではないかと、思いを深めるほど身震いがしてくるのです。
画像9:皇居 - 藤崎の心中を表すシーン
なお、吉永さんの配役にはもう一つ別の意図が見い出せるのですが、それは、吉永さんが実在する誰を象徴しているのか、吉永小百合さんという女優のイメージから想像すると直ぐにお分かりになるのではないかと思います。おそらく、日本人でこの方(女性)を知らない人はいないでしょう。
そのお方はプリンセスとも呼ばれることがありました。
関連記事:Princess Princess
参考:
・黒霧123便関連記事ガイド
・(新)ブログ全記事リスト
・123便搭乗者検索
* * *
なぜ、計画の予告とも取れる映画を作るのか?それは計画者の絶対的自信からくる仄めかしと取られがちですが、本当の理由とは「恐怖の原型」を大衆の潜在意識下に植え付ける為であると私は見ています。真っ白な赤子心の持ち主には、恐怖による如何なる扇動も意味をなさないですから。
関連記事:予告されていたパンデミック
NON CREDIDERUNT REGES TERRAE ET UNIVERSI HABITATORES ORBIS QUONIAM INGREDERETUR HOSTIS ET INIMICUS PER PORTAS HIERUSALEM
わたしたちを苦しめる敵が/エルサレムの城門から入るなどと/地上の王の誰が/この世に住む誰が、信じえたであろう。
(哀歌 第4章12節)
キリストの御国にて記す
管理人 日月土
本記事は日本の芸能・放送界が結束して推進した「123便撃墜計画」に向けた大衆洗脳、それを暴く第12弾目となります。このテーマではおよそ1年振りの記事となります。
■鑑賞冒頭、思わず目を疑った
今回はある旧作の日本映画について論述して行きますが、書き始めの前にまず次の画像をご覧になってください。
画像1:映画の冒頭のシーンから
上の画像は、タイトル表示の前に流れるアクションシーンからの抜粋です。これだけでは暗くてよく分からないかもしれません。注意して見ていただきたい箇所を今度は強調してみます。
画像2:パトカーのナンバーに注目
お分かりになったでしょうか?年代物のこのパトカーのナンバーは「20-13」です。これを並べ替えるとどうなるか、もうお分かりですよね?
2013 → 123
冒頭からいきなりこれですから、鑑賞している私も思わずのけぞってしまいました。出演する車のナンバーに何かしら意味ある数字を置くのは、どうやら日本映画の常套手段の様です。
その他の例:
117(関東淡路大震災) → シン・エヴァンゲリオン (関連記事)
311(東日本大震災) → ゴジラ対キングギドラ (関連記事)
とは言っても、123という数字は縁起としてよく使われますし、必ずしも123便のことを指しているとも言い切れません。ところが、これはほぼ間違いなく、123便を指しているのだろうことは、オープニングテロップが始まった以下のシーンではっきりとその意図を感じるのです。
画像3:日本航空のボーイング747(ジャンボジェット)
ここに登場するジャンボジェット機は、その後に始まるストーリーとは全く関係がないのです。あくまでも風景の一部として、テロップの背後に意味有り気に特大アップで登場するだけなのです。
■8月12日の123便の動きを予告している?
10年以上、123便関連記事を扱ってきましたが、これまで次の事実は書いたことがなかったかもしれません。
123便とされる機体番号JA8119号機は、8月12日に羽田からあの惨事のフライトに飛び立つ直前、366便(*1)として福岡から羽田に就航しています。366便には当時の運輸大臣である山下徳夫氏も乗機していたことで知られています。
なぜここで、福岡の話題を出したかと言うと、この映画のストーリーは福岡を舞台に大きく展開が始まるからです。しかもその舞台に登ったのは、当時、長崎と東京を結ぶ寝台特急「さくら号」だったのです。
(*1)366便:1桁目の6の数字を上下ひっくり返すと369となることに私は注目しています。何故なら、123×3=369 だからです。また、396と並べ替えれば「396(さくら)」と読むことができます。くだらない話のように思われるかもしれませんが、このような細部に拘るのがカルト犯罪集団の特徴だと理解するべきです。
博多駅に停車するさくら号と、同列車に乗り込む元・現自衛隊員たち。かれらはさくら号をジャックして東京に乗り込み、クーデターを起こす予定だったのです。ここまで解説するともうこの映画のタイトルが何であるかお分かりになった読者様もいらっしゃるかもしれません。しかし、もう少しタイトル名は伏せておきます。
さて、このさくら号は夕方の6時50分台に博多駅を出発することが、駅の構内アナウンスから聞こえてくるのですが、構内シーンで何故だか次の時刻シーンが突然アップで映されるのです。
画像4:午後6時10分のアップシーン
これもまた、ストーリー展開と全く関係ない、というか作品構成上およそ不要なシーンとしか言えません。しかし、次の様に考えればこのシーンの必然性が理解できるのです。
つまり、映画に登場する福岡発東京行さくら号は、実運用されていた福岡発東京(羽田)行366便の日航ジャンボジェットを模したものである。そして、午後6時10分とはそのジャンボジェットが、123便として羽田から再び大阪伊丹空港へと飛び立つ時間であるということ。
123便が羽田空港を出発したのは、記録の上では予定より少し遅れた午後6時12分とされていますが、実際の出発予定時刻は6時10分頃だったとも考えられるのです。
冒頭シーンといい、福岡-東京間の設定といい、ここまで123便事件と重なってくると、もはやこの作品が、ただの娯楽作品とは言えなくなってくるのです。
■映画予告編に見る未来予告
さて、この映画は1978年に公開されたのですが、予告編については、現在でもYoutubeなどでも観ることができるようです。そして、その予告編を観て、私はまたまた度肝を抜かれたのです。次のシーンを見ればその心中をお察しいただけるかと思います。
画像5:クーデター決行日
こちらの映像は本編にはないのですが、西暦の1桁目が伏字にはされているものの、そこには
「1980年代のある年の8月にそれは起きる」
とおおよそその時期が明記されているのです。これが正真正銘の予告でなくして何と形容すればよいのでしょうか?
これを観て、私のこの作品への疑いは確信へと変わりました。
■本題は123便事件ではない
ここまで書けばもう映画タイトルを出しても良いでしょう。この映画は山本薩夫監督による松竹映画が制作した
皇帝のいない八月
- DER KAISER IST NICHT AM AUGUST -
です。1978年に出版された林ひさお氏による同名の小説が原作となっていますが、出版年が映画公開年と同年であることより、事実上、この映画のために原作が書き下されたのだろうと私は推測します。
さて、ここからは、この映画と123便事件との間に関係性が見られる、具体的には事実上の事件予告映画であると仮定してこの作品の各種設定について考察を加えます。この作品の中核となる事象は次の様になります。
(1)日本を舞台に軍事クーデターが画策されていた
(2)蜂起計画名が「皇帝がいない八月」(映画タイトルに同じ)
(3)クーデター失敗もさくら号は爆破され死傷者が出る
お気付きの様に、123便に関わるサインは複数出されてはいるものの、話の中心はあくまでも、軍事・皇帝・民間犠牲者なのです。
私は以前より「123便撃墜計画」の存在を示唆してきましたが、なぜ、一民間旅客機を撃墜させる必要があるのか、その理由付けはこれまで十分な説得力を持つものではありませんでした。しかし、123便撃墜計画をより大きな計画の一部、軍事的な作戦行動の一環であると見るならば、その必然性がより明確になってくるのです。
ですから、細部まで作り込まれたこの映画を分析することで、123便撃墜計画の背景が見えてくるかもしれません。
■123便遭難後の異様に素早い自衛隊の動き
次の写真は、123便事件の遭難現場にほど近い、長野県南相木村にある南相木小学校です。
画像6:南相木小学校
M氏の証言等でご紹介したこともありますが、123便の機影がレーダーから消え、何かが起きたのではないかと、世間が騒がしくなり始めた午後8時から9時の間、この小学校の前をバイクで通過したM氏は、はっきりと、この小学校の校庭に自衛隊が部隊展開しているのを目撃しています。
後に、当時ここに駐留していたのが、陸上自衛隊宇都宮駐屯地の部隊、おそらく特科連隊であることが現地に残された記録などから分かっています。
M氏の証言では、既にその時間、上空を戦闘機が飛び回っており、M氏自身も墜落地点は既に特定されていたものと思っていたそうです。それにしても、こんなに素早く自衛隊が現地近くに部隊展開していたことには、多少の驚きを抱いていたそうです。
元自衛隊員に尋ねたところ、災害救助部隊を編成するといっても、人員や装備の確保、他部隊との調整など、現地派遣に数時間は掛かるのが普通だということですから、この素早さは尋常ではありません。しかも、この時はまだ、報道上は墜落現場が特定されていないことになっているのです。
ここで、2つの疑問が生じます。
1)宇都宮の部隊はなぜこんなに素早く現地派遣ができたのか?
2)どうして墜落現場とされている群馬ではなく長野側だったのか?
1)についての考察は素直にこう考えるしかありません
当日、自衛隊は既に有事を想定した準備を行っていた
これは、M氏が山中で目撃したという、特殊装備をして入山してきた多数の自衛隊員や頻繁にヘリボーンで拾得物をピストン輸送していたという、その人員や装備の展開の素早さを考えても、最も合理的かつ現実的な解釈ではないかと思われるのです。
映画のストーリー設定をなぞってこれを表現すれば、クーデター計画のような武装蜂起計画が、1985年の8月12日当時、既に想定されていたと考えられるのです。
物語の中でも、過去に一度クーデター計画が失敗したという主人公による回想シーンが出てくるのですが、国際軍事評論家B氏の説明によると、実際に日本国内でクーデターが何度か計画され、その度に中央がそれを押さえ込んできたという現実があるようなのです。そのような計画はここ10年の間にもあったことを、私の情報筋も伝えてきています。
なお、2)の疑問についてはたいへん重要な問題を孕んでいます。これはむしろ、この時想定されていた有事の導入に失敗した原因と大きく絡んでおり、別の稿でお知らせするべきかと考えています。
今言えるのは、もしも武力による有事の勃発が計画通り進行していたならば、1985年8月12日という日は、123便の撃墜・墜落だけではなく、日本全土に戒厳令が敷かれていたかもしれないということです。
■皇帝とは天皇である
この芸能界の闇シリーズもそうですが、社会に現れた様々なサイン等から、123便撃墜計画の本質は
昭和天皇暗殺計画
ではなかったかと私は嫌疑を掛けています。もちろん、昭和天皇が記録上崩御されたのは1989年の1月とはなっていますから、資料としてこの説を証明するものは何もありません。私がこう主張するのは、あくまでも、カルト犯罪者たちがこの撃墜計画で何を狙っていたのか、彼ら特有の表現形態から導き出した結論なのです。
つまり、確信は覚えつつも私の中でもどちらかと言うとモヤモヤとした結論だった訳ですが、この映画の示唆するところは、その点への迷いを全て払拭するほど明解なものであったのです。
「皇帝」は英語ではエンペラー(Emperor)と翻訳されますが、「天皇」を英訳する場合もエンペラーであることは多くの方がご存知かと思います。
この映画ではちょっと気取ってドイツ語のカイザー(Kaiser)をサブタイトルに使用していますが、カイザーの英訳がエンペラーになることはドイツ語を学ばれた方なら既にお気付きでしょう。
私が注目するのは、どうしてあまり意味のないドイツ語のサブタイトルをここに添えたのかなのです。これはおそらく次の意を明確にするためであったと考えられるのです。
皇帝=カイザー=エンペラー=天皇
つまりこの映画タイトルの真意とは
天皇のいない八月
であり、もしも目の前に天皇がいるというのであれば、このフレーズの意味は
八月に天皇を亡き者とする
の意に置き換えることができるのです。つまり、123便撃墜による昭和天皇の暗殺計画です。
そして、まるでそれを意図しているかのように、燃え盛る炎を背景に映画タイトルの「皇帝」の文字が映し出されるのです
画像7:炎を背景にした映画タイトル
昭和天皇は乗客名簿にないではないかと思われる方は、まず天皇が一般乗客と座席を同じくすることなど普通はないと気付いてください。123便に乗機させられていたとすれば、それはおそらく監禁されて貨物室に押し込められていたとしか考えられないのです。
また、1985年以降、あるいはその前も、テレビでよく観ていた昭和天皇が、本当に昭和天皇その人だったのか、その点も十分に疑ってください。メディアが全く当てにならないことは、現在進行中のコロナ・ワクチン報道で読者様も十分にご理解いただけているはずですから。
いつもメディアは嘘をつく
この映画の中で、神山繁演じる毎朝新聞政治部長は、報道各社間でクーデターの報道規制が決まった後に、会社のデスクで酒を浴びながら次のような嘆きの言葉を吐きます。
何が真実の報道だ、民主国家が聞いて呆れる
このセリフは、123便撃墜計画において報道管制が敷かれる前触れと取れると同時に、40年以上前のこの時から、この国に真実の報道などないという現実を示しているとも言えます。今起きているコロナ・ワクチン報道や政府閣僚の発言について、その真実性を議論すること自体、もはや無意味なことかもしれません。
この映画の中で、神山繁演じる毎朝新聞政治部長は、報道各社間でクーデターの報道規制が決まった後に、会社のデスクで酒を浴びながら次のような嘆きの言葉を吐きます。
何が真実の報道だ、民主国家が聞いて呆れる
このセリフは、123便撃墜計画において報道管制が敷かれる前触れと取れると同時に、40年以上前のこの時から、この国に真実の報道などないという現実を示しているとも言えます。今起きているコロナ・ワクチン報道や政府閣僚の発言について、その真実性を議論すること自体、もはや無意味なことかもしれません。
■血で染まった白いワンピース
この映画でひと際目を引いたのが、血生臭いストーリーの中で凛とした美しさを垣間見せる、白いワンピース姿が目に眩しい若き日の吉永小百合さんでしょう。
サービス画像:作品中の吉永小百合さん
ネタバレになってしまいますが、吉永さんが演じた杏子は、クーデターの首謀者で夫でもある藤崎(渡瀬恒彦)と共に、ジャックした列車の中で果ててしまいます。
吉永さんの回想録によると、無残な死に役を演じさせられたのはこれが初めてだとか。確かに、この映画を観ていて、最後に列車が爆破され、「ええっ!吉永さん死んじゃうの!!」と思ったのは私だけではないと思います。
画像8:血染めの白いワンピース
1970年代に作られた、同じような列車ジャック映画「新幹線大爆破」は、列車に爆弾が仕掛けられるも、最後には乗員乗客の脱出は叶ったのですが、こちらの方は、クーデター計画は頓挫するも、自衛隊の対ハイジャック特殊部隊が無抵抗な民間人にも平気で発砲して殺しまくるし、最後はクーデター側が仕掛けた起爆装置が作動して、列車ごと吹き飛ぶことになるという、何とも陰惨な、後味の悪い結末で終わったのです。
映画ではクーデター計画の失敗という形で終わるのですが、見方を変えると、これこそが123便撃墜計画の本質を描き、予告しているのではないかと思われるのです。それは、
天皇崇拝者(藤崎)の死 → 昭和天皇の権威失墜
血染めの白いワンピース → 貴人の死
列車の爆発 → 123便の爆発
と解釈することで見出せます。そして、民間人まで撃ちまくる光景とは、まさに御巣鷹の尾根で行われた残虐行為そのものであったのではないかと、思いを深めるほど身震いがしてくるのです。
画像9:皇居 - 藤崎の心中を表すシーン
なお、吉永さんの配役にはもう一つ別の意図が見い出せるのですが、それは、吉永さんが実在する誰を象徴しているのか、吉永小百合さんという女優のイメージから想像すると直ぐにお分かりになるのではないかと思います。おそらく、日本人でこの方(女性)を知らない人はいないでしょう。
そのお方はプリンセスとも呼ばれることがありました。
関連記事:Princess Princess
参考:
・黒霧123便関連記事ガイド
・(新)ブログ全記事リスト
・123便搭乗者検索
* * *
なぜ、計画の予告とも取れる映画を作るのか?それは計画者の絶対的自信からくる仄めかしと取られがちですが、本当の理由とは「恐怖の原型」を大衆の潜在意識下に植え付ける為であると私は見ています。真っ白な赤子心の持ち主には、恐怖による如何なる扇動も意味をなさないですから。
関連記事:予告されていたパンデミック
NON CREDIDERUNT REGES TERRAE ET UNIVERSI HABITATORES ORBIS QUONIAM INGREDERETUR HOSTIS ET INIMICUS PER PORTAS HIERUSALEM
わたしたちを苦しめる敵が/エルサレムの城門から入るなどと/地上の王の誰が/この世に住む誰が、信じえたであろう。
(哀歌 第4章12節)
キリストの御国にて記す
管理人 日月土
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