マカバの薔薇 

魂の願い 魂の行き先はどこなのか? makabanobara@yahoo.co.jp

仏陀が道を教えてくれた春分の日。

2010-06-22 20:40:56 | Weblog
 
 今日は夏至の日、キャンドルナイトで過ごす方や、不思議な経験をする方など、いろいろありそうですね。


 春分の日、わたしは不思議な体験をしていました。

 昨年から、菩提樹の木の下で瞑想している仏陀のお姿が、脳裏に映るようになっていました。

 当初は豆粒ぐらいの大きさで、フッと現れては消えて行きました。

 見る回数が増えるたび、菩提樹の木は豆粒のように小さいままでした。

 仏陀のお姿だけは大きくなっていきました。


 そして、春分の日、仏陀のお姿は画面からはみでるくらい大きなお姿となって、私の目の前に現れました。


 はっと気が付き、我に帰りました。

 私の進む道が違っていたことを、仏陀の姿を借りて神我が教えてくれたんだと。

 以前も違う道に進んでいると、先祖の姿で現れて救われたことがあります。


 私は生まれ持っての霊感で、何度も命が助かったことに感謝していなかったのです。

 出雲の神が現れたのはそのためだったのです。

 
 人は神々によって生かされている。

 決して人は万能な生き物ではない。
 
 人と動物、生きるものすべてに、上も下もない。

 ただ、ひたむきに生きることこそ、神の心にかなう。


 今日は夏至の日、私には一つ良いことがありました。

 

 愛子の部屋へようこそ

 神に感謝!ありがとうございます!光あれ!
 
 



 
 
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第3の目が命を救ってくれていた。

2010-06-22 20:40:44 | Weblog
 夏至の前夜、不思議なことが起きていました。

 夜、カーテン越しから街灯の明かりが洩れてきました。

 その形があまりにもユニークだったのです。

 布団の折り目に灯が、大きな第3の目の形となり、私を見つめていました。 

 わたしは自分の影を消す作業をしていましたので、それかとおもいました。

 
 

 誰でも間一髪を逃れたことがある。

 俗に直観だとか運が良かったとか言うが、すべての人が本来持っている能力なのである。

 しかし、本当は第3の目が開いていた。

 第3の目が開いていると不都合なことがある。

 
 ある霊能者にこう言われた。

 「両目を使わず、少し開いている第3の目でものを見て生きてきた。そのため、見たくないものを排除し、都合の良いものだけ見てきた。生きづらかったろうと。」

 本を読むときも、不要なものは目で読めなくなるので、第3の目を隠すように手で覆い、本などを読むことが多々あった。

 伊勢外宮 多賀宮で第3の目をまた少しこじ開けられたことで、ますます読みたいものが読みにくくなっていたことは確かであった。


 また、遠隔伝授をうけた天使の姿を、第3の目で確認したことがある。

 自分の神我にすべてが備わっている。

 他は不要ということである。

 
 それで、第3の目のおかげで無事生きてこられたことは確かなので、第3の目を強化しようと思います。


  愛子の部屋へようこそ

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夏至の日以降 パワー全開

2010-06-22 20:22:33 | Weblog
 昨夜はどのように過ごされたでしょうか。

 この日を境にパワー全開?になったように感じるのは私だけでしょうか。

 今日、明日と、ここ一週間は忙し日となりそうです。

 
 夕方、ますます発光現象が強くなって真っ白に輝いていましたね。

 いつ天災がやってくるかわからないこの頃です。

 生きていることに感謝して、毎日を大切にしたいですね。



 愛子の部屋へようこそ

 神に感謝!ありがとうございます!光あれ!
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