実は3月26日深夜1時過ぎにやっと床に入ったと思ったら、深夜3時過ぎだと思うがハッとして起きてしまい。
なぜだか、そのまま勝手口から外へ、空は曇り空でムーッとした重たい空気、何かを感じてしまった。
こんなこと、敏感な方なら察していただけたとおもいますが、さすがにここまでくると、言わざるをえないなぁ。
しばらく外ですごしてから部屋へ戻るが眠れなず、そのまま朝を迎え出勤し、ボーとした一日を過ごす。
おかげで花粉症と黄砂の影響で、喉を傷めたらしく声が出なくなってしまった。
Drも、黄砂で喉を傷めた人多いみたいですよと言っていた。
人手不足で仕事も休めず困っている。(どこもブラック企業かもね)
寝ても治らなーい。でも、食欲だけはあーる。どうしたもんだぁ
無駄をなくし家をきれいに!
断舎利はむすかしいですね!
物の無い時代を生きた親は、いつかは役に立つからとっておけといいます。
その いつか はいつくるのか迷いますよね。
つづいて、バブル時代の着物どうしてます。
服などもゴミ捨ては有料ですから、考えてしまいますね。
田舎なもので、学生時代から親がコツコツ買いためて、喪服はもちろん、夏物、冬物 、訪問着やら、無地やら、なんかよくわからないけど、山のように着物があります。きてないですけど。
振袖は10回も着る機会があっただけで、しつけ糸がついた着物ばかりです。
結納でもらった加賀友禅の留袖、来たのは一回だけですよ。
友人は、お湯でちじませてから、服に仕立てているらしいですが。
壁に飾る人もいましたね。
じゃ、切り刻んで、つまみ細工にでもしてみますか。
あー、もったいなーい。
埋め立てゴミなど有料化になり、押入れを占領している婚礼布団をどうするか悩んでいる。
、時はバブル、何もかも派手で結婚式も派手だった頃の品。
そんな時期の どんす婚礼布団セットとは、見た目がお坊さんの座布団のようなきらびやかな柄で生地はシルク 中身は過去の物とかした綿花 それと田舎なもので 座布団冬用10枚 夏用10枚 肌布団 毛布 シーツなど付属品がたくさんある。、もちろん メーカーものが主流だった。
そのほかに羽根布団が流行っていて、羽根布団セットにベッドまで購入していた。(バブルだからバカ高く、車一台買えただろう。)
そんなもんで、捨てるに捨てれず、困っている。(捨てたと知ったら親に怒られるから。)
30年物のフランスベッドの本体とマットは今も活躍中だが、客用布団とかした どんす布団婚礼布団セットは押入れを占領しているのが痛い。
30年前の羽毛布団は当時洗濯することができなかったため、ウォッシャブル用羽毛布団にかえた。
年末、もったいないのでどんす布団を使用してみたが、中身が綿花、なかなか温まらず、湿気もくる。
現在、フランスベッドのマットレス+エアウィーブ+羊毛バットで寝ていることになれたためか。もう、綿布団は私には合わないんだなぁ。
花粉と大気汚染で布団干しができなくなったし。まぁ、押入れの肥やしにしておきますわ。
本日の金沢の花粉情報は 多量
新築住宅の科学物質アレルギーから花粉症になり30年経つ。
春の花粉症におびえ、花見なんぞ数えるほどしかしていない。
花粉症の薬を前年の12月から飲みはじめると楽にはなったが。
掃除も夜しかできない。( 家は散らかり放題 )
なぜか 鼻毛も伸びた
頭はぼーっとしているが、食欲だけはある。
あこがれの山菜取り、(つくし フキノトウ )できてない。
花粉症の受難はいつまで続くのかなぁ。
よく事故多発現場がありますが、あるときから、事故多発現場になったところがありました。
たまたま、死亡事故があった場所をとおったとき、深夜2時、異形の者が家の壁から現し、また、その壁に姿を隠していました。
それから、その家では深夜に仲良かった家族と突然に暴力沙汰になりました。
それから、一日2件も交通事故がありました。
それから、火事騒ぎもありました。
そのものは、私の意識に入ろうとしたのか、睡魔に襲わせ私を事故死させようとしたのです。
意識を高く持たないと、普通の人々も犠牲になる事件が増えています。
魔が入るとは、このことかもしれませんね。
見えざる者から邪魔が入ることはありませんか?
メールが入っているのに、気が付かないことがあるとか。
電話があっても、なぜだか出たくないとか。
嫌な人ならしかたないですが、大事な人からなのに、そんなことがあるのは不思議ですね。
見えざる者は、だんだんと孤独にしていくので、お気を付けくださいね。
大金を払わなくても自分を守る方法はいくらでもありますよ。
ケガレチに住んで30年。
人の悪口と愚痴しか言わなくなった自分にきがついたのが遅かった。
30年前「、嫁に来て3カ月も、ケガレチから出れなかったのには訳があった。
初日から疲れがどーっと、眠れない、起きれない日々がつづいた。
誰に言っても信じてもらえず、怠け者だといわれてしまった。
もちろん、家の中はゴミ屋敷だった、(いまもですね。)
金沢の城下町を守る寺町界隈の結界をでたとき、黒い大きな手が頭上から迫ってきたことを覚えています。
結界を出たとき、お天道様の光が出迎えてきました。
しかし、実家の母はこれはお役目だから、ケガレチに帰るしかないだろうといわれました。
生きているだけで、ラッキーポーン