♪:ジングルベル:♪を、皮切りに今日の演奏が始まりました
12月と言うとせわしさの中に、
どこか哀愁を帯びた曲を選曲したくなります
「紅(あか)とんぼ(唄:ちあきなおみさん)」等を演奏したいのですが
以前演奏した際に、「こんな曲は知らない」といわれたことがあり
一般の方はもちろん高齢者にも馴染みが薄いようなので
以来プログラムには入れていません
私の好きな一曲なのですが・・・残念です!
その中で、今日は久しぶりに
「星の流れに(作詞;清水のぼる:作曲;利根一郎)」を演奏しました
作詞した清水みのるさんは、第二次世界大戦が終戦して間もない頃、
東京日日新聞(現在の毎日新聞)に掲載された
元従軍看護婦だった女性の手記を読んだそうです
内容は、
彼女は、奉天から東京に帰ってきたものの
焼け野原で家族もすべて失われたため、
「娼婦」として生きるしかないわが身を嘆いていたという
清水さんは、戦争への怒りや、やるせない気持ちを詞にしました。
「星の流れに 身をうらなって どこをねぐらの 今日の宿
すさむ心で いるのじゃないが 泣けて涙も 枯れ果てた
こんな女に 誰がした ・・・・・
飢えて今頃 妹はどこに 一目逢いたいお母さん
ルージュ哀しや 唇かめば 闇の夜風も泣いてふく
こんな女に 誰がした・・・・」
当初、テイチクではブルースの女王として地位を築いていた
淡谷のり子に吹き込みを依頼しましたが
「夜の女の仲間に見られるようなパンパン歌謡は歌いたくない」と断られ、
そこで、会社は同じくコロムビアから移籍していた
「菊池章子」に吹き込みを依頼したところ
彼女は歌の心をよく把握し、
戦争の犠牲になった女の無限の哀しみを切々とした感覚で歌い上げたのです
元々の題名は『こんな女に誰がした』でしたが
GHQから「日本人の反米感情を煽るおそれがある」とクレームがつき
題名を『星の流れに』と変更して発売・・・
”発売後の反響”
レコード発売当初は全く売れませんでしたが
作品のモデルであった娼婦たちが歌詞に共感を覚え、
彼女たちの間で歌われることが多くなり、
当時、新宿の「ムーラン劇場」で上演されていた風刺ショーで
この歌が使用されるようになってからじわじわと火が付いて、
1949年(昭和24年)の春頃からヒットの兆しを見せ始め、
ついには大ヒットとなりました
また、田村泰次郎原作の小説『肉体の門』が映画化された際も、
この曲が挿入歌として使用され、ヒットの一因を担うこととなったようです
(参考;ウキペディアから)
色々な曲の裏に秘められた逸話をお話しながらの一時間でした
今日は、何時もより大勢の方がいらっしゃいましたが
皆様の反応も良くほっとしました
1月のオファーも頂き帰途につきました
12月と言うとせわしさの中に、
どこか哀愁を帯びた曲を選曲したくなります
「紅(あか)とんぼ(唄:ちあきなおみさん)」等を演奏したいのですが
以前演奏した際に、「こんな曲は知らない」といわれたことがあり
一般の方はもちろん高齢者にも馴染みが薄いようなので
以来プログラムには入れていません
私の好きな一曲なのですが・・・残念です!
その中で、今日は久しぶりに
「星の流れに(作詞;清水のぼる:作曲;利根一郎)」を演奏しました
作詞した清水みのるさんは、第二次世界大戦が終戦して間もない頃、
東京日日新聞(現在の毎日新聞)に掲載された
元従軍看護婦だった女性の手記を読んだそうです
内容は、
彼女は、奉天から東京に帰ってきたものの
焼け野原で家族もすべて失われたため、
「娼婦」として生きるしかないわが身を嘆いていたという
清水さんは、戦争への怒りや、やるせない気持ちを詞にしました。
「星の流れに 身をうらなって どこをねぐらの 今日の宿
すさむ心で いるのじゃないが 泣けて涙も 枯れ果てた
こんな女に 誰がした ・・・・・
飢えて今頃 妹はどこに 一目逢いたいお母さん
ルージュ哀しや 唇かめば 闇の夜風も泣いてふく
こんな女に 誰がした・・・・」
当初、テイチクではブルースの女王として地位を築いていた
淡谷のり子に吹き込みを依頼しましたが
「夜の女の仲間に見られるようなパンパン歌謡は歌いたくない」と断られ、
そこで、会社は同じくコロムビアから移籍していた
「菊池章子」に吹き込みを依頼したところ
彼女は歌の心をよく把握し、
戦争の犠牲になった女の無限の哀しみを切々とした感覚で歌い上げたのです
元々の題名は『こんな女に誰がした』でしたが
GHQから「日本人の反米感情を煽るおそれがある」とクレームがつき
題名を『星の流れに』と変更して発売・・・
”発売後の反響”
レコード発売当初は全く売れませんでしたが
作品のモデルであった娼婦たちが歌詞に共感を覚え、
彼女たちの間で歌われることが多くなり、
当時、新宿の「ムーラン劇場」で上演されていた風刺ショーで
この歌が使用されるようになってからじわじわと火が付いて、
1949年(昭和24年)の春頃からヒットの兆しを見せ始め、
ついには大ヒットとなりました
また、田村泰次郎原作の小説『肉体の門』が映画化された際も、
この曲が挿入歌として使用され、ヒットの一因を担うこととなったようです
(参考;ウキペディアから)
色々な曲の裏に秘められた逸話をお話しながらの一時間でした
今日は、何時もより大勢の方がいらっしゃいましたが
皆様の反応も良くほっとしました
1月のオファーも頂き帰途につきました
知りませんでしたが、余り唄っていません。
『赤とんぼ』を覚えたは行きつけのスナックのママさんが、「ちーちゃん」だったので。
今は、妻の持ち歌に取られてしまいました。