(原 光訳 2000年、沖積舎)
ダンテの「神曲 地獄」編 第15歌(カッコ内は筆子、その6)
◯「おお、息子よ、」と霊は言つた、「この群れの中の誰にせよ、しばしでも立止まれば、それから百年も火に傷つけられ放題で、身を守るすべもなく横はるのだ。
だから先へ進んでほしい。わたしはそなたの裾に寄り添つて行かう、それからきりのない責苦を哭(な)き悲しみながら行く、わたしの仲間たちに追ひつかう。」(前回ここまで)
◯わたしは霊と同じ高さで歩くために、道から下りる気にはどうしてもなれず、うやうやしく歩くもののやうに頭を下げたままでゐた。
霊は言ひ始めた、「どんな運の風の吹きまはしで、死なぬのに下のここへ連れて来られたのか? 道案内してゐるのは誰なのか?」
「あの上の晴れやかな世界で、」とわたしは答へた、「わたしの年が頂点に達せぬうちに、わたしは谷に迷ひこんだのです。(つづく)
◯本日、2016年12月4日は、第四十九主日となる。日聖協「聖書愛読こよみ」は「人となったみことば」という主題。聖書はⅡテモテ3章14~17節、その16節、「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、
義に導く訓練をする上に有益です。」という。ここの聖書は、今日の旧約聖書で、いわゆる律法主義になるというのでない。自分の罪を知り限りなく謙遜になり、感謝する人になるのに有益ですと。
◯写真は、先週11月27日特別伝道礼拝の講師として、力強く、また分りやすく説教を語られられた北海道中会・北広島山手伝道所牧師、秋山英彦先生です.
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