創世記24章4節である。「わたしの一族のいる故郷へ行って、嫁を息子イサクのために連れて来るように。」という。「わたしの一族のいる故郷ヘ」は、原文の言葉(故郷、一族)の逆順序になる。順序どおり「わたしの故郷(国「アーレツ」)へ
行って一族(族「トルドース」から(「から」原語「メム」)」としたほうがよい。アブラハムの胸中にあるのはどこまでも「一族から」である。訳文にその言葉の順序を残すべきである。
「嫁を息子イサクのために連れて来るように。」という。嫁を迎えるのはイサクである。ここにはイサクの主体的な嫁への希望が出てこない。本人の気持ちがそこまで進んでいなかったことを現しているようである。従って親であるアブラハムの
信仰指導である。婚姻その時になる前の神の選びの信仰指導で、個人的強制ではない。イサクも少年時代のモリヤの山へ連れて行かれた(22章)ことなどから心得ていた。
5節である。「僕は尋ねた。『もしかすると、その娘がわたしに従ってこの土地へ来たくないと言うかもしれません。その場合には、御子息をあなたの故郷にお連れしてよいでしょうか。』」という。アブラハムがそのとき住んでいたところはエルサ
レムからさらに南方のヘブロンであった。そこから嫁探しのメソポタミヤのウルからは余りにも遠い。また文化生活習慣も異なったであろう。
嫁探しの大役を受ける僕自身にとっての問題は、相手になる嫁の気持ちへの配慮の責任の重さであった。普通なら全く見知らないところで適切な嫁を見つけることの方が難しいと考える。しかし、そうではなく主が用意されることを疑ってい
ない。むしろその後カナンまで連れてくることの人間的配慮の難しさ、神の約束の厳しさ。
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