ハンセン病被害を闘っておられる徳田弁護士のお言葉から引用致します。
私は太平洋戦争で父親を失いまして、私の母は二十六歳で、いわゆる戦争未亡人になって、当時二歳であった私を残されたわけで、心を病んでしまったんですね。
私を育ててくれたのは、母の両親なんですね。物心がつくまでは、爺ちゃんが私の父親で、婆ちゃんが私の母親である、と思い込んでいたんですね。小学校入る前ぐらいに、「そうじゃないんだ」ということを知らされたんです。
お父さんと思っていたその人はお爺ちゃんで、もう一人はお婆ちゃんだった。一緒に暮らしている、時々急性症状で大声を出したりする若い女性が自分の母親だと知らされた時期だったんですね。だから非常に子供なりに精神的にはショックを受けたんですね。
そういう私に近所に住んでいた障害児学級で先生をしていた方が聖書を教えてくれたんです。日曜学校をその方が開いておられて、日曜日にその先生のところに行って聖書を読む。
子供なりに自分の人生というのはどうなるんだろうというようなことを考えていたときに、その先生の言葉が聖書を読んだ感想から二つ学んだんですね。
一つは、「私よりつらい思いをしている人が、この世の中にはたくさんいる」ということでした。もう一つは、「神様という目には見えないんだけれど、自分をじーっと見てくれる人がいる。何かあったらその人とお祈りという形を通して、会話というか、それができる」ということを学んだんです。子供心にすごく楽になりました。
自分が見られているその人に、見られても「大丈夫、僕やっているよ」って言われるような行動をしなければいけない。もちろん時々外れることいっぱいあるんですよ。その時は本当に「ごめんなさい」で、すごく落ち込んだりもするんですけど、基本的にはそういう聖書との出会いが、自分の場合には、救われたというか、どんな生き方を、どんな行動をするのか、という、いわば決めてくれたというんですかね。
ここまで
神様がずっといてずっと見てくださっている。竪山さんもそう信じておられました。ハンセン病になって、悲惨な現状を経験した上で、天が自分に臨んだ天命を果たすために自分は何ものかに生かされていると。大きな器には大きな天命が託されるんだと感じる御方。
人は、それを天命とも、使命とも呼びます。
心の底から自分を片時も離れず見てくださっている神様がいると信じると、人は神様からみて、今の自分は恥ずかしくないかなと、いつも自問自答して生きていけると思えるのかもしれません。
私は、自分なりの器に見合った、自分なりの使命を果たしていければなぁと思います。
神様に恥ずかしくない生き方をして生きていきたいと思っていきています。
【写真は、竪山さんと徳田弁護士。竪山さんよりお借りしました】