修験道の祖である超人の役行者が、葛城山の大峰山の空中に橋を架けたとき、葛城の一言主神(男神)は醜い容貌を恥じて夜しか工事をせず、行者の怒りに岩屋に幽閉されたという伝説があるようです。その伝説をヒントにされています。
ある冬のこと。出羽国羽黒山(今の山形県)の山伏の一行が、大和国葛城山(今の奈良県)へ入りました。
ところが一行は山中で吹雪に見舞われ、木陰に避難します。そこに近くに住む女が通りがかります。途方に暮れていた彼らを気の毒に思い、女は一夜の宿を申し出て、一行を自分の庵に案内します。
庵で女は、「標」と呼ばれる薪を焚いて山伏をもてなし、古い歌を引きながら、葛城山と「標」にまつわる話を語ります。話のうちに夜も更け、山伏は夜の勤行を始めることにします。
すると女は、自分の苦しみを取り去るお祈りをしてほしいと、言い出しました。山伏は、女の苦しみが人間のものでないことに気づき、問いただします。
女は、自分は葛城の神であり、昔、修験道の開祖、役の行者の依頼を受けて、修行者のための岩橋を架けようとしたが、架けられなかった、そのため、役の行者の法力により蔦葛で縛られ、苦しんでいると明かし、消え去ります。
山伏たちが、葛城の神を慰めようと祈っていると、女体の葛城の神が、蔦葛に縛られた姿を見せました。葛城の神は、山伏たちにしっかり祈祷するよう頼み、大和舞を舞うと、夜明けの光で醜い顔があらわになる前にと、磐戸のなかへ入っていきました。
ここまで。
一言主神は日本伝統の能の演目のヒントだったのですね。しかも、容貌のコンプレックスと、過去の罪と苦悩を負った呪縛の女神に置き換えられています。
葛城のストーリーはまるで、雪山に現れる雪女とかも空想させ、幽玄の雰囲気さえ醸し出します。昔、多くの山は女人禁制でした。
女人禁制だった理由は色々言われているようですね。深山を「神」とし、女性を排する古来からの自然観がありました。巡りのものがある女性へのケガレの意味合いもあったのかな。しかし、山の中は過酷な環境であり、むしろ女性を守る意味も女人禁制にはあったのだと思います。
こっから登れない、助けてぇーとか言われると、大変だし、獣が出てきたら、自分を守るだけでも大変だったと思いますから、まぁ、色んな意味で男性のみにしたのかもしれません。
また、能の葛城の女性が何を意図しているのか。葛城明神(女性)が山の中で夜明けの光で醜い顔が露になると、岩戸に隠れ終わります。
夜中は、幽玄な大和舞で男性の山伏を魅了します。
演目の意味は、観劇した人が感じるとこだとは思いますが、女性は男性を惑わすことも今の世でもあります。不倫、浮気の男女比、比べてみても男性が多いんじゃ無いかなぁとやはり思います。反論ある方スミマセン。
山は、決して甘くない象徴であり、生きる事に置き換えて、今だに残る大峯山の修行にも「女遊び」を戒めています。(これは、また後日書きます)
この男女の道を踏み外した場合、夜明けには、岩戸に隠れないといけなくなるよ、と深読みしてしまいました。不倫、浮気にはついつい私は厳しい見方をしてしまいます。
山の神は、時には男神、時には女神の姿にかえて、山岳修行に臨もうとするような強靭な精神の持ち主を試しながら強くしているのかもです。
兎に角、日本の伝統芸能は、古来のいい伝えや日本独特の幽玄の美なんかを表現していて素晴らしいですね!
【画像は、能葛城よりお借りしました】