水について書いた事があります。水は天から降ってそして流れそしてまた温められて天に昇ります。
水は愛ととても似ています。愛が無ければ虚しいし、人生がどんなに苦しくても愛を流れさせることはとても大切に思います。
まわりの環境や状況によって愛の流れを止めることは、天が雨を降らせないことと似ています。雨が降らないということは、生命の育成を枯渇させます。
ある人は自然に神をみたり、ある人は愛ある聖人に神や仏を感じたり。これは、同じメッセージが形を変えたものに思います。
困難な状況にある人の最善を願い、惜しみなくあらゆる手を尽くし与える姿にも似ています。
人の体の水分量は胎児で体重の約90パーセント、新生児で約75パーセント、子どもで約70パーセント、成人では約60〜65パーセント、老人では50〜55パーセントだそうです。
水分は胎児から少しずつ減っていきます。無邪気な赤ちゃんから少しずつ年齢とともに邪気が増えてしまうのと反比例の感じがします。
水分を愛と置き換えてみます。本当は殆どの人は愛そのものだけれど、大人になるにつれて、環境や状況によって愛の循環を制限してしまう。
恋愛とは違う愛です。赤ちゃんがただいるだけでまわりを笑顔にするような温かい愛。
老いた人の中に、赤ちゃんのような可愛い方がいます。身体の水分が少なくても、持って生まれた愛は本来の力を取り戻して天に還る準備をしている姿の様に思います。水が温められて天に還るように。
自分の中の愛をどんな状況においても流れさせ続けたい。人は水無しでは生きられないように愛無しでも生きられない。愛は無限にあるはずです。
水が普く天から降って全てに区別せずに恵みを巡らせるように、愛を滞りなく流れ循環させることは、自分という光を輝かせる事。
愛は人から人へ流れます。人は誰しも神様の分け御霊を持っていますから、人は愛を循環させることが出来るはずだと思っています。
神は愛そのものですから。
【画像は身体の水分画像検索より、タイセイ株式会社より】