改心には、自分で心を入れ替える改心と、他者に心を入れ替えてもらいたいなぁと改心を願うような場合があります。
他人は変えられないよ!と思いがちですが、自分の改心も難しいものかもしれません。
自分の心は自分がよくわかってる!と、意外と改心しないといけない所に気づけてなかったり、無くて七癖ですから。
カウンセリングなんかで他者へ心を入れ替えて欲しいと願うのも、それを受ける本人の素直さにかかっており、こうした方が良いですよと言ったところで、素直に聞く人もいれば逆に歯向かう人もいたり、年齢も環境も持って生まれた性分もありますね。
こうした方がよいという考え自体が本当に善かどうかはわかりませんが、悪だけは止めるように言っても、それすら反抗するのなら、残念に思いつつも本人の選択が引き起こすであろう痛い思いを受けて学び、その経験が改心の糸口になれば良いと願うしかないですね。
自分が人様に迷惑をかけた場合は、刈り取る因果を作るわけなので、なかなか未来もすぐに明るくはなりません。
愛ある助言が入ってくるには時間が必要なのかもしれません。
一方で、改心って、ストンと落ちたら早いのかもと思ったりします。だからあなたも生き抜いての著者、太平光代さんは、学生時代のいじめから、自殺未遂、極道の妻を経て弁護士資格を猛勉強して取得し、今は障害のあるお子様を愛をもって育てていらっしゃいます。
太平さんは、ある方の一言で自らの愚行の数々を反省し改心されました。いじめの辛さが自分の道を大きく歪めたのですが、歪んだ道を選択し続け全てに反抗し恨んで生きたのは自分自身だったと気づいたのでした。
気づくべき時に、何らかの出会いがあったりします。そういう時は落ちぶれていますけど、神様は、九十九匹の羊が大丈夫でも迷子の一匹の羊さえ見捨てないと思えるストーリーです。
人生の良くない時は、一点をみてオロオロしたりしがちですけど、きっと良くなる、良くなるための出来事と捉えて信じます。
改心は、自分もなかなか難しいから、他者へ求めるのも違います。改心を望むのさえ、自分の我かもしれません。自分であれ、他者であれ改心が必要なら頭をぶつけながら生きているはずで、出会い(出愛)の中に改心のきっかけとなる出来事や人が存在するはず!と信じるのもひとつかなぁと思っています。
誰しも人生死ぬまで身魂磨きのチャンスなのですから。