大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

おもいやり

2021-09-07 05:15:00 | ひとりごと

悪に抗うのではなく、善で克服せよ

という言葉を聞いたことがあります


生きる中で実践するのは難しいですね

そもそも悪の定義は

人によっても違います


罪を憎んで人を憎まず

というくらいですから

本来悪「人」は居無いのかもしれない


人ではなく「罪」を悪とすると


悪を善で克服する

言葉にするのは簡単ですが

聖人君主くらいかな、出来るのは

非常に難しいです


悪をやっつけ排除するのは

重い槍を在らん限りの力で持ち上げて

悪に刺して痛めつけ

行為かもしれないですね


刺す行為は善も悪も

共に深く傷けてしまう


思いやりは槍を使わずに

悪の中にもある

ハートから痛みの原因となる

矢を離して溶かして上げる行為

オモイ矢離


重い矢(槍)となって

ハートを突き刺した

批判も非難も審判も屈辱さえも

ひとつひとつ捨て取り去ろうと

もがきながらも助けようとするのが

重い(思い)矢離


善いこころを取り戻すように

罪に至る過程の思いを

深く深く探り馳せる


そして

悪の中に善のかけらをみつけたなら

悪に抗うのではなく善で悪を克服する


善を信じて

悪の胸に刺さった

痛い矢を抜いて砕いて上げる


いずれ、

自分で自分の矢を抜くことが

できるようになったら


闇は光に

悪は一目散に霧散するのかもしれません


自分がされたくないこと

言われたくないことは

人にしない

言わない

痛みの傷を癒そうと模索する


悪に抗うのではなく、善で克服せよ


この難題への答えひとつは

静かな「おもいやり」の継続

かもしれませんね