大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

新垣勉さん

2021-09-30 04:46:00 | ひとりごと

昨日のyoutube で新垣勉さんの歌声をリンクしました。素敵な歌声に惹かれ、幾つか聴いた中で一番心に響き選びました。


その後、この方は他にどんな歌を歌われているんだろうと検索していたら、彼が盲目で、彼の生涯が壮絶であり、そんな中から歌に活路を見いだされた方だとしりました。


ラテン系アメリカ人の父と日本人の母の間で生まれ、生後まもなく、助産婦の間違いで劇薬を点眼され失明してしまいます。


その後、一歳で両親が離婚し、父はアメリカへ帰国。母は再婚し、目の見えない息子(勉さん)を置いて出て行ってしまいました。


以後は祖母に育てられますが、唯一の支えである祖母が中学二年の頃に亡くなり天涯孤独になります。


両親に対する憎しみと恨み、自分の不運を嘆き、絶望の中で彼は自殺をしようとしたのです。


しかし、まさにこの時、ラジオからかすかに讃美歌の音が聞こえてきたそうです。

その美しい音に心を打たれ教会へ行きます。そこで、人生を変える1人目の恩人に出逢います。


教会で、牧師さんは、彼の悲しみや辛かった日々を理解し、自分のために涙を流してくれたのでした。祖母以外で自分を受け入れた初めての方だったようです。


この出逢いをきっかけに、生きる希望を取り戻し次第に心がいやされ、両親に対する憎しみも徐々に消えていったといいます。


「憎しみからは何も生まれない。自分が変わると周りが変わります。周りを変えようとしても何も変わりません」

と新垣さんは言っています。


そして、彼の人生を変えた二人目の恩人はイタリア人のボイストレーナーでした。世界的に色々な歌手を育ててきた先生で、彼の声をほめてくれた人です。


「この声は神と、君の父からプレゼントされた贈り物(楽器)だ。日本人離れした声だ。ラテン的な匂いのする、まるでオペラのようだ!」

「君は、素晴らしい声を持つ、世界でたった一人の存在だ。」


と、大絶賛してくれたそうです。オンリーワンですね。誰と比べる必要もないのです。


自分ではどうすることもできない宿命というのが人には存在しそうです。しかし、そんな中でも生きると微かな救いが必ず存在し、はじめは微かな糸のようなものかもしれないけれど、その糸を手繰り寄せ紡ぎ織物にしていく力が人にはあることを感じました。


祖母の死後、絶望の人生から牧師さんに出会い生きる希望を見いだし、そしてその後自分の自信(自神)となる歌に活路を見いだします。命のエネルギーを後押しするボイストレーナーとの出会いにより自分らしく生きる術である歌を奏で続けています。


昨日のブログ、千の風になっての歌を選ぶ時には新垣さんの存在や壮絶な人生を私は全く知らなかったです。


ただ幾つか聴いてその声に惹かれて選んでいました。背景を知り選ぶのではなく、声に惹かれました。声が心に響くのです。本物の歌い手だなぁと思いました。


これからも、心に響く沢山の歌を届けてもらいたいなと思います。


こちらも素敵でした。↓


新垣さんの心眼には満天の星がきらめいているんだと思いました。




2021-09-29 05:58:00 | ひとりごと

天つ風の昨日の話から続きます。千の風になってはとても良い歌ですね。


これはアメリカ発祥の詩『Do not stand at my grave and weep』(私のお墓の前で泣かないで)に、小説家の新井満さんが日本語での訳詩を付け自ら作曲した日本の歌のようです。その後、そのメロディに英語の歌詞もあてられているようです。歌詞もメロディも素晴らしいです。


日本語のタイトルは原詩の3行目『I am a thousand winds that blow』(私はふきそそぐ千の風です←直訳)からのようです。


年をとると知人や親族に故人が増えるものです。亡くなった方を自分を包む風のような存在で共にいると感じると癒されると思います。


風の時代という言葉ですが、ふと、人も千の風のようになる時代かもと思いました。死ぬという意味ではなく生きている今こそ、千の風のようになろうという風な感じです。


私は眠ってなんかいませんという歌詞の部分があります。

歌詞ではお墓には居ない眠ってないと故人を空想させますが、ここを自分の使命に目覚めようよという風に感じると、生きている人への更なるメッセージ性が高い気がします。


秋には光になって実りを助けるのは、自分の持ち場で化育を助けること、冬はダイヤのようになるのは、厳しい環境の中でも自分を輝かせること、朝は鳥のようには、優しさと明るさで人を目覚めさせること、夜は星のようになっては、暗闇の中に迷い込んだ人をも守り光を届けること。そんな風に聴いてみるとまた違う味わいがあります。


千の風の歌詞ようになるひとが沢山ふえる時代が、風の時代だとすると、令和は素敵な時代かもですね。








百人一首

2021-09-28 06:06:00 | ひとりごと
娘が百人一首が好きなので、我が家は日常的に百人一首を目にします。私も幼い頃好きで意味もわからず暗記してました。

すっかり忘れていましたが、娘が練習する際に、私に何度も読んでと頼むので記憶の引き出しがあったからか、かなり覚えました。また、和歌の意味はドラえもんの漫画が役立ちました!





天津風(あまつかぜ)雲の通ひ路(かよひじ)吹き閉ぢよをとめの姿 しばしとどめむ


この歌の情景は神秘的な雰囲気を織り交ぜていて素敵です。作者をみると一昨日の妹のブログで紹介されていた僧正遍照。


天を吹く風よ、天女たちが帰っていく雲の中の通り道を吹き閉ざしてくれ。乙女たちの美しい舞姿を、もうしばらく地上に留めておきたいのだ。



この歌の作者僧正遍照は、同じ六歌仙だった小野小町との恋愛話があるようで逸話も残っています。


小野小町を恋するあまり、官職をなげうって小町の住処へ出向いたり、小野小町が疱瘡を病んでいた際に、小町から「もし私に会いたいなら、毎日私の庭に1本づつシャクヤクの花を植えてください。それが100本になったら、あなたとお会いしましょう」と告げられ小町の家に毎日植えに行ったみたいな情熱家だったみたいですね。


 

世界三大美女ともいわれた小町はシャクヤクの花のような方かも。

花の色は移りにけりないたづらに我が身よにふるながめせしまに

小町が詠む女性の老いの憂いの歌が百人一首に残ります。


今は、風の時代とか言われていますね。今までの古い概念や重い想念は過去に置いて新しい時代になるようです。


遍照の詠んだ和歌の一節


「をとめの姿しばしとどめむ」


天つ風」にのって、天津の女神様が「雲の通り路」から風に乗って現れる時代かもしれません。


今までは雲の通い路が封印され隠されており、なかなかでてこれなかった神々が次々と封印を解かれ天つ風に吹かれて顕れる時代。


そんな「風」に感じると、嫌なニュースが今は多いですけれど、風の時代、風に吹かれて色んな事が良くなっていき「をとめの姿しばしとどめむ」時代に生かされているかもって感じると嬉しくなります。





【画像はシャクヤク検索画像より】



ずっとトゥシューズは辛いかも

2021-09-27 06:13:00 | ひとりごと

無理をする、背伸びする自分の器以上に自分をみせようとするとしんどいです。バレエリーナーはトゥシューズをはいて爪先立って踊りますが、爪を傷めるほど練習に練習を重ねた末、時間限定(舞台)だから出来るわけで、普通ならまず数秒も無理かなぁと。


良い格好をしたり、良い子を演じたり、嫌われたくないから自分の意思を隠して「いいよ」と言ってしまったり、こういう姿勢は、トゥシューズを履いて踊り続けている感じがします。


昨日、大我について少し触れましたが、自分に無理を重ね良く見せようとする行為は大我ではなく小我になり、良くないです。


バレエリーナが訓練を積んで踊りによりみんなを魅了したいと努力し、結果として皆を感動させ自分も満たされるのは大我ですよ!


しかし、日常においてトゥシューズをはいて自分が爪先立って歩き続けることは、日常とは違う舞台で演じ続ける行為で、辛くなり倒れてしまう危険がありそうです。


自分を知り、自分の器を理解して、「できないものはできない!」と伝えること、時には自分が出来ても相手の為にならない事にも「出来ない」を嫌われる覚悟で伝える事は大切で、それが善である場合には大我に繋がるのかなぁと思います。


身の丈を知ること無理しないことからはじめ、自分の内なる神様が喜ぶことが目の前の人の内なる神様と共鳴するような、そんな善なる行いも大我かなぁと思いました。


小我の塊の自分から、大我へ少しずつ脱皮を繰り返すことは、人生をかけて行う大切な事のひとつかもと思っています。


トゥシューズを履いて日常を歩いている場合には、まずお疲れ様と脚をねぎらい、サイズに合った靴に履き変えて日常を楽に一歩一歩自分の足跡をつけて歩く事からスタートしたいですね。







【画像はトゥシューズ検索画像より】



まずは自分を

2021-09-26 06:16:00 | ひとりごと

あなたが世界を正すには

悪とそれがもたらす悲しみを消し去って

荒涼たる世界を栄えさせ

不毛の砂漠にバラのような花をもたらしたいと願うならば

自らを正しなさい


あなたが世界を変えるには

長くとらわれ続けてきた罪から

自らを解放し

傷ついた心をすべて元に戻し

悲しみを消し去って甘美な安らぎで満たしたいと願うならば

自らを変えなさい


あなたが世界を癒すには

長く苦しんできた病いを消して

悲しみと苦しみを終わらせ

すべてを癒す喜びをもたらし

苦しむ者に再び安らぎを与えたいと願うならば

自らを癒しなさい


あなたが世界を目覚めさせるには

とらわれた夢と暗いあがきから

自らを救い

愛と平和をもたらし

永遠の生と輝きを示したいと願うならば

自らが目覚めなさい


ジェームズアレン



この詩素敵ですね。さらに簡単にすると


あなたが世界を正すには

自らを正しなさい


あなたが世界を変えるには

自らを解放し

自らを変えなさい


あなたが世界を癒すには

自らを癒しなさい


あなたが世界を目覚めさせるには

自らを救い

自らが目覚めなさい



という風になりますね。

全てにおいて

自らがまず先なんですね。

この「自ら」は我でなくて

仏教でいう大我かなと思います。


世界を良くしたい

日本を良くしたい

社会を良くしたい

そういうふうに考える人は、

まず自分で自分を正し、

解放し、変わり、癒し、救い、

目覚める必要があるのでしょうね。