愛と情熱の革命戦記

猫々左翼の闘争日誌

すべてを新人教師の責に帰することはできない!

2010年09月14日 23時00分58秒 | 人間らしく働くルールの確立を


 2004年9月のことです。静岡県磐田市立の小学校に新規採用された木村百合子さんは、同年4月に新規採用されて半年で自殺するという事態に追い込まれました(享年24歳)。

 背景には、担当クラスにある様々な困難と新人教員である木村百合子さんへの学校内部での支援体制の不十分さがありました。木村百合子さんの自殺はまぎれもない公務災害というほかありません。



 学校側と静岡県磐田市は自らの責任を認め、再発防止という観点からも木村百合子さんの自死を公務災害と認定するべきです。

 今、百合子さんの両親を支援する人々が中心となり、「故木村百合子さんの公務災害認定裁判を支援する会」が結成されていて百合子さんの両親と共に訴訟を提起しています。

 事件概要とその後の経過はレイバーネット日本に掲載されています。該当文章をここに転載します。



2004年4月に静岡県磐田市立の小学校に新規採用された木村百合子さんは、同じ年の9月自ら命を絶った(享年24歳)。その背景には百合子さんが担任した学級のさまざまな困難な状況と、百合子さんを支えなければいけないはずの学校内部の支援体制の不十分さがあった。

当時の管理職からは、「おまえの授業が悪いから荒れる」「アルバイトじゃないんだぞ」「問題ばかりおこしやがって」などと責め立てられた。百合子さんは、「本当に必死な毎日」「必死にならなければ毎日を過ごせない状態」(百合子さんの日記より)と奮闘したが、クラス状況は改善されず、自死という最悪の選択に追い込まれてしまったのだ。

その後、百合子さんの遺族は公務災害認定の申請をするが、百合子さんが所属していた静岡県教職員組合が支援を放棄するという厳しい状況も後押しし、2006年8月地方公務員災害補償基金静岡県支部は自殺の原因は公務外との裁定を下し、基金支部審査会も2007年12月に請求を棄却した。

しかしその後、百合子さんのご両親(写真上)と支援する人々が中心となり「故木村百合子さんの公務災害認定裁判を支援する会」が結成され、訴訟が開始された。今回はその第11回目の公判である(静岡地裁民事第2部 山?努裁判長)。36名分の傍聴席はマスコミ取材も含めぎっしり埋まり、この裁判の注目度の高さが伺えた。

今回は、原告から被告公務員災害補償基金側が一貫して否定してきた「『うつ病』の発症時期後の経過の重要性」に対する反論等を書面で主張した。次回公判で被告側からの「反論」を受けて争点の整理が行われ、次々回公判から証人尋問が開始される。いよいよ裁判の山場である。

学校現場の労働過重の問題については、今までほとんどおざなりにされてきたが、今年2月に東京都新宿区の新人教員の自死事件(2006年6月)に対して公務災害が認定されるなど、風向きは少しずつだが変わりつつある。故百合子さんの母親和子さんが報告集会で「この裁判で、学校が変わってほしい」と発言されたように、この裁判の意義がますます大きなものになってきている。(湯本)

?次回第12回公判 
日時:10月29日(金)午後1時30分
場所:静岡地方裁判所 054(252)6111 静岡市葵区追手町10-80

?「故木村百合子さんの裁判を支援する会」の会員は、8月末で220名に達しました。また今回新たに署名用紙も作成し、全国からの支援を求めています。激励や問い合わせは、以下までお願いします。

iwatach@hotmail.com

【転載元】この裁判で学校が変わってほしい!~故木村百合子さんの公務災害認定裁判

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