この脱原発という局面で原発再稼動ありきというのはいかにもゆがんでいる。原発が安全ということにはならないのは言うまでもない。個別原発の再稼動をせざるを得ない局面があったとしても(これも胡散臭いといえばそれまでであるが)、現在の科学技術の粋を集めて苛酷事故への備えをし抜いてどうするかという話にしかならない。
再稼動ありきでは結局のところ「安全神話」を振り撒くのと同じことになる。日本共産党が原発再稼動要請の撤回を要求しているのは、当たり前のことである。
国民の常識は永田町では非常識であり。このことがいよいよ明白になっている。国民が永田町にあわせるんじゃない。永田町が国民にあわせなければならない。国民の声が届き反映する政治をいまこそ造るときだ。